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冬の夕暮れ、冷たい風が吹き抜ける駅のホーム。
「ハルト、お前さ……。お前と一緒にいると、自分がどんどん惨めになる。……もう無理だ、別れよう」
俺の絞り出すような声に、ハルトは一瞬だけ瞳の光を消し、次の瞬間には、これ以上ないほど綺麗な「完璧な引き際」の笑顔を顔に張り付けた。
『……そっか。寂しい思いさせてごめんね。今までありがとう、楽しかったよ』
いつだってそうだ。怒りも、傷ついた様子も、微量の濁りすら存在しない、圧倒的な無関心。
ガタゴトと、遠くから電車がホームに滑り込んでくる轟音が聞こえる。ハルトはあっさりと俺の手を離し、何事もなかったかのように一歩、後ろへ下がろうとした。
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その瞬間、俺の中の何かが完全に決壊した。
――行かせるか。そんな綺麗な顔で、終わらせてたまるか。
「――ふざけるなよ!!」
俺は叫ぶと同時に、ハルトの細い手首を、骨が軋むほどの力で強く掴み取っていた。
『……っ、先輩?』
ハルトの計算し尽くされた口角が、初めてぴくりと不自然に歪んだ。差し込まれる強い力と、予定調和を乱す俺の怒号に、彼の精巧な仮面にピキリと小さな亀裂が入る。
電車が猛烈な風圧と共にホームに滑り込んできて、俺たちの髪を激しく掻き乱した。
ドアが開き、乗客が吐き出されていく喧騒の中、俺はハルトの手首を掴んだまま、涙で視界を滲ませて怒鳴り散らした。
「何が『今までありがとう』だ! 何が『楽しかった』だよ! お前、本当は俺がドタキャンした時、1ミリも楽しくなかっただろ!? 寂しかったとか、ムカついたとか、なんで一度も言わないんだよ!」
『先輩、手が痛いです。離してくだ――』
「離さない!!」
周囲の乗客が怪訝な目でこちらを見ている。だけど、もうどうだってよかった。ここでこいつの手を離したら、二度とこのガラス玉の瞳の奥に触れることはできない。
俺はハルトの胸ぐらを掴み、その冷え切った顔に、俺の剥き出しの熱をぶつけるように叫び続けた。
「俺が欲しいのはなぁ! 俺の好みに100%合わせたデートコースでも、気を利かせたプレゼントでもないんだよ! 恋人マニュアルを完璧にこなす『都合のいいハルトくん』なんか求めてねぇ!!」
ハルトの瞳が、激しく揺れ動いた。
「俺は、お前が食べたいものを無理やり食わせられたかった! お前の我儘に振り回されて、困らせられたかった! 喧嘩して、泣いて、怒って、お前の生々しい感情が欲しかったんだよ……! なんでお前は、そうやって全部『俺じゃなくてもいい』みたいな態度で、一人で完結してんだよチクショウ……!!」
ポロポロと、俺の目から涙が溢れてハルトのコートの襟元に落ちた。
「別れたいなんて嘘だ……! 俺はお前が好きなんだよ、ハルト。頼むから、頼むから俺を置いていくな……! お前じゃなきゃダメなんだよ……っ!!」
ガタゴトと音を立てて、電車のドアが閉まる。俺たちの横を、鉄の塊がまた滑り出していく。
その轟音と強風の中で、ハルトは完全に硬直していた。
いつもなら、相手の警戒心を解くための防壁として機能するはずの「物分かりの良い笑顔」が、完全に剥ぎ取られている。口角の角度の計算も、声のトーンの調整も、すべてが焼き切れたような顔。
そこに残されていたのは――驚くほど幼くて、酷く傷ついた、空っぽのまま立ち尽くす一人の男の子の素顔だった。
ハルトの唇が、小さく震える。
『……なんで……?』
微かに漏れ出たハルトの声は、これまでに聞いたどんな声よりも低く、掠れていた。
『……俺が、完璧じゃなくてもいいんですか? 手がかかって、我が儘で、先輩を困らせても……それでも、俺の居場所は、ここでいいの……?』
ハルトの淡い色彩の瞳から、一筋の涙が、仮面の破片を伝うようにして零れ落ちた。
実の両親すら「手がかからなくて助かる」と放置し、犬という記号で愛情を処理しようとしたハルトの人生。外の世界では「便利なパーツ」として消費され、誰も彼の中身なんて求めてこなかった。
だからこそ、完璧な仮面を叩き割って、泥々に汚れながら「お前の中身をよこせ」と縋り付いてきた先輩の猛烈な執着は、ハルトの壊れた論理回路を根底から狂わせるには十分すぎる一撃だった。
ハルトはゆっくりと、自分の手首を掴む俺の手に、自らの意思で、震える指を重ね合わせた。
骨が軋むほど、引きちぎらんばかりの強さで。
『……離さないって、言いましたね、先輩』
涙を流したまま、ハルトの瞳の奥に、ドロリとした未知の熱が灯る。
それは、別の世界線でソウタが向けることになる狂気的な独占欲と、酷くよく似た、けれど決定的に違う――「あなたにだけは、俺のすべてを消費させてあげる」という、歪で、狂おしいほどの執着の始まりだった。