沖縄県名護市辺野古沖で小型船が転覆し、京都の同志社国際高の生徒と船長が死亡した事故の波紋がさらに広がった。文部科学省が1947年の教育基本法制定以来、前例のない判断をしたからだ。

 米軍普天間飛行場の移設工事に抗議活動をする市民団体の船に、研修旅行の生徒たちを乗せたことは学校の政治的活動を禁じる同法14条に反する―。それが文科省の出した見解である。安全管理の不適切さとともに、同校を運営する学校法人を指導した。

 事故の要因となった安全対策のずさんさは当然、非難されるべきだ。市民団体に加えて学校の責任は免れない。事前に現地を下見せず、教職員は同乗しなかった。ライフジャケット着用など事前の指導も欠如していた。命を守る原点を置き去りにした安全軽視の姿勢が文科省の報告書からも浮き彫りになった。

 ただ安全確保の視点と、何を学習するかは本来、異なる次元の話のはずだ。

 文科省の判断は、沖縄の基地反対運動をよく思わない自民党保守派の批判も踏まえたとする見方もある。だとすれば、それ自体が教育基本法の趣旨に反した政治介入ではないか。学習内容の何をもって「政治的中立」か否かと見る目安は明確ではなく、今回は行き過ぎのように思える。

 文科省は同志社国際高の辺野古学習を「特定の見方・考え方に偏った」と見なした。対立する問題なのに、さまざまな見解が提示されていなかった、と。沖縄県などが基地移設に反対する中でも、埋め立てを進める政府の安全保障政策の方もしっかり教えよ、と言いたいのだろう。

 18歳選挙権の導入で主権者教育の重要性が叫ばれて久しい。教育現場は現実の政治問題も避けては通れない。何であれ時の政権の方針に対する異論を封じる発想なら困る。まして私学には公立学校とは別の柔軟さがあっていい。

 今後、全国の学校を対象に教育活動の実施状況が調査されるという。懸念されるのは修学旅行をはじめ各地の平和学習の萎縮を招くことだ。

 広島と長崎での証言活動にも深く関わってくる。被爆者が体験を語り伝えた上で、自らの信念として平和憲法の護持や防衛政策への批判などを口にしてもおかしくはない。過去には長崎で修学旅行生への政治的発言の自粛を促し、問題化したことがあった。

 こんな場面も思い浮かべてしまう。平和学習で被爆地を訪れた生徒たちを前に、政府が固執する核抑止力への依存を批判する。仮に非核三原則見直しが具体化した場合、守ろうと訴える。これらも「中立性を欠く」として時の政権の方針を教えるよう指導される日が来るのだろうか。この問題はそれだけ根が深い。