脳の居場所、感情の行き先
医療・健康・介護のコラム
「うちの親には趣味がない」…年を取ると感情の動きが少なくなる? 脳のアンチエイジングとは
年齢を重ねるほどに、次第に時間の流れが速くなり、10年、20年があっという間にたってしまった、という人は多いかもしれません。「時間の流れが速く感じる」のは、習慣を中心に生きていて、新しいことを体験しておらず、感情の動きが少なくなっている可能性があります。
「できれば不安になりたくない」「何事もなく、決まったとおりに毎日を過ごしたい」と願うのは人情というものでしょう。多くの人は、将来も安心して暮らせるように、若いうちから必死で頑張ります。30代、40代になって「これでなんとか生きていける」と人生の道筋がつくと、その生活スタイルを守ることが大切に思えてきます。自分の生きる道筋を守るため、激しく感情を動かすよりも「怒ってはいけない」「いつも笑顔でいなければいけない」――と、自分の感情の扱い方に気をつかい、平静さを保とうとします。
そんな日々が続くとどうなるか?
「うちの親には趣味がなくて、ずっとテレビをみている」とか、「強情になって、なかなか一つの考えから抜け出せない」というような、親が感情を生き生きと動かしてくれないという、子どもたちの「ぼやき」が聞こえてきそうです。今の社会では60代、70代などまだまだ若い。でも生き方をこれから変えるのは面倒くさく感じて「これでいいのだ」と、自分を納得させているのかもしれません。
人間は本来、生きる意味を知ろうとする動物です。だからいろいろなことに挑戦して、その結果を知り、自分の心の動きを知り、自分を取り巻く世界の動きを理解していきます。かなりの年数を経て「これをしたらこうなる」と、行動の結果をある程度見通せるようになります。ただ、そこで挑戦をやめ、確立した生き方にこだわりすぎると、「生き生きとした感情の動き」を手放すことになりかねません。ちょっともったいないなと思えます。
最近の研究報告では、「芸術作品に普段から触れている人は老化が遅い」という傾向が示されました。芸術には「こう鑑賞するのが正解」という答えがありません。なんだかわからないものに触れて心を動かしている人は、そうでない人よりも若い状態にあるのです。
一方、私たちを取り囲む世界も変化します。「これをしたらこうなる」が通用しなくなる日が、とつぜん訪れます。いきなり自分の「世界観」を否定されたら、ショックが大きすぎるでしょう。その備えとしても、普段から感情を動かしておくことが必要になります。脳にとっての最大のアンチエイジングは、新しいことに出逢う機会を自分に開いておく、世界のことも決めつけず、自分の心もいつも動かしている、ということなのです。
高齢者の方が若者よりもキレやすい?
でも、お年寄りが電車の中で突然、他の乗客に怒鳴るような、びっくりする動画をSNSで見かけることがあります。それが本当なのだとしたら、望ましい「生き生きとした感情の動き」ではないでしょう。
人はどういうときにキレるのか? 例えば「余裕がない時」です。疲れている時や重い荷物を持っているときに、もう一つ荷物を持たされたらイライラするでしょう。もう一つは、「これ以上どうしろというのか?」という状態になった時だと考えます。家族や職場のために一生懸命尽くすような優しい人がキレてしまう場面を想像するとわかりやすいと思います。
私の母は認知症でした。3年前に他界するまでの介護生活の中で、「母のためにはこうするのがいいはず」と一生懸命がんばった時ほど、それがうまくいかないと、強い怒りがわいたことを思い出します。「こうあるべき」「これが正しい」ということに固執していると、どんな年齢でも、人は心の柔軟性を失い、キレてしまうことがあるのです。
キレるときには、いつのまにか心を動かす機会が減っているところに、自らの「こうあるべき」という世界観が否定されるような状況があるように思います。
ですから、日頃から未知のことに挑戦する姿勢が大事です。スーパーでセルフレジを使ってみるといった小さなことで大丈夫です。そのとき、時間がかかって後ろの人に迷惑をかけるかも、などと心配しなくていいように、周りの人たちも余裕が必要なのだと思います。知らないことに触れると、新たな考え方を受け入れやすくなります。キレない余裕は、みんなでつくるものなのかもしれません。
面倒くさいと思ったらチャンス
子どもの側にも、親に対して抱いている先入観がありそうです。「親の心子知らず」とはよく言ったものです。「うちの親は趣味もないし、つまらなさそう」というのは、単なる思い込みかもしれません。
私の父は、母が亡くなってからしばらくの間、とても力を落としていました。「もう自分には何も楽しいことはない。あとは死んでいくだけだ」と言わんばかりな、すべてに興味を失ったように見える状態が続きました。
大事な人を失えば、そのような時期があるのは当たり前です。ただ、娘としては心配でした。どんなことでも、父が何かをやりたいそぶりを見せたら「いいね! やってみよう」と即座に言おうと決めていました。
その理由は脳の特性にあります。自分の言葉や行動がほめられた時、つまり「報酬」をもらえると、脳はその言動や行動をもっとやろうとする方向で意思決定のネットワークを強化します。これを「強化学習」といいます。「良いことをした」と思えることで、落ち込んだ状態から抜け出せるはずです。
父の場合、無気力になったようでも、野球選手の大谷翔平さんには興味があるようでした。試合を録画し、投球シーンでは「今の球種は何か?」など、細かくチェックするのです。そこで何げなく「キャッチボールをしようか」と誘ってみました。
すると、近所への散歩もおっくうそうだった父が一変しました。わざわざ電車でデパートに行き、グローブを買って来たのです。私は野球に興味がないので、「ちょっと面倒くさいことになった」と思いつつ、自分から言い出したのだからと、父とのキャッチボールに臨みました。
結果、やって本当に良かったです。
言葉を使わないコミュニケーションっていいものですね。会話がなくても、自分が投げたボールを、しっかり父が受け取ってくれる。父も笑顔になりました。親子で共有できる「楽しみ」が、日々の生活に入ってきました。キャッチボール自体は未知への挑戦ではありませんが、父にとっては私とボールを交わすことが「感情を動かす新しい経験」になったのです。
認知症の人が贈り物選びで生き生きと
キャッチボールのことを知り合いの女性に披露したところ、その方も「親の変化」を目撃したことがあったそうです。
その方のお母様は、私の母と同じく認知症で、あまり人に会いたがらなくなっていました。認知症の人は、人前で何か失敗して恥をかかないようにと、内向きになってしまうことがあります。
それが何かの機会に、お母様が友達数人にエプロンをプレゼントすることになったそうです。女性は当初「うわぁ面倒くさいことになった」と思いましたが、覚悟を決めてお母様を連れて専門店に入ったとたん、お母様の目が輝いたのです。
「あの人にはこういう生地が、あの人にはこの色が似合うんじゃないか」――。友達の姿を想像しながら、夢中で選び始めたそうです。ファッションが好きで、人に似合うものをあれこれ考えるのが好きな、お母様が本来持っていた社交性が表れたのです。女性は知らなかったお母様の内面を「新発見」した気がして、とてもうれしかったとのことでした。
「無趣味でつまらなそう」に見えても、その人が大切にしていること、好きなことはあるはずです。生き生きと感情を動かすカギを、たまには意識的に探してみることをお勧めします。日々の生活の中に、「脳のアンチエイジング」につながるヒントはきっとあります。(脳科学者、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員 恩蔵絢子)
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