【昭和野球列伝】燕・ホーナー、見せつけた現役メジャー4番の力!三冠王バースが直立不動(2/5ページ)

この記事をシェアする

 スーパースターを見る野球少年のようなまなざしだった。

 昭和62年5月5日。ヤクルト-阪神(神宮)の試合前、当時33歳で、前年まで2年連続で三冠王に輝いていたバースは、4歳下のホーナーが打撃練習を終えるのを待って自ら歩み寄ると、直立不動であいさつした。

 「俺は、ランディ・バースです。パドレスやレンジャーズでプレーしていました」

 「そう、よろしく。あ、きょう、部屋(※東京都内のマンションが決まるまでヤクルトが用意していたニューオータニの1泊5万円のスイートルーム)で、レオン(当時のヤクルトの4番)と飲むんだけど、君たちも来るかい?」

 ホーナーの方が完全に上から目線。それでもバースは、誘われたことに感激し「もちろんだ。いくよ、いくよ」。三塁側の阪神ベンチに戻るときも、同年入団したキーオとともに大はしゃぎしていた。

 「きれいなスイングだったな。やっぱり、すごいな」

 「あのホーナーが本当に日本に来たんだな」

 2人がベンチに戻ると、抑えの切り札として活躍していた中西清起が、メジャー58勝のキーオに質問した。

 「ホーナーはどこが苦手なんだ? 内角か?」

 「いや、内角は危険だ。厳しいコースでも腕をたたんできれいに振り抜く。少しでも甘くなったら簡単にスタンドに持っていかれる」

続きを見る
シェアする
最新のニュースやお得な情報を受け取ろう