「うーん、まだまだだなぁ、切っ先がブレブレだよ?」
いつもの笑顔で、マーリンが軽く手首を返す。
「──っ、にゃろう!」
「はっはっは、気合いだけは十分だけど」
ふわっとした声と動き。同時、ギンッ、と重く鋭い金属音が立香の耳と手首を震わせた。
「キミは軸足を動かしすぎなんだよ。だから体の軸が定まらない」
そう言ってマーリンは、ほんの僅かに手首をひねった。
同時、何かとても重いものが刀身に絡み、次の瞬間には剣が宙を舞っていた。
手から弾き飛ばされたそれが、カランカランと地面を跳ねる空虚な音。その音が己の技量を表している事を嫌というほど自覚して、立香は小さな溜め息をついた。
初心者用にと選んで貰った細身の刀身。レイピアとまではいかずとも、優美さすら感じさせる美しい鋼は、その見た目とは真逆の重さで全身を責め苛んで来た。最初こそ見た目よりは軽いと思った。だが基本の型を幾度か振るだけで、軽かったはずのそれが恐ろしい程の重さに変わった。
『まあ最初だから、一番軽くて一番素直な剣にしようか』
そう言ってマーリンが、棒切れのような気軽さで投げてよこしたそれ。
なんの装飾もない、シンプル極まりない西洋剣。ゲームとかではブレードソード等と呼称されていたような気もするが、剣の細かな種別など一般人の立香には区別がつかない。剣と言われて思い付く形をもっと細くしたような、少し女性らしい雰囲気さえある剣。
だがそれは、立香が生まれて初めて手にした『武器』だった。
「もう一回!」
溜め息を気合いで上書きし、立香は痺れの残る手でもう一度剣を構えた。
生まれて初めて手にした武器。
『戦う』意思を形にした、重く冷たい鋼の兵器を。
事の起こりはいつもの口喧嘩未満、じゃれ合い以上の言い合い。
元から口の悪いランサーのクー・フーリンが、負けず嫌いなマスターを煽りに煽り、最近ではその言い合いに慣れきったサーヴァント達が止める努力を放棄した結果。何故か始まった剣の授業。
本来、マスターが前線に出る事などあってはならないはずなのだが、『非力な小僧は下がってりゃいいんだよ』から始まった言い合いの結果としては、想像の範囲内だろう。
そこに少々……いや、大分過保護なサーヴァント達がいざという時に役に立つから、と後押しをした末がこれなら、十分平穏な結果かもしれない。
「それにしても、どうして私なんだろうねぇ。せっかくこんな面白いカルデアにいるというのに、可愛い女の子ひとりいないシミュレーションルームで荒事だなんて、ほんっと気が乗らないなぁ」
「あからさまに手を抜きながら愚痴るの止めて⁉」
「いやあ、だって、本気でやったら君死んじゃうし」
「その間はないの⁉ ──っく!」
片手で軽々と押さえ込んでくるマーリンの剣を渾身の力で受け止めると、それまでとは桁の違う重みと痺れが立香の両腕を貫いた。
「腕の力だけで受け止めるからそうなるんだって。膝で重さを抜きながら流せばいいんだよ?」
「ん……な、事言った…って! 重ーーーい!」
「ほらほら頑張れ我がマスター。報酬は可愛い女の子を二、三人紹介してくれればいいからね!」
「この人別の意味でオレを殺しにきたー!」
全力から更に力を振り絞り、どうにか上半身を起こしながら、立香はグランド遊び人の剣を受け止めた。そのまま重心を前にずらし、僅か踏み出した足を支えにして思いっきり体重を掛ける。
……が、伝説のクズはびくともしない。
(魔術師の癖に殴った方が早い、ってのは伊達じゃないよなぁ)
ギリギリと鍔迫り合いをしながら、立香はキリと唇を噛み締めた。
「マーリン!後ろに水着のスカサハ師匠とマルタさんが!」
「またまた、そんなあからさまな嘘には引っ掛からないよ!」
……と口では言うものの。マーリンの視線と意識は確かに、素直な下半身に釣られて背後をうかがっていた。
「こっの──グランドエロ魔術師!」
水着というパワーワードでマーリンの意識と力が弛んだ隙をついて、立香は一気に花の魔術師の剣を跳ねあげた。
そのまま一気に足を踏み込み、低い姿勢からマーリンの腹目掛けて剣を叩き込む。
(──いける……!)
虚を付かれたように目を見開くマーリンを見据えながら、立香は剣を握る手に力を込めた。
瞬間。
ギィン!と今までとは違う音で剣が鳴った。
逆手で止められた自分の剣。それを遡るようにマーリンの剣が擦り上げてくる。鍔で止まったそれの圧力に息を詰め、一瞬の畳み掛けに真っ白になった頭をどうしようかと考えていると同時。ふわりと全身が浮遊感に包まれた。
(──は?)
突然の出来事に混乱する間もなく。
「いっ──!!」
まともに背中から落ちた立香の口から、声にならない悲鳴があがる。
巨大な鈍器で背中から殴り付けられような衝撃に息が詰まり、目の前がうっすら霞む。
「く、は……っ、ぅ……」
喉の奥に、大きな何かが詰まったかのようだった。
細い息を継ぎ、霞む青空を見上げる立香の視界を、長く淡い虹色と、雲のように柔らかい白がふわりとよぎる。
「全く、たまにとても乱暴だな君は」
そう溜め息をついて、マーリンは立香を抱え起こした。
「思い切りが良いのは君の長所だけれども、真剣をなんの躊躇もなく腹に打ち込むのはどうだろうねぇ。幾ら私が不死身でも、内臓を垂れ流したら流石に痛いんじゃないかな?」
起こした立香を子供のように抱き抱え、マーリンは背中を叩いて呼吸を促す。
「咄嗟に足を払ってしまった事は謝るよ。でもね、マスター。君は敵を倒すことを考えなくて良いんだよ。──これは最初に言っておかなかった私のミスでもあるんだが」
けふ、と苦しそうな音で再起動した立香の呼吸音に、マーリンはふわりと微笑んだ。
「いいかい我がマスター。君がもし自分で剣を持つ時が来たのなら、それは本当に大ピンチだ。次の瞬間には死んでもおかしくない、それくらいの状況だね。そして君は恐ろしい事に、カルデアで唯一のマスターときてる」
ぐずる子供をあやすようにポンポンと立香の背を叩き、マーリンは珍しく、どこか硬い声音を継いだ。
「君がいなくなれば、召喚されたサーヴァントは縁を保てない」
後は解るね?とマーリンは、真顔で立香の目を覗き込んでくる。
それがどんな意味を持っているのかに気づいて、立香は身を強ばらせた。
「君は敵を倒さなくても良いんだ。どんな手段を使ってでも、逃げてカルデアに帰れば僕達の勝ちだ。──全てはその為の鍛練なんだよ」
まともに息をし始めた立香を地面に座らせて、マーリンはニコリと笑った。
「戦う意欲があるのは良い事だけど、君は生身のか弱い人間だからね。頑張るのも適度にしないと死ぬよ」
「……ごめんなさい」
「ん?なぜキミが謝るんだい?」
「いやだってこう、なんていうか、無理して無茶したのはオレだし」
「あっははははっ。反省しているなら尊敬すべき剣の師匠に報酬をくれてもいいんだよ」
「判ってたけどほんっとシリアス続かないねあなたは!」
はぁ、と溜め息をつきながら、立香はふらつく足で立ち上がった。
「セイバークラスの皆はガチ過ぎて素人のオレには敷居が高すぎるから、マーリンに教えて貰おうと思ったのは間違いだったのかなぁ」
貴方も十分ガチだよね、と苦笑すると、腹立たしいまでに晴れやかな笑顔が返された。
「私を誰だと思っているんだい?アルトリアにあそこまで剣を教えたのは私だよ?──まあ、だらだら詠唱している間に殴った方が早いしね」
呪文とか噛むとやり直しになるから嫌なんだよねぇ、とマーリンは冠位魔術師らしからぬ言葉を吐いて、剣の切っ先をちらりと振った。
「あー、うん、それは思い知った」
余りにも鮮やかなマーリンの笑顔に、立香は剣の代わりに右手を構えた。
「だけど一回くらいデコピンしてもいいよね⁉」
そう言って立香は中指に思い切り力を込めると、撃鉄代わりの親指で止めた。
「どうしてそうなるのかな⁉ 師への敬意が足りなさすぎるぞキミは!」
「オレが悪いのは判ってるけど背中が痛かったから!」
「私にはマスターの言ってる意味が全く判らないのだが⁉」
「うん、判らなくていいから止まろうかマーリン!」
ジリジリと後ずさるマーリンに満面の笑みを向けて、立香はデコピンの構えのままにじりよる。
そこからしばらく、剣の授業も何も放り投げた攻防が続いたのは言うまでもなかった。
ランサーが死んだ!