ゲーム好きな大学生が億り人に・Tyunさんインタビュー【前編】

ゲーム好きな大学生が億り人に・Tyunさんインタビュー【前編】

リアル投資家列伝・才能がなくても勝てる!? 「優位性」を生かし30代で資産2億円 Tyun

2018.11.16

ゲームの世界から株式投資の世界へ身を転じる投資家は少なくありません。今回紹介するTyunさんもそんなひとり。ゲーム好きな大学生から億り人へ到達するまでにどんな歩みがあり、ゲーム好きな性格は投資にどんな影響を与えたのでしょうか。自分の投資スタイル選びに迷っている人はぜひ参考にしてください。

麻雀も株式投資も「僕も入れて!」

「最初に疑問に思ったのは小学生の時でした。全面高、全面安って言いますよね。個々の会社の業績や環境は違うのになぜ、一斉に上がったり下がったりするんだろうって」

専業投資家として株式投資で身を立てるTyunさんが、この疑問にぶつかったのは小学生のときだった。早熟な子どもだったのだろうか。

「小さい時からゲームが好きだったんです。麻雀が好きな家庭だったのですが、幼稚園のころから『入れて、入れて!』とせがんでいたそうです。中学生時代には『1ドル80円を割れるかどうか』と賭けをした記憶もあります。そのまま変わらずに大人になってしまいましたね(笑)」

経済に関心を持ったきっかけは祖父にあった。

「新聞を読みながら『あの株が上がった』『下がったか……』と一喜一憂する祖父でした。株価欄を見る祖父の様子はとても楽しそうだった。ゲームをやっているように見えていたのかもしれません。『そんなに楽しいなら僕も!』と、株価欄に自然と目を通すようになりました」

長じても「入れて、入れて!」のマインドは変わらなかった。ひとりで遊ぶゲームより誰かと一緒に遊ぶゲームのほうが好みだったし、高校、大学時代に熱中したゲームも1人でプレイするものではなかった。

運命を変えたゲームタイトル

Tyunさんは1980年代生まれ。高校に入るころにはインターネットが猛烈に普及し始めていた。

「インターネットの登場で知らない人とゲームできるようになりました。あのころ熱心にやっていたのは『エイジ オブ エンパイア』というオンラインゲーム。相手との駆け引きが楽しくて、ハマっていました」

このゲームのジャンルは「リアルタイムストラテジー」。刻々と変わる状況に合わせて行動していくシミュレーションゲームであり、ライバルとなるのはインターネットを通じてつながった世界のプレイヤーだ。

「そこで知り合った仲間とリアルで会ったり、ゲーム以外の話もするようになりました。そこで聞かされたんです、『あのゲームをやっている人の中に株で1億円を稼いだスゴい人がいるらしい』と」

株をやっている人なら誰もが知る有名トレーダーが、たまたま同じゲーム内にいた。

「調べてみると運で勝っているわけではなく、勝てる仕組みを築き、勝つべくして勝っていることがわかりました。やり方次第では自分も勝てるのではないかと」

「入れて、入れて!」とTyunさんも100万円を片手に株式投資に乗り出した。

「最初はデイトレードでしたが、数日で20万円以上が溶けてしまった。おかしい、何かが違うと思って考え方を変えました。1日ではなく数ヵ月間持てるような銘柄、それだけ伸びている会社はないか――そんなふうに考え方を変えたんです」

絶頂からどん底の引きこもり生活へ

当時はまだ大学生。アルバイトをしながらの株式投資だったことが、銘柄選定のヒントとなった。

「当時の仕事先は家電量販店のパソコン売り場。メーカーから派遣されて、さまざまな電気店へ販売応援に行くんです。ケーズデンキやコジマ、ヤマダ電機――。いろんなお店に派遣される中、勢いが違うように感じられたのが ヤマダ電機 でした。競合店と比べ人件費が高いわけではないのに社員はよく働くし、メーカーや仕入先の人との交渉もシビア。この会社は急成長するはずだ、と感じました」

05/29 15:30

500 550 600 650 700 2/4 3/13 4/20 5/29

ヤマダHD

一株あたり
¥ 624.5
+10.0
  • 9831
  • 東証プライム
  • 27年3月決算
  • 配当

販売の現場で得た実感をもとに買ったヤマダ電機の株は短期間で2倍へ上昇した。

「追加入金し投資総額は300万円ほどだったと思います。それが1年弱で約1000万円になった。本当にたまたまです。地合いがよかったおかげだと思います」

デイトレードから始まったTyunさんの投資は、企業の中長期的な成長に期待するスタイルへと転換するかと思いきや、2006年1月の出来事により再び進路を転じることになる。

「そこで起きたのがライブドアショック。300万円ほどの損失を被ってしまいました」

大学生にとって300万円は大きい。とても授業どころではなく、自宅に引きこもる日が続いた。

「敗因は欲に駆られたこと。日経ジャスダック平均が18連騰を記録したり、新興市場全般が堅調だったので新興市場の銘柄でポートフォリオを固めておけば負けないだろう、と甘く見ていました。実際、『寝ているだけで、朝起きたらお金が増えている』という状態だったのですが、ライブドアショックでドーンと来ちゃいました。持ち株の大半が寄りませんでした」

保有期間を短くし市況の影響を避ける

売りが殺到し値がつかないほどの急落。資産もメンタルも傷を追ったTyunさんだったが、転んだままではいなかった。起き上がるヒントとなったのは、先輩トレーダーの収益曲線だ。

「当時は今のようにSNSが発達していませんでしたが、何人か上手な投資家が掲示板に収支のグラフを公開してくれていました。それを眺めていると、勝っている人でも資産のブレが大きい人もいれば安定した人もいる。いろんなタイプの人がいる中で目を引いたのは、毎週プラスにしている人でした。自分もこうやって安定して勝てれば精神的にも楽だろう、と」

めざすスタイルが決まると、次に模索したのが目標を達成するための方法論だった。

「どうしたら毎週勝てるのかと、いろいろ試行錯誤した結果、『ポジションを持っている時間を短くすればいい』という結論に至りました。保有時間が短ければ、ショックが来ても荒波を受けづらくなるし、全体の地合いにかかわらず安定して稼ぐことができるんじゃないかと」

株を始めてから1年、追い風もショックも経験した上でのデイトレード回帰だった。

「ライブドアショックが1月17日。1月中には発想を転換し、スタイルも転換していました」

株式市場ではショックでの下落が大きかった分、リバウンドも大きかった。急落からの戻りを狙ったTyunさんは300万円の損失を1ヵ月ほどで取り返す。

「自分のスタイルはこれだと確信し、大学を辞めて専業トレーダーになることを決意していました」

身内からは猛烈な反対にあいながらもデイトレーダーへと道を定めたTyunさん。日本株市場ではライブドアショック以降もリーマン・ショックや東日本大震災などの逆風が続いたが、ショック耐性を強めたTyunさんは物ともせずに利益を積み重ねていく。

牡牛(英語でブル)の置物。買い(証券用語でブル)の場面では、牛を写真のように起こしておくそう

億り人から1日で転げ落ちる

「嬉しかったのは2008年に『週次無敗』を達成できたこと。リーマン・ショックで日経平均が7000円を割り込む荒れた相場だったのですが、それでも週次では負けることがなかった。あれはすごく嬉しかったですね」

目標に定めたスタイルへの到達だった。さらに4年後、1億円の節目へと到達する。

「ところが、1億円を達成した翌日、500万円ほど負けてしまった。1日だけの億り人です(笑)」

大台へ達したと思った瞬間の転落がメンタルに影響を与えたのか、億を回復するのに半年を要した。

「べつに9000万円も1億円も変わらないんですが、余計な力が入っちゃいましたね」

ライブドアショックをきっかけにして覚醒したTyunさんの資産は現在、2億円へと達した。急落に強いスタイルは今も変わらない。

「先日、ダウ平均が1000ドル近く下げました。あんな日の翌日は日本株市場も荒れやすいので、トレードに力が入ります。普段だと1日の売買代金は3億円程度ですが、荒れた日だと10億円を超えることもあります」

億り人になって変わったこと

億り人となって生活に変化はあったのだろうか。

「さほど変わっていません。大学生の頃から変わったのは……部屋ですね。だんだん広く、家賃の高い部屋になっています。でも結局使うのはトレードルームだけ。投資家特有じゃないですかね(笑)」

Tyunさんが居を構えるのは、都内有数の繁華街にほど近いマンションだ。住まい選びにはヤマダ電機の成功体験以降、大切にしている「自分の実感に正直に」の教訓が関係している。

「インバウンド需要が盛り上がった時には、ドラッグストアに中国人が殺到する様子を目の当たりにしました。また最近は中国人の団体客や爆買いを見かけなくなった。するとインバウンド需要を取り込んで上昇していた 資生堂ポーラ・オルビスホールディングス などの調整が目立つようになりました。『あのステーキ屋、いつも並んでいるな』と思ったら ペッパーフードサービス の株価が急騰しましたし、そういう自分の気付きを大事にしたいので、なるべく都心の近くに住んでいるんです」

05/29 15:30

2,500 2,775 3,050 3,325 3,600 2/4 3/13 4/20 5/29

資生堂

一株あたり
¥ 2,810.5
+109.5
  • 4911
  • 東証プライム
  • 26年12月決算
  • 配当

05/29 15:30

1,200 1,275 1,350 1,425 1,500 2/4 3/13 4/20 5/29

ポーラオルHD

一株あたり
¥ 1,288.5
+13.5
  • 4927
  • 東証プライム
  • 26年12月決算
  • 配当

05/29 15:30

100 125 150 175 200 2/4 3/13 4/20 5/29

ペッパー

一株あたり
¥ 188
-2
  • 3053
  • 東証スタンダード
  • 26年12月決算

普段の暮らしの中で有望な銘柄や投資のヒントを探す目線を取り入れてみると、ポケモンを探すゲームのような感覚で株式投資を楽しめそうだ。

初任給18万円でやりくりしていたときの感覚がいまでもある【前編】

初任給18万円でやりくりしていたときの感覚がいまでもある【前編】

お金を語るのはカッコいい・古田敦也さんに聞くお金と野球と仕事の話 古田 敦也

2018.11.15

現役時代はヤクルトスワローズ一筋で、最終的には選手兼監督を務めた伝説的な野球選手である古田敦也さん。眼鏡をかけた知的なキャッチャーの活躍は、野球選手に対する印象を変えました。そんな古田さんは大学生活や会社員としてのご経験もあり、現在も野球解説を中心にさまざまなフィールドでご活躍されています。今回は古田さんに、ずばり投資について聞いてみました。「自分のお金については、勉強して、自分で管理しないといけない」と語る古田さんの金銭感覚とは。

ぶらっと銀行の窓口に行って、投資を始めた

−−古田さんは元々は野球がご専門でいらっしゃいますが、じつはお金の運用もしっかりされているとおうかがいしました。今回は投資情報メディアであるFROGGYらしく、お金という切り口でもお話をうかがっていきます。いつ頃から投資を始められたのでしょうか。

1997年あたりからですね。それまでは預金しかしていませんでした。1980年代後半から1990年代初頭は、銀行に預けているだけで、年間数%の利息がつきましたよね。1億円あれば、将来は利子で暮らせると言われていた時代です。

でも1995年くらいから、金利がほとんどつかなくなって、預けるだけじゃ価値が目減りしていくようになりました。そこで僕も何かしなきゃと思い、青山にできた外資系銀行の支店にふらっと入ったんです。

−−普通のお客さんとして、ですか?

そうそう。普通に整理券とって、「◯番の方どうぞ」と言われて窓口に行きました(笑)。窓口の担当の方はびっくりしてましたけどね。

−−お知り合いのつてをたどれば、ファンドマネージャーなど、金融関係の人が何人も見つかりそうですが……。

そう、みんなまず人を紹介してもらおうとしますよね。でも、知り合いのつながりで探すのはめんどうですし、人に頼んだら、その人にまず挨拶して……といくつかステップを踏まないといけないでしょう。だったら、自分の足で店舗に行っちゃったほうが早いなと。

それで、まず、「いくらもってきたらいいですか?」と聞きました。顧客として扱ってもらうための金額相場がわからなかったんですよ。何も知らないから、勉強を兼ねてイチから聞いてみようと。けっきょく言われた額の倍を振り込んで、投資信託を始めました。

−−株式投資ではなかったんですね。

銀行だったので、株は取り扱ってなかったんです。あと、当時はまだ現役だったので、個別の企業の株に手を出したくはないなと思っていて。

−−どういうことでしょう?

自分の性格からして、株をやり始めたら値動きがすごく気になるだろうなと思ったんです。でも株価を気にしながら野球したくないじゃないですか(笑)。今みたいに、スマホで確認できるならまだしも、当時は調べないと株価はわからないし。

投資信託なら頻繁に売り買いしなくていいし、基本的にファンドマネージャーにお任せできるのでいいなと思いました。もちろん、ずっと放置していたらダメですけど。

−−その投資信託は、結果的に成功しましたか?

今につながるという意味では、そうですね。そもそも、「今ある資産を倍にしてやろう!」という野心をもって始めたわけではないんですよ(笑)。投資もアクティブに運用するものは一部と決めていますし、減らなかったらいいな、というくらいの感覚です。

それよりも、投資について詳しくなれたことが一番の成果でしたね。これは、やってみないとわからなかったと思います。そのあたりから、日経新聞や雑誌『FACTA』なども定期的に読み始めました。内容をすぐ運用に反映させることはないですが、野球やスポーツとは違う分野の読み物として楽しんでいます。未知の分野について知るのは、おもしろいですよね。

一般的な金銭感覚を育ててくれた、トヨタ社員時代

−−プロ野球選手は、契約金があったり、年俸制で通常のビジネスマンとは1、2ケタ違うお金が入ってきたりする職業です。お金の使い方を間違えて、引退後に困窮する人もいると聞きます。古田さんは、どうやってバランス感覚を保つことができたんでしょうか?

やはり、社会人を2年間やっていたのが大きいと思います。お金についてはコンサバティブな考えが身についていたんです。だって、社会人時代の初任給は18万円で、社会保険などいろいろ引いたら手取り13万円だったんですよ。それで1ヵ月どうやりくりするか考えなければいけなかった。その時の感覚がいまだにありますね。

−−一般的な金銭感覚がそこで身についたんですね。社会人のときは、どういうお仕事をされていたんですか?

トヨタ自動車では、工場の事務方の仕事をしていました。実際やっていたのは事務ですが、自動車ができる工程を知れたことは、すごくためになりましたね。当時の工場では、鉄板1枚から2キロくらいのラインを経て、1台の車ができる過程を見ることができたんです。

1つの製品を作るのには、多くの人間が関わっていて、その人達の誰が欠けても車はできあがらない。できあがったあとは、販売会社の人が売ってくれないと、お客様の手元には届かない。会社も利益が上がらない。社会の縮図というと大げさですが、経済の成り立ちみたいなものを肌で感じることができました。

車も家も、ほどほどでいいと思っていた

−−古田さんは、いわゆるスポーツ選手という感じがしない、現役当時からビジネスマンのような雰囲気を持ち合わせている稀有な存在でした。会社員としての経験から、お金を含めたバランス感覚が身についたのかもしれませんね。

僕はプロになったのが25歳になる年だったんですよ。これはプロ野球選手としてはだいぶ遅いほうです。高校卒業してすぐ、18歳くらいでプロになっていたら、野球界にどっぷり浸かっていたかもしれません。

しかも20代半ばでプロになったということは、現役生活が短いということです。けっきょく42歳まで、つまり17年くらいやりましたが、入団当時は長くて10年かなと思っていました。その10年で一生分稼がないと、という気持ちはありましたね。しかも、数年で肩を故障したり、クビになったりする可能性もある。年俸が高いからといって、安心はできませんでした。

−−そうすると、収入を一気に使うわけにはいきませんね。例えば、何千万もする海外のスポーツカーを買ったりとか。

スポーツカーを買いたいという欲はありませんでしたね。車はトヨタと決めていたので(笑)。辞めてもトヨタのことが好きだったんです。もちろん安全性とか、いろいろ考えて、トヨタの中では高級なほうの車に乗るようにしていましたが、それでも1千万円もしません。

あと人生の中での大きな支出としては、家でしょうか。結婚したタイミングで家は買いましたが、豪邸がほしいというのもありませんでした。

−−結婚してからご夫婦でのお金の管理はどうされていますか?

うちは仕事の収入もそれぞれ別々に管理しています。今も、妻は僕がどのくらいの資産を持っているか知らないんじゃないかな。どうしても知りたかったら、送付されてくる僕の口座の運用結果の通知をこっそり全部見て金額を足せばわかりますけど、そこまでしていないはずです(笑)。光熱費や食費などの生活費は僕が払っています。たぶん、不満はないんじゃないかと思いますよ(笑)。

−−野球選手同士で、資産の運用について話すことはありますか?

聞かれたら答えます。そして、僕は投資などをやってそうな人の筆頭ですから、よく聞かれます(笑)。多額の収入がある野球選手でも、銀行に預けっぱなしだったり、親が管理しているという場合もあります。

それは個人の自由なんですけど、僕は自分の金は自分で管理せなあかん、と強く思っていました。

別に、運用して儲けなくてもいいんです。でも、管理はしないといけない。それなら、やはり資産運用に詳しくならないといけないですよね。自分のお金のことは、自分が一番知っていないと。だから、日々勉強ですね。

古田敦也さんのサイン色紙を抽選で3名様にプレゼントいたします。
ご希望の方は、FROGGYのTwitterアカウント(@froggysmbcnikko)をフォローのうえこちらの投稿をリツイートして応募してください!
応募期間は11月15日~12月5日です!

※応募にあたってはFROGGY SNS利用規約をご確認の上、ご応募ください。

こちらのプレゼントは終了いたしました
芸人・ヒロシはビジネスで成功していた。ネガティブに「好きなことだけやる」仕事論

芸人・ヒロシはビジネスで成功していた。ネガティブに「好きなことだけやる」仕事論

新R25よりおすすめの記事をご紹介 新R25編集部

2018.11.15

記事提供:新R25

「ヒロシです……」

2000年代、『エンタの神様』などでブレイクしたお笑い芸人、ヒロシさん

少し前には日めくりカレンダー『まいにち、ネガティブ。』も話題になりましたが、現在の活動状況を調べてみると、実は彼がYouTubeで配信する「ソロキャンプ動画」がジワジワと支持を集めているらしい! ほかにも、執筆活動や事務所・店舗経営など、幅広くビジネスを展開していることが判明。

一度“消えた”男は、現在どのような価値観で仕事をしているのか? 『新R25』編集部がヒロシさんを直撃してきました!

「ソロキャンプ動画」が平均10万再生! 新境地を見つけたヒロシ

おなじみのホスト風スーツではなく、チェックのシャツで登場したヒロシさん。

【ヒロシ(ひろし)】熊本県出身、1972年生まれ。「ヒロシです。」で一世を風靡したお笑い芸人。ヒロシ・コーポレーション代表。これまでに8作の著書がある文筆家でもある。10万部を超える大ヒットとなった日めくり『まいにち、ネガティブ。』も話題

編集部・N

本日はよろしくお願いします。

ヒロシさん

はい……

編集部・N

リアルにテンション低いんですね。そんなヒロシさんがアウトドア派だなんて意外です。
一体なぜ「ソロキャンプ動画」をYouTubeにアップしているんですか?

ヒロシさん

キャンプは子どものころから好きで、ブルーシートでテントみたいなものをつくったりしていました。
キャンプってみんなでワイワイするイメージですが、「ソロキャンプ」だと自分ひとりで、好きなときに好きな場所へ行ける。人に合わせなくていいから、僕の性分には合っているんです。無理をする必要がない。
ただ、ソロキャンプが趣味だと言っていたら、周りにも“ソロ派”の人が結構いることがわかって。それで動画をアップするようになったんです。
最近はそんな仲間と同じ場所に行って、それぞれがソロキャンプをする……みたいなこともやってます。

編集部・N

それ、一緒に行く意味あるんでしょうか?(笑)


出典Youtube
『ヒロシちゃんねる』にアップされている動画は、BGMも会話もほとんどなく、ヒロシさんのソロキャンプの様子がひたすら映されているだけなのに引き込まれる……。不思議な動画だ

編集部・N

ソロキャンプ動画ってかなりマニアックな気もしますが、実際にどれくらい見られているんでしょうか?

ヒロシさん

自分でも不思議ですが、多いもので約15万回、平均でも10万回ぐらいは再生されています。

編集部・N

そんなに!! 意外とニーズがあるんですね……
ちなみに、動画は自分で撮影を?

ヒロシさん

ソロなんで、当然そうです。機械が得意じゃないので、撮影も編集も細かいことはできないんですが……
あと、僕は芸風のとおり基本的に暗い人間なんで、「ハイ! というわけで今日のソロキャンプは……」みたいなテンションも無理なんですよね。
それでも好きなキャンプの魅力を伝えたい、と考えて行き着いたのがこのスタイルなんです。

編集部・N

それが逆にいいのかもしれません。コメントを見ていると「自然体でいい」「癒される」などのコメントがありますし。
ところで、この動画でけっこう稼げているんでしょうか?

ヒロシさん

予想外に利益につながってますね。広告収入のほかイベント出演の依頼、雑誌の取材、ラジオやテレビなどにキャンパーとして呼ばれるようになりました。
誰にでも当てはまるのかは分かりませんが、好きなことは情熱を注げるので結果としてうまくいっている気がしますね。

ソロキャンプの話をするヒロシさんの目は、まるで少年のようでした

ヒロシが成功した理由は「気持ちよくできない仕事をやめた」こと

編集部・N

ヒロシさんは現在、ソロキャンプ以外にもさまざまな活動をされてるんですよね?

ヒロシさん

事務所経営、店舗経営、YouTubeチャンネル運営、タレント業、執筆業……。今日取材に来ていただいたこちらのカラオケ喫茶「ヒロシのお店」は、2015年にオープンして今年で3年目。近々改装も予定しています。

経営するこちらのお店は事務所も兼ねているそう

編集部・N

それだけ多岐にビジネスを展開するとなると、たくさんの人を巻き込む必要がありますよね。
こう言っては失礼ですが、ヒロシさんにはあまりそういうイメージがないというか……

ヒロシさん

僕は人付き合いが苦手ですが、仕事をやっていくうえでは避けられません。とはいえ、自分の利益にならない人や会社は極力避けていきたいと考えています。
僕の考える“利益”とは金銭面だけではなく、気持ちよく仕事ができることも含みます

編集部・N

気持ちよく仕事ができること=利益。なるほど。

ヒロシさん

それが“無理をしない”ということです。

編集部・N

誰でも無理をしないで仕事をしていくことは可能だと思いますか?

ヒロシさん

社会人である以上、やはり無理しなければいけない場面はあるかと思います。
でもどうしても苦しくなったら、「この無理をしなかったら最悪こうなる」という状況を想像して天秤にかける。そして、「それでもかまわない」という覚悟ができたら無理を放棄すればいいんです

編集部・N

なるほど。ちなみに、過去にヒロシさんが無理を放棄したのはどんなときですか?

ヒロシさん

僕は短い期間ですが、会社勤めをしていた時期がありました。
そのときに、このまま無理を続けることと子どものころからの夢だったお笑い芸人にチャレンジすることを天秤にかけ、出した結論が1度目の無理の放棄です。
2度目はお笑い芸人としてテレビの露出を控えたとき。
無理をして上の人に気に入られたり、やりたくもないことをやったりするくらいなら、無理せず好きなことを自分のペースでやっていきたいと思ったんです。

辛い時期の話題になると、やはりこの表情……

編集部・N

その結果が現在の成功につながっているんですかね?

ヒロシさん

ソロキャンプの動画配信は、自分が好きなことの魅力を伝えたいと思って始めたらいつの間にか収益になりました
事務所経営は増えてきた仕事のために必要になったという感じ。このお店は事務所を兼ねているので、あくまでもカラオケや飲食はサブですね。無理して稼いでる、というわけではないです。

編集部・N

好きなことを軸にビジネスを広げて、気持ちよく仕事ができている状態なんですね。

ネガティブマインドでもいい? ヒロシ流「後ろ向きに頑張る方法」

編集部・N

仕事の世界では「ポジティブに頑張る」ことを求められることが多いですが、ヒロシさんのようにネガティブマインドで成功している人は珍しいと思います。

ヒロシさん

ネガティブをマネタイズしているのは僕くらいなんですかね?
ただ、ネガティブは「慎重」「冷静」とも言えるので、「自分はネガティブだから」と思っている人は「慎重で冷静に仕事ができる」と自信を持ってほしいです。
でもまぁ、ポジティブなほうが得することは多いかもしれませんけど。

編集部・N

新R25の読者層のど真ん中は「25歳」という設定ですが、最後にヒロシさんが彼らに言ってあげたいことはありますか?

ヒロシさん

25歳かぁ。僕はいま46歳なので、21歳差ですね……
人間って能力や財力の差はあるけれど、時間だけは平等。いまの25歳が僕の年齢になるまでには、まだ21年分の“財産”があるわけです。
時間という貴重な財産があるのだから、やりたいことをやってほしいと思います。

「できることなら25歳に戻って、やり直したい……」本音がポロリ

ヒロシさん

今がうまくいっていなくて、どうしよう、何をしよう……そう考えて悶々としているくらいなら、とにかく動くこと
こんなにネガティブな僕だって、25歳に戻れるならもっと行動してがんばれますもん

編集部・N

(ヒロシさんのポジティブ発言は貴重!)

インタビューを終えたころには「ヒロシです。」のイメージはすっかり消え、好きなことをコツコツと仕事にしてきたビジネスマンという印象に。

ブレイクから“消えた”……のではなく、数々の経験を経て「自分らしい生き方」にたどり着いたヒロシさんからは、R25世代の励みになるコトバがたくさん聞けました。

<取材・文=新R25編集部/撮影=オカダマコト>