適合根澄
東北の山の中にある村を訪れた。
その村の特徴を書き記するのは難しい。どこにでもある村だ。頑張って書き記せば、斜面が多いために田んぼはなく、畑が中心で、家々は雪を避けるために、銀白色になった板が一階部分に貼り付けてある。板の代わりにトタンの家も少なくはない、ということになる。
村の中心には川が流れていた。
川幅は狭いけれど、地図を見ると日本海に流れ込む頃には、うんざりするほど歩かなければ、対岸にたどり着かない幅になっていた。もちろん水質も悪くなるはずだけれど、この村では無色透明な美しい水が流れていた。
なぜこの村に来たのか、と問われれば理由は特にない。車を適当に走らせた結果だ。朝ホテルを出て、チェーン店が立ち並ぶ国道を走り抜け、道幅が狭くなり、やがて山道となり、一車線なのか、二車線なのか判断が難しくなるような峠道になり、その先にこの村があった。
村にはひとつだけ信号機があった。
別に必要とはしない信号機だ。すれ違う車は少なく、人はまばら。おそらく子供に信号機の存在を教えるために設置したものだろう。僕の運転する車は赤信号で停まることになったけれど、車は通らず、横断歩道を渡る人もいなかった。
暇だったので、信号機の横にある地名の看板を見た。「健身」と書かれていた。「けんしん」と読むそうだ。あまり聞かない地名だったし、この後の予定もないので、村にある「資料館」に行くことに決めた。適当な旅なのだ。
その道中で歩いている村人を見た。
十分にお年を召していたけれど、背筋がピンと伸び、また痩せ型の人たちだった。その後もすれ違う人を注意深かく観察したけれど、全員が痩せていた。スポーツブランドの服を着ている人が多いように感じた。
資料館は廃校となった小学校を利用したものだった。木造の小学校で、廊下は歩く度にギシギシと鳴った。展示室となっている教室の引き戸は建て付けが悪いのか、開けるのに手間取った。
引き戸を開けて驚いた。
今まで見たことのない展示物だった。このような資料館の展示物にはお決まりがある。縄文時代に人が住んでいる地域だったら、土器やヤジリから始まり、やがて村の名士の紹介に移り、昭和初期までの家庭で使う道具の展示となる。
しかし、この資料館は異なった。
木で作られた健康器具だった。木で作られた「ウォーキングマシーン」、木で作られた「エアロバイク」、木で作られた「クロストレーナー」、丸太を利用した「筋膜ローラー」など。今までに体験したことのない世界観だった。でも、実際に僕の前に木で作られた健康器具が並んでいた。
それぞれの展示物の横には小さなキャプションがあり、たとえば木で作られたウォーキングマシーンならば、「木製魚王機」と書かれ、その下には「1656年」と続いた。ちょっとしたパニックだった。どこにも「歩く」とは書かれていないけれど、形は完全にウォーキングマシーン。正式には「木製魚王機」。しかも時代は江戸時代初期。パニックだった。
次の部屋に入ると答えがわかった。
パネル展示になっていて、大きく「フィットネス発祥の地」と書かれたいた。解説文を読むと、江戸時代初期に村にフィットネスクラブができた。開設したのはこの村の有力者である「適合根澄」氏が、村民の健康を考えて自宅の蔵の改築して始めたそうだ。
適合根澄氏は器用な人だったようで、先ほど見たようなマシーンを開発した。雪国でもあるため冬場の運動不足を解消するのが目的だったそうだ。たとえば「木製魚王機」は、川で魚が流れを受けて泳ぐことで、前にも後ろにも進まないことにヒントを得て、さらに健康の王になって欲しいと作ったため「木製魚王機」と名付けられたそうだ。
確かに歩いているけれど、その場に留まることができるのが「ウォーキングマシーン」だ。魚がヒントだから魚という字が使われたのだろう。このマシーンを皮切りに、先に紹介したような健康器具を適合根澄氏は発明していく。
「野場振良道(のばぶらすと)」と呼ばれる、草鞋の展示もあった。底面にミヤマベニイグチというスポンジのようなキノコを貼り付け、クッション性を持たせていた。ランニングの際に当時のこの村の人々は履いていたそうだ。
異性界に迷い込んだように感じた。
最近はどこの街にもフィットネスクラブがあるし、健康のために体を動かすことを心がける人が多いと思うけれど、それが江戸時代初期から始まっていたことに驚いた。資料館の最後には「現在のフィットスネはこの村の適合根澄から名付けられたものです」とあった。
適合根澄。
「適合」は「フィット」と読むらしい。てっきりフィットネスは海外の言葉だと思っていたけれど、日本の、しかも人名に由来するとは驚きだった。世界は広いと言うけれど、日本も広いと再認識した。



コメント