『今夜も生でさだまさし』さだまさしさん、井上知幸さん、住吉昇さん、小針画伯
『今夜も生でさだまさし』スペシャル座談会
2006(平成18)年から始まった『今夜も生でさだまさし』。放送開始から6年たった2012(平成24)年、番組が50回を迎えた際に、テレビにまつわる思い出や、テレビの“初期化”を目指しているという番組への思いを“生さだ”メンバーに語ってもらった。
テレビとともに60年!
NHKのテレビ放送がスタートしたのは1953(昭和28)年2月。その前年、1952(昭和27)年に生まれたさだまさしさんを囲み、以下の4人で座談会スタート!
さだまさし(1952年4月10日生まれ) 放送作家・井上知幸(1959年9月26日生まれ)
イラスト担当(画伯)・小針明(1953年3月16日生まれ) 音響・住吉昇(1960年1月5日生まれ)
テレビとの出会い
井上知幸(以下 井上) さださんと小針さんはテレビと同級生ですよね。物心ついたとき、テレビは家にあったんですか?
さだまさし(以下 さだ) なかったですね。
小針明(以下 小針) (うなずく)
住吉昇(以下 住吉) 最初は街頭テレビですか?
さだ 長崎は駅前と諏訪神社の下に街頭テレビがあったんです。そこに大勢の大人がひしめいて、揺れながらプロレス中継なんかを見てましたね。
井上 力道山の時代ですね。
小針 力道山、一生懸命見てたなぁ。
さだ 僕も親父と一緒に行って、揺れながら見てました。それが子供心に怖かったのを覚えてるなぁ。
井上 それ「親父の一番長い日」の歌詞にありましたよね。
さだ そうそう。あとは近所のお金持ちの家でテレビを見せてもらうの。
井上 そのパターンですよね、やっぱり(笑)。
さだ でもそれだと、見たい番組が見られないんだよね。
井上 僕らのころは、カラーテレビをお金持ちの家に見に行ってましたね。
住吉 テレビに色が付いた!って。
さだ それって東京オリンピックのころだよね。1964(昭和39)年。
小針 普及したといってもほんの一部だったでしょうね。徐々にカラーに変わっていった。
さだ だから、あれ?これカラー番組だったの?って、後で聞いてびっくりすることがあった。
住吉 当時は、カラー放送の場合、画面の下にカラーって書いてあったような記憶が…。
さだ 書いてあった!
井上 『ひょっこりひょうたん島』なんて、途中からカラー放送になったんじゃないですか?
さだ そうだったかも。
住吉 僕はず~っと白黒で見てました。
テレビっ子だった少年時代
さだ 最初のわが家に白黒テレビが来たのは小学校2年のとき。中古でしたけど。
小針 うちは小学校3年くらいだったなぁ。
さだ テレビが来た日は、兄弟3人で正座してテレビを迎えましたね。
井上・住吉 は~、そうですか!
小針 昔のテレビだから14インチくらいなんだろうけど、ものすごく大きく見えませんでした?
さだ 確かに。すごく大きく感じた。それだけみんな集中して見てたんでしょうね。
井上 さださんが一番夢中になった番組は何だったんですか?
さだ 最初気がついたら『チロリン村とくるみの木』をやってた。その前はラジオだったの。吉永小百合さんが声で出てらした『赤銅鈴之助』とか、『一丁目一番地』とか。
小針 「一丁目~一番地♪」って歌、ありましたよね。夕方、ラジオを聞いている時間ってけっこう長かった気がする。
さだ 僕もそう思う。あと「知ってるおじさん、知ってるかい♪」っていうのもあったよね。
井上 ?? 面白い歌詞ですね(笑)。
さだ 子どもの質問に答えてくれる『ものしり博士』のラジオ版みたいな番組。
住吉 『ものしり博士』はよく見てましたね。
一同 ケペル先生!!!
小針 「何でも考え何でも知って…」ってね。
さだ それから『ジェスチャー』!これはものすごく見てました。(顔の横で手を上から下に動かし)こうやったら女の人で、(ネクタイを結ぶマネをして)こうやったら男の人。
一同 (物をどかす動作で)置いといて!
さだ そうそう、『危険信号』って番組なかった?
小針 大好きだった~。旧型の特急列車が走って…。
さだ こだま号みたいなの。懐かしいなぁ。でも、僕が一番影響を受けたのはなんと言っても『夢であいましょう』。NHKっていうだけで親も見せてくれた。しかも土曜日に放送してたから、夜10時からで遅くても見られたんだよね。
井上 僕は伝説の番組って聞いてるだけなんですけど、やっぱりそうなんですね。
住吉 あれ?俺、見た記憶ある…。
さだ あの番組、「作 永六輔」って書いてあったの。だから、永六輔ってすごい人なんだな~と思ってた。この番組作ってるんだって。それに永六輔、中村八大の『今月の歌』には、未だに影響を受けていると思いますね。
井上 六八九トリオ(作詞:永六輔 作曲:中村八大 歌:坂本九)ってやつですね。
さだ 親子で聞いても照れくさくならない歌。ヒット曲も次々と生まれましたし。
一同 「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」、「幼なじみ」、「遠くへ行きたい」、「帰ろかな」…。
住吉 そうそうたる曲名ばかりですね。
井上 コントもやり、名作も生んでいる。
さだ バラエティとしたらあんな贅沢なものはなかったですね。コントも一流の人がやったから面白かったし、今月の歌も一流の人が歌った。永さんと中村さんの歌はあの時代、最高だったしね。
住吉 時代にマッチしてたんでしょうね。
さだ 音楽が人を勇気づけてた時代のバラエティでしたね。あんな番組を僕もやりたいなと思いますね。
井上 そんな番組、またやらないですかね。
テレビが仕事に…
井上 さださんがNHKに初めて出られたのはどんな番組だったんですか?
さだ なんだったかなぁ~。もちろん音楽番組だと思いますけどね。若者向けの…『レッツゴーヤング』は出させてもらいましたね。
住吉 『レッツゴーヤング』って確か1974(昭和49)年くらい。
さだ 僕が売れたのは74年ですから。『レッツゴーヤング』は出ました。
井上 日曜日に放送されていたからサンデーズっていましたもんね。
小針 ピンクレディーとかキャンディーズ、太川陽介さんとか、としちゃんとか。『レッツゴーヤング』は僕、デザイナーしてたんですよ。
さだ えっ!やってたんですか。
小針 ステージデザインやってました。後にさださんがゲスト出演された『加山雄三ショー』も担当してました。
住吉 僕も最後の方は『レッツゴーヤング』に関わってましたね。でも、NHKに入ったばかりのころは『プリンプリン物語』っていう連続人形劇を担当していました。子どものころからずっと見ていた枠の番組に関われるのが、不思議な感じでしたね。
さだ 僕は人形劇と言えば『チロリン村とくるみの木』と『ひょっこりひょうたん島』。『宇宙船シリカ』も見てたなぁ。『チロリン村』と『シリカ』って、コラボしたことがあるんですよ。宇宙船シリカがチロリン村に降りてくるの。
井上 そんな粋なことを!
住吉 へ~!やるなぁ。
井上 『サンダーバード』もNHKでやっていたみたいですよ。びっくりですね。
さだ やっぱりそうなんだ!なんで長崎で見られたんだろうって思ってた。長崎って僕が子どものころはNHKと長崎放送しかなかったから。長崎放送では日本テレビとTBSの番組をセレクトしてやっていましたね。長崎放送では『ディズニーランド』をよく見てたな~。
井上 ウォルト・ディズニーが司会する番組ですよね
さだ 金曜日の夜はプロレスとディズニーが一週おきでやってたの。
住吉 思い出しました。
井上 花火がドンドンッとあがって、ティンカーベルが出てくる。
さだ ディズニーが話しながら机に座るんだよね。それを見て「アメリカ人って行儀が悪いな~」と思った(笑)。あのころ、僕がもしそんなことしたら、親に絶対叩かれてたもん。
住吉 「なにやってんだ~」ってね。
一同 (笑)。
テレビの初期化を目指した『生さだ』
井上 『生さだ』の放送が50回を迎えましたね。手応えはありますか?
『生さだ』に届いたはがきの山 ホワイトボードに絵を描く小針画伯
さだ もともとはテレビの初期化がしたいと思って始めた番組。テレビって本来は情報交換をするのが目的で、それが世の中を動かすことによって、お金が儲かったり経済活動へつながるというのは二義的な話のはずなんです。僕らが若いころは視聴覚教育というのがあったのですが、そういう観点でもテレビは何を伝えなきゃいけないのかという原点に帰りたかった。
住吉 昔聞いていた深夜のラジオ番組のような、作りにこだわったのは?
さだ 僕にとっての視聴覚教育の原点がラジオのDJ番組だったんですよ。だから、それに似たスタイルにすることは自分のなかでテレビの初期化につながったんです。深夜にやってた生のラジオ番組って、真夜中にこの国で一緒に起きているという共有感というか、体温が伝わってくるような気がしませんでした?
一同 (深くうなずく)
さだ 生放送にこだわったのも、その時間に起きているということが大事だと思ったから。孤独な人ってひとりきりで起きているんですよね。明らかに録画だと分かる番組は見ていてだんだんと寂しくなってしまう。だけど、生放送で「今やってるんだ」って分かるとね、不思議と見ていて元気が出るんですよ。
井上 さださんは海千山千ですから(笑)。時間もきっちり読んでくださる。生放送でも全く不安はないですね。
住吉 頼りっぱなしです。
さだ 僕が暴走したとき、井上くんは止めるようで背中を押すよね。実は冷静に止めてるのは住吉くんなんだよ(笑)。
一同 (爆笑)
小針 番組で読むはがきを選ぶ時は文字、色、文章、絵のどれに注目するんですか?
さだ やっぱり読みやすい文字には惹かれます。それと内容は簡潔であること。自分の思いを吐き散らかすようなものは読みにくいですね。ファックスやEメールはその場で思ったことを送れてしまう。だけどはがきはスペースも限られていますから、自分の思いを咀嚼してからでないと書けないでしょう。しかも公平なサイズです。だから、はがきでお便りを募集するのもこだわりのひとつなんです。
井上 2013(平成25)年3月には生さだのスペシャルバージョンが予定されていますね。
さだ 『夢であいましょう』ではないけれど、ウエハースみたいに音楽でコントをはさんだバラエティ番組を放送予定です。『生さだ』らしく、夜中の12時から5時間の生放送! 段取りは一切なし(笑)。飛び入りゲストが歌ってくれたりもします。
井上 小針さんは、みなさんが歌ってる間、ず~っと絵を描くんですか?
さだ ホワイトボードに絵を描き始めて、番組が終わるころに描きあがるっていうの、どうですか?
小針 よろこんで!!
一同 (笑)。
井上 いや~、孤高の芸術家ですね。
住吉 ダメですよ~、歌手の皆さんの歌をず~っと見てちゃ!
マイフェイバリット
『夢であいましょう』
連続人形劇『チロリン村とくるみの木』
『ジェスチャー』
※2013年1月掲載座談会に加筆・写真追加
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