日本酒の蔵を新しく作りたい人が、この国にどれだけいても、許可は出ません。
1953年の酒税法施行以来、国内向けの清酒製造免許の新規発行は1件もありません。法律で明示的に禁じられているわけではありません。国税庁の通達によって、事実上の全面封鎖が73年間続いています。
根拠は「需給調整」です。市場が縮小しているのに新規参入を認めると、既存の蔵元が過当競争で傷つく——そういう理屈です。
では、その規制は機能しましたか。
清酒製造免許場数は、ピーク時(1956年)の4073場から2022年には1536場へ。30年連続で減少しています。国内出荷量は1973年の177万klから現在はその3分の1以下です。「保護」が機能していたなら、この数字にはなりません。新規参入を封じて既存蔵を守ったはずが、既存蔵はこの速度で消えていきました。守るための壁が、守るべきものを枯らしてきた——そう読むしかない推移です。
同じ酒税法の下で、ビールは違います。
1994年の酒税法改正でビールの最低製造量が年間2000klから60klに引き下げられました。規制緩和の結果、全国に小規模醸造所が次々と誕生し、いまのクラフトビール文化が生まれました。クラフトジンもウイスキーも、新規参入は可能です。日本酒だけが、同じ国の中で「鎖国」を続けています。
2021年、初めて小さな変化がありました。輸出用に限って、新規の清酒製造免許が認められるようになりました。戦後初の規制緩和と評価する声がある一方で、「国内で飲めない日本酒を造ってどうするのか」という批判も出ました。国際的なSAKEブームに乗りたい若い醸造家が、自分で造った酒を日本人に飲ませることができない制度です。
国内参入を志す人たちには、廃業寸前の蔵を買収する道しかありません。負債ごと引き受け、老朽化した設備と向き合うところからしか始められません。それが「新規参入」の実態です。
2025年5月、政府の規制改革作業部会がようやく動きました。約70年ぶりに、国内向け新規免許の一部解禁を「検討する」という方針変更です。ただし作業部会の場では、特区申請者から「提案してもう2年たつが、国税庁はまだ時間調整が必要と言っている」という声が上がっており、議論は平行線のままです。2026年5月現在、制度は変わっていません。
高市首相は施政方針演説でこう述べています。「稼げる農林水産業及び食産業を目指す」「地場産業の成長を支援する」「食や伝統芸能を含めた文化財の継承・保存・活用を推進する」。
日本酒はすべてに当てはまります。そして日本酒の製造免許は、法律ではなく国税庁の通達によって封じられています。通達は法改正より遥かに簡単に変えられます。総理の意思があれば、今日にでも変えられる仕組みです。
73年間、変わっていません。
ユネスコ無形文化遺産に登録した技術の担い手を増やす道が、行政の通達一枚で閉じられたままです。新しく参入したい人がいます。若い杜氏になりたい人がいます。地域の米と水で地域の酒を造りたい人がいます。制度がそれを許していません。
「稼ぐ文化」と「参入禁止」は、同時に成立しません。
このことについて高市内閣は答えるべきです。
#高市早苗