予期せぬ絶望
フォロワー300人超えてます!!
ありがとう、ごめんね!
ちなみにですが、何章までやって欲しいとかありますか?
原作範囲全部やろうと思ってたんですけど、長すぎるかもってご意見を頂きまして…!
皆さんの考えを知りたいです!
よろしくお願いします!
- 2,507
- 2,619
- 131,591
『ヤバい。なんか心臓バクバクしすぎて吐きそう』
『乗り慣れていない地竜の疲れが、安心してドッと出ましたかな?』
『それもあるかもだけど、たぶんそれとは別。……ぶっちゃけ、エミリアたんと顔を合わせること考えたら恐さが炸裂してきた』
『経緯を詳しくは知りませんが、確か喧嘩別れなされていたとか』
『そのものズバリですけど、キツイなー。なんですよ。なんですんで、顔を合わせるのが気まずいんです。うう……胃が、胃が痛い。あと胸が痛い恋心で』
『白鯨に挑むときより辛い様子ですな。気持ちはわかりますとも』
『ヴィルヘルムさんも、やっぱ奥さんと喧嘩したときとか気が重かった?』
『それはもちろん。私の場合、妻を怒らせると物理的に勝てませんでしたからな。よく強制的に斬り伏せられたものです』
『やっぱ剣聖って半端ねぇな!?』
『そのあとは力ずくで腕に抱いて、怒りが溶けるまできつくしていたものです』
『やっぱ奥さんネタエグイとこくるな!?』
『まさか本気で奥さんネタを今後も押していく天然なわけじゃないよね?』
『なにを仰っているのかわかりかねます。――おや』
『あの村が屋敷に一番近い村ッスよ。って、ヴィルヘルムさんは知ってるのか』
『ええ。一度、フェリスとともにお屋敷にお邪魔しましたからな。村も横切りはしましたが……妙ですな』
『ど、どうしたんですか、なんか変なことが……』
『竜車がやけに多く、村に止まっています。――スバル殿、ここでお待ちを。様子を見て参りますので』
「…スバル…」
「ヴィルヘルムさん、この光景に心当たりは」
「…ありませんな」
「ということは、スバルは…」
『スバル殿』
『ああ、そっか。俺の保険じゃねぇか』
『そのようですな。王都を出た時点で、これを?』
『うん。アナスタシアとラッセルさんにお願いして、ちょいとな』
『タンマ、タンマ!はい、こっち注目!お互いに色々と言いたいことはあるだろうけど、まずは俺の話を聞いてくれ!』
『名前はえーっと、忘れちまったけど……あんた、王都の組合からのお触れでここにきた行商人で合ってるよな?』
『そうだけど……お前は?行商にしちゃ、見ない顔だが』
『俺はどっちかってーと、雇い主側だよ。ちょい手違いで話が通ってないんだわ。俺がうまいこと上にも中にも通してやっから』
『ま、そんなわけで、ストッププリーズ』
『とりあえず、話を聞いてくれや。この一度見たら忘れられない、親しみ深い三白眼の持ち主に免じて――あんた、誰だ?』
『俺はこの村の人間は全員、顔を知ってるし、知られてる自信がある。だってのに、俺はあんたの顔を知らないんだが……代表面してここに立ってるあんたは、誰だ?』
刹那、影が膨らんだように魔手が。
『――な!?』
『こんなはず……だって、これは……』
喉元を押えられる感覚に呻く。
『あぁ――脳が、震、える』
狂人が名乗りをあげる。
『ワタシは魔女教大罪司教……』
『『怠惰』担当――』
『――ペテルギウス・ロマネコンティ、デス!!』
「魔女教…!」
「スバル、離れて!」
「スバル!」
届かない痛みとはこんなにもどかしいものだった、とスバルが死なないと思っていたエミリアに嫌な感覚が走る。
『てめぇ……今、なんて……ッ』
『おやおやぁ、ずぅいぶんと驚かれているようデスね。そぉれほど驚いていただけると、ワタシもこうして舞い戻った甲斐があるというもの、デス!』
『待て……お前、腕は七本だった……はずじゃ……』
『アナタ……『見えざる手』が見えているんデスかね?』
『ワタシに、ワタシのみに、与えられた愛の答えを……なぜ、アナタが!見ること叶うというのデスか!寵愛の信徒よ、アナタはまさか……!』
『スバル殿から、離れろ――貴様』
『ヴィルヘルムさ、ん……』
『あぁ、アナタ、勤勉な方のようデスね。わかりマス。わかりマスとも、わかろうというものじゃぁないデスか!素晴らしい、美しい、なんとも気高い、揺るぎない精神性がうかがえるのデス!信じるものが!貫き通すものが!確固たるものが己の中に確立されている証デス!いぃ、すごぉっく、いいデス!』
『わけのわからないことを、並べ立てるな、狂人めが』
『狂人!実に正しき認識デス!そう、ワタシは愛に狂っているのデス!愛に、畏愛に、遺愛に、慈愛に、恩愛に、渇愛に、恵愛に、敬愛に、眷愛に、至愛に、私愛に、純愛に、鍾愛に、情愛に、親愛に、信愛に、深愛に、仁愛に、性愛に、惜愛に、切愛に、専愛に、憎愛に、忠愛に、寵愛に、貧愛に、偏愛に、盲愛に、友愛に、憐愛に、愛に、愛に、愛に、愛あいあいあいあいあいあいあいいいいいぃぃぃぃっ!!』
『あぁ、聞こえるべき賞賛の声が聞こえないのはさびしいものデスね。……では少々、手を惜しまずに振舞うとしマスか!』
『まさか、やめ……!』
『さあ――『怠惰』であれ』
悲鳴が、響く。
「…なに、これ」
「白鯨の時と同じ…発狂状態に…」
「スバルくん…」
『これ……』
『思ったより、抵抗されましたデスね』
『てめぇは、どうして……こんなところに』
『お話の途中でしたし、ワタシがこの場に馳せ参じた理由である試練もまだ行っていませんでしたから。――とはいえ、アナタ方がワタシの指先のほとんどを潰してしまってくれていたおかげで、この貧弱な肉体しか残っていませんデスが』
『くそ、見えてるのに……干渉できないのかよ!』
『やはり『見えざる手』がアナタには見えているようデスね。非常に不快ではありマスが、アナタが『傲慢』であるのならそれも納得というところ……』
刹那、パトラッシュがペテルギウスの体をはねとばす。
『外れた、これで……ヴィルヘルムさん!』
『……私はどうにか。しかし、これは……』
『フェリスでなきゃ、治療できねぇ!?』
『あるいは元凶を叩けば、途切れる類の呪いやもしれません』
『あいつを倒せばってのは、可能性あるのか? 最悪、引いてフェリスを呼びにいった方がいいってことも……』
『フェリスがいれば確実ではあるでしょう。ですが、あのものをこの場に残して下がることを選べますかな?我々が森に戻れば、彼奴めが次に向かうのはロズワール殿の屋敷に相違ありません。――エミリア様に、危険が及ぶ』
「引けない状況…だけど、このままじゃ勝ち目なんて…」
エミリアは悟る。
スバルはこの周回で間違いなく死ぬ。
『覚悟は、決まったようですな。スバル殿は下がって、見ていてください』
『あいつの手口は、見えない手でこっちを縛るってやり方だ。いくらヴィルヘルムさんでもあの手には……』
『見えない腕があるとわかれば、戦いようというものはあるものです。それよりスバル殿、奴は『怠惰』で間違いないのですか?確かに『怠惰』を斬った自覚が私にはあるのですが』
『……原理はわからねぇが、それは間違いないと思う。最悪、白鯨みたいにこっちが本体でさっきのは偽物って可能性もある。俺はそれは知らなかった』
『疑ってなど、おりませんよ』
『――あぁ、痛い。痛い。痛い。脳が、震える。震え、マス、デス』
『いい。地竜はやはり、いいデス。人間に親しく、忠実で、なにより賢く勤勉である!素晴らしい!愛おしい!勤勉!そう、勤勉であること!それはなによりもどんなことよりも賞賛されるべき美徳なのデス!怠惰であることがもっとも恥ずべき罪悪であるのならば、勤勉であることはもっとも賞賛されるべき美徳!怠惰が信愛に値せぬ不実であるのなら、勤勉こそ寵愛に相応しき信徒の行い!』
『うちの働き者の相棒は嬉しくねぇってよ、変態野郎。……今は変態アマか?TSものに一定の需要があんのはわかるけど、お前のTSなんざ誰得だよ、クソが』
『てぃーえす?なぁにを言っているのかわかりませんデスが、惜しみなく賞賛を送ることと送られた相手が喜ばしいかどうかはワタシにとって関係はないのデス!素晴らしいと思った。胸に湧き上がるこの情動を、言葉にしない怠惰などワタシには決して許されない。許されない、許してはならない、許すことなどあってはならないのデスから。故に言葉を尽くし、愛を、愛を、あいあいあいあいあいあいいい!』
『会話にならない相手というのはいつの世も厄介なものですな。――もはや、言葉を尽くす意味も意義もなし。ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア、参る』
『ああ恐い。アナタもまた勤勉なるもの。デスので、こうさせていただくデス』
『正面に腕だ!!下がってくれ――!』
『――承知』
「…どうして、スバルには見えるの?」
「理屈はわからんのよ。でも、エミリアが考えるような最悪な理由でないことは確かかしら」
『意味のわからない行いデスが、まさかアナタは怠惰ではありませんデスよね?』
『勤勉であるとしても、無能な働き者は怠惰と等しく唾棄すべき存在デス。なおもその無駄な抗いをやめないのであれば是非もなし――ワタシに与えられし寵愛の前に、千切られて消えてえてえてえてえてててててててててデス!!』
影が爆発し、ペテルギウスの『見えざる手』がヴィルヘルムへと迫る。
その数はおよそ三十本以上に及び、スバルの知るペテルギウスのものとは比較にならない。
接近する魔手の存在を口頭で伝えようとしていたスバルは、ひとつ二つを伝えられた程度では変わらない状況を前に喉を塞がれた。
『ヴィルヘルムさ――』
『言ったはずです』
『見えない腕があるのだとわかっていれば、対処法などあるのだと』
「…すごい、ほんとに対処できちゃうんだ」
「スバル殿の助言のおかげですよ」
「…手よりも、警戒すべきは違うところに…」
ベアトリスが呟く。
『馬鹿な。馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な馬鹿なかなかなかなかなかなかなかなかなかななななななななな――』
『ありえないありえないありえないりえないりえないえないえないないないないないいいいいい……アナタまでまさか、ワタシの『見えざる手』ををををを?』
『見えております。――種が知れれば、大したことのない子供騙しですな』
『さて、驚かれるのは十分です。――斬られる覚悟は、できたのか?』
『待て、待つのデス。こんなはずが、こんな状況が、こんな展開が、こんな苦境が、ワタシに、訪れるはずがないのデス!ワタシは勤勉であった!ワタシは怠惰であることを拒み、愛に報いるために!愛に!親愛に!寵愛に報いる信徒として誰よりも敬虔で勤勉であった!そのワタシが……』
『これをしたから愛される。これだけやれば愛される。貴様の口にする愛の、軽薄さには耳が腐る』
『愛は強要するものでも、懇願するものでも、毟り取るものでもない。貴様のそれは愛ではなく、ただの独りよがりだ』
『――アナタに、なにが』
『ならば、これはどうデスか!!』
叫び、ペテルギウスが両手をこちらへと差し伸べる。
その腕に呼応するように、地を滑るように伸びてきた『見えざる手』が、横たわって精神汚染に苦しんでいた騎士たちの体をつり上げる。
屈強な彼らはいずれも、ヴィルヘルムと同様の装備に身を包んだ討伐隊の生き残りであり、ヴィルヘルムとは固い絆で結ばれた同志――奴はそれに目をつけたのだ。
『さあ、これでいかがデス!友人を、同僚を、部下を、仲間を、同志を、こうして人質にされてアナタはどんな醜態を――』
「…不快だな」
「…そうだね、これは」
「魔女教…やはり塵芥のような人間の集まりね…」
『――騎士を、甘く見るな、下種が』
『守るために剣を握り、騎士となった時点で己の命など惜しまない。私の――俺の仲間を侮辱するのも、大概にしろ』
『あぁ……こん、な……』
『アナタ、こそ……あぁ……真に、誠に、正しく、勤勉な……』
『介錯が必要ですかな』
『――不要、デス。ああ、命の失われる感覚が素晴らしい。血が抜ける。命の源が流れ出す。これまで、ワタシの体を支えてきた、勤勉なるものが、失われて、なくなって、消えて、消えて、えててててててててて』
「…これは!」
ベアトリスが気付く。
「…殺しちゃいけないのよ」
『お、終わった……のか?』
『息の根は止めました。周りのものも、どうやら』
『けっきょく、どういうことだったんだよ、こいつ』
『白鯨みたいに、『怠惰』ってのは複数いたのか?そうすると、これまでに世界の各地でメチャクチャ活動してるって話にも納得がいくけど……』
『大罪司教の、同一の大罪が複数いるなど聞いたこともありませんが……実態が不透明な連中のことです。あり得ない話だと断定はできませんな』
『最悪、この女も本体じゃないってことも……白鯨みたく、まさか別の本体が?今回出張ってきてるかもわからねぇんじゃ、対処のしようが』
『森を探索している他の面々も心配ですな。こちらにはスバル殿がいたおかげで、見えない腕の対処が可能でしたが、あちらにはなにもない』
『――!そうか!そうなるとヤバい、すぐに戻って合流しないと!』
『とにかく即行で戻って……パトラッシュ?』
『まさか……憑依……!?』
『ヴィルヘルムさん!ヤバい、あの野郎、パトラッシュに――』
「ぇ」
エミリアの吐息が漏れる。
ばしゃりと、振り返る顔面にむせ返るような血臭が浴びせかけられた。
唖然と、生温かいそれを顔に浴び、スバルはぽかんと口を開けて瞬きする。
眼前、振り返った先に立っていたはずの老剣士の姿がない。
いや、ないことはないのだが、スバルの知っている形と違っているのだ。
スバルより十センチは高かっただろう長身で、鍛え上げられていたヴィルヘルムの肉体。
その広い肩幅の上、首が存在していない。
ねじ切られるような汚い断面をさらし、伸び上がる黒い靄が血を噴き上げる胴体の向こうでのたくるように踊っているのが見えた。
呆然と正面を見る。
目の前、ペテルギウスによって乗っ取られたと目したパトラッシュがいる。
その首がやはり、スバルの目の前で乱暴に千切られて、重々しい音を立てて放り捨てられた。
巨躯がその場に倒れ込み、小さくない震動が足裏を伝う。
同時に背後でもヴィルヘルムの胴体が横倒しになっており、スバルの前後で、今寸前まで勝利を分かち合っていた、頼もしい仲間の命が失われた。
思考が完全に真っ白に染まり、考えがなにもまとまらない。
振り返り、倒れたヴィルヘルムを見下ろす。首から上がどこにもない。
流れ出す血の勢いを止める方法はなく、赤が大地を染めていくのを見守る他にない。
ふいに、気付けばヴィルヘルムの死体から宝剣を引き抜いていた。
刀身の長いそれを腕を精いっぱいに伸ばして、先端を自分の喉の方へと合わせる。
苦労して、どうにか狙いが定まり、スバルは首を傾げた。
なにもわからない。
なにもわからないまま、伸ばした腕を思い切りに引き寄せる。
熱い感触が喉を駆け抜け、全身から力が抜ける。
なにもわからない。
理解ができない。
ただ、ひとつだけわかることがあった。
――ああ、死んだのだと。
「すば、る」
長い長い時間を過ごしたように感じる。
「スバル!」
「…なんと」
ヴィルヘルムは驚愕する。
己の死に。
「スバルくん」
「…大丈夫、ですよね」
そう言って、信じる他になかった。
『――兄ちゃん?』
『あ?』
『まさ、か……!』
『なんや、兄ちゃん。今、完全に目ぇいっとったで、頼むわ』
『疲れが出て参りましたか、スバル殿』
『あぁ……』
『セーブポイント……更新されてたか……』
「ここから、なのね」
「白鯨とまた戦うというのは些か酷すぎる話なのよ」
「良かったです、ナツキさん…」
良かった、という表現が適切なのかは分からないが。
『ペテ公にやられた……ってことで、いいんだよな。いや、よくねぇけど』
『っていうか、思い返すと一回目もオッチャンとこに戻ってた覚えがあんな……なんだよ、どんな因縁があんだよ。この世界はオッサンにセーブポイント的な機能がついてんのか』
『そう考えると、オッサンがセーブポイント代わりってのは新感覚だな……リカードもタイプ的に似たようなもんだし、その繋がりでイマココ?』
『憑依――って、考えるべきだろうな。元の体を捨てて別の相手に乗り移って、それでああやってヴィルヘルムさんとパトラッシュを』
『信じたくねぇが……あいつに、俺の中に入られたのか』
『あのクソ野郎、ただでさえ最悪な奴だと思ってたが……これでゲージ完全に振り切れたぞ、どうしろっつーんだ』
『こういうパターンだと、どうすりゃ倒せる? 憑依に条件があるってのが一番、わかりやすいシチュだけど、見極めが利かねぇ。回数制限……それもわからねぇ』
『一回殺すだけじゃ足りないってわかってりゃ、ヴィルヘルムさんに言及して倒すだけならできそうだが……着地点が見えなきゃ、殺し切るのも根競べになっちまう』
『ペテルギウスを倒すのは、諦めるってのも手なのか……』
「…ナツキさんは、やはりひとりで悩みがちですね」
「あれはスバルの癖のようなものなのよ。矯正は難しいかしら」
『スバル殿』
『なにか、不安があるのですかな?』
『あ、いや……』
『口にされるがよろしい。ひとりで抱え込む必要など、ありはしません』
『違うんだよ。ちょいと考えをまとめようとしてたとこなんだ。あんまり整理つかない状態で話してても要領を得ないでしょ?それで……』
『それで、諦める選択肢に向かいそうになったのではありませんかな?』
『諦めるって、そんなのとは……違う』
『スバル殿、私がこう言葉にするのも無粋の極みですが、言わせていただきます』
『お、おう。そんなかしこまってこられるとアレだな。うん、聞きますけど』
『――戦え』
『戦うと、抗うと、己にそう定めたのであれば、全身全霊で戦え。一瞬も、一秒も、刹那すらも諦めず、見据えた勝利という一点に貪欲に喰らいつけ。妥協などしてはならない、あってはならない。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立て、立て、立て、立て、戦え。――戦え』
「…かッけェ…」
ガーフィールが感嘆の声を漏らす。
『妥協、するなってのか』
『――ええ。それがどれほど、厳しい道でも』
『戦うって選択肢で、俺は白鯨との戦いに色んな人を巻き込んだ。今も、これから戦おうってことでここにいるみんなを巻き込む。――死人だって、出るぜ』
『それでも、俺のわがままに付き合ってくれるってのか。欲張りで意地汚い俺のわがままに、命を預けてくれるってのかよ』
『守りたいものを守るために動く――それはそのまま、騎士のあり方です。なれば志を同じくするものとして、誰がスバル殿の道行きに異を唱えられましょう』
『意思があっても、力が足らぬことを嘆く気持ちはわかります。――故に我々がいるのです。我々が今は、スバル殿の剣。スバル殿の願いを叶える、力です』
『為すべきことを、為しましょう。他の誰でもない。あなた自身の――わがままではない、あなた自身の願いのために』
『エミリアたちを助けなきゃ、いけない』
『はい』
『でも、魔女教の奴らと事を構えなきゃいけないってのも本音だ』
『はい』
『ホントはさ、逃げた方がいいと思ってたんだよ。どうも、俺が思ってた以上に厄介な戦いになりそうな可能性があってさ。最悪、くるのがわかってるだけでもめっけもんなんだし、逃げるのもありじゃないかなって』
『魔女教の、『怠惰』を叩けるのは今回だけのチャンスだ。次にいつくるのかなんてもう予想できないし、次にどんな姿してるのかだって保障なんてない』
『あいつは、ここで仕留めなきゃならない。――必ず』
『エミリアたちを助ける。魔女教はぶっ倒す。両方やらなきゃいけないってのが辛いとこだな。覚悟はいいか?俺は……やっと、決まったとこだ』
『――往きますか』
『ああ、行こう。時間との勝負だ。道すがら、考えをまとめる』
「スバル…」
「やらなきゃいけないことが多すぎるかしら。もう少し分けた方がいいのよ」
「それが出来ないのが、辛いところですがね」
『となると、やっぱり一時避難――最悪、屋敷と村の放棄は必須だ』
『時間のこと考えると、避難と魔女教の攻略は同時にやらなきゃならねぇ』
『手順は、前回のでほぼ大丈夫なはず。……八ヶ所しかアジトが見つからなかったのは気にかかるけど、今回で残りのアジトを発見できれば』
『見えざる手に対抗できる、俺がいなきゃ話にならねぇ』
『いや、生け捕りを考えるべきか?死んで憑依するって展開になるなら、死なせなきゃいけるってことになるんじゃ……』
『そうだ。仕留めるったって、なにも殺すことばっかり考える必要はないんじゃねぇか!封印……みたいな方法があるのかわからねぇけど、それが可能なら』
『なにか、悪いことを考えている顔をしているようだよ、君』
『考えがまとまったのなら、聞かせてもらいたいものだね。――戦うと、そう決めた君の判断を』
『穴があるかもだからもうちょい詰めてぇんだが……時間惜しいけど、もっぺんみんなに足を止めてもらった方がいいか?』
『いや、その必要には及ばないよ。君の言葉の伝達、私が請け負おう』
「準精霊…ネクトを使うのかしら」
「そっか、それならみんなに伝えられるものね!」
「…これは」
記憶に、ない。
『あ、あー、どんなもんだろ、全員、聞こえてますかー?』
『聞こえます、スバル殿』
『聞こえとるで、安心しぃ』
『むむむ!わかってるんだぞー、ミミのこころをおまえが読もうとしてることはなー!てきたいそしきのまわしものめー』
『ユリウスの魔法で、念話っていうかそんな状況だ。さっきの話にいくつか追加したいことがあるんで、とりあえず聞いてくれ。質問その他は随時受け付ける』
『それでまず最初の変更点なんだが、何人かの人に村の方に先に入ってほしい。そこで、俺が頼んでおいた保険と合流してほしいんだ』
『保険、ですか』
『王都出発の前に、アナスタシアとラッセルさんに頼んでこう触れ回ってもらった。――街道の途中で、王都を目指してる行商人連中をメイザース卿が雇いたい。積み荷は言い値で買い取るから、足を貸してほしいってな』
『――!スバル、それは』
『痛い出費になるだろうが……領民の命には代えられない。領主として、当たり前の考え方だろ?特にあの野郎、不在だかなんだかで肝心な場面で役立たねぇんだから』
「いや〜ぁ、役立たずとは言ってくれるね〜ぇ」
「そこまでは言ってないと思うけど?」
「これでも甘い評価かしら。受け入れるのよ」
『親書……って形で、一応は手紙を王都から出発してもらった使者に持たせてある。魔女教が襲撃してくるかもってことと、行商人たちの竜車に乗って避難してほしいって内容だ。筆跡鑑定とか小難しい判断がここにあるのかはわからねぇけど、エミリアたんならちゃんと判断してくれると思う』
『手紙の内容に早くに判断をつけさせるためにも、行商人たちだけでなく、きっちり状況を把握しているものに行かせるべきだと』
『呑み込み早くて助かる。実際、村の人間と行商人たちがもめるのはほぼ確実だ。そこを緩和して、迅速に避難させたい。本音をいえば、俺が行くのが一番手っ取り早いってのはわかっちゃいるんだが』
『大罪司教とやり合うには、俺がいなきゃ駄目なんだ。現状だと……俺と、ヴィルヘルムさんじゃなきゃあいつには勝てない』
『――根拠を、聞かせてもらって構わないだろうか。自惚れではないが、私もヴィルヘルム様の足手まといになるような腕ではないつもりだ。ましてや、主戦場に君を行かせるというのは』
『大罪司教はどういう手品かわからねぇけど、おかしな術を使う。食らった相手の正気を失わせて、戦えなくするようなやつだ。精神汚染って俺は呼ぶけど、それに耐えられるのが俺とヴィルヘルムさんしか思いつかない』
『精神汚染っていうと……白鯨の霧みたいにゃ?』
『正気を失わせるそれを、白鯨も同じように使ってきた。あの戦いで、正気を失わなかった奴には目があるが……白鯨と戦ってないお前の耐性は、俺にはわからねぇ』
『もしもその場で正気を失えば、私は君たちの戦いの枷になる……そういうことか』
『そんなわけでヴィルヘルムさん。俺と一緒に、悪魔と戦ってもらいてぇんだが』
『我が身は今、スバル殿の剣です。あなたが握り、私が斬る。――その道筋に、覚悟を問うのは無粋でありましょう』
「スバルって、ほんとに凄い。死に戻りのことに触れずに、違和感なく喋れるなんて…」
「スバルが信頼を得てるのもあるのよ。人は実績の前では疑問が薄くなるものかしら」
『お待ちしておりましたデス、寵愛の信徒よ――』
幾度目かの再開を迎える。
『ワタシは魔女教大罪司教『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!』
『大歓迎ありがとよ。大罪司教様直々にお出迎えとは光栄の至り……俺にそこまでの価値があるとは、自分でも思ってねぇんだが』
『謙遜されることはないデス。その身から迸る濃密なまでの寵愛。隠し通せるものではないデスし、自覚がないということもないでしょう?アナタの身にまとう情愛はすでに、大罪司教にすら匹敵するのデス!』
『感じ取ったときにはよもやと思ったものデスが、やはり……アナタ、『傲慢』ではありませんかね?』
『その『傲慢』って言われても、ちょっとわからないんだよ。もうちょい、細かい話とか聞かせてもらっていいか?大罪司教についてとか……あとは、試練についてとか?』
『構いませんデスよ。街道の封鎖の情報が広まるのもおそらくはまだ時間がかかりマス。『試練』の始まりも同様に――時間は、まだまだあるのデスから』
『へぇ……街道の封鎖、ね』
『街道の封鎖っていうと、なにか小細工でも?』
『『霧』デスよ。それだけで、説明は十分かと思いマスが?』
『なるほど。十分だ』
「…全部仕組んでたのね…許せないわ」
「人の嫌がることをするなんて最低かしら」
『しかし霧で街道を封鎖して、邪魔者抜きで『試練』ってやつか。なかなか食えないやり方するな、ペテルギウスさん』
『試練は神聖にして不可侵なるものデス!いかなる苦境であろうとも、万難を排して臨まなくては愛に対して不誠実というものデス!そう!愛に!向けられた愛に!与えられた愛に!我々は!応えなくてはならないのデス!!』
『全ては愛に、愛に殉じるのデス!存在そのものが不届きなる銀色の半魔に、それを背負うことの罪深さを!なおも歩けるかどうかの試練を!誠に相応しいか試さなければならないのデス!怠惰でなく、勤勉であれるものかどうか!その道筋を!ワタシが、この手で、この身で、この愛で――デス!!』
『相応しいか、試す……?』
『そう!試練とはそのためのものデス!故に試されなければならない、試さなくてはならない!魔女因子を取り込み、器に相応しい身かどうか――!』
『福音に記されたワタシの役目、為さねばならない愛の証!アナタが『傲慢』であるのなら!ワタシのこの昂ぶる想いが理解できるはずデス!我ら大罪司教が一度に揃うなど、それこそ四百年ぶりのことなのデスから!』
『福音を!福音の提示を求めマス!アナタが賜った愛を、このワタシの目に焼き付けさせてほしいのデス!デス、デスデスデスデスデスデスデスデスデスデェェェェェェェッッッッス!!』
『福音の、提示を――』
『ああ、待ってろ』
『これが――俺の答えだ!』
叫び、抜いた腕を真上へ振り上げる――直後、輝いた魔鉱石の光が森のどこからでも確認できるほどの白光を放つ。
目を焼かれるそれに腕をかざしたペテルギウスは、しかし即座にスバルを敵方であると判断したのだろう。
「傲慢…」
「スバルを大罪司教なんかと同じにしないで欲しいのよ。スバルはそんなくだらないものに成ったりしないかしら」
「…魔女教…」
エミリアとラムが眉間に皺を寄せる。
やはり、魔女教の言葉は気持ちが悪い。
『ヴィルヘルムさん!双子!!』
『敵に背中を向けるなど――!』
ミミとティビーが共振波で大地を抉り、ヴィルヘルムがペテルギウスの腕を切り落として後頭部を打つ。
『スバル殿!まだ危険です』
『危険たって……うぉえ!?』
『ワタシの、指先からの反応が、途絶えて……なにをしたのデス……か!』
『ヴィルヘルムさん!死なれるとマズイ、気絶させてふん縛ってくれ!』
『殺さず仕留める――あまり得意ではありませんが、御意!』
『乱れて……頭にダメージいってるからか!』
見えざる手は既に統率が取れず、バラバラだ。
『マジで!?』
『寵愛も知らぬ哀れな愚物の分際で――!』
『貴様らの語る愛など知らぬ。この身、ただひとりの女を愛するので手いっぱい故に――!』
『いただきました――デス!』
『残念ですが』
『馬鹿、な……!』
『殺気と剣気と、足さばきの応用――剣撃の妙技、ご堪能いただけましたか、な!』
『剣の冴え、すさまじく……アナタは誠に、勤勉な方のようデス……べっ!?』
『悪いが』
『主からの借り物でな。――下種の唾液で、汚して返すなど考えられんのだ』
『ご指示の通り、大罪司教――生け捕りにしてございます』
「す、ごい…本当に生け捕り出来るなんて…」
「…やはり…」
ユリウスは確信する。
この周回で、スバルは。
『もう意識ないよね?確実?近づいて平気?いや、死なれても困るから早めに応急手当てしなきゃいけねぇんだけど』
『見たところ、完全に埋まっております。出口が別にある洞穴とも思えませんから、中にいた魔女教徒は壊滅と思ってよろしいでしょう』
『そか。……あんまし、ガッツポーズしていい報告ではないんだろうけどな』
『それで、この者はどうされますか。見張りを立てて置き去りにしますか?』
『それもキツイ。目覚めて『見えざる手』で脱出されないとも限らないし、手元から離すと対処できなくなるかもしれねぇ。……連れ回すしか、今はないな』
『『見えざる手』……ですか。魔女教の不可思議さに今さら言及するのも野暮ですが、魔法とも精霊術とも異なる術式とは、不気味ですな』
『呪いとか、あっちのとも雰囲気違うしね。俺の常識に照らし合わせると、超能力とかの方が近ぇのかな。見えざる手も、言ってみりゃサイコキネシスの亜種みたいなもんって言えないこともないし』
『ともあれ、防ぐ手立てがない。両手を縛ってても、『見えざる手』には効果ないだろうしな。そういや、魔法使いとかって拘束どうやってするの?』
『相手が魔法使いであるなら、詠唱させないよう口を塞げば良いだけです。精霊術師が相手となると、精霊自体がマナを扱えるので難しいところですがな』
『なるへそ。確かにパックは、エミリアたんが捕まったって聞いても大人しくしてるようなタイプじゃなさげだ』
「確かに、パックは大人しくはしないかも」
「にーちゃならエミリア以外を氷漬けにしてしまうのよ」
「精霊物騒な人ばっかじゃないですかね…」
『村が、見えてきたな』
『――どうやら、他のものもすでに辿り着いている様子です』
『……なにやら、揉め事の気配』
『え、嘘。なんで?今回はうまくやった方じゃね?』
が、そんなスバルの安堵感を置き去りに、顔に渋いものを浮かべるヴィルヘルム。
無意味な嘘をここで彼がつくとも思えず、スバルはパトラッシュを急がせて村の敷地内へと一気に駆け込んだ。
そして、その場でスバルが見たのは、
『伏して、お願い申し上げる。――我が名はユリウス・ユークリウス。王都ルグニカの近衛騎士団に所属する、近衛騎士がひとり!』
『これはいったい、どうなってるんだ?』
「なんだかあんまり良くない雰囲気ね?」
「魔女教の討伐と村人の説得が同時に行わなければならないかしら。同時多発的な災厄は英雄でも難しいことなのよ」
『スバル、きたか――』
『……バルス、戻ったの』
『なにがあった……と聞きたいのは山々だけど、その前に確認だ。奇襲はうまくいったと思っていいんだな?』
『君の打ち上げた合図で滞りなく、ね。もっとも、こちらは数名が穴倉の外へ出ていたものだから、剣を振るわずに済ますことはできなかったが』
『こっちに被害が出てねぇんならよしだ。俺たちのとこもうまくやった。大罪司教の身柄はヴィルヘルムさんが』
『おおよそ、作戦の前段階は成功というべきだろう。だが、問題が発生した』
『みたい、だな。どういうことだかわからねぇけど……』
『何日かぶりの再会だってのに、そんなつんけんすんなよ。抱擁で出迎えてくれとまでは言わねぇけど、あったかい言葉ぐらい期待してもいいんじゃね?』
『温かい血が浮かぶぐらい、切れ味の鋭い罵倒がお望み?バルスの被虐嗜好に付き合ってはいられないの。この集団は、なんのつもり?』
「…話が行き届いてない…?」
「全部がたちいかなくなっているのよ…」
『なんのつもりもクソも、お手紙一生懸命書き書きしただろ?商人たちがきてるってことは、王都からの使者も到着してるはずだけど』
『スバル、問題はそこなんだ』
『手紙……親書ね。ええ、確かに使者は手紙を持ってきたわ。親書といってね』
『大仰な使者付きで手渡された親書――白紙の親書だなんて、ずいぶんと面白い趣向だこと。これはどういう意味か、聞いてもいいの、バルス?』
『白紙!?なんで!?そんなはずねぇだろ……だって!』
『重大な報せと聞いて開いてみればこれ。おまけに村には得体の知れない連中がずかずかと入り込んできて、挙句の果てには武装した集団まで。これで警戒しない方がどうかしているでしょう』
『違うんだって!この人たちはクルシュさんとこの人と、あとアナスタシアさんのとこの傭兵団で……いや、そもそもこの手紙の内容は』
「…これは」
「こんな会話、ラムの記憶には無いけれど」
「スバル…」
『で、事前の情報が伝わなかった結果がこの騒ぎか。じゃあ、さっきユリウスがでかい声で名乗ってたのは……』
『血気に逸り、危うく衝突しかけるところだったものでね。仕方なしに名前を出し、場を収めようと試みたのさ。君の登場でそれも杞憂となったが』
『これで私が近衛騎士のユリウスであることが、皆にばれてしまったな』
『言っとくけどお前の顔と名前知ってる人間はみんな知ってたからな?――それはそれとして、まぁ暴動になる寸前だったのを止めてくれたのは感謝する』
『なに、騎士の務めだとも』
『親書が白紙だったってのは、なんだ色々とこっちの手違いだ。用件は大きくは二つ。魔女教が屋敷を狙って潜伏してるってことと、それから避難するために行商人の人たちに協力してもらって竜車を用意した。それに乗って、村人たちと一緒に安全なところに逃げてほしいってことだ』
「ユーリの設定がまだ生きているとでも思ってたのかしら」
「建前というのは大事なものですよ大精霊様」
『この物騒な装備の殿方たちも、行商人とでも言うつもり?』
『ああ……いや、この人たちは』
『我々は此度、クルシュ・カルステン公爵閣下とエミリア様の間に結ばれました、同盟に先立ちましての援軍でございます』
『私の名前はフェリックス・アーガイル。クルシュ・カルステン公爵の一の騎士にして、同盟に当たっての名代でございます。連絡の不備等、謝罪の言葉には尽きませんが……今はスバル殿のお話を優先していただきたく』
『……同盟』
『王都に残った役目は、どうやら果たしてきたようね』
『もちょっと俺になにを期待してるのかわかりやすい言葉にしといてくれれば、こんな手こずらなくても済んだと思うんだけどな』
『というわけで、主に王都に残った役目は果たしてきた。あとは戻ってきた目的を果たして、万々歳で明日を迎えたい。つきましては、避難を急がせたいんだが……』
『……おかしな気配が森に潜んでいたのはラムも気付いていたわ。千里眼に直接かからないから、気味が悪くて仕方なかったけれど。そう、魔女教』
『大半、八割方は撃破してきた。敵の指揮官も、こっちで捕まえてある』
『それって、ほとんど壊滅状態って言うんじゃないかしら』
「ラムがスバルを褒めるなんてすごーく珍しいわね?」
「今のが褒めたように聞こえましたか?エミリア様」
「ええ!とっても」
「…そうですか」
『こいつらに関しちゃ一匹見たら三十匹いると思え、ってのが正しいと思うぜ。全部狩り出すまで安心できねぇよ。なんで、万全を期すためにも避難は必須だ』
『屋敷で籠城、は下策?』
『火ぃ放つぐらい当たり前にやるぜ、あいつら。俺たちの思い出がたくさん詰まった屋敷が燃やされたくなきゃ、わかりやすく逃げた方がいいだろな』
『村人と屋敷の三人、乗せて大丈夫なくらいの人員は確保した。ロズワールは、ここにはいないんだろ?』
『ええ。ロズワール様は今は聖域……ガーフィールのところに出向いているから。ラムはここでエミリア様の判断を待つよう命じられているわ』
「…聖域…」
「こうして見ると、やはりお前の行動一つ一つに悪意が滲んでいるのよ」
「おやまあ、手厳しいね〜ぇベアトリス」
「当たり前かしら」
『はい、注目!おはよう、みんな久しぶり!俺の名前はナツキ・スバル!ほんの……一週間か。そこらで忘れられたと思いたくないが、帰ってきた!』
『で、さっそくで悪いんだが、ちょっと頼みを聞いてもらいたい。簡単な話だ。ちょっとしたピクニックだな。竜車をレンタルして、みんなの席をリザーブした。椅子は固いけど揺れはそんなにない特別仕様加護付きだ。そこに仲良しみんなでグループを作って乗り込んでくれ。半日か一日か、それで遊びにいってくれると大助かりだ』
『どうして、そんなことして逃げなきゃいけないんだ?』
『明るく暗くならないように言ってるが、つまり逃げるってことだろう?村を棄てて……どうして、そんなことをしなきゃいけないんだ』
『これは俺の素だからそんな裏とか探られても困るんだけど、別に村を棄てるとか大げさに考える必要ないぜ?ホントに、ほんの半日ばかり時間をくれれば……』
『――魔女教、なんだろ?』
『やっぱり、魔女教なんだ』
『恐ろしや……なんで、そんな物騒な連中が』
『決まってる。決まってるじゃないか。クソ、領主様もなんてことを……』
『どうして、半魔を……ハーフエルフなんかを……』
「…分かってたけど、こうなっちゃうのよね」
『おい、待てよ』
『今、なんつった』
『ま、間違ったことは言ってないだろ?実際、そいつらがくるのだって……』
『俺は今!なんて言ったかって、そう聞いたんだよ!』
『は、ハーフエルフに関わると、魔女教の奴らが騒ぎ出す。そんなのは常識だ。子供だって知ってる話だよ。だのに領主様はあろうことか、銀色の髪のハーフエルフを王様に推薦したって言うじゃないか……』
『それが、さっきの話になんの関係があるってんだよ』
『だから!わかるだろ!?領主様が大々的にハーフエルフを支援するなんて触れ回るってことは、魔女教を刺激することになるんだって!実際、お前もそれがあるからこうして……それなら!』
「…スバル、君ならそうすると思っていたよ」
「…ナツキさん…」
『――最初からあんな子いなければとか、ふざけたこと言うなよ?』
『村を危険な目に遭わせようとしてるのは、どこの奴らだよ』
『魔女だなんだと、そうやって恐がられるぐらいの悪行かましたのはどこのどいつなんだよ』
『お前ら全員、そうやって見る相手が違うんじゃねぇの?そりゃ、得体の知れない連中よか、そこにいるってわかってる相手に不満ぶつける方が簡単なのはわかるし、俺もその口だから偉そうなこと言えるわけじゃねぇけどさ』
『俺は自分が最低だって自覚があるんだよ。だから、俺以外の人はみんな俺よりどっかいいとこがあるって思ってたい。ガキのわがままだってわかってるけど、頼むぜ。――こんな苦労するんじゃなかったとか、思わせないでくれよ』
『ロズワールがどうとか、そういうのは今はどうでもいい。屋敷にいるエミ……ハーフエルフの子になんだとか、そういうのも後回しにしてくれ。今、この村にいるのは危ないんだ。だから避難してほしい。そのための準備はしてきたんだ』
ユリウスが頭を下げる。
『どうか、聞き入れていただきたい。皆さんの身の安全は、龍と騎士の誇りに誓ってお約束します。今はどうか、彼の言葉に耳を傾けてください』
「スバル…」
「…醜悪かしら」
見ていて気持ちのいいものでは無いから。
スバルとラムが屋敷を歩く。
『エミリア様、お目覚めですか?』
『――ラム?ええ、起きてるわ』
『え、スバル――?』
着替え途中のエミリアとそれを見たスバルが硬直する。
『嫁入り前の娘に、なんてことを――』
スバルの体が吹き飛ぶ。
『パック、やりすぎて……ああ、もう、スバル、大丈夫!?』
「…やっぱり」
エミリアは何となく気づいていたけれど、この周回でもスバルは死んでしまうのだ。
『こうやって、スバルと話すのもすごーく久しぶりよね』
『ああ、エミリアたんと離れて一日千秋の思いだったよ。日に日に俺の中のエミリアーゼが減少していって、欠乏症で息ができなくなるかと思った』
『それが、戻ってきた理由?』
『エミリアたんに会いたかったってのは一番の理由だけど、もちろん他にも色々な理由がある。その中で次点にくるのはアレだ――君の、力になろうと思って』
『なにを、言ってるのかちょっと。力にって言っても、別になにもないのよ?スバルが心配するようなことなんて、そうなんにも……』
『隠しごとがヘタクソだよね、エミリアたん。俺だって村を通ってここまで上ってきてるんだぜ?おおよそ、なにが起きたのかぐらいわかってるさ』
『……そう。そうなんだ』
「私が…って言うより、スバルも嘘は苦手なほうじゃない?」
「全くなのよ」
『あのね、スバル。私は……その、ハーフエルフだから』
『うん、知ってる。王選の場所にもいたし、色んな人から話を聞く機会もあった。エミリアたんが思ってるより、たぶん俺はそれを知ってる』
『ハーフエルフだってことを、恨んだりするつもりはないの。自分と人を比べて、違うところを言い合っても仕方ないことだって思うし、違うことを悪いことだと思って自分を貶めたくない。私は自分の血を、そう思うの』
『うん。すげぇ、立派なことだと思うぜ』
『でも、やっぱり周りの人から見たら、そう簡単にはいかないみたいで。ハーフエルフはいるだけでも、色んな人に不安とか恐い思いをさせちゃうから』
『ラムが教えてくれたの。森に、おかしな雰囲気があるんだって。微精霊たちも、なにかおぞましいものに気付いて毎朝怯えてる。きっと、なにか恐ろしいことが起きるの。目も背けたくなるような、そんなことが』
『今、そんな状態なの。ここに戻ってきたら危ないの、スバルだって。だから、できたらすぐにでも屋敷を発って……治療だって、きっとまだ途中でしょ?だから』
『俺がそれで出てって、エミリアたんはどうすんのさ。危ないのはエミリアたんだって、村の連中だって一緒だろ?それ聞かずに、どっか行く男だと思うかよ』
『もちろん、私だって準備ができたらすぐに屋敷を出る。ロズワールと合流して、考えなくちゃいけないことがたくさんあるの。村の人たちだって一緒に行くわ。そのために村で話も……』
『聞き入れてもらえなかったんだろ?さっきの前置き、それじゃねぇか。しどろもどろになってるなんて、エミリアたんらしくねぇよ』
「そうね…この世界はなかったことになっちゃうんだろうけど、私らしくは無い」
『――村の人と、エミリアたんたちを逃がす準備は俺がしてきた』
『……え?』
『王都で色んな人間に頭下げて、村に行商人の竜車を何台も集めた。村人全員乗せてとんずらこくには十分だ。エミリアたんやラムの席だってちゃんとある。乗り心地優先じゃないから、ファーストクラスは準備できなかったけど』
『森に潜んでた怪しくて黒い奴らも、王都から引っ張ってきた心強い仲間たちのおかげで大半はやっつけた。あとの連中も、みんなを逃がしたあとできっちりしめて片付ける。全部、うまくやったるさ』
『ちょっと、待って……スバル、どうしてそれを……』
『色んな人が忠告とか警告とか、反省させてくれたりとか勉強させてくれたりとか、頼らせてくれたりとか支えてくれたりとか、信じてくれたりとか信じさせてくれたりとか、信じたいと思わせてくれたりとか信じようと思ってみようとか、そういう風に俺を助けてくれたからかな』
「…スバルはいつもそうなの。私に内緒で無茶してばっかり。無茶しないで、ってお願いしてるのに」
『私……スバルにひどいことを言ったわ』
『いーよ。気にしてないって言ったら超嘘になるし、正直言えば死ぬほど気にして悪夢かと思うほどうなされて鬱病になったんじゃないかってぐらいネガティブシンキングしか湧いてこなかったときもあったけど』
『本当にごめんね、私……』
『ここを流さず受け止められると俺も立つ瀬がねぇよ。あー、でもまぁほら、今はこうしてるわけだし、気にしなくていいって。俺は、自分の馬鹿さ加減を忘れないために気にし続けるけどさ』
『今、俺は君を助けてあげたい。そのための準備はしてきた。万全とは言い難いけど、足りない俺のできる精いっぱいで。だから、この手を掴んでほしい』
『俺も超弱々でどうしようもねぇけど、色んな人に手を差し伸べてもらってここまでどうにかやってこれた。今後も色んな人に手ぇ貸してもらいながら、どうにかやっていこうって他力本願に思ってる。もちろん、借りっ放しで終わるつもりはねぇよ? 借りたもんは返して、引っ張られてた手で引っ張ってやりたい』
『だから、最初は引っ張られるばっかりでもいいんじゃね?今は弱くても、いつか強くいこうぜ。そのために背中預け合って座るぐらいが、今はちょうどいいって』
「スバル…」
「…ここまで上手くいっているのに、なぜなのかしら」
エミリアが村人を連れて聖域へ行く、というところまで纏まった。
そして、スバルがベアトリスを探す。
『ともあれ、会えてなによりだ。さっそくで悪いが、出かける準備とかしてもらってもいいか?ちょっと、屋敷に残ってると問題が……』
『ベティーはいかないのよ』
『あ?』
『ベティーはいかない、と言ったのよ。この禁書庫を離れるつもりも、ましてや屋敷を出ていくつもりもないかしら。それだけ覚えて、出ていくといいのよ』
『ちょっと待て、お前は状況が見えてないだけだ。ここに残ってもダメなんだって、危ないから一緒においで。一から説明する!』
『ベティーからの話はもうないかしら。お前が勝手に続けたがってるだけで、続けてもベティーの結論は変わらない。時間を無駄にできないのは、お前も一緒じゃなかったかしら?』
『ぐ……そこまでわかってんなら協力しろや。俺、お前連れてく。お前、俺に連れていかれる。オーケー?』
『お断りなのよ。誰がきても一緒。――そう、誰がきても、この禁書庫には一歩も踏み入れさせないかしら』
『いいか?ここにくるのは騒がしいだけの俺とか、飯持ってくるだけのラムとかじゃねぇんだよ。言いたくねぇが、魔女教の奴らがくるんだ。あいつらの見境のなさは半端じゃねぇ。屋敷に残ってるお前なんか……』
『扉渡りの力はお前に見せたはずなのよ。それでも踏み込んでこようとする輩がいるなら……ベティーも容赦なんてしないかしら』
『お前が強いとか強くないとか、そういう話じゃねぇんだよ!お前は女の子で、小さくて、それだけで十分なんだ!俺がお前を危ないとこに置き去りにしたくない理由なんか、他にいらねぇだろうが!』
しばらく問答を続ける。
魔女教の福音書に反応したベアトリスと、それに気づかないスバル。
ベアトリスは禁書庫を出ることは選ばず、スバルは追い出されてしまった。
『ベティーはあと……いったい、どれだけ……』
「…何ともまあ、見ていて気持ちのいいものでは無いかしら」
「…ベアトリス…」
「存在しない世界線だったとしても、べティーであることに変わりはないのよ」
「…そう、ね」
『――君が突拍子もないことをするのはわかっていたつもりではいたが、こうして私の常識を軽く破られてしまうとなかなかどうして。平静を保つのが難しくなるな』
『次の機会は年末年始のかくし芸大会で見せてやるよ。俺と……ドリルロリ娘の合体技だ。ここって、村の中でいいんだよな?』
『そのはずだよ。ちなみに君が出てきたのは私の推測が正しければ、おそらくは家畜小屋かなにかの戸だと思ったのだが』
『今のはひょっとして、転移魔法だろうか。だとすれば、君は非常に稀有な経験をしたことになる。隔てた空間と空間を繋ぐ魔法は、陰系統の魔法の中でももはや失伝した次元に近い。扱えるものは五指に満たないはずだ』
『あんな面して、なにが行けないだ。ふざけやがって。こうなりゃ、無理やりにでも引っ張り出して……』
『それはやめた方がいいんじゃないかな』
『ご無沙汰しております、大精霊様』
『そんなに畏まる必要ないってば。ボクの精霊としての格なんて飾りみたいなものだし、恩恵もリア以外に与えるつもりがない。そう、精霊界の穀潰しとはまさにボクのこと……』
『偉大な力を持つ存在を崇めるのに理由は不要かと。さらに付け加えさせていただければ、私も一介の精霊術師である身です。契約にある準精霊たちのことも含め、貴方を敬わぬ理由がない』
『優雅だね、よきかなよきかな』
『それで、さっきのはどういう意味だよ?』
『言葉の通りだよ。ベティーを連れ出そうとするなら、やめておいた方がいい。会って話して、それで遠ざけられたんでしょ?なら、それがあの子の答えなんだよ』
『屋敷に残るのは危ないんだよ。魔女教の連中が暴れる可能性が高いんだ。見つからないとか、そんな悠長なこと言ってる場合じゃ……』
『ベティーの扉渡りを破れるとは思えないし、仮に破られたとしたらそれはそれで仕方ないことだよ。それが、あの子の答えなんだから』
『いくらなんでも、それは冷たすぎるんじゃねぇか?あいつはあんだけお前のことを慕ってるのに、そのお前が……』
『ボクだってあの子を妹のように思っているとも。だけど、その家族愛と自分の運命の選び方はまた全然別のお話だよ。一緒にされても困る』
『スバル、それ以上はやめるんだ』
『ぐ、お前も止めんのか、俺を……俺が間違ってるって……!』
『事情が把握し切れていないが、そうじゃない。大精霊様の考えを変えさせようとしても無駄な努力だ。私たちとあの方々では価値観が違う。相容れることはできない』
「…なんだか、ちょっと嫌な雰囲気ね」
「…仕方、ないけど」
エミリアがそう零すのを、ベアトリスは聞く。
「…この時のべティーにはこの時のべティーの考え方があった…それだけの、ことなのよ」
スバルとエミリアたちが聖域へ移動する。
『スバル、そろそろ目的地の様子がわかる頃だと思うが……』
『なるほど、今度もまた行軍の足がゆるみそうな道だ。――緊張を切るわけにはいかないだろう』
『……わかってるよ。俺が敵なら、そろそろ仕掛けるもん』
『君と同意見とは驚きだ。やはり、襲撃はあると思うだろうか』
『ある、と考えといた方がいいだろ。ここまでなんの動きもねぇのがかえって不気味すぎるし、こっちの手の内にはまだ大罪司教が残ってる。仲間意識とかそういうもんに期待するわけじゃねぇけど……これで終わるような奴らじゃない』
『死なせれば別の肉体に憑依する、か。真実だとすれば厄介極まりない権能だ。最終的には、大精霊様の力をお借りして封じてしまうのが最善だろうね』
「シリウスの時もそうだったけど、殺しちゃダメって言うのが難しいと思うの。そんなの、すごーく難しいもの」
「…生け捕りは殺害よりも難しいのよ。自害されてもいけないなら余計にかしら」
『――スバル!』
『――前方、丘陵に挟まれた道に人影多数!黒い装束の……魔女教だ!!』
『落ち着いて行動せよ!王国騎士は国民を守れ、『鉄の牙』は私に続け!』
『俺がペテルギウスでも、襲撃用とは違う別働隊は用意しただろうからな。驚くほどじゃねぇ……どうだ、ユリウス。いけるか?』
『予想より多いが、数でなおこちらが勝っている。加えて正面からの衝突だ。影に隠れて卑劣に振舞う魔女教がそれで、騎士たる我々に敵う道理はないな』
『あの正面の魔女教を叩き潰して、ペテルギウスを氷漬けにすりゃ終わりだ。――思い返すと、なんとも長い道のりだったぞ、おい』
刹那、鼓膜を破るほどの爆音が響く。
『なに、が……』
ペテルギウスを乗せていた竜車だけが吹き飛んでいた。
『しま――っ!!』
『さあ、終わりの始まり――デス!!』
黒い手が、伸びてくる。
「竜車の爆発…スバルが気づいたのはこれで…」
「魔女教のやることね。反吐が出るわ」
『卑劣な奴らの行いに心を乱すな!我らの背後、そこに守るべき国民がいる状況は変わらない。――総員、突撃!!』
『おらぁ、ペテ公!俺を狙え!――てめぇのたくさんのお手々が、俺にはよーーーーーーっく見えてっからよぉ!!』
『なにを馬鹿な……そんなはずがない!なぜ、なぜなぜなぜぜぜぜ……ワタシの、ワタシに与えられた、ワタシだけの寵愛を!アナタはその目に目に目に目にににににににぃ!?』
『魔女が浮気性なんじゃねぇの?おいおいおいおい、遊ばれちゃった?かーわいそー!!』
『なんたる侮辱!なんたる屈辱!なんたる恥辱!ワタシだけにのみならず、我が愛の導にすらそのような口を……許されるはずがない!許してはならない!許されることなどあってはならないのデス!!』
パトラッシュの俊敏な動きで手を躱す。
『俺の考えが浅すぎたのが失敗だ……死んで憑依する能力があるなら、自決の手段があることぐらい予想しておくべきだった!』
頭を振りながらペテルギウスが狂乱し、道を塞ぐように見えざる手が展開する。
が、それを即座の切り返しで切り抜け、距離を詰めて驚くペテルギウスの顔面に、ドリフトをかけるパトラッシュの軸足が地を抉り、飛び散る土塊がペテルギウスの顔を直撃。
土に塗れるその顔に中指を立て、周囲をぐるりと誘うように回って。
『へいへい、手が何本もあっても頭が無能じゃ話にならねぇ。俺とパトラッシュの、目と目と手と手と心と心で通じ合うツーカーぶりを見習えよ。あなた、怠惰ですかぁ!?』
「土壇場でこの煽りができるあたりスバルの度胸は一級品なのよ」
「度胸がない人は白鯨と戦いませんからね…」
『脳味噌の処理がおっついてねぇ。ソフトの要求スペックに対して、ハード側がおんぼろなんじゃ笑い話だ。脳味噌、震わせすぎたんじゃねぇか!?』
一歩誤れば即落命のこの状況下で、なおもこうして軽口が叩ける己の精神状態にスバルは笑いを殺し切れない。
ふひ、と息が漏れるような笑みがこぼれて、それがさらにペテルギウスに対する挑発の効果を発揮する。
『スバル――ッ!!』
急激に速度を上げて、戦闘域よりの離脱を試みる竜車の窓から身を乗り出し、長い銀髪を風になびかせて乱すエミリアが遠目に見えた。
戦域からの避難――それを行っているのはなにも彼女の乗る竜車だけではない。
周囲、村の住人を乗せていた行商人たちの竜車も同じように逃走を始めており、護衛に数名の騎士をつけた彼らの避難は全て、前もっての打ち合わせ通りだ。
『どうして……!?』
エミリアに、スバルはそれを伝えてはいなかった。
遠ざかる竜車の中から、悲痛に顔を歪めるエミリアの顔が見えている。
そこに堪え難い裏切りへの衝撃が刻まれているのがわかって、スバルの胸に深々と切り裂くような痛みを叩きつけていった。
『任せて楽勝、ナツキ・スバルだ!先に行ってな、エミリアたん!――すぐに追いついて、君と感動の抱擁を俺はする!』
「スバル…!」
「負けそうな雰囲気では、ないのよ…」
スバルが死んでしまう未来だけが確定していて。
『――ヴィルヘルムさん!』
数名の魔女教徒の体が吹き飛んでいく。
『ああ、もう――一回死んじゃったじゃにゃい!ヴィル爺!もうそいつら許してやんにゃい、バラバラにしちゃえ!』
フェリスが合流する。
『決死の自爆も被害者なし……大勢も決した! そろそろ諦めろ!』
『諦める?そんなことが、そんな馬鹿なことが、そんな愚かなことが許されるとでも思うのデスか!?ワタシが、『怠惰』であるワタシがそのような、思考と意思とを放棄した『怠惰』な選択肢に沈むとでも思うのデスか!? この上ない侮辱デス!屈辱デス!あらん限りの勤勉さで、愛に報いる……!ただそれだけが、この汚辱を雪ぐ理由であるならば――!!』
『魔女よ!我が愛の導よ!捧げマス、捧げさせていただきマス!さあ、愚かにも寵愛に背きし背徳者よ!愛を知らぬ渇いた俗物共よ!』
『待て、ペテルギウス――てめぇ!!』
『さあ――『怠惰』であれ!!』
次の瞬間、戦場を黒い波が覆い尽くすように広がり――戦線が崩壊する。
「…まずいかしら!精神汚染は戦場で刀以上の価値を持つのよ…!」
『面妖な――!これは、白鯨の霧と同じ……ッ』
『ほう、思いのほか残ったようデスね!素晴らしいデス、喜ばしいことデス!素養あるものがこれだけ居残れば、教団は安泰と言えるというものデス!』
『素養……?なに言ってやがる!いや、それ以前にこの状況は……』
『アナタ、どうやらワタシの目を引き付けるのが目的の陽動のようデスね?』
『なぁるぅほぉどぉ!実に、実に実に実に実に実にぃ、勤勉な考えデス!どういった手段でワタシの見えざる手を、そして指先のことを知ったのかはわかりませんデスが、知った上でなら今の、今までの、これまでの動きに納得デス!そして……それがわかってしまえば、アナタに構う理由もまたないのデスね?』
『――アナタ、怠惰デスね?』
見えざる手がパトラッシュを掴み、スバルは投げ飛ばされる。
痺れる手足と痙攣する内腑、それらの苦痛に意識を支配されながら、回らない頭の中でスバルは呪われたようにそれらの危険なシグナルを並べ立てる。
とっさの判断でなにかをしなければならないのに、それが確かな意味として、正しい形としてスバルの中に形成されてくれない。
「スバル!起きて!」
「頭を打ってるのよ、手足がもうろくに動かないかしら!」
『なんと、勤勉なることデスか……』
突然の感覚にスバルが無理解の呻きを漏らし、結果を見届けたペテルギウスがその表情に敬意を浮かべて感嘆を漏らす。
いったいなにが起きたのか、と浮遊感に揺すぶられる感覚で全身を翻弄されながら、首をめぐらせてスバルは気付く。
――パトラッシュがその口にスバルの腰辺りをくわえて、ペテルギウスの魔の手からの離脱を試みていたのだ。
『愛!無上の愛!無償の愛!無垢なる愛!なんと素晴らしきことデスか!なんと美しきものデスか!主の身を案じ、ただひたすらに駆けるその志の、意思の、在り方の、愛し方のなんと目覚ましきことデスか!おぉ、おぉ、おぉぉ!勤勉デス!アナタこそ、勤勉なる愛の徒!いぃ、いぃ、素晴らしいぃぃぃぃ!』
『スバルきゅん!?やられたの!?死んだ?』
『かろうじて……生きて、るよ。全身すげぇ痛いけど、パトラッシュのおかげで……って、おぶっ』
「…流れが変わってしまったのよ。このままじゃ…」
『おい!嘘だろ……パトラッシュ!おま、お前……俺、俺のは、判断ミスで、こんな……おい!』
見えざる手によって放り投げられたとき、パトラッシュは尾を掴まれていた。
その尾に当たる部分が根元から引き千切られ、おびただしい量の血が溢れ出し、今も草原を赤く染めている。
それ以外にも横腹を二ヶ所抉られ、投げられて地面に叩きつけられたときだろうか。
左の前足が先端からぐしゃぐしゃになっていた。
『ふぇ、フェリス!パトラッシュが……頼む、助けて……』
『その地竜は命を全うしたの。君も私も、全ては拾えない。わかるでしょ?』
『それに君が抜けたから……大罪司教が、動く!』
その声に顔を向ければ、戦場に向かって伸びる見えざる手がスバルに見えた。
掌の進路上には騎士が二人、汚染されておらず奮戦する老騎士と若い騎士がいたが、声が届くより、掌が二人の騎士の頭を首からもぎ取る方が早い。
血が噴出し、黒い掌に掴まれた首が宙を浮遊し、唖然とした表情のそれが次の瞬間には果実のように握り潰される。
遅れて、胴体が痙攣しながら崩れ落ち、哄笑。
「趣味が悪いわね」
「ナツキさん…こんなの、どうしたら」
『どう、する……』
必死で、スバルは頭を回転させる。
この状況で、事態を把握しているのはスバルだけだ。
なにかを引っ繰り返す策を打てるとすればスバルしかいない。
なのに沸騰するほどに頭をひねっても答えは出ず、それどころか意識は今も失われつつあるパトラッシュの方に半ば持っていかれている次第だった。
『――そこまでよ、悪党』
その姿に、ペテルギウスの瞳が歓喜に、スバルの瞳が動揺に押し開かれる。
出会わせてはいけない狂人に、出会わせてはいけない少女を会わせてしまった己の無念さに、スバルの喉が絶望感に満たされる。
「私…!この状況で私が来るのは…」
「芳しく、ないのよ…!」
「エミリア様が向かえば、魔女教が激化する…!バルスはそれを防ごうとしていたのに…」
『リア!ダメだ、今すぐにここを離れるんだ! 魔女教の大罪司教だ!出会っちゃいけなかった!ここにいちゃダメだったんだよ!』
『今さら戻れないし、戻るつもりもない。みんながあんなになってまで戦ってるのに、ぬくぬくと大人しくしてられるようには育てられてないの』
『誰がどうとかそういうことじゃない!魔女教だ!魔女教なんだ……あぁ、今になって思い出した!試練!試練なんだよ、リア。大罪司教が試練を課すんだ!そして、ボクは契約で試練には関われない!ここまでなんだ!だから……!』
『パック……なにか、知ってるの?』
『なにも知らない!でも、なにかを知ってる! それがわかるんだ。だからダメなんだよ、リア。すぐに戻るんだ。ここにいたら、あいつらと出会ったら、きっと死ぬよりも恐ろしいことが起きる!』
『ここでエミリアが出てきたら……なんのために俺は!――お前は!』
『君がそれを口に出すのか!?リアがボクの言葉も押し切って、誰のためにこんなところにまで……!』
「スバル…!ダメよ、逃げて…」
「エミリア様が気づけばこうなると、スバルはわかっていたのか。だから手を回して…」
パックは当てにならず、スバルは使命感に突き動かされるままに立ち上がる。
そして触れていた手が離れると同時、パトラッシュの呼吸が静かに止まった。
スバルの頬を、涙が一筋伝う。
それを手の甲で乱暴に拭い、走り出した。
走り寄るスバルの気配を察し、首だけを傾けて振り返るペテルギウスの影が膨張――漆黒の魔手が飛び出し、スバルを絡め取ろうと一気に迫る。
こちらの四肢をもぎ取ろうとでもするような掌の圧力に、しかし身をひねるスバルは隙間をくぐるようにして速度を落とさずに回避。ここへきて、疲労感と負傷の度合いが重いはずの肉体に、集中力が研ぎ澄まされたことの変化が生じる。
『見えざる手で分が悪いとなれば、いた仕方ありませんデスね』
『――悪足掻きを!』
『――ウルドーナ』
『まさ、か……!?』
『見えざる手はワタシにのみ与えられし寵愛の証デスが……それしか扱えないなどと、ワタシが口にしたことがありマスかね?』
「スバル!」
エミリアが叫ぶ。
声に出さないと、どうにかなりそうで。
崩れた体勢のまま跳ねる地に打ち据えられ、胸を強打した息が詰まる。
衝撃に意識が白濁し、その状態のまま投げ出されたスバルに落下に対する有効的な回避手段はない。
『スバル――!!』
『氷の、山?いや、塔……?』
打ち上げられたスバルを救い出すために、隆起した大地と同じ高さまで築き上げられた氷山――それが、転落死からスバルを救った質量の正体だった。
『――エミリア!!』
振り返り、スバルは滑る氷山の上で身を起こし、もどかしく顔を丘へ向ける。
だが、視界を遮るように隆起した大地が断崖をさらしており、丘向こうに隔離される形になったエミリアとパック、そしてペテルギウスの動向を見ることができない。
ただ、エミリアの詠唱は妨害されてしまった。
そして、ペテルギウスの見えざる手を彼女に見ることはできない――!
『最悪……最悪だ、壁の向こうに回り込むには……ッ』
「っ…こんなの、どうしようもないじゃない…!」
「スバル…」
エミリアが気づいた時点で詰んでしまうなんて。
『――スバル殿!』
『……ヴィルヘルムさん?』
『一瞬ですが、エミリア様を目にしました。――この向こうに、大罪司教も?』
『そう……そうなんだ!やられちまった!エミリアが……あいつと、ペテルギウスを会わせちゃダメだ!マズイことになる……うまく説明はできねぇんだけど、ダメなんだよ。それだけは……』
『お任せください。壁は今、この手で切り開きましょうぞ』
土の壁が切り裂かれていく。
『イア、クア、イク、アロ、イン、ネス――皆、力を貸してくれ』
『やっと準備完了かい!ずいぶんと待たしてくれたやないか!』
『すまないな、リカード。君の奮戦にずいぶんと負担をかけてしまった。――今から、その分の労苦に見合うだけの戦果を示そう』
『今、私の剣は万象に干渉する。――挑むのは無益だ』
『さあ――虹の輝きに魅入られることを望むものだけ、私の前に立つがいい!』
氷の壁が砕かれる。
『――エミリア!!』
声の語尾を震わせ、ペテルギウスが痛みに呻いて血をこぼす。
すでにその半身、特に左の下腹部にはかなりの量の氷柱が突き立っており、左足に至っては地から突き出す杭が甲を破り、その身を大地に縫い付けている。
そして、それと向かい合うエミリアの背後には、いまだ射出されるのを待つ氷の刃がいくつも浮遊しており、戦局は一目でエミリア有利とわかる。
わかるからこそ――それは最悪だった。
スバルは叫び、それが現実にならないように声を尽くそうとする。
が、スバルがそれを言葉にするより、瀕死のペテルギウスがこちらに向かって掌を差し向ける方が――漆黒の魔手を伸ばす方が早い。
迫る掌、その速度はペテルギウス自身の生命力の問題か、見る影もなく遅い。
見えていないヴィルヘルムを引いてかわしても、それでも余裕がある歩みほどの速度だ。しかし、スバルにとって脅威とは思えないその魔手が、なにも知らないエミリアにとって、スバルの致命傷になるとしか思えなかった。
「スバル!」
「…まずいかしら、憑依が…!」
「スバル!まずい、このままでは…」
『二人とも、今すぐに俺から離れ――ても、遅いデス!!』
『最悪の気分……デス。頭の中に他に誰かがいるって、こんなに気持ち悪いもんなのかよ……!』
『なに……スバル、どうしたっていうの?』
『いけません、エミリア様。今、あれはスバル殿であってスバル殿だけではない。――スバル殿!正気にありますか!』
「…もう、遅すぎたかしら。気付くのも、対処も…!」
『約束守ってくれて……嬉しいデスよ、ヴィルヘルムさん』
『私にあなたを斬らせるようなことをさせないでいただきたい。……どうにか、支配されずに抜け出せませんか?』
『どうデスかね……正直、今も自我が保ててるかどうか怪しいぐらいなんデスけど。これ、気を抜くとすぐにでも……首とか、抉りそうで』
『大体……他の奴の場合、自分で使うくせに……俺はすぐに自殺させようとするとか、どういう了見なんデスかね……!?』
スバルの体の指揮権が、奪われていく。
動かなくなったスバルを心配したのか、エミリアが近づく。
『――リア、ダメだ!』
飛び出したパックが警告の声を上げるが、頬が裂けるような笑みをペテルギウスが浮かべる方が早い。
そのまま腕を握られるエミリアを守ろうと、各人が一斉に動き出そうとするが――それは伸び上がる黒の魔手により、全員が縛りつけられることで阻止された。
「スバル…スバルの姿で、こんなこと…やめてよ…!」
「スバル…!相性が悪すぎるかしら…!」
『――相性の悪い方が、いるようデスね?』
『どうやらそのようだ。……全員を無事、解放してもらおう』
『時間稼ぎをしても無駄デス。すでに器はワタシの手の中に――』
言いながら、ペテルギウスは今も掴んだままのエミリアの白い腕を持ち上げる。
そして掴まれたエミリアは抵抗できないまま、無数の見えざる手によって宙空へと吊り上げられ、口元すらも塞がれて詠唱も封じられてしまっていた。
必死に身をよじり、逃れようと苦心するエミリア。
その彼女の傍らで、常に彼女を見守り続けてきたはずの大精霊は、しかし手出しの一切を自ら禁じ。
『なんで……どうしてボクはここに……?リア、ああ、リア、ごめん。ごめんよ。なぜ……ここで力になれないなら、どうしてボクをエキドナは……!』
「エキドナ…?」
「…エミリア」
エミリアの呟きをベアトリスが止める。
「スバルきゅん…これは…!」
「スバル…」
絶望は圧倒的だった。
『――やってくれ、ユリウス』
『なにを、言い出すんだ』
『このままだと、乗っ取られて全滅……だ。そうなるぐらいなら、止めろ』
『ダメだ、スバル。考えるべきだろう。私は騎士であり、精霊術師だ。君の目的に協力するための契約を交わしている。それを反故にすることは……』
『俺の目的は、エミリアを助けること……だ。俺の命の勘定は、また別だ……』
「スバル!」
「…まさか、私が」
『――スバルきゅんは乗っ取られる寸前で、ユリウスはそれを処断する決断ができにゃい。なら、もう、仕方にゃいよネ?』
『あと戻りできなく、したげる』
血が沸騰したような、悲鳴が聞こえる。
「そんな…スバルきゅん…私は…」
「なぜだ…なぜ、こんなこと、に…」
『フェリス!お前、なぜ……!』
『本人の望みじゃにゃい。守りたいものを守って、本望……でしょ?』
『待って……スバル、違うの、ダメなの。お願い。待って……ちが、違う、違うの。私はあなたを……』
『……フェリスの行いを招いたのは私の不徳だ。いずれ、この罰を受けるだろう』
つまらないこと気にするなよ、と声をかけてやる気にはならなかった。
どんどん気にしろ、絶対に忘れてくれるな。自分がこうまで苦しんだことを忘れてもらっては、それこそ浮かばれないのだから。
「待って!スバル!」
「…私は、君を…殺してしまうのか?」
「殿下に約束した力で…こんなこと…」
『――スバル、ごめんなさい』
――スバルは、エミリアと仲直りしては、いけなかったのだ。
「…スバル…」
「スバル…私は、君は…なぜ…」
圧倒的な絶望が、最優の端正な顔に、歪みを産む。
全部見たいです…今のところ何処まで続いているか分かりませんが…