死ぬまで男に困らない女になるために~器の大きさ、育て方~
幼い頃、父は時折、一流ホテルで食事を御馳走してくれた。子供の頃から
一流に触れる経験は、将来への投資であると奮発してくれたのだった。非日常の贅沢は勿論嬉しかったが、それ以上にその親心が子供ながらに有難く感激したのを覚えている。ホテルのロビーには、沢山のセレブや時に芸能人にも遭遇することがあった。我が家の非日常が、彼らには日常のほんの一コマに過ぎないことを知り、資本主義というものを思い知った。ある時、そのホテルで赤いドレスを着た同じ年齢ぐらいの女の子に出会う。ティーラウンジのショーケースに宝石の様に陳列されたなチョコを全種類、買ってもらっていた。特段、羨ましいとも思わなかったのだけれど、何となくその光景から目を離せなくて、そのままじっと眺めていた。父が「買ってあげようか」と私に声をかけてくれたのだが、「欲しくない」と強固に固辞した。自分が物欲しそうな顔をしていたのかと、酷く恥じ入った。父を安心させるために「勉強して、自分で欲しいものは買える様になる」と笑顔でいうと、父は愉快そうに「そうか」と返した。
自分は、こうして、「器」を大きくしていった様な気がする。
男に媚びるふりはしても、男に依存しない。
権力には、巻かれるが、迎合はしない。
お金は大好きだが、執着はしない。
「器」が段々大きくなると、受け取れるものも、それに応じて大きくなっていった。今、買えないものは、ほとんどない。
時々、「棚ぼた」的に、「自分の器」以上の物を手にする人に遭遇する。
自分の幸運に感謝することなく、更に、貪欲に「金」や「地位」や「男」を求め続ける人がいる。「器」を大きくする努力をすることなく、もっともっと、と求め続けるのだ。いつしか他人の所有物まで羨ましがる様になり、やがて、怠惰になっていく。「器」が欲望に追いつかなくなり、破滅する。
父が晩年、「絶頂の時ほど、慎重にならなければならない」といっていた。
幸運が続くと、やがて「麻薬」の様に耐性が出来て、「幸運」そのものを粗末にしてしまうのだろうか。結果、身を滅ぼした女性を私は知っている。
私は今も、「自分の器」以上の贈り物は、受け取らないが、その瞬間、
宝石の様なチョコを想い出すからだ。


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