願っても叶わない理由と、現実を動かす構造の話
第1章:なぜ願っても叶わないのか?
「思考は現実化する」「引き寄せの法則」といった言葉は、今では多くの人が知っている。
実際、理想の自分を描いたり、目標を紙に書いたり、アファメーションを習慣にしたりと、願望実現のためのアクションを起こしている人も多い。
私も、そのひとりだった。だけど、ふとしたときに気づいてしまった。
願えば願うほど、なぜか“その逆”の現実が現れている気がする。
売上を上げたいと思っていたとき、なぜかその売上が吹き飛ぶような現実が起きる。理想の未来を強く思えば思うほど、「今足りていない」「全然届いていない」という感覚が増幅してくる。
「やり方が間違っているのかもしれない」「イメージが弱いのかもしれない」「感情が伴っていないのかも」──
そんなふうに考えていたけれど、
もっと深いところで、“根本の構造”がズレているのではないかと感じ始めた。
第2章:観測とは何か?──“現実”を決める構造
私が気づいたのは、願望がうまくいかないとき、
「何を叶えたいか」という意識ばかりに目が向いていて、
「何を観測しているか」に自覚的でなかったということだった。
私は「こうなりたい」と願っているつもりだった。
でも実際に私が毎日無意識に“前提”として目を向けていたのは、
「今はまだそれができていない」
「このままでは達成できないかもしれない」
「もっと頑張らなきゃ間に合わない」
といった、“今欠けているもの”の方だった。
ここで重要なのが、「観測」という言葉の正しい意味だ。
量子力学では、粒子(光子や電子)は、観測されるまでは「波=あらゆる可能性の重なり」として存在している。
しかし、「誰かが観測した瞬間」に、その波はたったひとつの状態として“粒”に確定する。
この構造が示しているのは、私たちの意識が、どこに向いているかで現実が選ばれてしまうということ。
つまり、私は「お金が欲しい」と願いながら、
「まだ足りていない」「今のままではダメだ」という現実ばかりを観測していた。
第3章:過去の体験が教えてくれた、“観測”の力
私はこれまで、「うまく引き寄せた」と感じる経験も、「まったく引き寄せられない」と感じた経験もある。
◉ うまくいった例:慶應大学への合格、そしてチア部への入部だ
私は入試直前の最後の模試でC判定を叩き出していたのに、最終的に慶應大学に合格した。かつ、複数学部しっかり合格したので、ミラクルでも奇跡でもなかった。実力で言うと不確実性の方が高い状況だったのに、確実に夢を叶えた。その理由を深く掘り下げてみた。
私が本当に願っていたのは「慶應に受かること」ではなく、
「慶應のチア部に所属し、そこで活躍している自分」だった。慶應に受かりたいと言うより、慶應のチア部の一員である自分になりたかった。
受験期の唯一の楽しみや息抜きは、応援歌をYouTubeで勝手に自主練することであった。(アホすぎて全て反転して覚えていたので無駄だったが笑)
まるで、“1年後そこにいることが前提”のように。
その時、私の学力は先述の通り、合格判定に届いていなかった。
でも、その「偏差値の不足」に意識が固定されていたわけではなかった。
私は、願望(偏差値70の世界への到達)と欠乏(C判定)の狭間で揺れていたわけではなく、まだ未確定な未来に向かって自然に行動していた。
「今足りていない」ことを直視しながらも、“未来を観測していた”のだ。
◉ うまくいかなかった例:現在のビジネスと売上目標
現在のビジネスでは、目標売上を強く設定し、日々それを意識していた。
でも、やればやるほど焦りが増していた。
「今月は届かないかもしれない」
「もっと前から動いておけばよかった」
「やっぱり私は力不足かも」
私は、「売上を達成した未来」を願っているようでいて、
実際には「売上が達成できていない今」を繰り返し観測していた。
結果として引き寄せられる現実もまた、欠乏ベースのものになっていった。
まだピンと来ないと思うが、もう少し辛抱して読み進めて頂きたい。
第4章:観測は、感情でも思考でもない。“前提の選択”である
ここで重要なのは、観測を変えることは「ワクワクすること」でも「ポジティブ思考」でもないということ。
無理やり「豊かな自分」や「ビジネスで成功している自分」をイメージしても、その裏に「今はそうじゃないよね」という冷静な自分がいたら、観測は結局“欠乏”に戻ってしまう。理性がきちんと働き、現実主義の人ほどこのパラドックスに苦しむと思う。私は今だにここの強制で苦戦している。
だから私は、感情や思考ではなく、「構造としての前提」から観測を切り替えるという視点を持つようにした。
たとえば、「お金が欲しい」という願望の奥にあるのは:
自分の創造性を価値として提供し、その対価としてお金を稼ぎたい
会社員では得られない額を、当たり前に稼げる自分になりたい
得た経済的な豊かさで、さらに感性を磨き誰かとそれを共有したい
こういった「本質的な欲求」は、まだ達成はされていないが、実はすでに一部始まっていた。
私は会社を辞めて、ゼロから売上を生み出すフェーズに入っている。
それ自体が、かつての自分から見れば「すでに叶い始めている」現実だ。目標額を稼げていない自分を観測するのではなく、その目標額を達成した後に得られる「自分の在り方」を観測した時に、そこにつながる「何かしらの”ある状態”」に真剣に目を向けること。
ここで初めて、「今自分は何を観測するか」を選び直すことができる。
まだ売上に届いていない
→ 欠乏の観測売上は未完成でも、自分でお金を生み出す道に立っている
→ 成長途中の“ある”という観測
そして、量子の世界で言えば、「売上が達成できる未来」と「できない未来」は、どちらもまだ“確定されていない”波の状態として存在している。
だからこそ、どの可能性を観測するかによって、現実が動いていく。
第5章:引き寄せとは、「信じ待つこと」ではなく「選び動き続けること」だと思う。
「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」という言葉は、
どこか“わかりやすい魔法”のように語られることが多い。
一つ言えるのは、
引き寄せというのは、どこかから“勝手に”未来がやってくるという話ではないということ。
未来を待つという姿勢には、どこか「他責的な願望」が含まれている。
誰かが運んできてくれるとか、偶然が導いてくれるとか。
でも、私の体感では、そういう引き寄せはほとんど起きない。
本当に現実が動くときというのは、
「これがどう未来につながるかはわからない」
「これで上手くいくという確信があるわけではない」という状態の中で、
その瞬間、心に浮かんだ行動や選択を“自分で”取りにいくことの連続なのだと理解している。
たとえば今の私は、「書くことも仕事にできたら幸せだな」と思っている。
でも、どんな手順でそれを実現するのか、具体的なプランはまだ何もない。
それでも、私は確かに前より近づいていると思える。
それは、自分の書いた文章が共感された経験がいくつかあったこと。
そして、こうやって毎日、思考を文章に落とし込む習慣を積み上げていること。
ただ、もちろん、このまま習慣を続けていれば出版できるという単純な話ではない。夢は、意図しないまま勝手にやってくるわけじゃない。
でも私は、今「書く」という行為を能動的に選んでいる。
出版という未来に興味を持ち、日々試行錯誤をしている。
それを自分でちゃんと“観測”できているから、
たとえ今、noteで反響がなくても、誰にも気づかれていなくても、
私は欠乏に観測を向けてはいない。
そしてその観測を続ける限り、私はこの未来を必ず“引き寄せる”。
引き寄せとは、
願うことでも、信じ込むことでもない。「私はこう在りたい」と観測を選び続けること。その選び続けた道の延長に、気づけばゴールは必ず近づいている。
今ないものに目を向けないこと。
目を向けてしまっても、その厳しい現実を自覚した上で、それでも自分はどこに観測の視点を置くか、再定義し直してみて欲しい。
量子力学の中でも、特に「観測」と言う概念は本当に奥深くで面白い。



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