「謝罪、弔電…何ひとつありませんでした」辺野古ボート事故遺族が明かした「書きたくても書ける内容が無い人たち」【手記全文】
22:30 退館時間となる。 3月20日(金) 午前中 知華に会いに安置所へ。 その後、葬儀の詳細について打ち合わせ。 知華の名前が書かれている死体検案書、死亡届を直視できない。子を失った親は皆こんな思いをしてきたのか。 午後 棺の中に入れてあげる思い出の品物、洋服などを京都の自宅に取りに向かう。(同行:私・妻・長女・妻の弟2人 / 移動:電車等) 移動中、長女は、葬儀の返礼品の手配、手書きメッセージなど、準備を進めた。この時点まで長女がまとめていた参列者リストを学校に引き継ぐこととした。 20:30 京都の自宅に到着。 4日前と変わらない知華の部屋。 妻は知華のベッドに顔を埋めたまま嗚咽し動かない。 21:30 同志社国際高校にて教頭先生と面談。春休み期間中にも関わらず、知華の下駄箱には友達が置いてくれた沖縄のお土産が置かれていた。 学校へ届いた一般の方からの弔電、手紙、近隣の方が手向けてくださった花束が、教室の知華の机の上に並べられていた。 通夜・葬儀への参列希望生徒数が200人近くになっていること、参列希望の生徒全員のホテル、交通費、駅から葬儀場へのシャトルバスは、学校が全額負担する旨の報告を受ける。 23:00 再度帰宅し、棺に入れてあげたいもの、知華が好きだった食べ物、洋服、葬儀場に飾るための遺品を選び、車に積み込む。「これはあの時の」、「あれはあそこで買ったやつ」。妻と長女が、知華が好きだったものを迷いなく選んでいく傍ら、私にはわからず、知華のことをよく見ていなかったことを悔いる。一緒に遊んだプレステのコントローラーを一つ選んだ。 翌 02:00 京都を出発。 移動手段:京都に置いてあった自家用車(運転は弟たち) 翌 10:00 実家に到着。 ここで書いた数日間、私はただそこにいることしかできませんでした。 いつも通りの妻の行動力、いつの間にか立派な大人に成長していた長女、妻と長女に声をかけ続けてくれた両親のおかげで、知華の「体」と「心」を連れて帰ってこれたこと、忘れないようにメモとして残しました。 中城海上保安部の方々 キャンプ・シュワブの方々 ホテルスタッフやタクシー運転手、JAL職員など、一期一会の沖縄の方々 私がここで書かなければ誰にも知られない所で、知華の死に一緒に心を痛め、私たちに時間と心を割いていただきました。本当に温かかった。心から感謝をしております。ありがとうございます。 学校から校長、教頭、法人事務部長、学年主任 東武トップツアーズから社長、副社長含めた役員、担当者の方々 責任云々の話とは別ですが、組織の責任者達が沖縄で私たちの怒りと悲しみを正面から受け止めながらも、逃げることなく、対応してくれました。 一方、日記で記した数日間に登場しない方達がいます。 書きたくても書ける内容が無い人たちです。 平和丸の船長、乗組員、ヘリ基地反対協議会その他の関係責任者達 沖縄にいる間、知華や私たちへ対面しての直接の謝罪、面会可否の問い合わせ、託された手紙、弔電、何ひとつありませんでした。学校、ツアー会社、中城海上保安部のいずれのルートでも問い合わせがなかったことを確認しています。 私はこれを、どう理解すれば良いのでしょうか。
ダイヤモンド・ライフ編集部