2026年4月の自民党大会で高市早苗首相(自民党総裁)が憲法改正に向けた意欲を示して以降、改憲論議は加速の兆しを見せています。太平洋戦争の敗戦後、日本人の手で十分な議論ができないまま制定された現行憲法を改正するには、まず日本人自身で“あの戦争”を総括する「新・東京裁判」が必要だというのが私の持論です。
連載の3回目は、時間を巻き戻して、なぜ日本はあんな無謀な戦争に突入したのか、仮に負けるにしてもより失うものが少ない選択肢はとれなかったのか、公開資料などを基に敗戦の責任を考えてみたいと思います。なぜなら、その過程を通して日本および日本人の特質や世界との向き合い方を自己認識することは、国の形を決める憲法を考えるうえで欠かせないからです。
戦争に至るまで日本国がとるべき戦略のどこに問題があったのか、敗北するにしても被害は少ない負け方はなかったのか検討したいと思います。ただし、検討対象は太平洋戦争での「敗戦責任」に絞り、「開戦責任」などは外すこととします。
結論を先に言うと、情報収集力の低さと運用の稚拙さが日本の敗戦には大きく影響したと考えられます。5月27日に高市政権の目玉政策である国家情報局の設置を定めた法律(国家情報会議創設法)が成立しました。7月にも新組織が発足するとされていますが、同じ轍を踏まないようにしたいものです。
連合国側には明確な戦略があったが…
まず、取り上げたいのは戦略の欠如です。日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結び、米英といった連合国と第二次世界大戦を戦いました。日独伊が敗れた理由はいろいろ考えられますが、戦争における連合国側との明らかな違いは共通した戦略を持たなかったことです。
連合国側には明確な戦略がありました。太平洋では米国が日本の進撃をまず受け止める。反転攻勢に転じてからは、戦略爆撃と潜水艦や機雷による輸入途絶で日本を干上がらせるというものです。その一方でソ連と中国に軍事援助を行って、敵の戦力を消耗させた後、欧州ではイタリアとノルマンディーに上陸、ソ連軍が引き受けていたドイツ軍からの重圧を解放する。そしてドイツに戦略爆撃を敢行し継戦能力を失わせる。
それに対して、日独伊の枢軸側には共通の戦略を議論する機会がほとんどありませんでした。
ひとつ例を挙げましょう。