『ToR - Promise Horizon -』(第4稿)Part.1
プロローグ:長い眠り
網膜を焼き尽くすような、圧倒的な「赤」。
肺を満たすのは、
空気が炭化する不快な悪臭と、
生焼けの肉の匂いだった。
『空を撃ち落とせ!
この誇り高き大地を渡すな!』
地響きのような咆哮。
見上げれば、硬質なオリーブドラブの鱗に覆われた
巨大な二足歩行の生物たちが、
空から迫り来る「巨大な火の壁」に向かって
絶望的な抵抗を試みている。
彼らの皮膚が熱風でひび割れ、剥がれ落ちていく。
息ができない。熱い。痛い。
場面が、ノイズと共に唐突に切り替わる。
今度は、耳鳴りがするほどの絶対的な「静寂」。
見渡す限りのプラチナホワイトの空間で、
華奢な身体と巨大な頭部を持つ無数の人影が、
次々と自らの生命維持装置をシャットダウンしていく。
彼らに感情はない。
ただ、冷たい絶望だけが空間を満たしている。
その時、彼らすべての思念が一つの単語となって、
脳髄に直接叩き込まれた。
『——クロニウム』
「……っ!!」
久我山大地(24)は、硬いパイプ椅子から跳ね起きた。
全身が嫌な汗で濡れ、
心臓が肋骨を突き破りそうなほど
激しく警鐘を鳴らしている。
大口を開けて酸素を吸い込むと、
肺に入ってきたのは火の粉でも無機質なオゾンでもなく、
強烈な消毒液の匂いだった。
「……また、か」
額の汗を手の甲で乱暴に拭い、大地は深く息を吐き出した。
国立医療センターの地下病棟。
深夜の廊下には、蛍光灯の冷たい光と、
等間隔に響く心拍モニターの無機質な電子音だけが存在していた。
大地は重い足取りで、ガラス越しの無菌室を覗き込んだ。
そこに横たわっているのは、妹のあかり(17)だ。
彼女はもう、一ヶ月間目を覚ましていない。
原因不明。
細胞が自己崩壊していく未知の症状。
顔色はシーツよりも白く、
かろうじて上下する胸の動きだけが、
彼女がまだこの世界に繋ぎ止められている唯一の証だった。
「……待ってろよ、あかり」
ガラスに額を押し当て、大地は呟いた。
あかりが倒れたあの日からだ。
あの、肌が焼け焦げるような、
あるいは完全に凍りつくような、
他者の滅びを疑似体験する
「生々しすぎる悪夢」を見るようになったのは。
夢の中で聞いた『クロニウム』という単語。
それを手がかりに調べ物を続けた結果、
大地は一人の男に行き着いていた。
異端の量子物理学者、韮山健太郎。
彼は都内の外れで
「長期冷凍睡眠(コールドスリープ)による不治の病の治療」
を掲げるベンチャー企業を立ち上げていた。
現代の医療で直せないなら、
未来の医療に賭けるしかない。
大地は自ら高額な報酬の被験者として、
その実験に応募したのだ。
三日後。
旧市街の地下深く、廃工場を改装した韮山の研究所。
剥き出しの配線と巨大なサーバー群の中央に、
分厚いガラスに覆われた
コールドスリープ・カプセルが鎮座していた。
「いいか、これは単なる医療実験じゃない。
細胞の時間を極限まで遅延させるテストだ」
白衣を乱雑に羽織った韮山は、
神経質に爪を噛みながらコンソールを叩いていた。
「何が起きても自己責任だぞ」
大地が実験着に着替え、
カプセルの中に身を横たえた、その時だった。
——ドゴォォォォン!!!
研究所の分厚い防爆扉が、
突如として飴細工のように吹き飛んだ。
爆煙の中から現れたのは、
漆黒の防護服に身を包んだ武装集団。
だが、彼らの様子は異常だった。
全身を異常なまでに密閉した
無菌服のような装甲を纏い、
ヘルメットのバイザーの奥で光る瞳は、
縦に割れた爬虫類のような黄金色をしていた。
「チィッ! もう嗅ぎつけやがったか!」
韮山は血相を変え、
カプセルのハッチを強引に閉め落とした。
「おい、韮山! あいつらはなんだ!?」
「聞け! 奴らは地底に潜む秘密結社だ!
俺の研究データを奪い、
歴史の表舞台を乗っ取るつもりだ!」
武装集団の一人が、
プラズマ状の光線を放つライフルを韮山に向ける。
「未来へ行け、大地! 奴らの野望を——」
韮山がコンソールの赤いレバーを叩き落とした瞬間、
カプセル内に極低温の冷却ガスが勢いよく噴出した。
視界が白く染まっていく中、
大地の目に最後に映ったのは、
閃光に飲み込まれていく韮山の姿だった。
猛烈な冷気が大地の意識を奪っていく。
暗闇の底へ落ちていく大地の脳裏に、
あの『夢』で聞いた爬虫類の咆哮が、
不気味に共鳴して響き渡っていた。
第1章:奪われた未来
肺の中で、無数のガラス片が砕け散るような激痛が走った。
「ガハッ……、ゲホッ、オォォ……ッ!」
凍りついていた気管が急激に解凍され、
大地は粘ついた胃液をカプセルの床にぶちまけた。
全身の筋肉が強張って痙攣し、
指先ひとつ動かすことすら
途方もない労力を要求される。
視界を覆っていた霜が徐々に晴れていくが、
そこに広がる景色は、
想像していた「最先端の未来病院」
などでは決してなかった。
「……ここは」
カプセルのハッチが鈍い音を立てて脱落した。
這うようにして外へ転がり出た大地は、
泥まみれの床に手をついた。
暗く、カビと鉄錆の匂いが充満する地下の空洞。
韮山の研究所の面影は微塵もなく、
まるで何百年も放置された
巨大な地下水路のようだった。
よろけながら立ち上がり、
大地は錆びた鉄階段を登って
地上へと顔を出した。
そして、息を呑んで立ち尽くした。
「嘘だろ……」
空は分厚い鉛色の雲と、
赤黒いスモッグに覆われている。
地平線の彼方までそびえ立つのは、
幾何学的で無機質な巨大な黒曜石のタワー群。
だが、街の様子が決定的に狂っていた。
巨大なビルの壁面には、
舌を出し、黄金の瞳孔を持つ
「爬虫類」のシンボルが
ホログラムとして誇らしげに瞬いている。
道路を歩行しているのは人間だったが、
皆一様にボロボロの作業着を着せられ、
首の後ろに管理用のバーコードを刻まれていた。
彼らは俯き、家畜のように
無言で列をなして歩いている。
そして、彼らを監視するように街角に立っているのは、
異常なまでに密閉された純白の「無菌スーツ」に身を包んだ
長身の兵士たち。
バイザーの奥で光るその目は、
大地がカプセルの中で最後に見た
あの襲撃者たちと全く同じ、
縦に割れた爬虫類の瞳だった。
人間が、爬虫類型の種族に完全に支配され、
搾取されているディストピア。
それが、大地が目覚めた100年後の未来社会だった。
(あいつら……本当に歴史を乗っ取ったのか!?)
「おい、そこの不適合者(エラー)!
認識タグを提示しろ!」
不意に、背後から合成音声が響いた。
振り返ると、純白の無菌スーツを着た兵士が、
プラズマ・ライフルを大地に向けていた。
大地の着ている古い実験着と、
首にバーコードがないことに気づいたのだ。
「チッ……!」
大地は咄嗟に身を翻し、路地裏へと駆け出した。
『警報。未登録の人間個体を発見。直ちに処理せよ』
サイレンが鳴り響き、
無人ドローンと兵士たちが
一斉に大地の後を追ってくる。
100年ぶりの覚醒で体が重い。
足がもつれ、瓦礫に足をとられて転倒した。
背後に迫る無菌スーツの兵士が、
容赦なくライフルの銃口を大地の背中へ向ける。
(ここまでか……っ!)
死を覚悟したその瞬間。
——バシュゥゥゥッ!!
路地のマンホールの蓋が勢いよく吹き飛び、
中から飛び出してきた人影が、
無菌スーツの兵士の顔面に
強烈な電磁スタングレネードを叩き込んだ。
「グァァァッ!?」
兵士のヘルメットの無菌フィルターがショートし、
中の爬虫類が外の空気を吸い込んだ途端、
激しく咳き込んでその場に崩れ落ちた。
「立て! 命が惜しければ走れ!」
大地の腕を乱暴に引っ張り上げたのは、
鋭い目つきをした二十代半ばの青年だった。
着古したレザージャケットを羽織り、
その目には冷たい知性と、
燃えるような反逆の意志が宿っている。
青年は大地を地下水道へと引きずり込み、
分厚い隔壁を閉じてロックをかけた。
「ハァ……ハァ……助かった。あんたは?」
息を切らす大地に、
青年はゴーグルを外して
鋭い視線を向けた。
「藤堂だ。
このイカれた『トカゲの箱庭』をぶっ壊すために、
地下で泥水を啜ってるレジスタンスの生き残りさ」
「トカゲの箱庭……。
あいつらは、一体何者なんだ?」
藤堂は、薄暗い地下通路のランプの下で、
忌々しそうに吐き捨てた。
「奴らは『レプティリアン』。
奴らはペストが蔓延した14世紀のヨーロッパで、
人間に化けて当時の権力中枢を乗っ取った。
そこから何百年もかけて歴史を裏から操作し、
結果としてこの22世紀は、
人間が奴らの奴隷として飼育される
ディストピアに成り下がった」
藤堂の案内で辿り着いたのは、
地下深くにある広大な秘密基地だった。
そこには、無数のケーブルが這い回り、
巨大なリング状の機械装置が
青白い光を放って稼働していた。
「これは……」
「『時空転移装置』だ」
藤堂はリングを見上げた。
「俺たちが何十年もかけて、
奴らの技術を盗み出して組み上げた
未完成のタイムマシンさ。
奴らの支配を終わらせるには、
奴らが秘密結社を乗っ取った時代、
中世に飛んで、叩き潰すしかない」
藤堂は、大地の顔を真っ直ぐに指差した。
「だが、俺たちこの時代の人間は、
すでに奴らの歴史の因果に縛られている。
過去を変えようとすれば、
パラドックスの反発で消滅してしまう。
……あんた、100年前のコールドスリープから目覚めた
『過去の人間』だな?」
大地の心臓が、大きく跳ねた。
「あんたなら、
この狂った因果律の鎖に縛られていない。
頼む、俺たちに力を貸してくれ。
この奪われた未来を、
人間の手に取り戻すために」
「……中世に行って、
そのトカゲの親玉をぶっ飛ばせばいいんだな」
大地は、藤堂の目を真っ直ぐに見返した。
「やってやるよ。
俺の未来を奪った代償、
きっちり払わせてやる」


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