【昭和野球列伝】燕・ホーナー、見せつけた現役メジャー4番の力!三冠王バースが直立不動(4/5ページ)

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 そこへ年俸3億円で声をかけたのがヤクルトだった。4月14日に契約し、同22日に来日。メジャーデビューの年と同じように、キャンプを経験しないまま、フリー打撃を5日間やっただけで試合に出て、残した数字は93試合で31本塁打、73打点、打率・327。

 5月6日の試合後、バースはこう言った。

 「俺はきのう、『ホーナーは50本塁打は打つ』とお前の質問に答えたけど、修正させてくれ。彼は204本打つよ」

 その夜、阪神の東京遠征のホテルに集まり、宿舎取材をしていた各社のトラ番も、直立不動であいさつしたときのバースと同じ顔になっていた。

 「俺はこの先、『日本でプレーした最高の外国人野手は誰?』と質問されたら、迷わず『ボブ・ホーナーだ』と答えるわ」

 異論をはさむ記者は一人もいなかった。 (敬称略)

★ヤクルト退団後のホーナー

 ホーナーは1987(昭和62)年オフ、ヤクルトから3年総額15億円の提示を受けたがこれを蹴って米国に戻り、カージナルスと年俸1億円で契約した。しかし、カ軍では左肩の故障で低迷し、1年で引退した。

 メジャー選手会は、85年から87年にかけての「FA選手締め出しの共同謀議」を労使協約違反として訴え、90年に賠償金総額2億8000万ドル(約308億円)で和解が成立。2004年、利息を含めて4億3400万ドル(約477億円)に増えていた賠償金が分配され、ホーナーには700万ドル(約7億7000万円)が支払われた。

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