「ああ?メロウ?」
帰宅して早々、訪ねて来ていたレーグが切り出した相談にクー・フーリンは訝しげな声を上げた。
なんでも、最近、近海で大量のメロウが目撃されているらしい。
メロウというのはアイルランドの人魚の事で、嵐を起こすとされ漁師に恐れられている。だが、その言い伝えも真偽は定かでない上メロウは警戒心が強く、稀に目撃される程度であったので大した問題とはされていなかった。
しかし、その人前に現れないメロウが短期間で多数目撃されている事態に、民たちが何か大きな災いの前触れではないかと不安に思っているらしい。
「退治して欲しいという意見も出ていてな」
レーグは頭痛を抑えるようにこめかみを揉みながら言った。
クー・フーリンは小馬鹿にしたように答える。
「メロウに嵐を起こす能力なんてねぇだろ、神族じゃあるまいし。んな事お前も知ってるだろ?」
「分かっているから頭を抱えているんじゃないか。でも民衆の不安解消の為に何かしら策を講じなければならない」
勿論、民衆が求めるようにメロウ退治を行う気はないが、捕らえる必要性は感じている。捕らえてメロウにあまり姿を現さないよう求める事が出来れば一番良い。しかし、元々警戒心の強いメロウを捉える事がまず至難の業なのだ。そこでクー・フーリンへ相談しに来たのだと言う。
「なるほどな。良いぜ、メロウに聞いといてやるよ」
「なんだって?」
クー・フーリンの応えにレーグが目を見開く。今、この親友はなんと言ったのか。接触を図る事が至難の業とされるメロウに「聞いといてやる」と言わなかったか。
レーグは意味が分からず、その意味を尋ねるように視線を返す。
「メロウは街に結構いるぞ?人に姿を変えて」
「なんでそういう大事な事をお前は黙ってるんだよ…」
「みんな知ってるもんだと思ってたわ。だって見れば分かるじゃねえか」
「お前だけだ!」
メロウが姿を変える事が出来る上に人界に紛れ込んでいるなど、民衆は誰一人気づいていないだろう。きっと神族の血を引くクー・フーリンだからこそ気づいたに違いない。そこでふと、レーグは疑問に思った事を口にした。
「メロウはなんの為に陸に上がってきているんだ?」
「子作り」
「え?」
またもや予想だにしない答えを聞かされ、レーグの思考が止まる。だが、クー・フーリンはそれに気づかず説明を続けた。
「なんでもメロウの雄ってのは不細工な上に不能が多いらしくてな。人から種を貰って種の存続を図ってるんだと。大変だよな」
雌は美人揃いなのに勿体無い、とクー・フーリンは笑う。レーグはそれどころではない。つまり、アルスターの人々は知らずにメロウと子を設けている可能性があるのだ。由々しき事態だ。それを伝えるとクー・フーリンは問題ない、とからから笑った。
「子を生んで育てるのはメロウだ。人は種を提供するだけで何も背負わされていないんだから、むしろ美人と一夜だけでもご一緒できて良い事尽くしじゃねえか。反対だったら困るけどな」
確かにもしも反対なら大問題であるし、事は直ぐに露見していただろう。相手は一夜をともした後に消え、腹にはその一度で子が宿り、生まれたら下半身が魚の明らかな異種族との子である。本当に大問題だ。
そう考えれば、雌のメロウが行っている事は大した問題ではなく種の存続に必要な事だと理解できる。ならば、その件に関しては気づいている者がクー・フーリンしかいない事だし、不問に処して問題ないだろう。
問題はそう、メロウの大量目撃情報の件だ。
レーグは目の前の問題に頭がいっぱいで、クー・フーリンの自嘲するような表情には全く気付かず、問題解決の為、一つの提案をした。
「…では、直ぐにメロウに繋ぎをとってあまり目撃されないように言ってくれないか」
「おー、分かった。街を歩けば直ぐに見つかるだろうから今から行ってくる」
「街で直ぐに見つかるほどにいるのか…」
クー・フーリンの言葉にレーグはため息をついたのだった。
クー・フーリンはすぐさま人が集まる海近くのオッピダ(都市集落)へと向かった。
オッピダの市場には食料は勿論、衣類や武器、家畜の類も集まる。露店と露店との間の通路は人で溢れかえり、呼び込みの声がそこここで響き、活気に溢れている。クー・フーリンはそれを微笑ましげに眺めながら、飄々と歩を進めた。
「こんにちは、御子様」
「ああ、こんにちは」
「御子様、良かったらこれを」
「取れたての棗か、ありがとな」
市場の者は一様にクー・フーリンの存在に気付くと、言葉をかける。皆『アルスターへの贈り物』である光の御子を愛してやまないのだろう。クー・フーリンは人々の声に応えながらも市場を注意深く探す。
すると、きょろきょろ何かを探している様子の美しい女がいた。美人、というだけで不審なところは一切ないが、クー・フーリンには分かる。メロウだ。ごく自然な動きで近付くと、クー・フーリンは女の肩を軽く叩いた。女はビクリと体を強張らせ振り返ると叩いた相手を確認して更に驚く。
「光の御子様!?」
「ちょっとこれから良いか?…メロウについて聞きたい事がある」
その言葉に女は深刻な表情で頷く。するとその様子を見ていた市場の人々が囃したてた。
「御子様ー!女遊びも程ほどにな!」
「お嬢さんも本気にならない方がいいわよ!」
「うるせーな!そんなんじゃねえよ!」
クー・フーリンの浮名はアルスター全土に知れ渡っているようだ。
2人は人通りの少ない市場の外れまで足早に去る。
「最近メロウが目撃されまくってるらしんだけどよ、何か心あたりあるか?」
その言葉にメロウは沈鬱な面持ちで答えた。
「実は皆、御子様を探しているのです…」
「え、俺?」
「ああっ、違うのです!わが一族の御子です。次期族長となる方です」
「なんだ、そのメロウの御子が家出でもしたのか?」
「真面目で責任感の強い方なのでそのような事は…」
「って事はかどわかされた可能性があるって事か?」
「分かりません…でも御子はとてもお可愛らしい方ですので心配で…!色々な可能性を考え総出で探しているのです」
女はついに潤ませていた瞳から涙をこぼす。
そのメロウの御子というのは一族から大層愛されている事が分かった。
クー・フーリンがまいったな、と思いながら頭を掻きながら考える。
今回のメロウ大量目撃の件は、きっとそのメロウの御子が見つかれば収まるだろう。逆を言えば見つからなければ変わらずメロウは大量に陸にあがってくるという訳だ。取り敢えず、陸にあがる時は細心の注意を払い、目撃されないように注意してくれとお願いしようとクー・フーリンは女メロウを見遣った。その瞬間、手をガシリと強く掴まれた。
「光の御子様!お願いでございます、どうか我らが御子をお探しいただけませんでしょうか!」
「へ?」
「後味悪そうなもん引き受けちまったなぁ」
全く手がかりがないのだ。海には居ないとなれば陸に居る訳だが、陸に居るというのであれば変化して自らの意思で動き回っているか、または何らかの理由で打ち上げられた所を見つかって殺されているか闇市で売り飛ばされているか。
女メロウの話では後者の線が強いように感じる。
そうなれば生きている可能性は低いし、運よく見つけ出せても五体満足の可能性は限りなく低いだろう。これが美しい雌のメロウならば別だが、醜いとされる雄のメロウではさっさと解体されていてもおかしくはない。そう考えつつクー・フーリンは自分も住んでいるエウィン・ワハ(アルスターの首邑)へ戻り、その中の色街へと足を運んだ。
色街には国内の暗部の情報が集まるからだ。
「大体よぉ、自分の事をなんとか出来ない男が悪い」
クー・フーリンは男であれば戦士にしか興味がない。自分を守れない男になど一切興味が沸かなかった。つまり今回頼まれた事はクー・フーリンの心の琴線に一切触れない事柄なのである。しかし、美人に涙ながらに頼まれれば手を貸さない訳には行かない。気は進まないが手は尽くそう、そう心に決めた所で、ふと、喧騒に気づいた。
声のする方を見やれば、明らかにならず者と分かる風体の男達5人に対し、この街に似つかわしくない身なりの男が相対して何やら言い合っている。
ケルトでは男女問わず色とりどりの衣類を身に纏うものだが、男は全身黒ずくめである。羽織っているローブを留めているフィブラ(ケルトの装身具)のみが唯一色を有しており、美しい青色をしていた。それ以外の装身具はなく、清貧なドルイド僧を思わせる格好である。
ならず者集団とその黒ずくめの男は一触即発の気配が漂わせていた。
クー・フーリンは後者の男に注目して観察する。老人のように白銀の髪だが、良く見ると自分と変わらないであろう年若い男だ。意思の強そうな眼は鍛え上げられた剣のような鋼の色をしており、肌は日に焼けたものとはまた様子の違った褐色。どちらもアルスターはおろか近隣の国々や神々の国でもさえ見た事がなかった。それだけでも目を引くというのに、ゆったりとした黒のローブの上からも見て取れる程に鍛え上げられた体。あれは戦士の体だ。あの男は中々出来るな、とクー・フーリン戦士の勘は訴えていた。
そう、観察しながら近づく内にならず者の一人がその黒衣の男に殴りかかった。
黒衣の男はため息をついてそれをさらりとかわす。そしてならず者の腕を掴んで軽く投げた。クー・フーリンが見た事のない投げ方だ。その上、投げる途中で頚動脈に刺激を与え、ならず者を気絶させた。その鮮やかな体術に舌を巻く。
「野郎!!」
他の男たちが一斉に男へ襲い掛かる。さすがに4対1では分が悪いだろうか、と思ったが男がどこまでやるのか好奇心が勝りクー・フーリンはそのまま見守る事にした。
黒衣の男は殴りかかってくる男たちを軽くかわしつつ順々に転ばせ、4人目を先程と同じように投げて気絶させた。そして転ばされた者たちが順々に起き上がって襲い掛かってくるのを同じように一人一人同じように気絶させた。そのあまりまだるっこしい戦法にクー・フーリンは違和感を感じた。あの男ならもっと簡単に、そしていっぺんに4人を倒せたんじゃないだろうか。そう考えて、そしてやっと気づいた。男が足を殆ど動かしていなかった事に。
「あいつ、足が悪いのか」
視線の先の男は見物人が続々と増えて居る事を確認し、ため息一つついて人気の少ないほうへ歩を進めた。その歩みはよたよたと、だいぶ心許ない。
立ち姿からでは全く気づかなかったが、相当足が悪いようだ。なるほど、だから足元の最小限の動きで済む戦術をとり、そして必ず気絶させたのか、と合点がいった。あれでは、争いが長引けば長引くだけ不利になるだろう。そんな事を考えている内に黒衣の男が突然ばたり、と倒れた。
いけない、とクー・フーリンが駆け寄ろうとしたその時、見物人達の一人がエミヤに近付いた。体格が良く、高価なもので身を固めた一目で上流階級の者と分かる壮年男性で、ニヤニヤとした笑みを貼り付けてエミヤに手を差し伸べた。あれは明らかに良くない思惑があって近付いていると、子供でも分かるような顔をしている。なのに、
「すまない、親切にありがとう」
黒衣の男は手をとって丁寧に礼を言っている。
ざわ、と空気が揺れた。明らかに下心がある男に対して何の警戒心も抱いていないその様子に、クー・フーリンを含めた見物人たちは勿論声をかけた男も驚きを隠せていない。見物人の内、良い男の味方である花街の女たちに至っては心配そうである。
「いやいや、どうって事ないよ。ずっと見ていたけど、君、災難だったねえ。何か知りたい事があったんだよね?私でよかったら教えてあげるから店に入らない?」
「それはありがたい。店?とは近いのだろうか?」
明らかにその意味する所が分かっていない黒衣の男は差し出された手を取って立ち上がった。先程より足元がおぼついていないが、それを男が腰に手を当てて支えた。その手つきからも男の目的が容易に知れるというのに、男の下心に気づいた様子もなく暢気に礼を言っている。
「こっちだよ。君、名前は?」
「…ああ、名乗らずに失礼した。エミヤという」
簡単に名乗ったエミヤに対してクー・フーリンは頭痛を感じた。あれは、本当に、どこの箱入り息子だ。
クー・フーリンはがつがつと大股で近付くと、エミヤの手をとって自分の方へと引き寄せた。
その瞬間エミヤと目が合う。すると、エミヤが驚いたように目を見開いた。手を引かれた事に驚いたというよりは引いた相手に驚いたという様子にクー・フーリンはおや、と片眉をあげた。だが、その疑問の解明は後回してエミヤの腰を抱き寄せた。鍛え上げられた上半身のわりに腰が細く、それに少々驚きつつ、男に対してにっこり笑み言い放った。
「悪いな、こいつは俺と先約があるんだ」
言われた男は文句を言おうとしたが、相手がクー・フーリンだと認識して顔色を変える。
「光の御子…!」
その怖気づいた様子の小物は無視をして踵を返し、意味が分からず困惑顔のエミヤの手を引っ張り歩き出した。
「ま、待っ」
エミヤはそう言った直後またもや盛大に転んだ。掴まれているのとは反対の手をついて直ぐに起き上がろうとするが、既に足に力が入らないのか立ち上がれない様子だ。
「…と、悪い」
そう軽く謝って、クー・フーリンはエミヤを軽々と抱き上げた。さながら収穫されて袋詰めされた麦のように。エミヤは一瞬状況が把握できず呆けていたが直ぐに降ろせ、と暴れだした。勿論クー・フーリンはそれを黙殺し、
「舌噛むから口閉じておけよ」
と言い置いて、エミヤを抱えたまま走り出した。
落ち着ける場所で、まずはこの世間知らずを説教してやろう。そして、それが終わったらどこから来たのか、何が目的であの街にいたのか、あの見た事のない体術は何なのか、足の治療はどうしているのか、色々な事を尋ねよう。聞きたい事は山ほどあるのだから。クー・フーリンは当初の目的をすっかり忘れて自分の館に向けて全速力で走ったのだった。
どさり、と柔らかな獣の敷物の上に降ろされたエミヤは、すぐさまクー・フーリンに文句を言った。
「君は急に何をするんだ!先程の男性に失礼だろう!?」
体を狙う輩から助けてやって礼を言われて然るべきであるのに、開口一番文句を言われ、短気な性質のクー・フーリンは苛立って怒鳴り返す。
「あほか!あれは親切じゃなくて下心があって近付いてたんだってあの場に居た全員が気づいてたわ!」
気づかないお前に吃驚だよ!と、怒鳴るとそれを聞いたエミヤがきょとんとした顔で首を傾げた。
「…そう、なのか?」
その無垢な少年のような様子に、直ぐに冷静になったのかクー・フーリンが神妙な面持ちで「そうなんだよ」とため息混じりに答える。その様子にやっとエミヤも深刻な事態であったと受け止めたのか、態度は少し軟化させた。しかし。
「金目のものなど持っていなかったというのに…」
まだどう危険な状態だったのか理解していないらしい。その鈍感さに今までどうやって生きてきたんだ、と疑問に感じながらクー・フーリンは丁寧に説明を始めた。
「あのな、あの男が誘った店っていうのは宿だ」
「宿?何故宿に?」
「ここまで言って分からないのかよ!あー、つまり、あの男はお前を宿に連れ込んでセックスしようって誘ってたんだよ」
「………私は雄だが?」
何を言っているのだとばかりに顔を顰めているエミヤにもう一度ため息をついて、懇切丁寧に教えてやる。
「んなこたぁ、見れば分かる。男同士なんてそんなに珍しくもないだろ」
この時代、同性同士の交わりは大して珍しいものではなかった。そのような事は子供ですら知っている常識で、エミヤの疑問は違和感を覚えるものだった。やはりこの男は文化の全く違うどこか遠い異国の地からの来訪者なのだろうか。
「…人は雄同士でも交接するものなのか…」
「あ?」
考え事をしていたせいかエミヤの小さな呟きを聞き逃した。聞きなおそうとしたが、次のエミヤの言葉によって意識がそちらにすべて持っていかれた。
「いや、なんでもない。こんな醜い者に声をかけるなど、物好きもいたものだと思ってね」
「は?醜い?」
エミヤの言葉にあっけにとられたような顔をしてクー・フーリンは呟いた。
この男は自分が醜い、そう言ったのだろうか。
エミヤは美形という訳ではないが、あっさりと整っておりよく見ると幼く庇護欲を刺激するような容貌をしている。確かに変わった色彩をその身に宿らせているが、色彩がおかしいのはクー・フーリンもそうである。
そして好みが分かれるであろう褐色の肌は、この国の人間とは違う質感で大層肌理が細かかった。肌の手入れに命をかけている花街の女たちのそれより触り心地は上だろう。その肌は男女問わず好むものは多いに違いない。
それに加えて、そのゆったりそした服の上からでも伺える鍛え上げられた体躯。戦士を愛するアルスターの者が嫌う訳がない。
そして先ほど抱えた時に気づいたが、エミヤは愕くほどに体臭が薄かった。
鼻が利きすぎるクー・フーリンはあまり強い匂いが好きではない。人の体臭は勿論、それを隠すように女たちが身に振り掛ける香料の香りも好かない。それに比べてエミヤの肌は、嗅覚の敏感な自分でやっと感じる程度の潮の香りで―――そこまで考えて、思考がまずい方向へ行っていると気づきそれを無理やり追いやって、誤魔化すように蜂蜜酒を角杯へ注いだ。
「お前の国では、ここいらの国と美醜の価値観が違うのか?」
その容貌からエミヤがアルスターはおろか、コノートやマンスター、インスターの者ではないと考えていた。クー・フーリンの知る150程あるトウアハ(部族)のどれにも似たような容貌のものはいない。きっと、どこか遠く遠くの国から流れてきた旅人なのだろう。ケルト特有のフィブラやローブを身に着けていたのは大方、この地で衣類一式をそろえたからだろう、そうクー・フーリンは考えたのだが、それはあっさり否定された。
「いや、全く変わらないと思うが…というか私はこの付近の国の者だ」
不思議そうに首を傾げるエミヤにクー・フーリンは混乱した。
エミヤが近隣の国の出身者である事もさる事ながら美醜の価値観が一緒である事が驚きだ。ならば何故、エミヤが自分を醜いというのか。理由が全く思いつかなかった。
頭に疑問符を浮かべながらもクー・フーリンは用意した二つの杯の片方をエミヤへ渡す。
エミヤは驚いたようにクー・フーリンと杯を交互に見やった。まさか自分を叱りつけた相手から酒を振舞われるとは思わなかったのだろう。困惑しつつもクー・フーリンが杯を下げる様子がないので、遠慮がちに受け取った。
ありがとう、と小さく呟いて杯に口を寄せる。恐る恐る蜂蜜酒を舐めるように飲んでいるエミヤにクー・フーリンは子供みたいな奴だなとこっそり笑った。
話し方は爺くさいが、物の知らなさや仕草からやけに庇護欲を掻き立てられる。酒を飲んで直ぐに目元をほんのり赤く染めている様子も遊びなれているクー・フーリンには愛らしく映った。
「お前は醜くねえよ。変に卑屈になるな」
そう言って幼子にするように頭をがしがしと撫でてやる。
エミヤは吃驚したように目を見開いてその手を止めようとしたのだが、なみなみ注がれた蜂蜜酒を溢さないよう必死なのかやめたまえ、と言いつつその手を振り払う事は出来なかった。顔を真っ赤にして必死に両手で角杯を抑えている。
ひとしきり撫で、満足したクー・フーリンから、やっと解放されたエミヤは俯きながら、
「君は変わっているな」
と言った。照れと困惑が綯い交ぜになった表情をしている。
それに対してクー・フーリンはおかしいのはお前だ、と楽しそうに笑う。この短い時間で、クー・フーリンはエミヤに好意を抱いていた。図体のわりに無垢で子供のような不思議な男。弟でも出来たような、そんな気分だった。
近隣の国に住んでいる様子だし、これからはこの世間知らずを連れ出して色んな事を教えてやるのも楽しそうだな、なんて事を考えながらクー・フーリンは蜂蜜酒を呷った。
「私は君を美しいと思う」
エミヤが真面目な顔でぽそり、と呟く。
ブホッ。クー・フーリンが呷った蜂蜜酒を噴きだした。
「…な、は、え?」
クー・フーリンは口周り拭いながら目を白黒させた。俯いていてその様子に気づかなかったエミヤはそのまま話しつづける。
「君のような綺麗な顔の男性は見た事がないし、夏の蒼穹のような髪も神族の証であるその真紅の目も美しいと…」
「ちょ、待て待て、おま、あれだろ、かなり酔ってるだろ」
クー・フーリンは慌ててエミヤの手から杯を奪った。肌の色のせいで分かりにくいが、かなり赤くなっている。照れのせいだけではないだろう。杯の蜂蜜酒はほとんど減っていないが、もしかするとエミヤはとんでもなく酒に弱いのかもしれない。
「失礼な、酔ってなどいない。君を褒め称えたくなっただけだ」
「うん、完璧酔ってるな」
真面目な顔で阿呆な事を宣うエミヤを即座に酔っ払い認定し、クー・フーリンは酒の代わりに水でも持って来てやろう、と立ちあがった。そしてちょっと待ってな、と言ってエミヤの頭を再度ガシガシと撫でる。
すると揺らされるまま、慣性に従ってエミヤの上体が倒れた。毛皮の敷布にだらり、と横たわるエミヤ。
「おい!大丈……って、寝てんじゃねーか…」
急に倒れ込んだエミヤにクー・フーリンは驚き、倒れたエミヤに近寄る。顔を寄せて様子を伺うと安らかな寝息が聞こえてきた。ただ眠っているようだ。子供のようなあどけない、安心した顔で眠っている。
そこで安心したクー・フーリンは、やっと気付いた。
「あれか。俺が頭揺らしまくったのが悪いのか」
応えは、ない。
そして、クー・フーリンはエミヤに訊くべき事を何一つ訊けないままだった事にも気付き、天を仰いだ。
本当ならば、花街にいた理由やら、何かを探している様子だったのでその内容、出身地はどこで、何者なのか等色々な事を訊く予定だったのだ。エミヤを抱きかかえて走っている間にそう考えていたのに、エミヤがおかしな事ばかり言うからすっかり失念してしまっていた。
溜め息。
クー・フーリンは仕方ないので明日訊こう、そう決めてエミヤを抱え上げた。取り敢えずエミヤをこのまま敷布の上で寝かせておく訳にはいかないので、寝台へ運ぶ事にする。
全ては明日だ。どうせ、長い付き合いになるだろうからそれでも遅くはないだろう。
クー・フーリン自身はエミヤを気に入ったし、エミヤも最初は喰ってかかってきたが自分に嫌悪感を抱いている様子はない。むしろ酔ってからの言葉からは好意が滲み出ていた。これから親交を深めて行くのは容易に違いない。
クー・フーリンはそうご機嫌に考えながら、エミヤを自身の寝台に下ろすと、その隣に自分も横たわる。隣を見やれば、安心しきった様子でぐっすり眠るエミヤの顔が。その警戒心の欠片もない様子に、本当に花街で奪ってきて良かったと思う。
あのまま花街にいれば、あの声をかけた男からなんとか逃れられても、この世間知らずは誰かしらに取って食われていたに違いない。それを思うと眉が寄る。
エミヤが今までどうやって難を逃れていたかは知れないが、今後の為に色々と教え込む必要があるだろう。明日からはみっちり世間の事を教えていかねばならない。明日は訊きたい事もたくさんあるし、色々連れて行ってやりたい所もあるし大忙しだな。
そんな事を考えていると、クー・フーリンは明日が楽しみになってきた。取り敢えず、このまま一人で酒を飲むのもなんだし、明日に備えてクー・フーリンもそのまま眠る事にした。
だがそこで、エミヤの事ですっかり忘れていたメロウの御子探しの件を思い出した。そういえば、何も情報を得ていなかった。花街で情報収集する予定が、エミヤを連れて直ぐに去ってしまったからだ。明日こそは必ず情報収集をせねばならないだろう。
少し気鬱な気持ちになったクー・フーリンだが、探しながらエミヤを連れて色々案内でもすれば良いか、そう考えなおし、今度こそ自分も眠ろう、と目を瞑ったのだった。