2020年も終盤にさし掛かってまいりました。
こんにちは。
澤野大樹氏青森講演会主催 
小野裕美子です。
 
古い時代が終わり、
全く違った新しい時代に入りつつあり、
現在は、古い時代と
新しい時代が重なり合っている
混沌とした状態であるといわれています。
 
去年の今頃、
この状況を誰が予測できたことでしょう。
これまで経験したことのない
全く違うコンテンツに満たされた中で
私たちは生きています。
 
以前、「666」の秘密は
日本の言霊でしか解けないと
澤野大樹さんは仰ってました。
 
バチカンカトリックが忌み嫌う
「666」を悪魔や獣の数字として
恐怖を植え付け、陰謀論として
彼らは周知徹底を図ってきました。
 
それは、バチカンカトリックが
誰よりも「ミロク666の世」の到来を
恐れていたからです。
 
バチカンカトリックが恐れていたのは、
「世界の雛形」である日本の言霊。
「666」の秘密は日本語の言霊でしか
解くことはできません。
 
日本語の言霊でしか解けない
その「666」さえ封印しておけば、
効率的に世界を牛耳ることができるからなのです。
 

つまりじつは、

これまで言われてきたような

「悪魔の世界支配計画666」

といった「陰謀論」ではなく、

なんと
まったく逆の、

「悪魔による666世界封印計画」
だったのです。

 

そして、

まさにこれこそが

本当の「陰謀」であると、

澤野氏は仰ってました。

しかし、ひょんなことから

「666ミロク=567コロナ」が
降臨してしまった。
 
さあ、
解き放たれた666は
凄まじい勢いで
世界中を席巻していきました。
もはや誰にも止めることはできません。
 
コロナとは
南ユダ弥生バチカンカトリックが
封印してきた
東北縄文神アラハバキ、
666ヤハウェのアバターだったのです。
 
バチカンが恐れる最大のものとは、
666ヤハウェ(ミロク)の正体が
コロナだったということを
見抜かれることだったのです。
 
彼らは東北の縄文神「アラハバキ」、
つまり「大蛇」(ミシャグジ様)、
つまり「蛇身」(かがみ)、
つまり「666」、
つまり「ヤハウェ」の
凄まじく恐ろしいパワーを熟知しており
途轍もない恐怖におびえ
震え上がっていたがゆえに
かつて坂上田村麻呂を東北に派遣し、
隅から隅まで実地調査を行いました。
 

東北最奥の一体どこに、

その「本体」が秘匿されているのかを、

しらみつぶしにあたっていきました。

 

そして彼は見つけた。

そして「封印」した。

 

しかし彼は、
そのパワーの源泉を封印するだけではなく、

秘密裏に平安京大和朝廷に持ち帰り、

「ある場所」にて

ちゃっかり隠して使っていたのでした。

 

そして、

666ヤハウェの存在、

そして介在を知覚するためには

純粋な目を持たなくてはなりません。
「入り口と出口は純粋でなければならない」

と澤野氏。

 
DVD『反キリスト666』(完売終了)
でも語っていたことですが、
例えば、
ダウジングやOリングで一番厄介なのは、
やる人の
「偏見」「思い込み」「願望」だそうです。
 
そのあたりを澤野氏に聞いてみました。
 
澤野さん、今回もよろしくお願いします。
 

それはキネシオロジーでも同様に、

たとえばお人好しで気弱な被験者は、

講師に恥をかかせたくないがために、

またはその場の空気を白けさせたくないがために

かなりの精神的な負担を抱きながら、

忖度してしまうケースが多々あります。

 

ですので、
ダウジング、Oリング、

キネシオロジーなどの大半は、

「誤診」となってしまうのです。
 

誰でも安価に

そして気軽にできてしまえそうに思えますが、

じつはかなりの意識レベルと、

広範な知見と、

さらに人格形成が適切になされた人でないと、

正確な結果は得られにくいでしょう。

 

――澤野さんはダウジングの経験があるのですか?

 

ありますよ。

夢中でやっていました。

今から25年前に、

日本のダウジングの元祖であり第一人者であり、

日本ダウザー協会会長の

堤裕司先生に教えてもらいました。

懐かしいですね~。

 

――キネシオロジーも流行っていますよね?

 

キネシオロジーにしても、
その「本質」とはかけ離れたケースが多く、

ある意味「コックリさん」みたいになっています。

どの霊団とコネクトするか、

素人の生兵法では危険すぎます。

無意識のうちに、

気が付かないうちに、

「契約」を締結してしまっている危険性もあります。

あとになってから、

「知りませんでした」では済まない。

“あちらの存在”はきわめて律儀ですから。

 

――それは危険ですね。

 

大変大変危険危険。

技術云々よりも

まずこのことを先に徹底しなきゃね。

肝心なのは、

被験者の質問レベルに見合った“存在”が

その人を喜ばせるような甘美な解答を

もたらすことが多いので

じつに気をつけたいものです。

己の人格の涵養がないままに、

またはそれを最初から放棄した状態で

高貴なる存在からサジェスチョンを

受けようとすることは

これ、きわめて傲慢な行為です。


そして、

自らの外側に解答を求めることは、

広義において偶像崇拝に直結します。

それは自らの宇宙性の否定であり、

自らの存在を矮小化させ、

「ひとつ」から独立するための行為となります。


ダウジングも、Oリングも、

キネシオロジーも本来は、

自己内在の宇宙との対話が目的でしょ。

でも現状はそうはなっていないのですよ。

いや、目的はみなわかっているのだけれど、

必ずしもそうはなっていないケースが

大半であるということです。
 

つまり自己内在の宇宙ではない、

別の存在と対話してしまっているということです。

“彼ら”は弁舌に長けていますから、

口先でどうにでも神を装うのです。
“彼ら”は私たちが思い浮かべる

「理想的な神」の姿と言い回しで登場します。


――澤野さん、ありがとうございました。

いくら正しき方法をもって、

それらを試みても、
肝心の「心」が曇っていたら
正しい結果は出てこない、と。
 
「心が曇る」というのは、
つまりは「邪心」のことです。
「邪心」とは、
「自らを限定する心」です。
では、
「自らを限定する心」とは何でしょうか?
 
「私は○○だから」
「私は○○という人間だ」
といって、
これまでの経験や知識のみで、
自己の姿を勝手に「規定」する心です。
あなたが何者かについて、
どれほどの者かについて、
まだわかってはいないのですから。
 
私たちは、私たち自身が
思っていたり考えている者とは、
もしかしたら
かけ離れている可能性があるということ、
それは、何も自身のことのみならず、
世の中に起こるすべての出来事に関してもそうで、
 
私たちが、
あらゆる物理現象を観察するとき、
「これは○○で、○○したから起きたこと」
と限定して断定することは、
霊的、多次元的に見て、
きわめて危険な行為で、
目に見え、耳に聞こえ、
手に触れることができるモノに、
人は騙されてしまう、と。
 
あらゆる物事の
「本質」というものを求めていく姿勢が
何より必要で、
その「本質」を見極めるためには、
まず「自我意識」をなくすことから始まり、
その自我意識をもって、
自我意識を滅却していくという作業が
必要となります。

澤野さん曰く――、

「欲さず欲し、力を入れて力を抜く」

という訓練を意図的に積み、

それが無意識でできるようにならないと。

とのこと。

 
一番大事なのは、
物事の本質が、
私たちの定義したものとは
だいぶ違うかもしれない、
ということを
認識しなければいけない、
ということ。
 
それには、

まず自分をアラハバいていくしかありません。

それは時として
自分が一番見たくないもの。
自分都合で、
そして自分の物差しで
考えてきたものを
一掃しなければなりません。
 
ヤハウェを
自分の中に落とし込んだ時に
目で見える現象、
それは世間一般で言われる「幸せ」とは
かけ離れたものであるかもしれません。
見たくないものを
抉り出されるわけですから。
 

自分をアラハバくということは、

非常に辛い峠を越える経験となります。

見たくないものを見て、

触れたくないものに触れ、

封印してきたものの蓋を開けるのですから。

 
それは、自分が自分都合で
解釈してきたものや、
こしらえてきた「垢」のお掃除。
アラハバく、の、
ハバく、とは掃くこと。
 
ほうきで垢を一掃するという意味です。
 

「アラハバく」とは一掃することだけを

意味しているわけではありません。

 

「アラハバく」とは、

「垢」を一掃することはもちろんですが、

そんな「垢」が取り払われたあとに、

それまで自分自身で封印してきた

「本当の自己」というものが

本来の位置へと浮上し

回帰するところまでがワンセットです。
 

「一掃する」ことだけに注目してしまうと、

それは「浄化」と勘違いしてしまう人が必ずいます。
 

「浄化」と「アラハバキ」は違います。

「浄化」というのは、

弥生ケガレ思想に起因するものですので、

縄文とは関係のない考え方です。

 

さあそして、
そこからが、始まりのスタート。
 
一旦、これまでの常識や壁を
ぶち壊して、それから
全く新しい自分史が始まるのです。
 
ちなみに、
ヤハウェは偶像の神ではありません。
ヤハウェは「姿も形もない概念」です。
宗教などで、
弥勒(ミロク)菩薩をご本尊として
仏像を拝んだり、
儀式や祝詞や供物をあげるそれとは
全くの別物です。
 
ヤハウェとは宇宙そのものなのです。
 
アラハバキの
「ハバ」は、「88」。
「ハハ」は蛇の古語。
「ハハ」=「母」、お母さんで、
「ヤハウェ」は「ハハウェ」=母上です。
 
アラハバかれると
人それぞれ違った現象が
宇宙(母)から降ろされる。
 
それは母上から
目には見えない愛の請求書が
突き付けられるということ。
 
それは、今まで自分がしてきたことへの
宇宙の本当の愛の請求書。

そこには「良い」「悪い」はありません。
 
どこに住んでいても、
どんな生活をしていても、
豊富なバリエーションとともに、
姿かたちを自在に変え、
激烈に降ってきます。
 
人によっては、
この上なくイタい請求書が
まわってくるかもしれません。
 
その人によって、
これまでにない
歓喜の請求書だったりするかもしれない。
(この場合は請求書ではなく
多次元世界からの還付金のお知らせですね)
 
奈落の底に堕とされるのを覚悟で
ヤハウェと向き合わなければ
ならないのです。
 
例えば、
「目で見える幸せ」と、かけ離れた道を
歩んできていた人も、
権力や地位や名誉など
物質的に恵まれているかどうか
肩書きなども全く関係なく、
この宇宙は、
ヤハウェが介在していたと気付いた瞬間、
ヤハウェ(宇宙)から思いもよらぬ
歓喜の「よくがんばりましたで賞」が届く。
逆も然り。
 
やってきたことに対して
これは母上(宇宙)からなのだと
謙虚にありがたく受け取れるかどうかが
その人それぞれの分かれ道。
 
みなさんに強くお伝えしたいことがあります。


これからの時代、

いろんところでいろんな人が
いろんなことを言うと思います。
 
ですので、
そのようにいろんなことを言う人たちが
「何を言っているのか?」を、
きちんと吟味していかなければなりません。
 
その吟味にはポイントがあります。
その発言なり、内容が、
私たちを三次元現実世界に縛るものなのか、
さらに、私たちのマインドの覚醒を
阻害するものなのか、
それとも、私たちの気が付かなかった
呪縛から解き放つものなのか、
という部分です。
 
そして、
私たち自身が自らに言い聞かせなくては
ならないことがあります。
 
それは、
私たちはつい、
分かった気になり、
正しいと思い込んでしまいます。
 
自らは善意のつもりで善かれと思って、
自信をもって行動したとしても、
それが、他者を
路頭に迷わすことに繋がるかもしれません。
 
自らの善意が、
他者を地獄に導くようなことが
あってはなりません。
 
それを防止するための方法はただひとつ。
 
「自らの無知に対して謙虚になること」です。
 
常に、振り返り、俯瞰し、
現在地を確認していくという
繊細な作業を行うということです。
 
これからの新しい時代」がが具体的に
どのような世界なのか
みなさん気になると思います。
 
今の世の中の現状とは
「逆位相」に位置する不思議な世の中です。
 
「お金」はなくなることはありませんが、
その扱いと意味が変わります。

物質的な貨幣を無くせば
時代が変わると思ったら大間違いですよ。
貨幣はそもそもが
「この世のもの」ではないのですから。

どのように変わるのかというと、
厚みと深みと奥行きが格段に増すのです。
 
お金というものが
「この世のものではない」ことに
主眼が置かれますから、
単に、三次元枠内での
右から左への物理的金銭の
移動目的のビジネスが衰退します。

それはつまり、
多次元世界の裏付けを必要としない、
これまでのような、
「いかに隣の人からお金を合理的に横取りするか」
という不毛な争いが衰退していくことを意味します。

「お金」が無くなるわけじゃない。
「お金」の意味合い、
「お金」というものをどう解釈するかが変わる。
そしてその解像度が変わるのです。
 
キーワードは「逆位相」です。
私たちが想像する「限定ライン」からは
これからことごとく外れていきます。
私たちがこれまで己を勝手に規定してきた
その「限定」が意味をなさなくなります。
 
そして、物事の本質や
これまで気にもとめなかったものが
解像度を高めて存在感を増します。
それはこれまで「肉の目」(肉体的視覚)で
見てきたものとはまったく違うものです。
 
これまでの行き過ぎた
そして突出し過ぎた三次元物質主義によって、
多次元世界を隔絶した人たちというのは、
三次元物質世界しか知覚することはできません。
 
すると、彼らの考える「愛」と
多次元世界をも含めた「本当の愛」との間に
大きな違いが出てきます。
 
彼らの考える「自己愛」は
三次元世界限定のものですね。
彼らの自己愛は、他者と隔絶であり
「自分だけが中心」という考え方です。
それはつまり、
ヤハウェから独立した肉の「ひとり」です。

 
多次元的自己愛にとどまっている人は、
「孤独」という意味での
「ひとり」を味わうことになる。
この「ひとり」を「ひとつ」だと勘違いしてしまう。

そして、

その「ひとつ」だと思い込んだ「ひとり」が

当たり前だと思い、

世知辛いこの社会をただ嘆くだけとなります。

それは次第に強固な厭世観を生みます。

すると己の内在の神性は、

「どうして私を無視するのですか?」と

「私」と「宇宙」の間で齟齬が生じます。

内在の神性(ヤハウェ)を無視するということは、

完膚なきまでの自己否定ですので、

それは宇宙の破壊、

つまり、自己存在の消去へと繋がっていきます。

 
孤独である「ひとり」は
無意識的な寂しさを感じるので、
とにかく、
表層的な群れを求めるようになります。
みんなでお揃いの標語を作ったり、
徒党を組んで人数の多寡を誇ろうとします。
いわば「かりそめのひとつ」ですね。
つまりそのような「ひとつ」は幻想で、
「私はひとりなのだ」という、
深い催眠状態を意味します。
 
このような「表層的な群れ」のことを、
つまり「かりそめのひとつ」のことを
私は「疑似ワンネス」と呼んでいます。

私たちは孤独としての
「ひとつ」なのではありません。

宇宙そのものヤハウェそのものと

「ひとつ」なのです。

孤独としての「ひとつ」に埋没してしまいますと
その人たちは途端に群れ始めます。

 

「擬似ワンネス」の集団を動かすために、

センセーショナルに登場したスターが使われます。

この暗い世の中において、

「真実」をもたらすとみんなが叫び支持する者は、

偽預言者でありカバールによって

用意された最終扇動要員でしょう。

 

「本物」は「盗人のように来る」のです。

「盗人のように」とはどういうことか?

それは、

「誰も気がつかない」ということです。

肉の目で誰にでも確認できて、

みんなが飛びついていきなりムーブメントに

なるような場合は、

非常に注意して観察しなければなりません。

 

「覚醒」とはそんなに甘いものではないのです。
 

この「疑似ワンネス」の集団は、

多次元世界、宇宙、ヤハウェとの「ひとつ」を

遮断してしまっていますから、

いくら自己実現のテクニックを学んでも、

一向に実現しないという状況を招きます。

それどころか、

見ず知らずのどこかの誰かの

夢の実現のためのエキストラとして、
無意識に演じさせら使役されてしまうのです。

 

また現代スピリチュアルの多くが、

この「擬似ワンネス」の提供を

ビジネスにしています。

だから永遠に「ひとり」のまま、

そして永遠に「顧客リスト」に

名を連ねることになるのです。

 
多次元的自己愛に溢れる人は、
ひとりぼっちになっても
「すべて」を感じることができるので、
寂しさを感じることはない。
つまり、表層的な群れを必要としない。
これが本当の意味での「ひとつ」ですね。
 
三次元的自己愛しか持たない者は、
根源的な「ひとつ」を
体感することができないため、
常に寂しさを感じ、誰よりも愛情を求め、
表層的な群衆の中に身を置きたいと思う。

こういう状態のことを「有象無象」といいます。
「疑似ワンネス」は、三次元に縛られ
寂しさにもがき続ける
「有象無象」を生み出すシステムだといえます。
 
このように、
この世界を思うがままに
クリエイトできる「主人公」と
クリエイトできずに、見ず知らずの
誰かの夢の実現のためのエキストラになってしまう人に、
今後大きく分かれていきます。
これが本当の意味での格差社会だといえます。
(澤野大樹)
 
いろんなところで、
いろんな人が
いろんな事を言っていますよね。
どう解釈するか、
どの道を選択するかに
正解も不正解もありません。
 
ですので、
選択にいいも悪いもなく、
どっちを選んだにしろ、
道は大きく分かれますが、
その人の
ゴールは決まっています。

それは「カーナビ」とまったく同じ。

交差点で曲がるのを忘れ、

たとえルートを外れても、

カーナビはすぐに

新しいルートを検索し案内しますよね。

でもゴールは決まっているわけです。

ただし、道を間違い続ければ、

ゴールには辿り着けませんよね。

でもそれもまた一興かもしれません。

 
これが、澤野さんがいつも仰っている
「人間万事塞翁が馬」システム。
 
この宇宙の法則を知り尽くしていたのが、
縄文人であり、蝦夷であり、さらに、
「東の国々、海の島々」である
この列島にやってきた「失われた10部族」として
行方不明になった北イスラエル10部族の民たちです。

そんな北イスラエル10部族の人たちは、

「ユダヤ人」でも「ユダヤ教」でもありません。

70年にも及ぶ「バビロン捕囚」を経ていませんから。

 

バビロン捕囚されたのは、

南ユダ王国2部族(ユダ族、ベニヤミン族)です。

この南ユダ2部族は、

70年に及ぶ「バビロン捕囚」を経て

「ユダヤ教」を生み出しました。

そしてさらに、バビロニア・タルムードを携え、

遥かこの列島まで

「北イスラエル10部族」を追いかけてきた。

 

そして彼らは
「キリスト教」をクリエイトしました。

 

彼らは猛烈なグローバリストでした。

 

バビロンで身につけた

あらゆるオカルト神秘思想を携え、

歴史を乗っ取り、改竄し、
ロンダリングしました。

 

彼らは全世界を欺き、

全人類に気づかれぬよう

ヤハウェを裏切った民たち。

 
私たちに気づかれぬよう
巧妙に仕掛けられた罠には
なんと鍵がかかっていた。
 
そのコード解くにはパスワードが必要。
 
歴史上、
キーメーカーらしき人物は
洗礼者ヨハネだったり、
ダヴィンチであったり、
有名ミュージシャンであったり、
ダン・ブラウンであったり。
 
しかし、
これまでの長い歴史において、
パスワードが解かれることはなかった。
 
ところが、
ここへきてなんと、
澤野さんは普通にさり気なく、
パスワードを解読していたのです。
 
それは、長い長い年月を経てのこと。
今、簡単に
答えが降りてきたわけではありません。
 
順序がちゃんとある。

 

 

この途轍もない瞬間の

真っ只中に私たちは存在している
ということです。
これ、もの凄いことですよ!?
 
ヤハウェという存在の本質を知ったからには、
私たちは覚悟を決めなくちゃなりません。
宇宙と私と均衡し直結するのですから、
多次元世界と三次元世界が同時リンクします。
 
その人だけの特別な請求書。
自分にしかわからない請求書。
 
ヤハウェとは宇宙そのもの。
儀式も祝詞も供物もお布施も
教祖も偶像も神殿も必要としません。

もっと言えば、

波動グッズをはじめ、

あらゆるスピリチュアル霊感グッズは

まったく必要のないものだとわかります。

 

霊性の回帰による発露は、

団体や組織、

仲良しクラブとはまったく関係のないもの。

お免状もマスタークラス資格もいらない。

ましてや第三者から「伝授」など

できるはずもないのです。

それらはみな形を変えた偶像崇拝ですね。


これまで「南回り」で学んできた

スピリチュアルの本質がわかれば、

その途端に、

これまでまったく考えたこともなかった、

「北回り」のルートの存在が
浮かび上がってきます。

 

私たちは宇宙そのものなんです。

 
そのことを縄文人たちは知り尽くしていた。
 
ヤハウェを崇め奉っていたのではなく、
畏敬の念を持って、
途轍もないパワーと共存していた。
つまり己の内在の神性と、
己の外に広がる神性との間に
同一性を見出していたんでしょう。
ならば、霊性の発露は、
誰かによって技術的に
もたらされるものではないことがわかります。
なぜって、
私たち自身とヤハウェは、同一存在なのですから。

そのヤハウェは、宇宙そのものだから
目には見えないし発音もできない
「YHWH」(YHVH)=ヤフヤー(Yahya)。
 
宇賀神や瀬織津姫を象徴とする「とぐろを巻いた蛇」。
 
神、と表記してしまうとややこしいですね。
 
さて、
そのヤハウェ666を封印した
驚くべき痕跡が、
この列島には未だに残っていたということ。
封印が解かれることなく、
ただじっと、日本のとある場所の岩に隠され
その時を待っていたかのように。
 
覚悟はできてますか?
もう封印は解かれてますよ。
コロナの降臨とともに…
 
澤野さんは12年前に既に
無意識のうちに察知していてコロナ降臨を語っていたのです。
 
今を読み解くには、順序があります。
本物の歴史を知らずして今の現状を
読み解くことは不可能なんです。
 
私とて、
身を引き裂かれるほどの
アラハバキの洗礼を受けました。
ちょっとした気の緩みで
あっという間に
アラハバかれてしまいます。
 
気づいていなかった自分を
痛感することにもなります。
 
ヤハウェを知れば知るほど、
一歩すすみ、引き戻され
そして、また新たな一歩。
 
革命とは、
自分をアラハバくこと。
 
戻るのではなく、
まっさらな自分史のスタートが
ここから始まるのです。

常に「謙虚」であること。
己の無知を知ること。
 
素直で純粋であること。
 
存在しなかったことにされ、封印され、
抹消されてきた名も無き存在に、
暖かい眼差しを向け、心を手向けること。
 
さて、青森講演会も、
第5回は始まりのスタートです。

次回、

封印されていた本当の日本の岩戸の秘密が

明かされます。

 

誰も見たことも聞いたこともない

予想を遥かに超えた事象がまた、

青森で繰り広げられることでしょう。

どうぞ、次回もご期待ください。
 
澤野大樹氏青森講演会主催
小野裕美子
 
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バチカンと、
封印された「PETRO」(岩)の
「PORTE」(戸)の秘密が解かれた

【青森講演会第④回】活字版原稿は、

こちらからお申込みください。

※澤野講演会での内容が一からわかる、バックナンバーもぜひ。

 

《青森活字版原稿をお求めの方へ》

活字版原稿の御用命は、

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※講演会でもアナウンスしておりますが、

活字版原稿・講演会の内容はネタバレNGです。

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引用・転載することはご遠慮ください。

同様に当ブログにつきましても

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澤野大樹氏公式サイトINTUITION

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