駅から俺のマンションまでの道のり、ハルトは一度も俺の手を離さなかった。
ポケットの中で、男同士の手が強く握り締められている。すれ違う通行人は誰も気づかない。だけど、俺の右手はハルトの容赦ない握力で、とうに感覚を失いかけていた。
部屋に入り、鍵を閉めた瞬間、ハルトは靴を脱ぐのももどかしそうに、俺の背中に後ろからしがみついてきた。
「ハルト……?」
『……寒い。先輩、すごく寒いです』
コート越しでもわかるほど、ハルトの身体は小刻みに震えていた。あの完璧だった彼なら、絶対に人に見せなかった無防備な脆弱さ。
リビングのソファに二人で座っても、ハルトは俺の膝の上に頭を乗せたまま離れようとしなかった。
いつもなら、俺の部屋に来るなり「片付けますね」と動き回り、俺の好きなコーヒーを完璧な淹れ方で用意してくれたハルト。今の彼は、散らかった雑誌も、飲みっぱなしのグラスも目に入らないようだった。
ただじっと、俺のセーターの裾を握りしめ、その淡い瞳で俺を見上げている。
『お腹空きました。……ナポリタン食べたいです』
「ナポリタン? お前、ピーマン嫌いじゃなかったか?」
『嫌いです。大嫌い。……だから、先輩がピーマンだけ全部食べてください。俺は甘いケチャップの味しかいらない。俺の嫌いなものは全部、先輩が引き受けて』
ハルトは感情の乗らない声で、だけど確実に強制させるようにそう言った。その目は、俺が本当にハルトの「泥々の中身」を受け止める覚悟があるのかを、値踏みするように、試すようにじっと見つめている。
「……わかった。今から作るから、ちょっと手を離せ」
『嫌です。離しません。キッチンまでついていきます』
本当に、一歩も離れようとしない。
俺が立ち上がると、ハルトは俺の腰に腕を回したまま、足元に絡みつくようにしてついてきた。不便極まりない。料理なんてまともにできやしない。
だけど――俺の胸の奥は、歪な歓喜で震えていた。
これだ。俺が欲しかったのは、この面倒くさくて、理不尽で、俺の都合なんて1ミリも考えていない、生身のハルトだ。
不格好な体勢で作り上げたナポリタンを、ハルトは黙々と口に運んだ。そして、宣言通り、フォークで器用にピーマンだけを避けて、俺の皿へと放り込んでいく。
『……おいしい』
小さく呟いたハルトの目から、またぽろりと涙が溢れた。
泣いているのに、表情はひどく無機質で、そのギャップが余計に彼の痛々しさを際立たせる。
「ハルト……」
俺が手を伸ばし、彼の頬の涙を親指で拭った。
ハルトはびくりと身体を強張らせたが、すぐに俺の手のひらに、すり寄るように自分の頬を押し当ててきた。
『……今まで、誰にもこんなこと言えなかった。親の前でも、学校でも、前の恋人の前でも……。ずっと、役に立つ良い子でいなきゃ、捨てられると思ってたから』
ハルトの指が、今度は俺の首筋に触れる。冷たい指先が、俺の頸動脈をそっとなぞる。
『先輩が、俺を狂わせたんです。……もう、まともな人間のフリ、できなくなっちゃった』
その瞳の奥に灯る、どろりとした熱。それは愛というよりも、もっと原始的で飢えた、共依存の渇きだった。俺たちは、引き返せない一線を越えてしまったのかもしれない。