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【伏見俊昭と仲間】内田慶への思いと大塚健一郎の引退…そして4年ぶりのダービーへ

2026/04/29 (水) 19:00 27

 netkeirinをご覧の皆さん、こんにちは。伏見俊昭です。
 今回は内田慶君のお墓参りと仲間の引退、そしていよいよ始まるGI日本選手権競輪などについてお話します。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

内田慶君のお墓参りへーー「もし今も一緒に走れていたら…」

 4月は、2023年オールスター以来、約3年ぶりに西武園競輪場に呼んでいただきました。西武園にあっせんがあると、競輪場入りする前に僕は必ず向かう場所があります。2008年、一宮のオールスターの際に事故で亡くなった内田慶君のお墓です。彼のお墓は埼玉県内で、西武園競輪場から比較的近い場所にあります。月日が経つのは本当に早いもので、彼が旅立ってから18年。もうそんなになるのかと、改めて感慨深いものがありました。

 今回は、西武園記念の前検日の早朝に、生前に慶君と仲が良かった同県の後輩・金成和幸君を誘って、2人で行ってきました。金成君の運転する車中でも「もう18年も前なのか」なんて話をしていましたね。慶君のお墓はいつもきれいに掃除されていて、色鮮やかなお花が供えられています。前橋参加の前には、同期の手島慶介さんのお墓参りもするんですが、手島さんのお墓もいつも本当にきれいです。

西武園あっせん時には必ず慶君に会いに行く(写真:本人提供)

 その清らかな光景を見ると、ふと考えるんです。「もし彼らが今も一緒に走っていたら、どんな選手になっていただろうか」と。慶君は4km個人追い抜きのスペシャリスト。競輪はどちらかというと持久系のほうが息長く続けられるイメージがあるので、太く、かつ長く選手をやっていたんじゃないかなと思います。手島さんは自在型のオールラウンダーで、何をやってもうまかった。だから、そのままさらに完成度の高い選手になっていたのかな、とか。競走前は、いつも2人のことを考えます。一緒に走れているような感覚にもなれますし、亡くなった人のことは思い出してあげることが一番の供養になる、って聞いたこともありますからね。

 余談ですが、金成君は最初に誘ったとき、あまり乗り気じゃなかったんですよ。朝早いし、ナイターだったらよかったのに、とか言っていて。競輪場入りの時間を逆算して「8時くらいにホテルに迎えに来て」とお願いしたら朝早いと言うし、じゃあ一緒に前泊しようと言っても、それも嫌だと。でも「慶が悲しむぞ」と言ったら、予定よりずっと早く迎えに来てくれました。その後は僕を西武園競輪場に送ってくれて、金成君自身は「息子に届けるものがある」と言って、大学進学で上京している息子さんの家へ行ってしまい、競輪場入りはかなり遅くなっていました。本当に輪界一特殊な人間(笑)で、行動が読めないんですよね。でも、結局は車で迎えに来てくれたし、一緒にお墓参りもしてくれた。やっぱりいいヤツです。

常に目に見えないプレッシャーと戦う勝負師の現実

2026年4月24日に登録消除となった大塚健一郎(photo by Shimajoe)

 大塚健一郎君の電撃引退は、本当に衝撃的でした。彼のような「勝負師の鏡」と言える選手でも、相次ぐ怪我で気持ちが折れてしまう。その辛さは、僕も痛いほど分かります。

 競輪選手にとって一番怖いのは、やはり怪我です。たった一度の落車で、これまで積み上げてきたものがすべて狂ってしまう。体だけでなく、心も深く傷つきます。「本当に元通り走れるようになるのか」という不安は、どれだけ経験を積んでも拭い去れるものではありません。僕だって、成績が落ちれば悩みますし、不安で眠れない夜もあります。それでも続けてこられたのは、どこかで開き直ったり、知らず知らずのうちに気持ちを切り替えたりする術を、長い現役生活の中で身につけてきたからかもしれません。

 だからこそ僕は、レース前に近くの神社を参拝します。神頼みというわけではありませんが、やるべき練習とケアをすべてやった上で、最後に見えない力に守ってもらいたい、という思いがあるんです。そうすることで、少しだけ心に余裕を持って、安心して戦いに臨める気がしています。

コンマ1秒の判断を争う過酷な世界で戦っている(撮影:北山宏一)

 プロの勝負師として生きる以上、僕たちは常に目に見えないプレッシャーと戦っています。「明日は絶対に結果を出さなければならない」「今の調子で本当に戦えるのか」。そんな不安や緊張が、夜になってもなかなか静まらないことも少なくありません。心と体を最高の状態に保つのが仕事ですが、人間ですから、成績が落ち込んだ時や怪我からの復帰戦などは、どうしても深く考え込んでしまいます。休まなければいけないのに、頭が冴えて眠れない。これは多くの選手が一度は直面する、切実な悩みでもあります。

 睡眠導入剤を服用する選手もいますが、今はそれにも厳格なルールが設けられています。それでも何かに頼ってでも「眠り」を求めるのは、それだけ競輪というスポーツが、コンマ1秒の判断を争う過酷な世界だからです。自分を追い込みすぎて、心が折れてしまわないように。そんなギリギリの精神状態で、みんなハンドルを握っている。そのことは、少しでも伝わればうれしいですね。

やっとつかんだ、4年ぶりの日本選手権出場

今の僕にできる最高の走りをしてきます!(撮影:北山宏一)

 来月は、平塚競輪場で開催される「日本選手権競輪(GI)」に出場します。今年は2月の全日本選抜競輪、昨年はオールスター競輪を走っていますが、どちらも補欠で途中からの参加でした。正選手としての出場は、2023年オールスター以来になります。

 一歩ずつ積み上げてつかんだダービー出場。昨年1年間、無事に安定して走れた結果だと思いますし、大きな怪我を乗り越えて、ようやくここまで戻ってこられたなという実感が、今じわじわと湧いています。怪我で休んでいる間は、「もうGIの舞台には戻れないんじゃないか」と葛藤することもありました。でも、焦って一気にジャンプしようとするのではなく、一歩一歩、自分にできることを積み上げていくしかないと信じてやってきました。

 当たり前の日常は、決して当たり前ではありません。競輪選手は常に危険と隣り合わせであることを忘れず、地に足をつけて、一走一走を噛み締めていきたいと思っています。支えてくれるファンの皆さんの思い、そして空から見守ってくれている慶君や手島さんとともに、今の僕にできる最高の走りをしてきます。皆さんの温かいご声援が、僕にとって何よりの力になります。

 ダービー、精一杯頑張ってきます。応援よろしくお願いします!

(※文中敬称略)


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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