『ToR - Promise Horizon -』Part.3(第三稿)
第3章:灰色の観測者と完璧な絶望
西暦2055年、東京。
鉛色の空から降り注ぐ酸性雨が、
無機質なコンクリートの壁を
絶え間なく打ち据えていた。
「目標は、地下のメインサーバー室。
人類初の自律型汎用AI『ジェネシス』のコアだ」
水原のホログラム端末が、
施設の青白い見取り図を空中に投影する。
大地は、雨水を弾くステルス・ポンチョのフードを深く被り直し、
電磁ハンドガンのグリップを握りしめた。
「レプティリアンがAIをハッキングするって言ったな。
奴らは過去のコンピュータまで弄れるのか?」
「奴らの目的は『歴史の地盤沈下』だよ。
この時代にAIの基幹コードへバックドア(裏口)を仕込んでおけば、
数百年後のネットワーク社会を完全に支配できる。
妹さんの脳を焼いているパラドックスの大部分も、
このAI汚染が原因だ」
「なら、物理的にコードを叩き斬るだけだ」
二人は施設の搬入口から内部へと侵入した。
だが、そこはすでに凄惨な死地と化していた。
警備ロボットはスクラップにされ、
人間の研究員たちは異常な高熱で炭化させられている。
プラズマ兵器の痕跡。
レプティリアンの工作員が先行している証拠だった。
地下最深部、メインサーバー室。
巨大なガラス張りの冷却槽の中心に、
青白く発光するジェネシスのコアが鎮座していた。
そしてそのコンソールには、
光学迷彩を解いたレプティリアンの工作員が、
太いケーブルを自身の装甲に直結させ、
猛烈な速度でウイルスコードを流し込んでいる。
「ビンゴだ。やらせるかよ!」
大地が物陰から飛び出し、
引き金を引こうとした、その瞬間。
——ピタリ。
雨の音が、消えた。
いや、音だけではない。
空調の駆動音も、工作員のタイピング音も、
大地の心臓の鼓動すらも完全に停止した。
空間そのものの色が「反転」していく。
青白かったサーバー室が、
不気味なほどのプラチナホワイトに染め上げられ、
空中に舞っていた埃の粒子が、
スローモーションのように完全に静止した。
「……フェーズ・ロックか?
水原、お前がやったのか?」
大地は声を出そうとしたが、
声帯が空気を震わせない。
言葉は「思念」として頭の中に響くだけだった。
『否定する。
これは我々の空間絶対固定(クロノ・スタシス)だ』
大地の網膜に、直接氷のような声が叩き込まれた。
静止した空間の中、
ガラス張りの冷却槽の向こう側から
「それ」は現れた。
身長は低く、極端に細い手足。
だが、頭部だけが異様に発達しており、
瞳孔のない漆黒の巨大な目が、
大地とレプティリアンの工作員を
同時に見透かしていた。
「グレイ……!」
大地の背後で、水原の思念が戦慄を帯びた。
『歴史の観測者……
自分たちからは絶対に歴史に干渉しないはずの連中が、
なぜここに!?』
『対象座標の歴史汚染レベル、危険域を突破。
AIジェネシスの汚染による、
当世界線の絶滅確率は99.8%と算出された』
グレイは、一切の感情を交えない
無機質な思念を空間に放った。
『これ以上のエラーの増殖は、
歴史演算のリソースを浪費する。
よって、この座標の時空を
「完全消去する』
グレイが細い指を軽く持ち上げた。
瞬間、レプティリアンの工作員の強靭な右腕が、
音もなく「砂のように」崩れ去った。
『ガァァァッ!?』
工作員の苦痛の思念が空間に響く。
物理的な破壊ではない。
存在そのものを歴史のコードから
デリート(削除)する、
次元の違う攻撃だった。
「おい、待て!
この施設ごと消す気か!?」
大地は叫んだ。
この施設にはまだ生き残りの研究員もいる。
何より、AI開発の歴史そのものを
ここで削り取ってしまえば、
未来の世界は完全に崩壊し、
あかりの脳に致死量のタイムパラドックスが
押し寄せることになる。
『肯定する。
貴様の存在もまた、計算を狂わせる。
共に消去する』
グレイの漆黒の瞳が大地を捕らえた。
全身の細胞が、データに変換されて
分解されそうになる強烈な悪寒。
水原の思念が悲鳴を上げる。
『逃げろ大地!
奴らの演算速度は未来を完全に先読みしている!
勝てる相手じゃない!』
(先読み、だと……?)
大地の脳裏で、何かが閃いた。
相手が感情を持たない「完璧な計算機」なら、
最も苦手なものはなんだ?
大地は、前回のミッションで
レプティリアンから奪い取った「無限動力のコア」を
上着のポケットから引きずり出した。
そして、それを銃で撃ち抜こうとするのではなく、
ジェネシスの冷却槽を制御しているメインバルブに向かって、
自身の全体重を乗せて叩きつけた。
『……理解不能。
その行動による貴様の生存確率は0.0000%だ』
グレイの思念が、わずかに「戸惑い」を見せた。
「計算ご苦労さん!
だがな、人間ってのはバグの塊なんだよ!」
大地は、コアのエネルギー出力を強制的に暴走させた。
本来ならシステムを復旧させるためのエネルギーを、
逆に冷却システムを破壊するための「爆弾」として使ったのだ。
——ドシュゥゥゥゥッ!!
冷却液が蒸発し、サーバー室の温度が爆発的に急上昇する。
熱暴走(サーマル・ランナウェイ)。
グレイが展開していた完璧な「空間絶対固定」が、
凄まじい熱量と予測不能な物理的カオス(熱力学的な乱数)によって、
メキメキと音を立ててひび割れた。
『警告。熱量変化による乱数発生。
未来予測演算、オーバーフロー……』
静止していた時間が、一気に動き出す。
熱暴走の衝撃波が空間を薙ぎ払い、
レプティリアンが接続していた
バックドアのハッキングコードもろとも、
サーバーの物理回路を焼き切った。
「グハッ……!」
大地は熱風に吹き飛ばされ、壁に激突した。
だが、AIのコアは焼け焦げながらも、
最低限のセーフティ機能によって自己防衛を完了し、
歴史改変のウイルスを完全に遮断していた。
『……非合理だ』
蒸気と煙が立ち込める中、
グレイの姿は薄れかかっていた。
パージ・システムが破綻し、
彼らがこの時代に留まるための座標が
崩壊し始めているのだ。
『なぜ、自らの命を危険に晒す?
痛みを伴う非合理な選択に、何の価値がある?』
「痛いから生きてるんだよ」
大地は、口の端から流れる血を拭いながら、
薄れゆく灰色の姿を睨みつけた。
「100%の計算通りに動くなら、
生きてる意味なんてねえ。
俺の妹は、痛みに泣きながらでも、
明日を見たいって足掻いてんだ!」
グレイの漆黒の瞳が、
大地の泥だらけの顔を静かに見つめた。
そこに感情はない。
だが、未知のデータに直面した計算機特有の
「強い好奇心」のようなものが、
微かに揺らいだように見えた。
『……このノイズは、
我々の演算モデルに記録しておく』
グレイの姿が空間に溶けて消える直前、
彼らの立っていた場所に、
小さな幾何学的なデータ・クリスタルが落ちた。
「……逃げ切った、か」
大地はへたり込み、荒い息を吐いた。
水原が駆け寄り、
落ちていたクリスタルをスキャナーで読み取る。
「信じられない。
これ、グレイたちの『演算予測モジュール』の一部だよ。
奴ら、君の非合理な行動を計算に組み込むために、
これを置いていったのか……?」
「使えるものは何でも使うさ。
これも、あかりを治すためのパーツだ」
大地はクリスタルを握りしめ、
転送デバイスを起動した。
2136年、時間管理局。
「あかりの脳波は、さらに安定した。
AI開発の歴史が守られたことで、
未来のネットワークに関するパラドックスが消滅したからだ」
医療モニターを見つめる藤堂局長が、
珍しく安堵の息を漏らした。
大地は壁にもたれかかり、
回収したグレイのクリスタルを弄びながら、低い声で言った。
「局長。一つ、聞きたいことがある」
「なんだね」
「レプティリアン。アヌンナキ。そして、グレイ。
……あいつら、一体何者なんだ?」
大地は、グレイと対峙した時の「ある違和感」を拭えずにいた。
「ただの宇宙人やバケモノじゃない。
奴らが使っている技術の根本のアーキテクチャ……
俺の時代にあったコンピュータの論理構造と、
気味が悪いほど似てるんだ」
藤堂の動きが止まった。
局長室を、重苦しい沈黙が支配する。
「……気づき始めたか、大地くん」
藤堂は振り返り、大地の目を真っ直ぐに見据えた。
「君の言う通り、彼らは地球外生命体などではない。
遠い未来、環境激変や文明の衰退に直面し、
それぞれ全く異なる手段で生き残る道を選んだ……
『人類の末裔(分岐種)』たちだ」
大地の心臓が、ドクンと冷たく跳ねた。
「未来の……人類?」
「そうだ。
彼らは自分たちの属する未来(世界線)を
『唯一の正史』として確定させるため、
過去の地球に干渉し、歴史の奪い合いをしている。
……君が戦っているのは、化け物ではない。
人類が辿るかもしれない、
無数の悲惨な『可能性』そのものなんだ」
衝撃の事実に、大地は言葉を失った。
自分は、未来の人間たちと殺し合い、
歴史の椅子取りゲームをしているというのか。
妹を救う道は、
他の人類の可能性を切り捨てることに繋がるのか——?
大地の胸に、かつてない重圧と疑念が
黒く渦を巻き始めていた。


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