優生保護法(1948~96年)が生まれた背景には、戦後復興が叫ばれた時期に「優良な民族形成」をうたい、同時に600万人といわれる外地からの引き揚げに伴う人口爆発に対処しようとする政策があった。

 「すでに(国民)優生法が設けられているが、斯様(かよう)な生ぬるいものを以(も)てしては到底わが国民の優化、民族形質の向上は期せられない」

 敗戦の翌年、厚生相だった京都府福知山市出身の芦田均は医療誌への寄稿でこのように訴えた。芦田が首相在任中の48年に優生保護法は成立し、「不良な子孫の