- 1二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:32:05
- 2二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:33:27
部屋を見渡してみるが、静まり返っており、彼の姿はどこにもない。
キッチンに目をやれば、食卓の上には彼が使っていたと思しき、飲みかけのマグカップがぽつんと置かれている。
「悠仁……?」
声をかけてみたが、返事はない。どこへ行ったのだろうか、と少しの間思考を巡らせる。だが、すぐに納得がいった。
ああ、そうか。きっと急な任務が入って、高専の仲間たちに呼び出されたのだろう。あの子は昔から、頼りにされると断れない性質だからな。まあ、夕方までには「ただいま!」と元気な声を響かせて戻ってくるに違いない。そうやって、一人で容易に自己完結した。
姿は見えなくても、この部屋に満ちている生活の痕跡のすべてが、彼と過ごす日常の温もりを雄弁に物語っていた。
「……幸せだな」
ぽつりと溢れた言葉は、静かな部屋に優しく溶けていった。 - 3二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:36:42
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- 4二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:37:46
ワクワク
新しい日車スレだーー(歓喜) - 5二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:43:30
10まで保守したい
- 6二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:45:51
日虎か?虎日か?ワクワク
関係ないけど※見切り発車ってついてる日車スレなんとなく多い気がする - 7二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:48:02
悠仁呼びだし付き合ってるしがっつり【CP有】なんだな
胸糞注意ともあるからキャラ崩壊や認識改変系もあるか?続き楽しみ - 8二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:53:28
んー保守するか
- 9二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:53:37
CPの左右は一旦置いとくけどそれはそれとして胸糞展開大好きなので助かります!!
- 10二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 22:54:55
既にガッツリ付き合ってるなら伏せても描写から左右滲み出そう
楽しみ - 11二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:14:18
「あのさ、日車。アフタヌーンティーとか興味ねえ?」
高専の敷地内で、少し決まり悪そうに頭を掻きながら言われた言葉に、俺は思わず瞬きを繰り返した。三十路を過ぎた男の人生において、最も縁遠い単語の一つだったからだ。
「……アフタヌーンティー。それは、その、あのアフタヌーンティーか」
「え、他にあんの? アフタヌーンティー」
「ないな」
「だろうな~……」
詳しく話を聞けば、事の顛末はこうだった。
もともとは釘崎に「どうしても行きたい店がある」と拝み倒され、彼女が執念で引き当てた超有名ホテルの限定アフタヌーンティーだったらしい。完全予約制で、数ヶ月待ち。虎杖も「美味いスイーツがいっぱい食える」と唆されて楽しみにしていたそうだ。
しかし、あろうことか当日の朝になって釘崎に急遽、一級案件の任務が舞い込んだ。 - 12二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:16:06
「釘崎のやつ、『呪霊祓ったら秒で戻る』ってキレながら引きずられてったんだけど、どう考えても間に合わねえんだよ。超予約制だから直前キャンセルとかできないし、何よりキャンセル料がバカ高くてさ……もったいねえじゃん!」
必死に身振り手振りを交えて語る彼が健気で、俺は少し笑ってしまった。重い呪術の宿命を背負わされているはずの彼が、今はキャンセル料という極めて俗世的で、年相応な問題に頭を抱えている。そのギャップが、どこか愛おしい。
なら、もう一人の同級生はどうしたんだ、という疑問が当然浮かぶ。
「いや、同級生がいるだろう。伏黒はどうしたんだ?」
「伏黒もさっき伊地知さんに拉致られた。十種で対処したほうがいい呪霊が出たとかで、今頃どっかの山の中。だからマジで誰も捕まらなくて……」
本当に困り果てた顔で、彼は俺の顔を覗き込んできた。
行き場をなくした琥珀色の瞳が、救いを求めるように俺を捉える。
「だから……その、日車。もし今日、予定空いてるなら、俺と一緒に来てくんね?」 - 13二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:19:56
超有名ホテルのアフタヌーンティー――その単語を聞いた瞬間、忘れたと思っていた記憶が不意に脳裏を掠めた。
まだ弁護士になって間もない頃、付き合っていた女に半ば強引に連れて行かれた高級ホテルのラウンジ。
当時は法廷の書類仕事に追われ、心の余裕など一欠片もなかった。場違いな空間、繊細すぎる調度品、男一人では到底お腹がいっぱいになりそうにない三段のティースタンド。居心地の悪さを隠せない俺の横で、彼女は楽しそうに紅茶の種類やスコーンの食べ方を説明していた。
『せっかくなんだから楽しみなさいよ、寛見』
呆れたように笑う声まで、妙に鮮明に思い出せる。あの頃の俺は、そんなささやかな贅沢や、彼女が提供してくれようとした「丁寧な日常」を、どこか冷めた目で見ていたのかもしれなかった。正義だ、社会的責任だと、頭の固い理想ばかりを追い求めて。 - 14二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:21:34
その、かつて切り捨てたはずの「まっとうな幸福の象徴」のような場所に、今、呪いの渦中にいるこの少年と行くことになる。その奇妙な因果に、胸の奥が少しだけ揺れた。
記憶に引きずられるように、俺は目の前の青年へ視線を戻した。虎杖は、断られることを半分覚悟しているような顔でこちらを見ている。気まずそうに、けれど微かな期待を捨てきれない目で。
「もちろん、急にこんなの変だよな!いやでもマジでキャンセル料高くてさ……」
「君はさっきからそればかりだな」
思わずそう返すと、虎杖は「だってもったいねえだろ!」と眉を下げた。
あまりにも真っ直ぐで、打算がなくて、だからこそ調子が狂う。普通なら、三十路を過ぎた男と十代の少年が連れだって行くような場所ではない。自分の人生にはあまりに不釣り合いだ、とブレーキを踏む理性が働く。
だが、困ったようにこちらを覗き込むその目を見ていると、どうにも突き放せなかった。この少年が、呪いの一級任務だの人の生き死にがなんだのという重荷から解放され、ただの「食いしん坊な17歳」として過ごせる時間を、俺の都合で潰してしまうのは、酷く勿体ないことのように思えたのだ。 - 15二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:22:48
「……まあ、今日は特に予定もない」
「え、マジ!?」
「ただし、俺はそういう店の作法には期待するな」
「あ、安心して。俺も全然わかってねえから!」
それでいいのか、と呆れ半分で息を吐く。だが、彼の顔にぱあっと花が咲くように笑みが広がったのを見て、俺の胸の奥の、重く凝り固まっていた何かがすとんと落ちた。
虎杖は一瞬だけ目を輝かせ、それから慌てたようにスマートフォンを操作し始めた。
「じゃ、決まり!えっと、店ここだから……あ、服とかってやっぱちゃんとした方がいいのかな」
「ホテルなら最低限は整えて行け」
「うわ〜〜〜伏黒連れてくればよかった……」
「任務中なんだろう」
「あ、そっか」
虎杖はけらけら笑うと、スマートフォンの画面をこちらへ向けた。画面には、洗練されたフォントで書かれたホテルのロゴと、集合場所の地図、そして2時間後の時刻が表示されている。
「じゃあ、あとでここ集合な!遅刻すんなよ、日車!」
そう言って、まるでこれから遊びに行く中学生のような軽やかさで駆け去っていく背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
彼が去った後の、少し静かになった高専の廊下で、俺は自分のクローゼットにある一番仕立ての良いスーツのシワを伸ばしに行こうと考えながら、踵を返した。 - 16二次元好きの匿名さん26/05/22(金) 23:54:51
アフヌンまで時間ギリギリすぎぃ〜もっと早く誘え小僧
それはそうと付き合うきっかけになった記念?でお土産買ってきたの浮かれててカワイイ
胸糞注意の落差が今から恐ろしいな… - 17二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 00:24:26
日車さん新スレ嬉しい!!
スレ主は他にもスレ立てされてるのかな?
文章が丁寧で読みやすい
続きが楽しみ! - 18二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 09:30:22
保守
- 19二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 18:03:04
ここからどう動くのか楽しみ保守
- 20二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 19:57:35
このレスは削除されています
- 21二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:36:54
ホテルのロビーは、高い天井から豪奢なシャンデリアが吊り下がり、足元には毛足の長い絨毯が敷き詰められていた。行き交う人々は皆、洗練された衣服を身に纏い、穏やかな声音で談笑している。
弁護士時代、嫌というほど足を運んだはずの空間だ。それなのに、今の俺の胸中には、当時とは全く異なる質の緊張が走っていた。
待ち合わせの柱の陰、約束の5分前。
そこに、明らかに周囲の空気から浮いている少年が立っていた。
「……虎杖」
声をかけると、彼は弾かれたようにこちらを振り向いた。
その姿を見て、俺は思わず口元を押さえる。
「あ、日車!早……じゃなくて、良かった、ちゃんと会えて!」
彼は、彼なりに「最低限は整えて行け」という俺の言葉を忠実に守ったのだろう。普段のパーカーではなく、どこかサイズが合っていない、借り物のようなジャケットを羽織っていた。ネクタイは微妙に歪んでおり、首元が苦しいのか、何度も指で襟ぐりを引っ張っている。
髪だけはいつもより丁寧にセットされているのが妙に初々しく、この場に懸命に馴染もうとしているのが伝わってきた。
「どうかな……これ、伏黒のジャケット借りてきたんだけど。やっぱり変か?」
不安そうに眉を下げて己の袖口を見つめる17歳を前に、俺は小さく息を吐き、彼の前に一歩踏み出した。
「いや、悪くない。だが、ネクタイが少し曲がっているな。じっとしていろ」
「え?あ、ごめん……」 - 22二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:38:15
素直に顎を上げる彼の前に立ち、歪んだ結び目に手をかける。
至近距離。彼の髪から、高専で共用の石鹸の匂いが微かに香った。俺の手が触れる距離に、何の疑いもなくその喉元を晒している少年の無防備さに、ほんの一瞬だけ指先が躊躇う。
これほどまでに若く、まだ何者にも染まりきっていない命が、呪いという悍ましい世界に身を置いている。その歪さを、彼の体温がダイレクトに伝えてくるようだった。
「……よし、これでいい」
「サンキュー、日車!すげえな、一瞬で直った」
ネクタイを整え終えると、彼は嬉しそうに白い歯を見せて笑った。その屈託のない笑顔が、ホテルの重厚な空気さえも一瞬で軽やかに変えていく。
「さあ、行こう。予約の時間だろう?」
「うん!」
案内されたのは、庭園の緑が一望できる特等席だった。
運ばれてきた三段のティースタンドには、宝石のように繊細なケーキやスコーン、芸術的なセイボリーが並んでいる。虎杖は「うわ、すげえ!」と目を輝かせ、スマートフォンのカメラを何度も向けていた。
「日車、これ何から食えばいいんだ?釘崎がなんか『下から食え』とか言ってた気がするんだけど」
「ああ、基本的には下の段の塩気のあるものから順に食べるのが作法とされているな。だが、あまり気にする必要はない。君の好きなように食べるといい」
俺がそう言って紅茶に口をつけようとした、その時だった。
ホテルのスタッフが、俺たちのテーブルの中央に、小さな道具をそっと置いた。
「紅茶の蒸らし時間を計るためのタイマーでございます。砂が上に昇りきりましたら、飲み頃でございますので」
スタッフが恭しく一礼して去った後、俺たちは同時にその道具を見つめた。 - 23二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:39:25
テーブルに置かれたのは、透明な樹脂製の小さなタイマーだった。
砂時計に似ているが、中で動いているのは砂ではない。青い粒子が、気泡のように下から上へとゆっくり浮かび上がっていく。
「……へえ」
虎杖が、ティースタンドから目を離し、その不思議なタイマーをじっと覗き込んだ。
上へ、上へと昇っていく粒子が、彼の琥珀色の瞳に反転して映り込んでいる。
「面白いな、これ。時間が逆に進んでるみたいだ」
虎杖はテーブルに肘をつき、下から上へと昇っていく青い粒を、まるでおもちゃを見つけた子供のような瞳で凝視している。その無邪気な横顔を見て、俺の胸の奥の、張り詰めていた何かが小さく緩んだ。
「逆行、か。……いや、これは比重の軽い粒子が液体の中を浮上しているだけだ。物理的な時間の流れ自体は、我々と同じように進んでいる」
「うわ、出た。日車のインテリ節」
虎杖は顔を上げ、からかうようにけらけらと笑った。
「でもさ、こういうのってなんかワクワクするじゃん?普通は下に落ちるもんだろ?なのに上に行くんだぜ。なんか、法律とか常識とか、そういうのぶっ壊してるみたいでさ」 - 24二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:41:03
「ぶっ壊す、か」
思わず苦笑が漏れる。法という「絶対のルール」を遵守し、縛られて生きてきた俺の前に、時折こういう規格外の感性を持つ少年の言葉が立ちはだかる。ルールを壊すのではない、初めからその枠組みの外側に立っているような、そんな圧倒的な生命力。
「……確かに、常識を疑うという意味では、面白いアプローチの道具だな。ロンネフェルトという、ドイツの古い紅茶メーカーのタイマーだ。パラドックスタイマーとも呼ばれている」
「へえ、パラドックス!名前もなんかかっけえな」
ひとしきりタイマーを眺めて満足したのか、虎杖は「よし!」と小さく拳を握り、目の前の三段スタンドへ視線を戻した。
「じゃ、釘崎の教えに従って、一番下からいただくわ!日車も食おうぜ。これ、美味そう」
彼が最初に手を伸ばしたのは、小さなクロワッサンにサーモンが挟まれたセイボリーだった。口いっぱいに頬張り、美味そうに目を細める姿は、高級ホテルのラウンジという空間にはこれ以上ないほど不釣り合いで、同時に、これ以上ないほど幸福な絵面に見えた。
「んー! 美味い!日車、これマジで美味いよ!」
「そうか。それは良かった」
「日車も早く食いなよ。ほら、そのスコーンってやつとか?固くなる前にさ」
促されるまま、俺も手近にあったサンドイッチを手に取る。 - 25二次元好きの匿名さん26/05/23(土) 20:44:04
弁護士時代、あの女性とここへ来た時は、書類の山や明日の弁論のことばかりが頭を巡り、紅茶の味も、食事の味も、ほとんど記憶に残らなかった。
だが、今は違う。
目の前で美味そうに、実に見事に次々と皿を空けていく少年の姿を眺めているだけで、ただの紅茶が、ただの軽食が、妙に鮮やかな味を持って俺の五感に染み渡っていくのが分かった。
「……美味いな」
「だろ!あー、マジで来て良かったわ。最初は日車を誘うの、ちょっと緊張したんだけどさ」
紅茶を飲み干した虎杖が、ふと、そんなことを呟いた。
「緊張?」
「だってさ、日車っていつも難しそうな顔して本読んでるし。俺みたいなガキと飯食っても、つまんねえかなって」
彼は少し照れくさそうに頭を掻きながら、けれど真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。
「でも、付き合ってくれて嬉しかった。ありがとな、日車」
打算のない、純粋な感謝の言葉。
その言葉が、俺の胸の砂時計をひっくり返したかのように、ドク、と激しい鼓動を刻ませた。三十路を過ぎて、今さら十代の少年の言葉ひとつに、これほど心が揺さぶられるなど思いもしなかった。
「……いや。俺の方こそ、良い気分転換になった。誘ってくれて感謝している」
俺は、自分の声がわずかに上擦らないよう、細心の注意を払ってカップを口元へ運んだ。 - 26二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 00:40:24
パラドックスタイマー確かに不思議な感じだもんな
これきっかけってなんだろ。何日もループするとか? - 27二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 00:46:50
時系列が気になるな…
「呪いの渦中」ってことはまだ宿儺が虎杖の中にいる?
それとも単に高専生だということを示しているだけで、今は本編終了後なのか? - 28二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 01:53:59
※本当に注意ですがこのスレのテーマは「一緒に年を取ること」です
※途中から「え?」 ってなります
※胸糞展開注意に偽りなし読後感保証なしです
※レスを見て展開を変えることもありますが大筋は変わりません
※考察感想大歓迎なのでお願いします - 29二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 02:02:59
動画化禁止を明言してほしい
- 30二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 11:07:16
早めの保守
- 31二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 17:38:12
- 32二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 18:05:27
いちいち明言されなくてもこういうSSは基本NGっしょ
飛び抜けたアホはどこにでもいるもんだから明言するのもいいかもしれないけど - 33二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 20:01:28
あにまんのスレは無条件で動画化転載されても仕方ないって認識の人らもいる
言わなくてもわかるでしょは通じない - 34二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 22:26:43
【!】人を選ぶ内容のため当スレの動画化は禁止させて頂きます【!】
- 35二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 22:39:14
贅沢な時間は瞬く間に過ぎ、ホテルの外に出ると、午後特有の少しぬるい風が俺たちの頬を撫でた。
虎杖は慣れないネクタイとシャツの首元をパタパタと仰ぎながら、駅へと続く並木道を俺と並んで歩いている。
「あー食った食った!釘崎にお土産の写真送ったら、めちゃくちゃ呪詛のスタンプ返ってきたわ」
「それは災難だったな」
笑い合いながら歩いていると、虎杖がふと思い出したように、ぽつりと言った。
「そういや、あの青い砂時計。あれ、どっかで売ってないのかな」
「……パラドックスタイマーか?なんでだ?」
「いや、なんかさ。見ててすげえ綺麗だったから」
ただ綺麗だったから、という極めてシンプルな理由だった。けれど、あの子がそれを気に入ったという事実が、俺の心のどこかを妙に刺激する。
「……あれは公式ではほぼソールドアウト状態で、今から買いたいなら転売されるのを待つしかないだろうな」
「マジ!?あんなちっちゃいのにレア物なのかよ」
本当に残念そうに、虎杖が眉を下げた。その顔を見ていたら、口を突いて出る言葉を止めることができなかった。 - 36二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 22:40:35
「……だが、俺はあれを持っている。やろうか?」
「え?!なんで持ってんの?!」
虎杖が驚愕したように目を丸くして俺を凝視する。
「過去の遺産というやつだ」
元彼女に連れて行かれた際、半ば義務のように買わされたものが、今も自宅の棚の隅で埃を被っている。まさかこんなところで、その存在意義を見出すことになるとは思いもしなかった。
「いや、貰うのは申し訳ないって!俺、たまに眺めたいなーって思っただけだし」
遠慮する虎杖に、俺はほんの少しだけ意地悪く、けれど本心を隠すように声を低くした。
「なら、俺の部屋で紅茶を淹れよう。今日出た紅茶とは違うものになるが」
「え、紅茶ってなんか種類あんの?」
「……そこからか」
呆れたように息を吐きながらも、俺の胸の内には、彼を自分の空間へ招き入れるという新たな口実への、ささやかな高鳴りが生じていた。
「よし、じゃあ次は日車の部屋で紅茶な!約束だぞ」
虎杖が嬉しそうに笑う。
並んで歩く俺たちの影が、夕暮れの街路樹に長く伸びていた。 - 37二次元好きの匿名さん26/05/24(日) 23:52:12
ほっこりした期待で二人を眺めてるけど、予告された「胸糞」が脳裏をかすめてしまう…
どうなっちゃうんだ - 38二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 03:17:12
なるほどここでパラドックスタイマー出てくるのかって思いながらも>>1から既に怪しいしどう転んだら胸糞展開になるのか分からなすぎてドキドキする
- 39二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 09:36:15
カチャリ、と微かな音がして、俺の意識は現実へと引き戻された。
ダージリンを淹れるために計っていたが、下から上へと昇りきった青い粒子は、いつの間にか動きを止め、タイマーの最上部を静かに満たしている。
「……そういえば」
ポットを押さえたまま、俺はふと思考を巡らせた。
悠仁に紅茶を、最近淹れていないな。
なぜだろう。あんなに毎日のように「日車、今日もあの美味いお茶淹れてよ」とねだっていたはずなのに。最近の記憶を探っても、彼と向かい合って温かいカップを傾けた光景が、どうにも朧げで思い出せない。
何故淹れていないんだ?
……ああ、そうか。お互いに任務が立て込んでいて、忙しかったんだったか。
高専の術師というものは、常に何かしらの案件に追われている。彼ほどの駒となればなおさらだ。すれ違いが続くのも、仕方のないこと。
そう自分を納得させ、俺は新しく沸いた湯をポットへと注ぎ入れた。
湯気の向こうで、白葡萄に似た繊細な香りが静かにほどけていく。
「……そういえば、最初に彼に飲ませたのも、このダージリンだったな」
立ち上る湯気の向こう側、あの約束の日、本当に俺の部屋のドアを叩いた少年の笑顔が、鮮やかによみがえってきた。 - 40二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 15:08:47
保守
- 41二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 21:58:34
もうすでに不穏
アフタヌーンティーの時からどれくらいの月日が流れているのだろう - 42二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:00:14
高専の敷地内にある俺の私室は、改めて眺めれば拍子抜けするほど簡素だった。
備え付けのデスクには法律書や判例集を寸分違わず並べてあり、生活感のある物はほとんど見当たらない。
そのくせ、電気ケトルと紅茶缶だけは妙に使い込まれており、缶の側面には細かな擦り傷がいくつも残っていた。かつて捨て損ねた生活の残滓が、こんなところで主張している。
「うわ、すっげえ綺麗。日車、めちゃくちゃ部屋片付けるタイプ?」
「……最低限、生活に支障のないようにしているだけだ」
「お邪魔しまーす」と遠慮がちにスリッパを履いた虎杖は、緊張しているのか、所在なさげに部屋を見回してから、小さなソファの端にちょこんと腰掛けた。ホテルのラウンジではあれだけ堂々としていたというのに、個人のプライベートな空間に入った途端、急に借りてきた猫のようになるのがどうにも可笑しい。
「さて。紅茶だったな」
「あ、うん。日車が持ってるやつ、なんでもいいよ!」
「なんでもいい」と言われ、俺は少しだけ眉をひそめた。キッチンの棚からいくつかの美しい缶やパッケージを取り出して、ローテーブルの上へ一列に並べていく。
緑、黒、金、あるいはクラシカルなロゴが刻まれたデザイン。それらがずらりと並ぶ光景に、虎杖は目を丸くした。
「……一応、有名どころはいくつか常備している。君の好みが分からないから、選んでくれ」
「うわ、なんかすごいのがいっぱいある……」
「例えば、この緑の缶はフォートナム&メイソン。英国王室御用達の老舗だ。ブレンドが緻密で、クラシックな風味が強い。こちらの華やかな金の缶はシンガポールのTWG。フレーバーティーが有名だが、このブラックティーはベリー系の香りが華やかで、紅茶に慣れていなくても飲みやすいだろう」
自分でも少し過剰かと思いながらも、淀みない口調で解説を続ける。
「あるいは、この黒い缶はフランスのマリアージュフレール。また、実用性を取るならスリランカのディルマのシングルオリジン、あるいはこの猫のマークのジャネット……」 - 43二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:02:42
「……あ、あの、日車」
熱弁を振るう俺の言葉を遮るように、虎杖がぽつりと声を漏らした。
見れば、彼は完全にキャパシティをオーバーしたような顔で、口を半開きにしたままポカーンとフリーズしている。琥珀色の瞳が、複数の選択肢と俺の顔を交互に泳いでいた。
「ごめん……俺、紅茶って、自販機の午後の紅茶かリプトンくらいしか知らなくて……メーカーとか、そんなにいっぱいあんの?」
「……あ。いや、すまない」
我に返った俺は、わずかに耳の裏が熱くなるのを覚えながら視線を逸らした。
相手は17歳の男子高校生なのだ。良かれと思って知識を並べ立てたが、これでは法廷で素人相手に専門用語を連発する悪徳弁護士と大差ない。自分の独りよがりな生真面目さに、今更ながら酷い気羞恥心が込み上げてくる。
「……俺の配慮が足りなかった。忘れてくれ。……そうだな、では、一番馴染みやすいものにしよう」
俺が手を伸ばしたのは、先ほどホテルで名前を出した、ドイツの老舗・ロンネフェルトのダージリンだった。
手際よく湯を沸かし、温めた陶器のティーポットに茶葉を躍らせる。湯気がふわりと立ち上り、まだ開く前の茶葉の、どこか若葉を思わせる清涼な香りが静かに部屋へ広がり始めた。
そして俺は、元彼女に合わせて買って以来、なんとなく捨てられずにいた透明な樹脂製のタイマーをテーブルの中央にそっと置いた。
タイマーをひっくり返すと、青い粒子が気泡のように、ゆっくりと下から上へ向かって昇り始める。
「砂が上がりきるまで、三分かかる。……少し待ってくれ」
「うん」
ここから、二人の三分間が始まった。 - 44二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:02:46
思い出の中にしか虎杖が出て来てないな
これもしかして、ヌン茶も付き合ってるのも、『存在しない記憶』か? - 45二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:04:13
日車さんが紅茶詳しいのいいね!
ブラックコーヒーのイメージがあったから、紅茶を嗜んでいるのも様になる - 46二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:08:32
――だが、沈黙は思った以上に重かった。
テレビも音楽もない高専の私室。遮音性は低いが、幸い今の時間であれば人の声もそんなに聞こえない。
聞こえるのは、換気扇の微かな回る音と、お互いの呼吸の音だけ。
アフタヌーンティーの帰りの道すがらはあんなに滑らかに会話が弾んだというのに、いざ何も喋らない三分間を提供されると、どうしていいか分からなくなる。
(……何か、話すべきだろうか)
自分の部屋の壁にかかった時計の秒針の音が、妙に大きく耳に触れていた。
三十路を過ぎた大人が、十代の少年と二人きり。何を話せば彼が退屈しないのか、まっとうな大人の語彙というやつが、奇妙な緊張のせいで頭から綺麗に抜け落ちていく。
一方の虎杖も、じっと青いタイマーを見つめたまま、微動だにしない。
普段なら「へえー」とか「すげえ」とか、何かしらのリアクションを賑やかに返す彼が、今は静かに、ただ上へと昇っていく青い粒をじっと見つめている。
気まずい、と感じていた。
だが、その気まずさは、決して不快なものではなかった。
むしろ、外界の喧騒から完全に切り離されたこの狭い密室で、虎杖という少年の存在そのものが、奇妙なほど鮮明に際立っていくような感覚。胸の奥で、ドク、と、昼間のホテルで感じたのと同じ、少し高めの鼓動が静かに脈打ち始める。
上へ、上へ、と、逆行する時間が進んでいく。
青い粒子が、最後の数粒、液体の天面へと吸い込まれていった。
三分。時間が、満ちた。
「……よし、三分だ。今淹れる」
俺は静かに立ち上がり、沈黙を破った。
ポットから静かに注がれたダージリンは、澄んだ香りをゆるやかに広げていく。
花を思わせる柔らかな甘さの奥に、熟れきる前のマスカットに似た青い香気が混じり、無機質な部屋にわずかな温度を落としていた。 - 47二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:11:23
「うわ、いい匂い……! コンビニのダージリンと全然違う!」
それまで固まっていた虎杖の顔に、ようやくいつもの無邪気な笑顔が戻る。
差し出されたカップを両手で包み込み、「あったけえ」と目を細める彼の姿を見て、俺は、喉の奥に溜まっていた緊張の呼気を、そっと静かに吐き出した。
「え、うまっ……! なんか、渋くなくてすげえ飲みやすい。紅茶ってこんなに美味いんだな!」
「そうか。気に入ってくれたなら良かった。ロンネフェルトのダージリンは、セカンドフラッシュ……いや、夏摘みの茶葉が特に有名でね。香りが芳醇なんだ」
また蘊蓄を傾けそうになり、俺は慌てて口を噤んだ。しかし、虎杖は今度はポカーンとする代わりに、カップを持ったまま身を乗り出してきた。
「へえ、夏摘み! じゃあさ、さっき日車が説明してくれた他のやつも、こういう風に全部違う味がすんの?」
「……ああ。淹れ方も、合う茶菓子もそれぞれ違う」
「すげえな! ……なぁ、日車。俺、また飲みたい!」
虎杖は白い歯を見せて、屈託なく笑った。
「また任務の帰りに寄るからさ。日車が説明してくれたの、全部順番に飲ませてよ!」
打算のない、純粋な次の約束。
ローテーブルの中央では、先ほど役目を終えた青いタイマーが、静かに佇んでいる。
これから何度、この三分間を繰り返すことになるのだろう。
そんな、大人の理性では制御しきれない予感に胸の奥を揺らされながら、俺は「……ああ、構わない」と、極めて平静を装った声で静かに頷いた。 - 48二次元好きの匿名さん26/05/25(月) 23:42:09
>大人の理性では制御しきれない予感に胸の奥を揺らされながら
あらあらあらまあまあまあ
- 49二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 07:28:29
保守
- 50二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 09:08:55
今のところ左右描写がわからないのがわくわくする
もしかしたら滲んでるのかもしれないけど自分には全く分からない!! - 51二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 18:10:02
左右まだ滲んでないと思う
- 52二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 20:42:37
このレスは削除されています
- 53二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 22:57:28
あの最初のアフタヌーンティーの日から、彼は頻繁に俺の部屋へ来るようになった。
「日車、お疲れ!今日も寄っていい?」
任務の報告ついでに、あるいはただ高専の廊下で行き違った拍子に、彼は当然のようにそう言って俺の部屋のドアを叩く。
あの日ローテーブルに並べた紅茶缶は、彼の言葉通り、一つ、また一つと順番に開封され、無機質だった俺の部屋にはいつの間にか、日替わりで様々な茶葉の香りが残るようになっていた。
気がつけば、季節は四月の終わりを迎えている。
ある日の夕方、いつものように淹れたてのカップを手にソファへ腰掛けた虎杖が、ふと窓の外の、青葉が茂り始めた並木道を見つめて声を漏らした。あのアフタヌーンティーの日はまだ肌寒く、蕾も固かったというのに、時の流れは恐ろしいほどに早い。
「桜散っちゃったな〜。花見したかったのに」
「……そうだな。今年は任務も立て込んでいた。仕方のないことだ。来年またやればいいだろう」
いつ死ぬかも分からない呪術師の世界だ。年相応の行事を逃したことを惜しむ彼に、俺はそれ以上の言葉が見つけられず、ただ慰めるようにそう告げた。
本当に、ただの気休めのつもりだった。
だが、虎杖はカップを持ったまま、弾かれたようにこちらを振り向いた。
「じゃあ来年は日車と一緒に花見な。でさあ、紅茶淹れてもらうの。桜に合う紅茶ってある?」
ごく自然に、何一つ疑うことなく、彼は「一年後の未来」に俺を組み込んでみせる。
そのあまりの眩しさに一瞬だけ胸が詰まり、俺は平静を装うために慌てて紅茶を口に含んだ。熱い液体が喉を通り過ぎるのを待ってから、記憶の引き出しを探る。 - 54二次元好きの匿名さん26/05/26(火) 22:59:35
「……ヌワラエリヤ辺りが無難だな」
「ぬわ?」
案の定、おかしな擬音のような聞き返され方をして、思わず口元が緩む。
「スリランカの高地で採れる茶葉だ。香りが軽い。少し青い」
「青い?」
「若葉というべきか……そうだな、無難なたとえをするならば、朝の空気に近い。桜の匂いを邪魔しないと考えられる」
「へえ〜! じゃ、来年それ飲もうぜ」
嬉しそうに笑う虎杖の瞳に、西日が差し込んで琥珀色に透けていた。
まだ四月。ここから、過酷な夏、凍える冬、それを越さなければならない。呪術師という死亡率の高い職業で。
だが、彼が当たり前のように口にした「来年の約束」が、俺の胸の奥に、深く、消えない錨のように下ろされていくのが分かった。来年の春、この少年と一緒にヌワラエリヤを飲むために、俺はこの世界で生き残らなければならない。そんな静かな覚悟が、言葉の裏で泥のように沈殿していく。
「……ああ。そうしよう」
俺はタイマーの青い砂を見つめながら、静かにそう応えた。 - 55二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 02:15:35
虎杖との約束が日車の生きる糧になってていいね
いつ不穏になるのか今からドキドキなんだが… - 56二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 10:34:00
自分も虎杖と同じくぬわ…?となってしまったこの日車さん博識だ…
- 57二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 10:53:10
「……っと、いけないな」
口をゆすぎ、洗面台の鏡に映る自分の顔を見て、俺は小さく苦笑した。
歯を磨きながら、随分と長い時間、意識を過去に飛ばしてしまっていたらしい。
鏡の中の自分は、あの春の日から確実に年齢を重ねている。目元に刻まれた皺も、白髪の混じり始めた髪も、四十に近づいた男が順調に老いている証拠だった。
ふと、視線を鏡から手元の歯ブラシスタンドへと落とす。
そこには、俺の地味な歯ブラシの隣に、オレンジ色のポップな歯ブラシが一本、きちんと並んで立っていた。その横にある、彼が使っている市販の歯磨き粉。
「……ん?」
ふと、違和感が胸を過る。
その歯磨き粉のチューブは、驚くほど膨らんだままだった。まるで、ここ数ヶ月間、誰も触れていないかのように。
毎日朝と夜、彼はこれを使っているはずなのに、なぜ新品同様に型崩れしていないんだ? - 58二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 10:54:34
「……ああ、そうか」
思考が完全に停止する前に、脳が素早く答えを弾き出す。
きっと、俺がストックから新しいものを出して、ここに補充しておいたんだったな。彼は物持ちが良いから、俺が先回りして同じものを買い続けているのだろう。そうに決まっている。何もおかしいことはない。
俺はそれ以上考えるのをやめ、洗面所を後にして脱衣所の洗濯籠へと向かった。
籠の中に溜まっている衣類を洗濯機へと移していく。
黒やグレーの、味気ない大人の男の服ばかり。
そこには、あのあか抜けない、けれど見慣れた、目の覚めるような赤いパーカーも、黄色のTシャツも、一枚も混ざっていなかった。
「……出張任務だったな、今回は」
そう、独りごちる。
今回は長期の出張任務だと、確か誰かから聞いた気がする。五条だったか、それとも伊地知だったか。だから彼の服が籠に入っていないのは当然だ。帰ってきたら、また一気に洗濯物が増えて大変になるだろう。
洗濯、といえば。
彼と過ごした、あの最初の夏は、本当に洗濯物が絶えない季節だった。
高専の過酷な任務や鍛錬を終えたあの子は、いつも絵に描いたような汗だくの姿で、俺の部屋のドアを乱暴に開けて転がり込んできたものだ。
思い出すのは、ジリジリと肌を焼くような蝉時雨の音と、エアコンの冷気に救いを求める少年の、眩しいほどの生命力――。 - 59二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 11:09:21
ここから危うげな展開になるのが想像できない…
- 60二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 11:24:39
「虎杖悠仁はもういないじゃない?」て、脳内で別作品のキャラが煩いのですが…
せめて半呪霊化(?)が発覚してどこぞかに幽閉されてる程度であれ - 61二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 13:36:26
日車のふとした違和感を上書きするような思考の介入があるな
今の所日車の独白だしまだまだ分からないところ多いな - 62二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 21:13:26
期待保守
- 63二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:10:49
「あっちぃ~~~……! マジで死ぬ、今日今年一番暑いだろ……」
七月の半ば。夕方を過ぎても一向に下がらない熱気の中、俺の部屋のドアを開けた虎杖は、開口一番にそう言って床にへたり込んだ。
見れば、普段のパーカーではなく薄手のTシャツ一枚になっているというのに、首元から胸元にかけて、ぐっしょりと色が変わるほどの汗が滲んでいる。前髪は額に張り付き、陽に焼けた肌が熱を持ったように赤かった。
「……まずはシャワーを浴びてくるといい。そんな身体では、まともに紅茶の味も分からないだろう」
あまりに痛々しいその姿に、俺は呆れを半分、それから酷く俗世的な動換を半分交えながら、クローゼットから自分のTシャツと短パン、そして新しいタオルを引っ張り出して彼に押し付けた。
「え、いいの!? 助かるわ~、日車の部屋のシャワー借りるな!」
虎杖は「サンキュー!」と無邪気に笑うと、浴室のドアの前で、なんの躊躇もなく着ていたTシャツの裾を掴んで頭から引き抜いた。
陽に焼けた健康的な肌が、熱を持ったまま現れる。過酷な任務の証拠である細かな擦り傷が、引き締まった背中や胸元に痛々しく刻まれていた。
「おい、虎杖、待て。せめて中で――」
脱げ、という言葉は、彼がそのままズボンに手をかけたことで喉の奥に引っ込んだ。
三十路を過ぎた男の部屋で、17歳の少年がなんの警戒もなく、瞬く間に無防備な裸体を晒していく。彼にとっては同性の、それも歳の離れた友人の部屋という認識なのだろう。そこに一欠片の打算もないからこそ、俺の中のまっとうな大人としての倫理観が、警告音を鳴らすようにギリギリと軋んだ。
俺は強引に視線をデスクの上の法律書へと固定する。
カチャリ、とユニットバスのドアが閉まり、すぐにジャー、と小気味よい水音が響き始めた。
一人残された部屋の中で、俺はようやく深く溜め息を吐き、床に脱ぎ散らかされた彼の衣服を回収した。 - 64二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:14:04
砂や泥が薄くこびりついた、夏の湿っぽい匂いと、若い汗の生々しい匂いが混じったTシャツ。
これをそのままにしておくわけにもいかず、しかし手にした布地の熱を早く手放したくて、俺はそれらをまとめて籠に入れると、部屋の外にある共同の洗濯室へと向かった。
夕暮れ時の廊下は、日中の熱気が抜けないままどろりと淀んでいる。反響する蝉の鳴き声を聞きながら、俺は内心、自分のしていることの奇妙さに苦笑せざるを得なかった。
三十路を過ぎた元弁護士が、十代の少年の汗まみれの服を抱えて、高専の共同洗濯機へ向かっている。そんな世話を焼く義理も義務もないはずなのに、身体が勝手に動いてしまっていた。
誰もいない洗濯室で、彼の衣服を放り込み、洗剤を投入してスイッチを入れる。
ゴトゴトと重い音を立てて回り出した洗濯機を見つめながら、俺は不意に、自分の理性の足元が少しずつ侵食されているような錯覚に陥った。
あの無防備に晒された少年の裸体が、網膜の裏に焼き付いて離れない。俺が必死に保とうとしている境界線を、彼はあまりにも簡単に踏み越えていく。
溜息を吐きたい気持ちを堪えて自分の部屋に戻ると、浴室からはまだジャー、と静かに水音が響いていた。
「ふぃ~~~、生き返ったわ……」
やがて水音が止み、浴室のドアが開いた。湯気を纏って戻ってきた虎杖を見て、俺は思わず小さく息を呑む。
やはり、俺の服は彼には少し小さすぎた。
17歳の、容赦なく鍛え上げられた猛獣のような肉体。俺のTシャツは彼の厚い胸板と広い肩幅に引っ張られてピチピチに突っ張っており、短い袖口からは、およそ高校生のものとは思えない逞しい腕が伸びている。
男らしい鎖骨のラインや、短パンの裾から覗く引き締まった太腿の、あまりにも圧倒的な質量と生命力の生々しさに、俺は一瞬だけ視線を彷徨わせた。
「日車、今日のお茶なに? すげえいい匂いすんだけど」
開けたばかりの茶缶から漂うベリーの香りを追うように、虎杖が鼻をひくつかせる。そして髪をタオルで乱暴に拭きながら、ローテーブルを覗き込んだ。
彼が上がってくる前にアイスティーを完成させておくべきか、とも思った。だが、それをしなかったのは、彼が必ずあの青い砂が上がる瞬間を見たがるからだ。いや――本当は、そのタイマーを凝視する彼の無邪気な横顔を、俺が見たいだけなのかもしれなかった。 - 65二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:16:54
「今日はTWGのブラックティーだ。アイスにするとベリーの香りが際立つ。……では、三分測るぞ」
温めたティーポットに茶葉を落とし、熱湯を注ぐ。俺はローテーブルの中央に、あの透明な樹脂製のタイマーを置いた。
茶葉は今頃湯の中でゆっくりと開き始めていることだろう。それと同時に、青い粒子が気泡のように、ゆっくりと下から上へ向かって昇り始めた。
「よし、三分な」
虎杖が俺の座るソファにどさりと深く腰掛けた。
冷房の風が、彼の湿った髪を優しく揺らしている。シャワーを浴びてさっぱりしたことと、心地よい室温、そして過酷な夏の任務から解放された安心感が一気に押し寄せたのだろう。
上へと昇っていく青い粒を見つめる彼の琥珀色の瞳が、みるみるうちに、とろんと重そうな眠気に侵食されていくのが分かった。
いつもなら飽きずにタイマーを覗き込んでいるはずの頭がかくりと小さく揺れる。
「日車の部屋、すげえ涼しい……」
掠れた声でそう呟いたのを最後に、虎杖の身体が、ゆっくりとソファの背もたれへと傾いていった。
まだ一分も経っていない。ポットの中の茶葉はまだ開ききっておらず、青い砂は、まだ半分も上がっていなかった。
「……虎杖?」
声をかけたが、返ってきたのは小さな規則正しい寝息だけだった。
タイマーを見ると、青い粒子は我々の時間などお構いなしに上へと昇り続けている。
俺は小さく溜め息を吐き、けれどその口元に浮かぶ苦笑を隠すこともできないまま、虎杖の身体が楽になる姿勢を取らせた。
静まり返った部屋で、三分が満ちる。
三分が経過した後、俺は音を立てないよう細心の注意を払って立ち上がり、備え付けられたキッチンへ向かった。 - 66二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:18:55
開いた茶葉を漉しながら、大量の氷を仕込んだガラスのカラフェへ熱い紅茶を一気に注ぎ込む。カラン、カラン、と涼やかな音が静かな部屋に響いた。急冷された琥珀色の液体から、ベリーの甘酸っぱい香りがふわりと立つ。
冷蔵庫から、先日買っておいた小ぶりのマドレーヌを皿に出し、冷え切ったグラスと共にローテーブルへ運んだが、彼はまだ起きていない。
「おい、虎杖。起きてくれ。アイスティーが薄まる」
ソファの横に屈み、彼の肩を軽く揺する。
「ん……ぅ」
虎杖が眉を寄せて身じろぎをした。睫毛が震え、まだ完全に光の戻っていない琥珀色の瞳が、うっすらと開く。
「……ひぐるま?」
「ああ。三分はとうに過ぎたぞ。ほら、お茶菓子もある」
そう言って俺が身体を起こそうとした、その時だった。
寝ぼけて状況が分かっていないらしい虎杖が、ふらふらと上体を起こしたかと思うと、そのまま吸い寄せられるように、俺の胸元へと頭を預けてきたのだ。
「……ん、日車のにおいする……」
ごつごつとした硬い額が、俺の鎖骨のあたりに押し付けられる。
彼が着ているのは俺の服なのだから、同じ柔軟剤の匂いがするのは当然だ。それなのに、シャワー上がりの清潔な体温と、虎杖自身の持つ生命力の強い熱がダイレクトに肌に伝わってきて、俺の心臓はドクンと大きな音を立てて跳ね上がった。
首元に触れる彼の短髪が、妙にくすぐったくて、痛い。
「こら、虎杖。離れろ」 - 67二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:20:48
大人の理性を総動員して声を低くするが、彼は「んー……」と小さく唸るだけで、むしろ落ち着くポジションを探すように、俺の肩口にさらに深く顔を埋めて擦り寄ってくる。大型犬が飼い主に甘えるような、あるいは子供が親に懐くような、あまりにも無防備で打算のない拒絶のなさに、俺の手が宙で止まった。
このまま、この逞しい身体を抱きしめてしまえたら、どれほど楽だろう。
だが、17歳の少年に邪な感情を抱いてはならないという倫理観が、俺の腕を硬直させる。
俺は、あえて大きな音を立ててテーブルのグラスを揺らした。
「……氷が、溶けるぞ」
冷たい結露のついたグラスを、彼の首筋にそっと当てる。
「うわっ、冷たっ!?」
虎杖は弾かれたように跳び起き、一気に目を丸くした。自分が誰に、どんな風に寄りかかっていたかに気づいたのか、陽に焼けた顔をみるみるうちに真っ赤に染めていく。
「ご、ごめん日車! 俺、寝ぼけて……!」
「構わない。……さあ、冷めないうちに、いや、ぬるくならないうちに飲め」
俺は自分の声がわずかに震えていないことを祈りながら、結露で冷え切ったグラスを彼の手へと握らせた。
虎杖はまだ顔を赤くしたまま、両手できちんとグラスを持ち直す。 - 68二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 22:22:02
「いただきます!」
「いただきます」
カラン、と氷が鳴る。
お互いにグラスに口をつけ、冷たい液体を喉へと流し込んだ。
ベリーの甘い香りが、冷えた空気の中へ静かに広がっていく。冷房に満たされた部屋の中で、その匂いだけがどこか熱帯の果実のような濃厚さを持って、俺たちの鼻腔を掠めていった。
「……うま」
寝起きで掠れた声に、俺は曖昧に「そうか」とだけ返した。
それ以上は、何も言わなかった。
言うべき言葉が、見つからなかったのだ。
さっきまで俺の胸元に預けられていた彼の頭の重みや、肌を灼くようだった熱い体温が、冷たいアイスティーを飲み干すたびに、嘘のように引いていく。それが酷く寂しく、同時に、どこか救われたような心地がしている自分に気づく。
これ以上言葉を重ねれば、俺は本当に、この少年を帰したくなくなってしまうかもしれない。
冷房の風が、静かにカーテンを揺らしている。
セミの鳴き声さえ遮断された薄暗い部屋の中で、ただ氷の溶ける音だけが、時折小さく響く。
ローテーブルの中央では、役目を終えた青いタイマーだけが、もう動かないまま透明な光を閉じ込めていた。 - 69二次元好きの匿名さん26/05/27(水) 23:30:32
更新たくさん嬉しい
世話焼き日車と甘えたな虎杖かわいいね - 70二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 05:04:36
本当にスレ主の文章が美しくて好き
瑞々しくて甘酸っぱい思い出だ - 71二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 10:02:56
深夜。すべての仕事を終えて自宅のドアを開けた時、俺の身体は芯から泥のように疲弊していた。
今回の任務は、手数の多い一級呪霊の処理だった。俺の術式は一度展開すれば没収が取れることが多いものの、肉弾戦を強いられてしまい、呪力も体力も限界まで削られている。
「……ただいま」
暗い玄関に声をかけるが、返事はない。当然だ。悠仁はまだ長期の出張任務から戻っていないのだから。
重い足取りでリビングへ進み、ネクタイを緩めながらスリッパへ履き替えようとした、その時だった。
――ぐにゃり。
右足の裏に、不快な、粘り気のある感触が走った。
「……ん?」
眉をひそめ、靴下を脱いで裏を返す。
そこには、べったりと潰れたイチゴ飴の包み紙が張り付いていた。熱で溶けた砂糖が、フローリングの床にも小さなシミを作っている。
「……掃除をしていないな」
その事実に、奇妙な違和感が首をもたげた。
俺は元来、生真面目で潔癖な性分だ。部屋の隅にゴミが落ちていることなど、普段の俺なら絶対に許さない。それなのに、なぜこんな目立つゴミを見落とし、放置していたのだろうか。 - 72二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 10:29:18
そこまで考えこんで、ふと思い至る。
「この間、高専の補助監督から貰った飴を、俺がポケットから落としたままにしていたんだな」
そうだ、俺が悪い。疲れていたとはいえ、自分の家の管理すら満足にできないとは。
「まったく、日車は部屋は綺麗にするのに、たまにこういうドジするよな」と、悠仁が戻ってきたら、きっとあの屈託のない顔で笑いながら、俺を叱るに違いない。
何もおかしいことはない。俺は小さく苦笑し、ウェットティッシュを取り出して床と足の裏を丁寧に拭き取った。
立ち上がる際、スーツの袖口が擦れて、左腕にピリッとした痛みが走る。
めくってみると、呪霊の爪が掠めた跡が、浅い線傷となって赤く滲んでいた。
「大した傷ではないな……」
救急箱を取り出し、消毒綿をあてる。
染みるような痛みが脳を刺激した瞬間、その傷の痛みの感覚に引きずられるようにして、別の記憶が鮮烈に呼び覚まされた。
――そういえば。
まだ付き合い始める前、あの秋の入り口に、彼が傷を負って俺の部屋にやってきたことがある。
思い出すのは、急に夜風が冷たくなり始めた十月の頭のことだ。 - 73二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 12:14:25
『悠仁』は本当に実在の虎杖なのか怪しいな
- 74二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 12:34:05
イチゴ飴ってお祭りで売ってるあれが真っ先に浮かぶけどただ単にイチゴ味の飴?
補助監督に貰っとかポケットから落としたという設定なら後者かもしれないけど後者にしたってなんか謎…… - 75二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 16:01:17
保守
- 76二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 21:19:52
色々気に成る
- 77二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 21:23:23
付き合ってるのに左右明言されないの妙な落ち着かなさがある
付き合ってるのは本当だと思いたいが - 78二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:25:14
十月の終わり。日が落ちるのがすっかり早くなり、窓の外からは冷え冷えとした秋の夜風が、かさかさと乾いた木の葉を鳴らす音が聞こえていた。
「日車、お疲れ。……今日も、寄っていい?」
ドアを開けて入ってきた虎杖は、いつも通りの笑顔を浮かべていた。
だが、彼が部屋に一歩足を踏み込んだ時、俺の鼻腔を、冷たい外気と共に微かな、けれど決定的な異物が掠めた。
――鉄の臭いだ。
「……虎杖。怪我をしているな」
「え? あー、いや、これ? 大したことねえよ。ちょっと掠っただけ」
言いながら、虎杖はバツが悪そうにパーカーの袖を捲り上げた。
前腕のあたりに赤黒い血が滲んだ傷口がむき出しになっている。彼にとっては日常茶飯事の、文字通り「大したことのない」範疇の傷なのだろう。
「反転術式を使うほどの傷でもねえし、呪力もったいないしさ」
あっけらかんとそう笑う彼に、俺は言葉を失う。
今の彼には、その気になれば自力で肉体を修復する術があるのだ。それなのに、この程度の痛みや出血は「燃費が悪いから」と、当然のように身体に引き受けたまま放置している。その呪術師としての歪んだ慣れが、俺には酷く痛ましかった。
高専の医務室へ行けば、家入が治してくれる可能性は高い。彼ならそれに思い至らない筈がないのに。
「……真っ直ぐここ来ちゃった」
捲り上げた自分の腕を見つめたまま、虎杖は少しだけ声を低くしてそう呟いた。
その琥珀色の瞳が、ひっそりと俺の表情を窺うように向けられる。
高専の医務室へ行かなかった理由が、この部屋へ、俺へ、会いに来るためだったのだと気づかされ、俺の胸の奥が形を失うほど激しく揺さぶられた。17歳の少年が、任務の直後に、真っ先に俺の顔を思い浮かべ、血を滲ませたままここへ駆けてきた。その事実の重さに、目眩がしそうになる。 - 79二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:26:16
「……そんな身体で歩き回るな」
俺はわざとぶっきらぼうに言い放つと、棚から救急箱を引っ張り出し、ローテーブルの上に置いた。
「そこに座れ。手当てをする。……それから、紅茶を淹れよう」
「うん。ありがとな、日車」
ソファに腰かけた虎杖の隣に座り、高専に来てから覚えた諸々の処置を頭で思い返した。消毒液を浸した綿をピンセットで掴み、彼の傷口にそっと触れる。
「……ッ」
虎杖の身体が、微かに強張った。
至近距離で伝わってくる、若い体温と生々しい鉄の臭い。傷口の周囲を丁寧に拭うたびに、俺の指先が彼の強靭な筋肉に触れ、その弾力がダイレクトに伝わってきた。元弁護士の、ペンしか握ってこなかった俺の身体とはまるで違う。少年でありながら、戦うための肉体だ。それが今、こうして目の前で傷ついている。その事実に胸の奥になにかが押し込められたような心地になる。
「次からは、きちんと怪我の処置をしてからここへ来るように」
努めて冷静に、大人の調子を保って諭した。だが、虎杖は傷口をじっと見つめたまま、不満げに口を尖らせる。
「だって大したことねえもん。家入さんのとこ行くほどじゃねえし、ほっときゃ治るよ」
「大したことの有無を決めるのは君ではない。……高専の医務室へ行けば、痛い思いをせず一瞬で治るのだろう」
なぜ、わざわざそんな痛みを引きずったまま、ここへ来るのか。
言葉の裏に隠した俺の焦燥を見透かしたように、虎杖がふと顔を上げた。真っ直ぐな琥珀色の瞳が、すぐ近くで俺を射抜く。
「……日車は、俺がここに来たら嫌だった?」 - 80二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:28:04
打算のない、純粋ゆえに鋭い刃のような問いだった。
嫌なわけがない。嫌なわけがないだろう。だが、それをそのまま伝えるだけの資格が、俺にあるのか。
俺はピンセットを置き、彼の前腕に包帯を巻きながら、喉の奥にへばりついていた言葉を、絞り出すようにして溢れさせた。
「……嫌なわけがない。そうではなく、俺が心配なんだ」
「え……」
包帯の処置をする俺の手が、微かに震えていた。虎杖が小さく息を呑む音が聞こえる。いつも年長者として、一線を引いた「まっとうな大人」として接するよう心掛けていた俺が、初めて剥き出しの感情を彼に向けたのだ。虎杖は丸くした目を瞬かせ、それから、包帯の巻かれた自分の腕を愛おしそうに見つめて、ぽつりと呟いた。
「……日車、ありがとな」
「……どういたしまして」
それ以上の会話を遮るように、俺は立ち上がってキッチンへと向かった。
これ以上彼のそばにいれば、その引き締まった身体を衝動的に抱きしめてしまいそうだったからだ。
今日選んだ茶葉は、ディルマのシングルオリジン。
温めておいたポットに茶葉を落とし、沸騰した湯を注ぐ。俺はローテーブルの中央に、あの透明な樹脂製のタイマーを置いた。
音もなく、タイマーをひっくり返すと、青い滴が底からゆっくり浮かび上がっていく。
茶葉が開き切るまでの、三分間。
相変わらず、俺も彼も何も喋らない。部屋の中で、冷蔵庫の駆動音だけが低く鳴っている。
微かな消毒液の匂いと、開き始めた茶葉の香りが混ざり合っていく。タイマーの青は、まだ半分にも届いていない。
ソファに座る虎杖は、包帯を巻かれた自分の腕をじっと見下ろしていた。
やがて、ぽつりと声が落ちる。
「……日車ってさ」
「なんだ」
「俺が怪我してんの、ほんとに嫌なんだな」 - 81二次元好きの匿名さん26/05/28(木) 22:29:48
不意を突かれ、俺は言葉を失った。
虎杖の声音には、茶化しも遠慮もなかった。ただ純粋な確認のように、静かに俺の胸の奥を覗き込んでいる。彼にとって「怪我」はただの日常の消耗品でしかないのに、俺がそれ以上に傷ついていることに、彼は気づいてしまったのだ。
俺はたまらず、視線をタイマーへ落とした。
青い滴は、二人の間に流れる張り詰めた空気など何も知らないまま、無音で上へ昇り続けている。
「……嫌だな」
喉の奥から落ちた声は、自分でも驚くほど率直だった。大人としての体裁も、言い訳も、何一つ挟めないそれを恥じる沈黙の間に、虎杖が小さく瞬きをする。
「そっか」
それだけ言って、彼は包帯の上からそっと自分の腕を撫でた。俺の手で巻いた白い包帯が、彼の高い熱を吸って少しだけ皺になる。
「じゃあ次から、ちゃんと手当てされに来る」
「医務室へ行け」
反射的にそう返すと、虎杖は肩を揺らして悪戯っぽく笑った。
「だって、紅茶飲んでからなら元気出そうだし」
「……順番が違うだろう」
呆れたように言いながらも、彼の言葉を完全に否定しきれない自分がいる。
医務室で呪力を使って一瞬で消されるはずの痛みを、わざわざこの部屋へ持ち込んで俺に委ねてくれることを、心のどこかで酷く愛おしく、歪んだ優越感と共に受け止めてしまっているのだ。
タイマーの最後の青が、ゆっくりと上へ吸い込まれていく。三分が満ちた。
俺は静かに立ち上がり、ティーポットへ手を伸ばす。開き切った茶葉の香りが、室内に漂う消毒液の残り香と混ざり合いながら、冷えた部屋の中へゆっくりと広がっていく。
温かい紅茶をティーカップへ注ぐその微かな音を聴きながら、俺はようやく理解し始めていた。
この三分が長いのは、沈黙のせいではない。
俺が、この少年の無事を、帰還を、想像以上に願ってしまっているからだ。
彼が戦場へ赴くたびに、この長い三分間のような生きた心地のしない時間を、俺はこれから何度も過ごすことになるのだろう。その予感が、喉の奥をひどく痛くさせた。 - 82二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 01:18:47
スレ主は文豪か?
描写が丁寧だから脳内イメージがしやすい
まだ続きが楽しみだ - 83二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 08:56:06
文章好きすぎる
- 84二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 11:44:37
スリッパを履き直して一歩を踏み出した時、足の裏に、なんとも言えない違和感を覚えた。
なんだか、床面が妙にでこぼこしている。
一歩進むごとに、スリッパの底越しに、硬いなにかを踏んでいるような、床そのものが歪んで波打っているような、不快な高低差が足裏に伝わってくるのだ。
「……リフォームの施工が甘かったか」
俺は下を見ることなく、ただ前を向いて歩を進めた。
この部屋に入居した際、業者の手際が悪かったのだろう。あるいは、最近の雨続きでフローリングの木材が湿気を吸って、少し反ってしまっているのかもしれない。家というのは案外脆いものだ。悠仁が帰ってきたら、一度業者に見てもらうように手配しよう。彼を出迎えるのなら、快適な家のほうがいいから。
自分の部屋に戻って背広をかけようとした時、PCデスクの傍らに、一枚の小さなプラスチックのカードが置き去りにされているのが目に入った。
見覚えのある、近所の総合病院の診察券だった。表面には、はっきりと俺の氏名が印字されている。
「……診察券?」
俺はそれを指先で拾い上げ、まじまじと見つめた。
自分が病院にかかっていたという記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
内科だったか、整形外科だったか、あるいは――。 - 85二次元好きの匿名さん26/05/29(金) 11:46:37
どれだけ記憶の引き出しをひっくり返しても、自分が何科を受診し、医者から何を告げられたのか、その輪郭がどうしても霧のように融けて思い出せない。
その瞬間、ズキリ、と、 眉間の奥を太い針で貫かれたような、激しい頭痛が走った。
「う……く、……」
思わず片手で額を押さえ、デスクに手をつく。
目の前がチカチカと明滅し、脳の髄を直接ギリギリと絞られるような痛みに、視界が白く染まりそうになった。
「いけないな、こんな体調では……」
悠仁に、心配をかけてしまう。
あの子はただでさえ他人の痛みに敏感だ。俺がこんな風に頭を押さえて顔を顰めていたら、それこそ自分の任務のことなど放り出して、うろたえながら俺の身体を揺さぶるに違いない。
痛む頭を抱えながら、俺はソファへ深く身体を沈めた。
そうだ。俺がこんな風に体調を崩しているから、悠仁は俺に負担がかかりそうな任務を引き受けてくれているのだ。俺がしっかりと体調を万全に戻さなければ、悠仁にはいつまでも迷惑をかけたままだ。
「……それにしても」
ネクタイを外し、目を閉じる。
いくら俺のためとはいえ、やはり、帰ってこないのは寂しい。悲しいな、と思う。
最後にあの笑顔を見たのは、いつだったか。
一人きりの静まり返った部屋の中で、その寂しさを埋めるように、俺の脳はゆっくりと引き出しを開ける。
寂しくて、 酷く寒かった、あの冬の日。
――思い出すのは、粉雪が窓の外を白く染めていた、十二月の静かな夜のことだ。