巨人監督人事“最大のナゾ”「じつは過去に監督オファー」実現しなかった“2人の名前”…阿部慎之助辞任で崩れた「条件は生え抜きのエースか4番」説を追う

Number Web5/30(土)6:50

巨人監督人事“最大のナゾ”「じつは過去に監督オファー」実現しなかった“2人の名前”…阿部慎之助辞任で崩れた「条件は生え抜きのエースか4番」説を追う

巨人監督人事“最大のナゾ”「じつは過去に監督オファー」実現しなかった“2人の名前”…阿部慎之助辞任で崩れた「条件は生え抜きのエースか4番」説を追う photograph by JIJI PRESS

巨人の監督は生え抜きエースか4番打者しかなれない――その不文律はいつ生まれたのか? 巨人監督人事のナゾを追う。【全2回の1回目】※肩書は全て当時

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 巨人の監督には、生え抜きのエースか4番しかなれない――。そんな不文律は、突然の阿部慎之助監督の逮捕劇で崩れた。5月26日、巨人は橋上秀樹コーチの監督代行就任を発表。ヤクルト、日本ハム、阪神で現役時代を過ごした橋上は、巨人初の“外様監督”となった。

 巨人監督の大半は、入団から引退までジャイアンツでプレー。その多くは藤田元司や堀内恒夫のような「エース」、もしくは長嶋茂雄や王貞治のような「4番」だった。

 そのため、「巨人の監督は生え抜きのエースか4番でなければならない」という説が浸透している。来季の指揮官候補にも原辰徳、松井秀喜、高橋由伸という現役時代の4番が挙げられている。一体、この“不文律”はいつ誕生し、既成事実と化していったのか。謎に迫る。

OB監督比率…巨人だけ「100%」

 そもそも、昭和から現在に至るまで、生え抜きスターの監督就任はどの球団でも望まれているはずだ。そこで、セ・リーグのOB監督比率を球団別に算出してみた。2リーグ分立の1950年から2025年まで、76年間の数字は以下になる(全試合÷OB指揮試合。パーセンテージ横は主なOB監督。現時点の6球団を対象)。

【1950年から2025年までのセ・リーグOB監督比率】 

巨人:100% 川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳
広島:89.3% 古葉竹識、阿南準郎、山本浩二、緒方孝市
阪神:78.7% 藤村富美男、吉田義男、岡田彰布、藤川球児
中日:78.3% 与那嶺要、近藤貞雄、星野仙一、落合博満
ヤクルト:78.3% 武上四郎、若松勉、真中満、高津臣吾
DeNA:31.1% 秋山登、近藤昭仁、田代富雄、三浦大輔

※1 現役時代、該当チームに1年でも所属していればOB
※2 代行監督含む。ただし、試合中の監督退場による代行は除く
※3 ヤクルトは国鉄、サンケイ、アトムズ、DeNAは大洋、大洋松竹、大洋、横浜を経て現在に至る

 同期間の勝率順位は巨人、中日、阪神、広島、ヤクルト、DeNAの順。つまり、OB監督比率と強さはある程度、比例している。どのチームも、基本的にはOBに任せたいが、弱い時は外部からの招聘に走る傾向がある。

「OB監督が増加」他球団の様子

 ヤクルトは84年途中から中西太、土橋正幸、関根潤三、野村克也と15年間も他球団出身の監督が続いた。しかし、野村がリーグ優勝4回でチームの基盤を築くと、以降27年間で外様は高田繁(08〜10年途中)しかいない。

 広島は昭和の頃、根本陸夫など外部招聘をした時期もあったが、75年にルーツ、野崎泰一の後を受けた古葉竹識がリーグ優勝4回で赤ヘル旋風を巻き起こして以降、OB以外の指揮官は2008年のリブジー代行の3試合のみ。平成令和のOB監督比率は99.9%に上る。

 DeNAは断トツでOBの割合が低い。昭和は17.4%。三原脩や別当薫など外様政権が長期に渡るなか、75年に“生え抜きエース”の秋山登が就任。だが、2年間Bクラスに低迷すると、再び外様に任せた。平成もその傾向が続いたが、2016年以降はラミレス、三浦大輔とOBが監督に。この10年でAクラス7回と成績が安定したため、今年の新監督にOBの相川亮二を起用できたのだろう。

 つまり、どの球団も外様監督は応急処置であり、理想は「生え抜き監督」なのだ。そして、巨人という常勝チームはカンフル剤を使う必要がなかった。川上哲治や藤田元司の後釜に、自軍の大スターである長嶋茂雄や王貞治を据えるのは自然な流れであり、昭和の頃は「巨人の監督は生え抜きのエースか4番でなければならない」という説自体がなかったように思われる。

通説から外れた監督…誰にオファー?

 ただ、他球団と比較すれば少ないだけで、巨人も応急処置を要する時はあった。実は、その頃に「生え抜きのエースか4番」という「現在の通説に該当しない者」に監督のオファーをしている。

 1988年、巨人は6月にクロマティ、7月に吉村禎章というクリーンアップがケガで長期離脱を余儀なくされ、オールスター後に中日に首位を明け渡した。すると、王監督の進退問題がメディアを賑わせる。

 優勝の望みが薄くなった8月25日、ナゴヤ球場での中日戦前にフロントの戸田久雄編成本部長、岩本堯一軍担当が、広岡達朗に接触を試みた。すると、その日のうちに情報が漏れ、新聞記者に知れ渡った。若林敏夫広報室長は、著書にこう書いている。

〈顔見知りの親しい担当記者に、「なぜ、広岡氏に監督要請したことが広まったんだ」と聞いた。広報が記者に球団の機密事項を教えてもらうなど、大変にみっともないことだが、事実を知りたかった。

「広岡さんが自分で喋ったんですよ。王監督にも電話を入れたようですし、二、三の関係者に連絡したようです。それが広まったんです」〉(1992年2月発行『巨人軍の最高機密[第Ⅰ部]』リム出版)

 フロントの2人は「もし王監督が辞める場合、監督を引き受ける気はあるのか」という確認をしただけで、正式な要請だったわけではない。ただ、ヤクルト、西武で日本一3回の名将を監督候補に考えていたのは間違いない。広岡はオールスター6回出場の生え抜きショートだったが、4番打者ではなかった。

もう一人…あの名将にもオファー

 その後、王貞治監督に代わって、昭和30年代のエースである藤田元司が再登板。4年間でリーグ優勝2回、日本一1回の成績を残し、93年から長嶋茂雄にバトンタッチした。ミスターは就任2年目に西武を倒して日本一に輝き、4年目には最大11.5ゲーム差を逆転する「メークドラマ」でセ・リーグ制覇。だが、2年連続V逸が確実になった98年秋、監督交代問題が囁かれる。

 この時、巨人は西武を9年間で8回の優勝に導いた森祗晶に触手を伸ばす。一般紙や読売系列のスポーツ報知でさえ、大々的に報道した。

〈巨人新監督に森祇晶氏濃厚、長嶋茂雄氏退任へ〉(1998年9月7日付/毎日新聞夕刊)

〈長嶋監督の退任濃厚 後任に森祇晶氏が浮上〉(1998年9月8日付/朝日新聞)

〈巨人・長嶋茂雄監督 10日に勇退表明へ 後任は森祇晶に要請?〉(1998年9月9日付/スポーツ報知)

 10日には、共同通信が「森監督の内定」「原辰徳や山田久志へコーチ要請」という記事を契約各社に配信。この間、長嶋の続投を支持する世論が渦巻き、ファンは騒然とした。11日夜、森はNHKの取材に「仮に監督就任の要請があっても受ける立場にない」と表明。その後、自宅前に集まった報道陣の質問に答えた。

〈―就任要請を受けないのですか

 森氏 受けないよ。私だって交渉も折衝もないのに、(新聞報道などで)いろいろ言われて。要請があっても受けないと(NHKに)はっきり言っただけ。本人の知らないところで、おかしくなっちゃうよ。簡単明りょうでいいじゃないか〉(1998年9月12日付/日刊スポーツ)

打診の事実を認めていた…

 渡辺恒雄オーナーも翌年発売の著書で、森との接触について否定している。

〈一度も会っていませんよ。今年も去年も全然会ってない〉(1999年1月発行『天運天職』/光文社)

 渡辺は森との会談を設けていないのだろう。しかし、フロントは動いていたようだ。森自身が後年、巨人との交渉を認めている。

〈今だから初めて自分の口から話すけど、98年の秋、水面下で非公式に監督就任の打診があった〉(2024年8月20日配信/スポーツ報知)

 森はV9時代の正捕手だが、4番の経験は6試合(打率.261、0本塁打、7打点)しかない。このように、巨人は現役時代に脇役に徹したOBにもオファーを出しており、決して「生え抜きのエースか4番」に拘っていたわけではない。

 では、なぜ「巨人監督は生え抜きの4番かエース」という不文律が浸透したのか。そのヒントに江川卓の存在があった。

〈つづく/江川卓・星野仙一の“巨人監督”騒動へ〉

文=岡野誠

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