むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行く――予定でした。
「今日は山じゅうの芝を刈りつくしてやるわい。わしの鎌さばきを見たら、山の神も腰を抜かすじゃろう」
「まあ、戦略的休憩じゃな。いきなり刈るのは素人。まず山にこちらの本気を見せつける」
そのまま昼寝をしました。
一方、おばあさんは川へ向かいながら言いました。
「今日は村じゅうの洗濯物を白雲のように洗い上げてみせますよ。川の水も、わたしの手際に感動して逆流するかもしれませんねえ」
「あらまあ、川が流れている。これは洗濯物も自然にきれいになる予感がしますねえ」
そう言って、洗濯物を川に浮かべました。
洗濯物はすぐ流れていきました。
おばあさんが自分に言い聞かせていると、川上から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこ、と流れてきました。
「まあ、大きな桃。これは持ち帰って、村じゅうに自慢できますねえ。わたしほどになると、洗濯に来ただけで桃が寄ってくるんですよ」
おばあさんは桃をつかもうとしました。
一度目、すべりました。
二度目、腰をひねりました。
三度目、桃のほうから浅瀬に引っかかりました。
おばあさんは胸を張って桃を持ち帰りました。
家では、おじいさんが先に戻っていました。手ぶらでした。
「山の芝はどうしました?」
「今日はあえて刈らなんだ。山も命あるもの。わしほどの男になると、刈らずして勝つ」
「なるほど、では夕飯も食べずして満腹になってくださいな」
「それは話が別じゃ」
おばあさんが桃を見せると、おじいさんは目を丸くしました。
「こりゃ大きい。わしが割れば、中から金銀財宝でも出るじゃろう。なにせわしの包丁さばきは村一番」
おじいさんは包丁を握りました。
そして桃の前で、じっとしました。
「どうしました?」
「いや、こういう大物は切る角度が大事でな」
「早くしてくださいな」
「急かすでない。桃との対話中じゃ」
「おぎゃあ!」
おじいさんは包丁を落とし、おばあさんは尻もちをつきました。
赤ん坊は泣きながら、すでにどこか偉そうでした。
「おぎゃあ! おぎゃあ! 将来、鬼を退治する! おぎゃあ!」
おじいさんとおばあさんは顔を見合わせました。
こうして桃太郎は、すくすく育ちました。
ただし、口ばかりが。
桃太郎は小さいころから、何かにつけて大きなことを言いました。
「おじいさん、この薪割り、ぼくに任せてください。一振りで山を二つにしてみせます」
そう言って斧を持ちましたが、重くて持ち上がらず、足の上に落としそうになりました。
「今日は薪を油断させただけです」
「おばあさん、畑仕事はぼくがやります。一日で米も麦も瓜も大根も収穫して、ついでに村おこしまでしてみせます」
しかし畑に出ると、土の上に座って言いました。
昼には帰ってきました。
そんな桃太郎が十五になったころ、村に恐ろしい知らせが届きました。
鬼ヶ島の鬼たちが、村々を襲い、宝を奪い、乱暴を働いているというのです。
村人たちは震え上がりました。
すると桃太郎は、待ってましたとばかりに立ち上がりました。
「ついに来たか」
おじいさんが言いました。
「何がじゃ?」
「ぼくの時代です」
桃太郎は腕を組み、家の柱にもたれました。
「鬼ヶ島など、ぼくが行けば一瞬です。鬼どもはぼくの名前を聞いただけで泣いて謝るでしょう。いや、謝る前に反省文を書き始めるかもしれません」
「でも桃太郎や、本当に行けるのですか?」
「もちろんです。鬼退治とは、つまり気迫です。剣など飾り。大事なのは存在感です」
「では、刀はいらないのですね?」
「いえ、見た目のために必要です」
「鎧は?」
「きびだんごは?」
桃太郎は腰に刀を差し、袋いっぱいのきびだんごを持ち、家の前で堂々と宣言しました。
「では行ってきます。鬼ヶ島を更地にして、明日の朝には帰ります」
おじいさんが言いました。
「道はわかるのか?」
桃太郎は少し黙りました。
「……鬼の気配をたどります」
「地図を持っていきなさい」
しばらく行くと、犬が現れました。
「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたきびだんごを一つくださいな。おともしますから」
犬はそう言って胸を張りました。
「お前、戦えるのか?」
「もちろんです。鬼など、わんと吠えれば震え上がります。わたしの吠え声は山三つ向こうまで届き、鳥は落ち、魚は浮き、敵は履歴書を書き直します」
「よし、頼もしい」
犬は食べました。
「では、まず吠えてみろ」
「今は喉を温存します」
「なるほど、戦略的だ」
二人は進みました。
次に猿が現れました。
「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたきびだんごを一つくださいな。おともしますから」
桃太郎はたずねました。
「お前は何ができる?」
猿は尻尾をぴんと立てました。
「木登り、偵察、奇襲、変装、心理戦、全部できます。鬼ヶ島の城壁など、わたしがひょいと登って、内側から門を開け、ついでに鬼の台所で味噌汁の味も直してみせます」
「すごいな。ではあの木に登ってみろ」
猿は木を見上げました。
「風は吹いてないぞ」
「だからこそ悪い。無風は猿にとって逆風です」
「深いな」
さらに進むと、雉が飛んできました。
「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたきびだんごを一つくださいな。おともしますから」
桃太郎は言いました。
「お前は空から攻められるのか?」
雉は翼を大きく広げました。
「もちろん。わたしがひとたび舞い上がれば、太陽は目を細め、雲は道をあけ、鬼どもは上を見るだけで首を痛めます。空中戦なら任せなさい」
「では、少し飛んでみろ」
雉は地面をつつきました。
「今は腹ごしらえの時間です」
「食べたら飛べるのか?」
「満腹だと重いので飛びません」
「では空腹なら?」
「力が出ないので飛びません」
桃太郎はうなずきました。
「繊細な戦士だ」
桃太郎が言いました。
「まずぼくが正面から名乗る。鬼たちは恐怖で動けなくなる」
犬が言いました。
猿が言いました。
雉が言いました。
四人は顔を見合わせ、満足しました。
「勝ったな」
「勝ちましたね」
「もう帰ってもいいのでは?」
「いや、宝を持って帰るまでが鬼退治です」
やがて海辺に着きました。
桃太郎は波打ち際に立ち、腕を組みました。
「ふむ。思ったより海だな」
犬が言いました。
「わたし、泳ぎは得意です。川なら」
猿が言いました。
雉が言いました。
「鬼ヶ島へは船で渡る、と書いてある」
犬が胸を張りました。
犬は海に向かって吠えました。
波の音に消えました。
「今のは小手調べです」
「よし、これで行こう」
四人は小舟に乗りました。
桃太郎が櫂を持ちました。
「ぼくの一漕ぎで島まで一直線だ」
ざぶん。
小舟はその場でくるりと回りました。
犬が言いました。
「敵を惑わす回転航法ですね」
猿が言いました。
「さすがです」
雉が言いました。
「少し酔いました」
何度か回転したのち、偶然潮に乗り、小舟は鬼ヶ島へ流れていきました。
「見ろ、ぼくの航海術だ」
桃太郎は青い顔で言いました。
鬼ヶ島に着くと、そこには大きな門がありました。
抜けませんでした。
鞘に引っかかっていました。
「これは封印されし刃だ」
犬が前に出ました。
「ここはわたしの出番ですね」
犬は門の前で大きく息を吸いました。
「わ……」
門がぎいっと開きました。
「なんだ、お前ら」
犬は桃太郎の後ろに隠れました。
猿が叫びました。
猿は近くの岩に飛び乗ろうとして、つるりと滑りました。
「地面が卑怯です」
雉が羽ばたきました。
ぱたぱたぱた、と三十センチ浮きました。
すぐ降りました。
「高度を見せすぎると敵に研究されるので」
「お前ら、何しに来た」
桃太郎は胸を張りました。
「鬼どもよ、聞け! ぼくは桃から生まれし桃太郎! お前たちを退治し、宝を取り返し、村へ凱旋する者だ!」
鬼たちは門の中からぞろぞろ出てきました。
青鬼が言いました。
「で、どう退治するんだ?」
桃太郎は一歩前に出ました。
「まず、心を折る」
「どうやって?」
「言葉で」
「やってみろ」
桃太郎は深く息を吸いました。
「お前たちは、悪い!」
鬼たちは黙りました。
赤鬼が言いました。
「それだけ?」
「まだある。人のものを取るのは、よくない!」
青鬼が腕を組みました。
「まあ、それはそうだな」
桃太郎は勢いづきました。
「つまり、返せ!」
鬼たちは顔を見合わせました。
「返せと言われてもなあ」
「なんだなんだ。騒がしい」
「出たな親玉。ぼくの名を聞いて震え上がるがいい」
「桃太郎?」
「そうだ」
「聞いたことないな」
桃太郎は少し傷つきました。
犬が小声で言いました。
「情報戦で負けましたね」
猿が小声で言いました。
雉が小声で言いました。
「広報不足です」
「ならば今ここで覚えろ。ぼくは鬼を退治する男だ」
親分はにやりと笑いました。
「話し合いで」
鬼たちは笑いました。
「退治しに来たのに?」
「なら、お前らの強さを見せてみろ。犬、吠えろ」
犬は胸を張りました。
「猿、登れ」
猿は腕を組みました。
「登るべき木が低すぎます。わたしにふさわしい木ではありません」
「雉、飛べ」
雉は目を閉じました。
「心はもう飛んでいます」
鬼たちは腹を抱えて笑いました。
「笑うな! 彼らは本気を出していないだけだ」
親分が言いました。
「じゃあ、お前が本気を出せ」
桃太郎は刀を握りました。
まだ抜けません。
「この刀は、抜かずに勝つための刀だ」
「便利だな」
「ぼくの本当の武器は、この口だ!」
「鬼どもよ! 今すぐ改心しなければ、ぼくはたいへんなことをする!」
親分が言いました。
「たいへんなこととは?」
「……たいへん、怒る」
鬼たちはまた笑いました。
その笑い声があまりに大きく、島の鳥たちが飛び立ちました。雉はそれを見て言いました。
「あれがわたしの空中援護です」
門はびくともしませんでした。
「門のほうが反則です」
「衛生面が気になります」
鬼たちの目が光りました。
「食わせろ」
「いや、これは仲間になる者にしかやらない」
親分は言いました。
「じゃあ仲間になる」
「えっ」
桃太郎は困りました。
鬼は百匹ほどいました。
きびだんごは残り三つでした。
「人数が多いな」
「鬼退治より簡単だろう?」
桃太郎は犬、猿、雉を見ました。
犬は言いました。
「分配の問題ですね」
猿は言いました。
「これは政治です」
雉は言いました。
「わたしはもう一つ食べたいです」
鬼たちはじりじり近づきました。
「撤退!」
四人は走りました。
いや、走ろうとしました。
猿は岩につまずきました。
雉は低空でばたついて桃太郎の頭にぶつかりました。
桃太郎は袋を抱えたまま転び、きびだんごが浜辺にころころ転がりました。
鬼たちはそれを拾い、もぐもぐ食べました。
「うまいな」
「悪くない」
「もう少し柔らかいといい」
「覚えていろ! 今日は下見だ!」
親分が手を振りました。
「また来いよ。次は多めに持ってこい」
「次はない!」
「どっちだ」
四人は小舟に飛び乗りました。
桃太郎が櫂を漕ぎました。
またその場で回りました。
鬼たちは浜辺で大笑いしました。
「潮に乗れ! 潮に!」
やがて小舟は再び偶然潮に乗り、村へ戻っていきました。
帰り道、四人は黙っていました。
しばらくして犬が言いました。
「まあ、鬼の実力を測れましたね」
猿が言いました。
「作戦上、今回は負けたふりです」
雉が言いました。
「空から見ると、勝ちに近い負けでした」
桃太郎はうなずきました。
「そうだ。これは敗北ではない。壮大な前振りだ」
村に戻ると、おじいさんとおばあさんが待っていました。
桃太郎は胸を張りました。
「鬼ヶ島を震え上がらせてきました」
犬が言いました。
「笑いで」
猿が言いました。
雉が言いました。
「鳥も飛びました」
おじいさんは感心したように言いました。
「では宝は?」
おばあさんが言いました。
「何ですか?」
「経験です」
おじいさんはしばらく黙り、やがて言いました。
おばあさんも言いました。
「わたしも川で得ましたねえ」
その夜、桃太郎一行は囲炉裏を囲み、今後の計画を語り合いました。
桃太郎は言いました。
「次こそ鬼を退治する。そのために、まず剣術を学ぶ」
犬が言いました。
猿が言いました。
雉が言いました。
おじいさんが言いました。
「わしは明日こそ芝を刈る」
おばあさんが言いました。
みんな大きくうなずきました。
翌朝。
おじいさんは山へ行く前に言いました。
「今日は本当に刈るぞ」
おばあさんは川へ行く前に言いました。
桃太郎は刀を見て言いました。
「今日は本当に抜く」
犬は小声で言いました。
「今日は本当に吠える予定です」
猿は木の下で言いました。
雉は羽を広げて言いました。
そして全員、まず休憩しました。
村人たちはその様子を見て、ため息をつきました。
「あの家は、口だけは日本一だな」
こうして桃太郎は、鬼を退治することも、宝を持ち帰ることもありませんでした。
鬼ヶ島に行って、鬼を倒さず、きびだんごを取られ、笑われて帰ってきた男。
その名も、口だけ桃太郎。
そして不思議なことに、それ以来、鬼たちは村を襲わなくなりました。
「あいつら、また来たら面倒くさい。話が長いし、だんごは少ないし」
村は平和になりました。
桃太郎は胸を張りました。
「ほら見ろ。ぼくの作戦どおりだ」
犬も、猿も、雉も、おじいさんも、おばあさんも、全員うなずきました。
「さすがです」
「計算どおりですね」
「やはり口の力は偉大です」
ただし、鬼退治の英雄としてではなく、
「やるやると言って、だいたいやらない人のたとえ」
として。
面白いからブクマしてもよいか上長に相談してみる