【人相の達人がいたら?】(季刊「五術」平成18年9月号掲載文から抜粋)
2016.09.25 Sunday
(季刊「五術」平成18年9月号掲載文から抜粋)
佐藤六龍著
『五術』誌上で「株による金銭取得は財と言いません」と書いたところ、では次の場合はどうだ、というお手紙をいただきました。
「ある人物が自己の知識と判断によって株式の銘柄を選び、市場の動向と時期を見極め、自己の意志による株式売買の行為・行動で利益を収めた場合」の金銭はどうなるのだ! これは財ではないのか? という意です。
私には、これだけハッキリと「自己」の知識・判断・行動の結果による利の金銭 ― と言われると、「自己の行為によって稼ぎ出した財ではない」と、断言できなくなってしまいました。
しかし、と言って、株を一般のような金銭の財とは言えない ― の考えが心の片隅にあるのです。その理由が言えないのです。
何か株というものが、いくら自己の見識で売り買いしても、財とは私には言えないのです。ずるい考え、おかしい、これだけ自己が関わっていたら、財ではないのか? 詰問されたら一言もないのですが、財とは私は言いたくないのです。私の頭のかたさでしょうか。
たしかに昔と、株の上下売買は相当に違ってきて、財的要素(?)を備えてきてはいますが…。
このことで私は、大熊光山師が今、存命していてくれたら ― と考えるのです。光山師でなくてもよいのです。人相の達人がいてくれたらと思うのです。それは、こういうことです。
四十年前のことです。光山師が言われたことがあります。
病院・葬儀場へ行くと、そこにいる人は必ず、病相・死相やそれらに関連した人の画相が出ている人がたくさんいた、と言うのです。
また、新聞で火事の記事を見たとき、すぐその現場へ行くと、火難の相をした人(おそらく家族)がたくさんいたというのです。面白いのはその火事場で、ハッピを着て火事見舞いの受付や、火事場を取り仕切っている、請負師(町内のトビの頭)の顔には、まったく、火事の相が出ていない、ということです。
日暮里の寺町を歩くと、年忌の相の出た人にたくさん会うというのです。私も光山師と高田馬場から国鉄に乗ったことがありました。
池袋駅に着くと、そこから、乗った夫婦連れを光山師は「佐藤さん、あの二人は、日暮里で降りるよ。見ててごらん」と言ったのです。いくら画相の名人でも、行き先や下車駅がわかるはずがない、と考えて、「どうしてですか」と問うたのですが、「日暮里駅まで行ってごらん」と言ったきり、あとは何も説明してくれませんでした。日暮里駅に着くと、その夫婦連れは下車していきました。
「佐藤さん、あの夫婦には年忌の相が出ていたから、日暮里の寺へ行くとみたのだよ。いくら私だって、赤の他人の行き先はわからないよ…」と教えてくれました。
ところが、光山師の説です。兜町へ行っても証券会社へ行って、まったくそこにいるお客の人相には、散財の相も、得財の相も出ていないのだそうです。一人のお客にも、そうした相は出ていなかったというのです。株の町ですから、もうかった人、損した人はいたはずです。一人としていないのだそうです。
競馬場へ行ったときも同じだったそうです。馬券が当たって、予想屋にご祝儀を出している人の相を観ても、金の入る相は全く出ていなかったというのです。そうして大金をすってしまい、はずれ馬券で花吹雪を散らしている人の相にも、散財の相は全く出ていなかった、というのです。
つまり、火事場、火葬場には火難の相の人が、病院には、病相・死相の人が ― いるということです。
ところが、大金が乱れ飛ぶ(つまり入金・散財)株屋街、競馬場には、まったく財に関する相の出ている人はいないということです。
ただし、これは、四十年前の話です。競馬は同じでしょう。宝くじも同じでしょう。しかし株は、四十年前とでは前述のように少し違ってきています。
そこです。いま、光山師が生きていて、あるいは光山師ぐらい人相の観られる人がいて、証券会社に行ってそこの人々の顔を見たら、どうなるだろう?と考えたのです。案外、財富の人相、散財の人相の人々が出る時代になっているかもしれないからです。
私の頭では、株は財なのか、財ではないのか?は、今のところわかりません。光山師がいたら?という、はなはだ他力本願の願いです。
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近世の大名人・大熊光山先生著
《入門から苞、気色、血色、画相のすべて》
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■本書は、やさしい文章で占術に興味をお持ちの人はだれでもすぐ理解できるように述べてあります。
■本書は、二部構成になっています。前半は、初心者入門者用の人相の基本を光山流として整理して述べてあります。
後半は、人相練達の士のための人相の最高奥義を光山流として公開してあります。
■人相に初めての方、少し研究した方――は、本書の最初から順序よく読み進みますと、人相の基本・形貌・部位・気血色の見方のすべてが習得できます。研究者の便をはかり、別冊人相図八百四十九図を添付してあります。
■人相練達の士は、日本にある気色・血色・画相の見方のすばらしい秘伝が身につきます。
■気色血色画相を研究したい人、または究明したがまだ見られないという人――は、本書の気色・血色・画相論に述べてある鍛錬法によって、それらが見られるようになります。
■光山流相法の特色は、江戸時代からの人相のあらゆる秘伝がきれいに整理され、しかも適中するものだけが取り上げられているという点にあります。占いでよく当たるということくらい魅力のあるものはありません。光山相法はともかく実験してみれば、すぐわかります。それは、長い間の光山先生の実験と学理上の納得のいく説明がされているからです。
中国五術の透派・張耀文先生も日本の占術は一つとして満足なものはないが光山相法(他の人相はもちろんだめである)だけは、すばらしいの一語につきる、と述べられていました。
《 あとがき より 》
本書に述べられている事は、どれ一つをとってもすばらしい内容のものです。というのは、これまでの人相の秘伝を大熊光山先生が実際に試してみて、それを一つ一つ光山流相法として編纂しなおしてあるからです。
林文嶺翁の秘伝も、山口千枝翁の秘伝も、その他江戸時代より伝えられたあらゆる秘伝が、すべて光山流としてまとめられているのです。
本書には二つの特色があります。
一つは、初学者向きの人相の基本がことこまかに述べられています。
二つは、奥伝者向きの画相の見方、気色や血色の学び方と見方、人相による諸雑占法のすべてが、ことこまかに述べられています。ですから、本書を十分に習得することにより、人相の堂奥に達することは誰でも可能です。
(略)光山先生は気色画相の人相判断を「誰にも出来るのであり、決して霊感とか妄想ではない。ただ画相気色を見る目の修練を十分にやるだけである。画相気色が難しい、というがそれは目を慣らさないからだ。タクシーの運転手の人が夜の対向車のライトに目がくらまないと同じように人相を見るためには、画相気色の目を作ることだ。
それをやらないで画相や気色は妄想、などと言っているのは怠慢である」と断言しておられました。
昔の光山先生の勉強時代の話です。初代目黒玄竜子先生に火事の相を教えてもらったら、その翌日から一週間のおひまをいただき、新聞を開いては火事にあった家を探して出かけていったそうです。
そして火難の相は火事にあった一週間後ぐらいでも出ているから、火事場にいって、その人の相を見て火難の相を体得したということです。
また、同じようにして死相病相を教われば、翌日から大病院の待合室や死体安置室、葬儀屋に出かけていき、そこに出入りする人の顔に、病相死相が出ているかどうかを確かめ、人相を究明したそうです。
年忌や法事の相を教われば、上野の寺に行き、そこに集まる人の相を見て、本当に教わったとおりの年忌や法事の相が出ているかどうかを実験したそうです。
光山先生の人相のすばらしさは、こうした血の出るような尊い実験を積み重ねたところにあるのです。ゆえに光山相法はよく当たるのです。本書に述べられている、一見して不思議そうに思える人相判断の秘伝は、一つとして空理空論や適中しないものは述べてありません。
私(六龍)は短い期間(十五年余)でしたが、大熊光山先生に師事し、人相と五行易の教えを受けました。今もってこれを生涯の徳としています。その間、先生は何日も私の家に泊まられることがありましたが、本書に書かれている人相のあらゆる見方を、先生が実地に応用して活断しているのを目の当たりに見ることが出来ましたし、また私も身をもって体験もしたものなのです。(略)
〔入門基本篇〕 三停論/五岳論/紋理篇/欠陥論/赤脈論/十二宮論/十三部位論/挙動論/天真論/相格論/女人相法/
〔血色・気色・画相篇〕 気色観法と鍛錬法/気色・血色の判断法/画相の見方
〔観相奥義篇〕 光山流主要四十部位論/主要四十部位の見方/天中より地庫までの主旨
〔当用血色篇〕 血色の種別/神動線の根底/血色の習性/鑑定上の注意/苞の種類
〔当用事項鑑定秘伝〕 目的希望/事業職業/就職/昇進/退職免職/縁談/金談/交渉掛合/訴訟/出願許可/試験/移転/建築増作/火難水難盗難/色情/散財遺失/手形印章/その他七十九項目の鑑定法
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