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連載「バブルなんて大っ嫌いだった」③バブル気分の抜けない流行音楽への同調圧力に辟易

どうも。

連載「バブルなんて大っ嫌いだった」、あの時代に個人的に抱えていたモヤモヤを洗い出して吐き出すことができているので、自身の振り返りとしてすごく良い企画だと我ながら思っています。

ラストに当たる3回目は、いよいよ僕の本来語るべきところの「音楽」、これを語っていくことにしましょう。

まあ、80年代後半という時代は、どこの世界行っても大体バブルでしたけどね。流行ってるもののファッションからして

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こういう感じでしたからね。

まあ、別にこういう感じが嫌だったとかは特にないんですけどね。共感こそはしなかったものの。

前回までの話で僕は、フジテレビのトレンディ・ドラマのノリ、それをまんまキャンパスで同じようなファッションがそのまま歩いていたような慶應大学の空気、そういうものが本当に嫌いで隠れたかったくらいなんですけど、そんな僕を救ったのがサークルでした。アメリカン・トップ40研究会。ここがあったので、僕はだいぶ救われましたね。ここなかったら本当に行くとこなかったし、大学生活、バブルの中で暗黒になりかねませんでした。ここには本当に感謝しています。

この時の僕の音楽の趣味ですが、このタイミングでねえ、モリッシーとかキュアーとかデペッシュ・モード聴いてりゃ、すごくハマったはず・・だったんですけど、悲しいかな、そうじゃなかったんですよねえ。嫌いとかじゃ全然なかったんですけど、その時の僕って「ビルボード絶対」みたいなところがあって。そこで流行ってるものの影響を受けたいみたいなところがあってですね。だから、一番フィットしそうな音楽、この当時にだいぶ聞き逃しちゃってるんですよねえ。

ただ、その時になまじビルボードにこだわり過ぎていたのでメタルとかR&Bがある程度わかるというか、そこが僕の音楽の幅を閉じる方向に行かずに済んだんですけどね。そうじゃなくてスミスとかマッドチェスターとかハマってたら、今頃もっと閉じた感じのシリアスすぎる音楽趣味になってたような気もするので、そこは結果オーライ、というとこでしょうか。

その時は欧米での流行に関しては「しょーもないな」と思うものはそこそこありはしたものの「嫌だ」と思うものはなかったですね。そういうものより嫌だったのは、むしろ開局して間もなかった頃のJ-Waveだったかな。欧米の流行とリンクする部分は良かったんだけど、あそこの出版が独自に動いた洋楽ってのが、あの頃の東京のバブルくささに合うようなおしゃれなアーバンっぽさを醸し出しててねえ。苦手だったんですよね。

だけど、そこもやっぱ、そんなに嫌じゃなかったかな。

80年代末頃、僕にとって一番落胆が大きかったのってやっぱ


バブルになったバンドブーム!

これが一番嫌だったなあ〜。

こういう感じですね。

フジテレビの月9主題歌に使われる感じの、なんか明朗快活な感じのロック。こういうの嫌だったなあ〜。

この前の話をしておくと、レベッカとかBOØWYとか流行りだして、本格的に大衆的なバンドブームが始まったんですよ。同じ頃にアイドルがおニャン子がすごくアンチの反感買ってジャニーズが一回ジャニーのスキャンダルと光GENJIが反感買って人気が暴落して、そこでバンド人気がアイドル逆転したタイミングというものが1987とか88年かな。成立したタイミングがあったんですよ。

それそのものは長年アイドル・ポップの牙城が続いていた状況から考えると良いことではあったんですけど、こうやってバブル真っ盛りのトレンディ・ドラマに目をつけられてくっついちゃうと、なんか気の抜けた感じになっちゃって。BOØWYとかLAのヘアメタルもそれなりにその歌謡性に行き過ぎたところはあったものの、それをさらに改悪したような感じというかね。

その一方で


1989年の、バンドブームを瞬間的にピークに導いたTBSの「イカ天」こと「イカすバンド天国」。これもねえ。中にはいいバンド、面白いバンドもいたんですけど、まあ、人々の記憶に悪いように残ってしまったのは、おふざけの印象で。これも最初の方は視聴者引きつけたんだけど、ウケ狙いが悪ノリのカラオケと変わらなく見えるようになってすぐに人気下がって、1990年が終わる頃には無くなってましたからね。そして、これが終わる頃には、近所でよく見た、エレキギター抱えた少年たちも潮引いたように見なくもなって。番組の末期に、なぜか置き土産的にブランキー・ジェット・シティが出てきたことが、今から考えるとなんか不思議なことでしたよね。

しかし、

本当に苦痛だったのは、この後からです!!

①メガ・ヒット、大量ヘヴィ・ローテーションの時代到来


1991年、経済指標的にはバブルが終わりそうになる頃、ここからがバブルの時代の音楽の本当の苦痛でした!

きっかけはやっぱこれですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=YqJl-jsDSVs


この、「東京ラブストーリー」とか「101回目のプロポーズ」の主題歌となったこのあたりの曲が流行りだした時から状況が変わったんですよね。

それは、「これらの曲が悪い」というのではありません。ちょうど、これらの曲が200万枚くらい売れて、日本のシングルの売り上げ高の基準値を大幅に底上げしたことで何が起こったか。

逃げ場のなくなるくらいのヘヴィ・ローテション!


これが日本で起こるようになっちゃったんですよねえ。これが一番辛かった!

まだ、アイドルとか、ましてや演歌がまだチャートに入るくらい人気のあった時代って、やっぱ「場所を選ぶ」と思われたのか、そんなに「どこでもかかる」ってこと、なかったんですよ。それがこのタイアップ・メガヒットの時代になった途端、道歩いても、コンビニ入っても、友達とカラオケボックス行っても、レンタルCD屋行っても、テレビつけてもどこでもかかる洗脳状態が生まれたんですよね。

これはキツかった。さすがに今まで経験なかったですもん。コンビニ文化が根付いてからかなあ。店の中でず〜っと音楽かける文化が日本で根付いちゃ
ったのは。

そしたらもう、そこから先は、レコード会社もテレビも競ったように「ドラマとCMのタイアップからヒットを出そう!」。そういうノリですよ。それによって、こっちが望んでいないものが一方的に耳に飛び込んでくるようになったものです。

こういう

こういう行事とかリゾートものとかね。こういうの、本当に前回でも言ったユーミンの世界を実写化したトレンディの都市風景思い出させてね。

そういうのがマックスまで行ったのが

これかなあ。ドリカム。もう、「バブル、マックス!トレンディ、マックス!」って感じで。これも本当に「避けることが不能」というくらい、大学4年の頃、どこでもかかってましたね。

でも、この辺りまでは「バブル・イメージ」というものを一旦切り離して考えれば、音楽的にはまだなんとかなったんですよ。僕自身、一番堪えたのは
文句なしにこれでしたね。

これはねえ・・・(苦笑)。こういういわゆるあの頃、「応援歌系」と言われたものですね。こっちとしてはですね、世の疎外感とか調和できないことに一人で悩みたかったり、何かに怒りをぶつけてみたかったりしたかったそんな時にですね、マーチで応援されても逆効果というか、流れてくるだけでイライラッと沸点が上がりましたからね。長年音楽聞いてて、ここまで思わせる曲ってなかなかなかったですね。ある意味、すごい曲なのかもしれませんけど。

ただ、この系譜って、その後もすごく苦手でZARDの「負けないで」とかもやっぱきついですね。聴く人を鼓舞することそのものは悪くないとは思うんですけど、エンパワメントするには、やっぱ言葉が紡ぐストーリーってやっぱ大事というか。「負けるな」って直接言われても・・・。なんか暗い部分がなく明るくそういうことも言われるので、それこそ僕が前回言った「まあ、パ〜っと飲んで明るくいこうぜ!」というのと、そんなに変わらなく聞こえた、というのもあったと思います。

②同じ頃、アメリカで芽生えた「バブルへの大反抗」


で、日本でそういう感じの、バブル気分を大量拡散するタイアップ系メガヒットが出てた1991〜92年、いきなりこういう曲が流行り始めました。


こういうダークで内省的で、時に怒りも込められたようなこういう曲の数々がマスで大いに流行ったんですよ。これが衝撃でね。それだけにとどまらず、それまでアメリカのチャートの上位にすごくたくさんあった、パーティ気分のバブリーなロック、ポップを一掃しちゃったんですよ!そのほとんどが数年前まで名前も聞いたことないような、アンダーグラウンドだと思われていたような人たちがですよ!

で、白人がこれで黒人が


黒人に対しての人種差別に対して立ち上がるヒップホップの曲がカルチャーとして台頭したんですよね。

ここがいわゆるオルタナティヴ・ロックとヒップホップの時代の本格的な始まりだったわけですけど、1980年に洋楽聴き始めて、半ば倦怠期に陥りつつあった大学3〜4年だった僕が音楽的に完全に再生した、そう言っても過言ではない、非常に大事な瞬間ですよ!

ただ、今にして思うんですけど、あの異様なバブリーな同調圧力への嫌悪感、あれがなかったら、ひょっとしてアメリカからのこの新しい波に飛びついたかどうか。飛びついたとは思うんですけど、「ここから新しい自分が始まる」くらいの衝撃はもしかしたら受けてなかったかもしれませんね。

これも僕をバブルから救った、非常に大きなものだったような気がしてます。

でも、日本ではこの体験をしそこなった人があまりにも多かった!だからですよ、世界史の認識が「ベルリンの壁崩壊」とか「ソ連消滅」で止まったままの人が多いというか。その直後に起こったこういうことが社会的にも国際的にも大きかったんですけどね。

③渋谷系には「似た者意識」は感じていた


ただ、この時期に日本に気になるものが全くなかったか、といえば、それは違いましたけどね。

やっぱ

フリッパーズ・ギターとか渋谷系には、ファンでこそなかったけれど、シンパシー抱いてましたね。ファッションとか音楽の表現法とかは僕の一番好むようなものとは違ってはいたけれど、「ああ、この人たちはこの人たちのやり方でバブリーなカルチャーに反発してるんだな」というのがわかりましたからね。

それは発言とかにも現れてて。ニルヴァーナのカート・コベインはガンズ&ローゼズとかモトリー・クルーみたいなバンドを実名出して真っ向から否定して、それがロックの下克上起こすドラマにもなりましたけど、フリッパーズの、あの当時の日本のメインストリームのもの、おちょくる感じも、それに近いもの感じてましたからね。

あれは「冷笑系」なんかじゃないんですよね、僕から言わせれば。同調圧力強すぎて膨張したつまんなくなっちゃったカルチャーに対してのアンチテーゼ。ズバリ、それですよ。なんか30年くらいたって、そこのところが忘れられている感じがして、歯がゆさも感じるんですけどね

④グランジの直後の反動的な日本の流行り


グランジのブームって、アメリカではニルヴァーナがマイケル・ジャクソン蹴落として全米アルバム・チャートの1位になった。その文言って30年経った今でも伝説のように言及され続けているし、全世界的な影響力を与えたブームだったんです。

ただ、日本だと、今でこそ浸透してますけど、本当に伝わるスピードが遅くてですね。

その矢先に流行ってたのがこういう感じで。

このビーイング系ってヤツですね。

これ、何があの時、嫌だったかって、時代に完全に逆行してたからなんですよ。90sって、音ザラザラにしてラフに音を録るのが主流になったのに、こっちは完全にピカピカした質感で。あと、洋楽だとエイティーズに流行った「オケヒット」ってのをすごく連発してね。申し訳ないけど「いつの曲?」というのがあったんですよね。あと、アンプラグド・ブームで生演奏の価値が尊ばれていた時代にポートレート写真だけで人前出ないとかね。あれ、何年かあとに普通にライブ解禁してましたけど、あの時の戦略も「違うよなあ」と違和感感じてました。

洋楽ファン的に眉をしかめたのは、ビーイングって元々が洋楽志向強かったとこだったんですよ。まあ、いわゆる「パクリ」も少なくなかったですからね。それだけに「90sの流れについていけない人が反動的に音楽やってるな」という感じがしてしまってですね。それで嫌だったんですよね。

まあ、実際のところ、90sの洋楽にアレルギー反応示した80s洋楽派って、あの頃、多かったんですよ。そこを惹きつけたみたいな感じも凄く残念でね。

で、その最高峰みたいだったのが


この人たちですよね。B'zに関しては紅白で論争あって、「すごいじゃないか。昔、批判してたやつ、ざまあみろ!」みたいな感じで、あたかもサブカルとかインディの側にいた人が悪かったかのように言う世論もあったんですけど、整理させてください。

まずB'zが「本格派のロックバンドとしてみられていたか」は、それは難しいとこでした。見られ方としては「TMネットワークのバックの人がやったユニット」のイメージで、初期はダンス・サウンドのイメージ強かったですから。

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むしろ、こういうイメージの方が近かったんですよ。

加えて

グランジとかオルタナに世がシフトした頃に逆に国際的には弱り目になってたメタルの側に行ったでしょ。あれもすごく反動的に見えちゃって。で、しかもエアロスミスのパクリ問題とかも出て。

これで「本格的なロックとして評価しろ」と言っても難しかったんですよね。

それが90s半ば以降はなんかそういう80sまでの音楽にこだわってるような感じも抜けて、割とベーシックなバンド・サウンドに徹して、そこで何気に30年近くやってたら、気がついていない人が「なんか昔と違う」と驚いた結果だったと思うんですけどね。そこから先は僕も全然問題ないんですけどね。

あと、ビーイングがああいうサウンドに徹してたのにWANDSが反旗翻してグランジ/オルタナ行ったりしたのを見たときは「本当はこっち、やりたかったんだろうな」と同情しましたね。

それから

こっちも大概でしたけどね。

これ、よくネタとして言われる「ジュリアナ東京はバブルのあとに流行った」ということなんですけど、これは本当で。経済指標上のバブルが終わった1991年にできてるんですよね。で、そのバブル気分を1993年まで延長させた張本人がこれだったと思います。音楽的にもファッション的にも「もう、他の国、いねえぞ、こんなヤツ」という感じでしたからね。

⑤日本のバブル気分が終わったのは1994年


ただ、もう、経済指標上のバブルがはじけて3年もしたら、人々もようやく「バブル終わったんだ」の認識が広まってきます。もう外観からして変わりましたよ。バブル・ファッションもこの頃にはもう街で見かけなくなってきましたからね。

で、はやる音楽も


こういうのがマスで受けたことによってメインストリームの選択の幅が広まって、「バブルの同調圧力」が一気に弱まりましたからね。


95年のこれがだめ押しでしたね。

洋楽に関しても

94年4月にカート・コベインが自殺してから皮肉にも日本でグランジとかオルタナの浸透が良くなって

ブリットポップで新しい時代の到来、って感じでしたね。

90年代半ばにもなると、若者文化の消費の中心が団塊ジュニアに移ったこともあって、バブル・カルチャーは遠くになりにけりでしたね。

社会的にも神戸の地震とか、地下鉄サリンと1995年に暗いニュースが立て続けて起こって、あそこで完全に時代の幕引きになりましたね。そこから30年経ったわけですね。













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連載「バブルなんて大っ嫌いだった」③バブル気分の抜けない流行音楽への同調圧力に辟易|THE MAINSTREAM JP(沢田太陽)
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