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【懺悔】東大卒の筆者はどこで人生を踏み間違えたのか

はじめに

筆者は東大を出たものの色んなところでレールを踏み間違えており、その結果うだつの上がらないローパフォーマー会社員として何年も過ごしている。
自分の人生に満足できる部分はもちろんあるが、満足できずコンプレックスが爆発しそうな部分も多々ある。
別記事でも紹介したが、筆者は転職活動を終えて近々別会社に移ることが決まっている。
いい機会だと思うので人生の振り返りとして、「どこで道を踏み間違えてしまったのか?」というテーマで筆を取ることにした。
「道を踏み間違えた」と書くと、「能力は足りているが、進路などの選択を誤った」みたいな意に捉えられてしまいそうだが、本記事で言いたいのはそういうことではない。人生において重要な選択をしなければならない分岐点はいくつもあるが、それぞれにおいて別の選択をしていれば、こんな人生を進んでいただろう、といった妄想に近い話をしつつ懺悔するものである。
今の断面で思っていることを書き散らし、将来的に振り返ることが目的の一つであるため、感情を込めて書きたい。そのため、一部過激な表現が含まれることをあらかじめ断っておきたい。
喜怒哀楽の、「怒」「哀」にフォーカスした記事とさせていただく。
ところどころで、筆者が選択を誤ってしまった、何か達成したかったことができなかった、優れたもしくは運が良かった人物へのコンプレックス、筆者にパワハラを仕掛けてきて頭を悩ませてしまった者への恨みなどが出てくるような後ろ向きな内容となるため、そのような表現を好ましく思わない方はこのあたりでそっとページを閉じてほしい。
なお、執筆した今日は、とある用事があり隣の駅まで散歩をしていた。
途中で筋トレを挟み、帰りも電車に乗らず歩いて帰ってきた。
本日は晴天であり、アイスコーヒーを飲みながら散歩をした。
そんな爽やかで気分のいい休日にこの怨念のこもった呪われた記事を書く。
筆者の長年の怨念を取り払うような、お焚き上げの意味も込めてすべてを吐き出したい。
なお、1万字を超える長文になってしまったため、結論だけ知りたい場合は目次から「まとめ」に飛んでいただきたい。これだけでも示唆に富んだ内容にしたつもりだ。

小学校時代

万人にとって幼少期~小学校あたりまでは所与のものとしてよいだろう。
と思ったが、幼稚園や小学校受験を経験したエリート達にとっては、幼少期時点で人生の重要な決断や、それに向けた血の滲む努力が発生しているかもしれない。
筆者の場合は、そのようなエリートではないため、近所の幼稚園を経て公立小学校へ進んだ。
別の記事で紹介したが、小4からSAPIXに通っていた。
SAPIXに通う前は、水泳や公文、音楽教室などいくつかの習い事をしていた。筆者は小学校転校を経験しているが、1校目は教育水準の高いエリアの小学校であったためか、民度が高く周りの生徒も優しかった。どうやら学年に数人は東大に入っているようだった。
一方2校目は教育水準の低めなエリアだったためか、民度は低く、周りとの喧嘩や揉め事が一定存在していた。恐らく年間に1人東大に入るかどうかのレベルだと思う。あとは偶々医師家庭の子息がいれば、彼らが医学部に入る程度だろう。
ここで、学校の民度を教育水準ベースで測るのは論理が飛躍していると思うものの一定相関関係はありそうなことから、話を単純化するため1校目は教育水準が高いエリアだったから高民度、2校目は逆であったということにしておく。

公立をディスる行為は個人的には賛同しておらず、筆者もそんなことはしたくないのだが、公立小~中学校の民度の低さについては一定リスクがあることを広めたいと思っている。
というのも、筆者は幼少期からASD/ADHD気質があり周りとそこまで上手くやっていけていなかった。そのため、民度の低い小学校において喧嘩や揉め事に巻き込まれてしまうことも何回かあった。
具体的な最悪な思い出としては、中学受験の大事な時期である小6最初に、民度の低すぎる同級生と喧嘩をして右腕を骨折し全治1カ月以上かかった。
骨折して整形外科のお世話になったのは人生で唯一これだけだ。
しかも怪我した日に診てもらった医師からは1カ月くらいで治ると言われていたのに結果2ヵ月以上かかった。SAPIXも忙しい時期であったため、この期間は小学生ながらかなり焦っていた記憶がある。
余談だが、言葉を選ばず言うと、ここでお世話になった整形外科クリニックの医師が藪医者であったように思う。素人が文句を言うのは良くないが、単純骨折でレントゲンで箇所もわかりやすいのだから、治療期間はある程度正確に当ててほしいものである。
全面的に相手が悪かったわけではなく筆者にも一部非はあったのだが、公立小学校だとこのような事件で痛い目を見るパターンもある。
この件では、加害者側から全く補償は受けられなかった。1度謝罪の電話があったくらいである。このようないざこざは仮に民度の高い小学校であっても一定割合発生するのは止む無いだろう。しかし常識的な親の場合は、治療費くらいは実費で払う提案をする、くらいのことはするだろう。
しかし、今回は加害者側の親の民度が著しく低かったこともあり、全く補償が受けられず倒れ損となった。
そのため状況次第だと思うものの、子供がそのまま公立小中に進んだ場合に周りの教育水準が低いと思われる場合は、私立に通わせることを推奨したい。もちろん経済的に許せばという前提付きである。
個人的な見解になるが、文京区や世田谷区のような教育水準の高いつよつよ学区であれば公立でも何等問題はないだろう。一方、23区外や首都圏の非東京であれば、公立への進学は慎重に考えたほうが良いと思っている。

話が逸れてしまったが、小学校時代までは所与のものとして良いと考えている。つまり、この時点では選択を誤ったという議論はまだできない。
しかし、あえて言うならば小学校から民度の高い学校に行っていれば何かしらの人格形成に良い影響があったかもしれない、というくらいだ。
とはいえ、小学校から私立は筆者の目線からするとハードルが高い。
そのため、私立算入は早くても中学、というイメージだ。
よって、この時点では選択を誤ってはいなかったように思う。

中学校~高校時代

筆者は先述の通りSAPIXに通い、中学受験をして私立の中高一貫男子校に入学した。
いくつか共学校も合格していたのだが、筆者は生まれ変わっても男子校に入りたい側の思想なので、男子校に入った選択に後悔はない。
中学時点では何か人生における選択が発生することはないため、中学高校は1つの章にまとめた。
中高は運動部に所属しており、ある程度まともに活動していた。
中学時代の成績は下位2割くらいに入っており、立派な深海魚であった。
高校入学後は、私立に通っている以上は大学受験でコストを回収せねばという思いが芽生えたこと、勉強の要領がわかってきたこと、成績が校内のカーストに直結することからまともな成績を維持したくなったこと、などの要因があり、課外活動の大部分を勉強に充てるようになったことで深海魚は完全に脱していた。
中高生活には思い入れがあり、今でも良い思い出として残っているのだが、意外と書くことがないのは、それだけ不満がなく充実していたということなのかもしれない。
ただ、振り返ると1個最大のデメリットがあった。
それは、周りの民度が高すぎることで、同級生達の予後が良すぎるのだ。
・医学部を卒業し、海外経験もあったことから留学したり海外の学会で発表する者
・起業で成功している者
・トップTierのJTCで順当に出世し、大きな仕事を任されている者
・外資系企業で活躍する者
・上記ほどではないものの最上級安定会社で堅実にキャリア形成している者

など、枚挙に暇がなく、これらの予後良好者と比較して自分は何をしているんだろうといったコンプレックスに苛まれることとなる。後々、このコンプレックスは肥大化し、かつ消えないものとなる。
わかりやすく例えると、キルアがイルミに埋め込まれた念のこもった針がずっとキルアの心を縛り続けるのに近いだろうか。
とはいえ、高校卒業から時間が経過した中で予後情報が入ってくるのは予後良好者だけであり、予後不良者は恐らく一定いるはずだが、表に出てこないだけのはずだ。そのため、バイアスはかかってしまっているだろう。
中学受験による大学受験ブーストをすることは、大学受験を成功させるためには再現性の高い手段だ。しかし、中学受験で入るような学校の同級生は往々にして予後良好なため、自分の予後がイマイチな場合、社会人で答え合わせをするタイミング以降で深刻なコンプレックスを抱えやすくなるリスクを孕んでいる。このように大学受験ブーストとコンプレックス増大はトレードオフの関係にあるのだ。
そのため、理想を言うと東大や医学部には数年に1人しか入らないような学校から東大に入ることができれば、社会人になってからのコンプレックスは感じにくいだろう。
しかし筆者のスペックではそんなことはできる気がしないため、ここまでの選択は誤っていなかったと感じている。

大学受験

筆者は理系クラスにおり、そのまま理系で受験した。
入った科類は理科Ⅱ類であった。
なお、学歴厨らしく弁解しておくと、筆者の時代はまだ理Ⅰと理Ⅱの合格最低点は年によって入れ替わっていたので、今ほど理ⅡのFラン感はなかった。今年の東大入試は数学が難化しすぎて理Ⅰの数学強者の点数が伸びず、久しぶりに理Ⅱの合格最低点が理Ⅰを上回ったと聞いている。

高校時代の同期は一定割合が医学部に進んでおり、彼らの予後は良好である。そのため、当然ながら医学部に進んでおけばよかったという思いは強く持っている。
理由は言わずもがなだが、平たく言うと、筆者の現状は会社にぶら下がるだけの悲しき労働階級でしかないため、大学名に拘らずに手に職を取りに行くべきだった、というところだろうか。このあたりはNoteの世界でも散々議論されてそうなため、ここまでにしておく。

とはいえ、東大より圧倒的に簡単に入れる国公立医学部はある程度存在している。もちろん18歳時点の学力が優位だったから社会に出ても報われるべきだという話をするつもりはない。しかし、18歳時点の学力では筆者よりも劣っていた者が医学部を出て予後良好な人生を歩んでいる現実を目の当たりにすると、「医学部受験すればよかった。せめて大学2,3年時点で東大の予後不良リスクに気づいて再受験すればよかった。」という思いを抱かざるを得ない。

ただ、医学部出身者に対する妬み嫉み、コンプレックスが激しいというよりは、当時志望校を決定した自分の責任ではあるため、納得感は持っている。
あと、Noteの世界では偶に見かけるが都内出身者の東京信仰は凄まじく、東大進学は正義みたいな風潮は強い。そんな中で地方の医学部受験を決断するのは高校生にとっては難しいのである。

実際のところ、東大理Ⅱであれば進学振り分けと就活さえ上手くでき、新卒のポジショニングに成功すれば、良好な予後を送ることは可能だ。(そもそもこれが東大入試以上に難しいのだが。)
なので、この時点でも自分の選択はそこまで誤っていないように思う。

前期教養~進学振り分け

このフェーズで筆者は選択を誤ることとなる。
時系列に沿って説明しよう。
まず、前期教養時代だが、大学受験で燃え尽きてしまった結果、ほとんど勉強をせずに夏学期の試験を受けた。
進学振り分けの点数が重要であることを入学時点で認識していたにも関わらず勉強に身が入らず、ほとんど可、一部良がある程度で追試も食らうという目も当てられない結果に終わった。
サークルや学生団体は新歓でいろいろ参加したものの続かず、学習塾や飲食店のバイトをして課外時間を過ごしていた。
進学振り分けの点数が低すぎてこのままでは学部選択ができないことに危機感を覚え、1年の冬学期と2年の夏学期は点数の取りやすい総合科目を中心にしっかりとテスト勉強をして、必修も可能な限りガチで勉強していた。

努力の甲斐はあって2年夏学期終了時点で人並みの進学振り分け点数にすることには成功した。
しかし、ここで選択を誤ってしまう。

文脈から想像が付きそうだが、進学先の選択を誤ってしまった。

筆者は経済学部に進学したのだが、これが誤りだったように思う。
理系から経済学部に進学したのは以下の理由からだった。

・実験や実習がない
・そのため自由に時間割を組みやすい
・座学だけで完結する
・数学や統計には興味があったため、その座学自体は魅力的に映った
・就職実績が強い

「就職実績が強い」というのは、データ上事実ではあったが、それは上澄みの就活強者が実績を作っているから、でしかない。
就活弱者は普通にMARCHの層が内定をもらえる企業に落ちたりと、苦労が多いということにこの時点では気づけていなかった。
そのため、理系学部に比べて卒業するまでの勉強時間が少ないわりに就職実績が強いという良コスパ学部に見えていたのだ。後ほどになってこれが大きな間違いであったことに気づいた。
後述するが、この選択が後々の新卒就活や配属から始まり、筆者の予後形成に効いてきてしまうのであった。
工学部や理学部に進学しておけばよかった。
進学振り分け時点では、学科のカーストを気にしてしまっていた。
今もそうだと思うが、学生目線だと予後の強さ(JTCに入った後の配属ガチャや、新卒におけるジョブ型採用の通りやすさなど)よりも進学振り分け時の点数をベースに学科のカーストが決まっていた。
工学部のマテリアル工学科やシステム創生学科A,B、理学部の不人気学科などは当時進学振り分けに必要な点数が低く、カーストはあまり高くなかった。一方経済学部は、進学振り分けの点数がそれなりに高いことから学内のカーストは高めなイメージであった。
しかし社会人になって蓋を開けてみると、それらの学部出身者はJTCの配属において有利だった。例えば、一定地方の現場を経験したとしても、本社のリスク管理や経理、財務部門、資産運用部門など専門スキルを要する、かつ属人的な経験が得られやすい部門への配属が叶えやすかった。
一方経済学部だと、大量の文系ソルジャーと一緒のため上記のような勝ち配属は叶えづらかった。
・進学振り分けのカーストを気にしてしまった
・数理の勉強から逃げてしまった
以上により、「理系バックグラウンドを活かせるJTCの旨味のある椅子」を永遠に逃すことになってしまったのである。
この時点では、理系に対する拘りというよりも、大学の数学から逃げてマイルドめな学問をやりたいという気持ちが勝ってしまった。この選択により、今後取り返せないビハインドを負ってしまった。

理系科類から文系学部に進むことを検討されている方が読者の中にいらっしゃれば、考え直すことを推奨したい。
経済学部に進学しても、ゼミ選択や勉強の仕方、気合の入れ方によっては公認会計士やアクチュアリーのような専門職として良好な予後を送る者も一定数存在する。
また、専門職でなくてもプラチナJTC(総合商社、不動産デベ、海運など)への就職により勝ちパターンを得る者もいる。
そういった事例が目立つため、経済学部は良い学部に見えてしまうのだが、それは本人の有能さゆえなのだ。
無能な人間が経済学部に行ってしまうと、私文の就活強者と同じフィールドで戦わないといけない。自らレッドオーシャンに飛び込む行為なのだ。
ここからわかる通り、筆者の最初の選択誤りは進学振り分けであった。

学部生~新卒就活

経済学部時代は、マクロ経済、ミクロ経済やデリバティブ等の授業に興味はあったため前向きに勉強していたように思う。
しかし、誤ったのは、ゼミ選択だった。
金融工学や計量経済など、社会人になってからの配属を有利にできるようなゼミに入っていればよかった。
これらのゼミに入っていれば、新卒就活時にジョブ型採用に通過できたかもしれない。
筆者はこのような学問からは逃げてしまい、文系寄りで論文を輪読するようなゼミに入ってしまった。
また、ガクチカについては別記事でも紹介したが大したエピソードを組成できなかった。サークルや部活はやっておらず、アルバイトに精を出していたため、ほとんどその話しかできなかった。あとはゼミでやっていた仕事もエピソードにしていたので、その2つでしか勝負できなかった。

このように、ガクチカは大したことない、大学での学習内容も業務に直結しない、といったヘボ就活生の状態で就職活動をした。

結果、当然ながら惨敗し、何とか内定をもらっていた金融系JTCの総合職オープンコースに進むことになった。

新卒就活時の後悔は尽きない。
上記通り、ヘボ就活生であることは、就活を迎えるタイミングではどうにもならない。しかし、就活自体をガチれば一定カバーすることは可能だったはずだ。運動部出身だったり帰国子女のコミュ強など、ハイスぺ学生がトップTierの企業から内定をもらうのは当然である。一方、そのようなハイスぺでなくても業界研究、自己分析、OB訪問などを徹底的にやった者はそれなりの就活実績を残していた。
一方筆者は、

・いくつかの志望業界のうち、最大手1~2社しか受けない
・インターンもほとんどいかない
・OB訪問はしない
・自己分析もろくにせず、適当に給与と社格の順に受け続ける
・面接対策もしない
・受ける会社の業務内容もよく知らない

このような舐め腐った就活をしてしまった。
これでよくJTCから内定をもらったな、と今振り返ると思えてしまう。
一定の数を打ったことで偶々引っかかっただけなのだろう。

新卒JTC

JTC序盤 -期待からのコンプレックス爆発-

何とか社会人になることができ、集合研修~OJTあたりまではそれなりに希望に満ち溢れていたように思う。
いや、満ち溢れていたかは怪しいが、そこまでコンプは感じておらず、普通にこの会社でやっていこう、くらいの感覚だっただろうか。

別記事でも紹介していたがOJTを終えた後の初期配属は、地方支店の現場だった。
同期の数人を除いた全員は地方現場配属だった。
配属を言い渡されたあとに、配属リストを見て衝撃だったことがある。
それは、名古屋大数学科院卒と、某旧帝大院卒の新人がアセマネ系の部署にいきなり配属されていたことである。

理系院卒であることが彼らの最大の勝因だろう。
しかし当時、東大学部を卒業した新社会人の筆者にとってはその現実を受け入れるのが難しかった。
彼らに罪はなく、ただただ人事を憎んでいた。
彼らについては、今でも羨ましい気持ちが大きい。
キャリアを交換できるなら、交換してくれといった気持ちだ。
なぜ東大より難易度で劣る彼らを本社間接部門やアセマネに配属し、東大卒の自分を地方の現場配属にするのか。人事は自分に対して嫌がらせをしたいのか。人事は学歴コンプ野郎なのか。など思っていた。

当時は、学部卒であること、出身学部が文系であることが自分の敗因と認識し、自分を説得したことで何とか平静を保っていた。
現場配属でしばらく過ごしたところ、幸いにも部署のメンバーに恵まれ、意外と楽しく過ごせていたことも、平静を保てた要員だろう。
しかし、現場で得られるのは専門的なスキルではなく、その会社でしか使えないニッチな知識と独自システムの習熟くらいであった。
さらに、東大を出たのに地方勤務である現実がつらかった。
このように、業務内容と勤務地という二つの観点でコンプレックスを増大させていた。

先述の通り、平静を保ちつつ何年か過ごしたのだが、今になっても納得は行っていない。
名古屋大やその他の大学においても、東大卒より数理能力が高い者は一定いるだろう。しかし、そのような者は大学に残って研究するか、筆者が入ったJTCよりTierの高い会社に行っているだろう。
よって、無理やりな論理ではあるが、運よく本社間接部門やアセマネに配属された彼らの数理能力は高く見積もっても東大未満であると判断してよいだろう。
筆者は東大入試の数学は3完していた。彼らの中で3完以上できる者はいないだろう。仮に東大入試を受けていても高々180点くらいしか取れないだろう。それなのに、筆者が地方の現場配属になったことはどうしても納得がいかない。当時の人事は何らかの制裁を受けてもらわねばならないと感じている。

JTC中盤① -安定期-

地方現場での仕事や人間関係に慣れ、良くも悪くも安定していたように思う。
ここで選択肢が発生したとすれば、この時点で転職してしまってもよかったのかもしれない。
というのも、新卒2年目以内とかであれば第2新卒枠で勤務地東京固定の会社に滑り込める可能性があるからだ。
しかし、当時は今ほど転職業界が活況ではなく、学生時代の同期の中でも転職を経験している者はほとんど出ていなかった。
そのため転職活動をしたり、その後のキャリア形成のイメージを持つことができず、転職の選択肢は取り得なかった。

冒頭で触れた、良くも悪くも安定していた期間は今振り返ると結構楽しかったように思う。
地方現場の仕事は、その会社でしか役に立たないものだが一定期間やっているとその分野へ習熟したうえ仕事のコツもわかってきて成長が感じられたためである。
記事の趣旨からは外れてしまうが「その会社でしか役に立たない」を補足すると、なぜかJTC現場では業務システムがガチガチに固められた会社専用のシステムである。SaaSとかは1ミリも参入していない。そして、帳票はそのガチガチの基幹システムからしか出力できないため、ExcelやPowerPointなどはほとんど使わないのだ。よってMicrosoft系のツールへの習熟度が高まることは、余程それらを積極的に学ぼうとしない限りは、ないのである。JTC現場経験者ならわかると思うが、ExcelでいうとSUM関数が使えたり、PowerPointでいうとオブジェクトをペタペタできるだけで神扱いされる世界といっても過言ではない。

また、地方特有の人間関係の強さ、娯楽があったことも大きい。
このタイミングで車を購入し、運転が問題なくできるようになったことから休日は隣県まで遠征して温泉に入ったり、ダム見学をしていた。
また、ゴルフを始めて週4くらいの練習と、月2回程度のラウンドに行っていた。地方の打ちっぱなし料金は都内と比較すると破格である。
都内は20ヤードくらい先にネットがあるのに1球20円だが地方だと300ヤードくらいまで先があっても1球6~7円であった。今は値上げされてそうだが、ゴルフ始めたてでこの環境は破格であった。なお、これだけやっても未だスコアは壊滅的である。

偶に、地方配属中に資格の勉強をして本社配属になるように動かなかったのか、と聞かれるが、上記通り良くも悪くも安定していたことから、あまりそのような活動はできなかった。
今思えば、この期間中にもっと資格の勉強などに時間を割いていればもっとマシな予後を過ごせていたかもしれない。

JTC中盤② -希望に溢れた初異動-

地方の現場勤務をしていた年度末に、異動の内示が出て本社の事業企画部門に異動することとなった。
JTCの異動サイクル的に、筆者はまだあと1~2年ほど異動タイミングは来なさそうな時期感だった。異動対象者は人事公式の異動発表日当日の17時前くらいに課長から直接メールが入るのだが、どうせ異動が出ることはないだろうと思って完全に油断していた。当日メールが入ったときは驚きを隠しきれなかった。
地方現場は上記の通り意外と楽しかったため、異動は寂しい気持ちがあった。しかし、東京に戻れることの喜びの方が大きかった。
また、事業企画部門は一応花形部署的な位置づけであるため、異動を聞いた時点では飛び上がるほど嬉しかった記憶である。
システム刷新のプロジェクトに参画するため、会社の業務フローを理解し、要件を設計書に落とし込んでベンダに連携したり、帳票項目、レイアウトの検討、その他非機能要件の調整などがミッションとされていた。
現場経験により、JTC特有のレガシーシステムに課題を感じており、その改善に関わりたいと思っていた。複雑な業務フローの理解、ベンダとの調整も、東大卒の自分なら社会人序盤でも十分にできると高をくくっていた。
このように、この時点では期待に胸を膨らませていたのだが、その部署の実態はそんな華やかなものではなかった。実態は後述する。

JTC終盤① -終わりの始まり-

地方現場での勤務経験を経て、晴れて本社の事業企画部門でのキャリアをスタートさせた。
これだけ見ると、現場で成果を上げ、現場業務を理解した状態で本社の企画部門で活躍するというキラキラしたサクセスストーリーに見えるだろうが、前述の通りそんな甘いものではなかった。

前述の通りシステム刷新プロジェクトにおける業務側、所謂オーナー部門としての参画であった。業務要件定義から始まり、テスト計画、ユーザー受入テストのケース作成、移行・教育までの一通りを実施することがミッションであった。

ここからは筆者が躓いたポイントを紹介する。
新規配属者者向けの研修はあったものの、その後のミーティングでの会話内容が絶望的にわからないのである。
そして、退職に至るまで結局キャッチアップが不十分な状態で過ごし、大したパフォーマンスを発揮できなかった。

その原因として想定されるのは、

・要件定義が完了して以降の、プロジェクト途中での参画だった
・そのため要件定義時点での検討内容を知らない
・同じ部署の20年プレイヤーばかりで議論しているため、新参者がいきなり入ってもわかる粒度になっていない
・そんな状態なので細かいタスクの実施目的が理解できない状態
・業務フロー、事務的なルールなどが専門的であり、その領域の現場を経験したか、同じ部署に数年いないとイメージが付かない
・筆者が現場で経験した領域とは異なる領域の事業企画部門であった
・その時点では現場経験しかなかったためシステム開発に必要なIT知識もない

このあたりだろうか。単に筆者の能力、やる気が不足していただけかもしれないが。
世間一般に「配属ガチャ」という言葉はよく使われるが、配属タイミングのガチャもあることを痛感した。配属先は当たりだったとしても、タイミングが外れてしまうと、上記のようにキャッチアップが困難になってしまう。

JTC終盤② -闇-

前章で記載した通り、キャッチアップが不十分な状態のまま時間だけが過ぎて行った。
チーム内で筆者に振られるタスクは、だれでもできるようなものしかなく、業界知見を深めたり、関連部門やシステム部隊との調整能力を高められたような実感も薄かった。
当然筆者の仕事上の評価も決して良くなかった。
そんな状態のため、自己肯定感はかなり低かった。
久しぶりに会う友人からは、「どうしたの、元気ないよね?」と言われるくらいだったため、外見にも表れるくらいだったようだ。
地方現場で勤務していた期間の方が自己肯定感は高かっただろう。

ここで補足するが、JTCの「事業企画部門」は一応花形であり、現場社員が社内公募を使って行きたがるような部署である。
しかし、いざ入るとハイパフォーマー以外は後悔するような部署である。
筆者の見解であるが、理由は以下の通りだ。

・JTC固有の業務フローの理解が必須である
・関連部門のXX部は~~をやっているのでYYさんに聞くとわかる、みたいな勘所が必要
・そのため何年も同じ部署にいた経験、それによって培う他部門との人間関係が必須である
・システム系の専門性が必要、というよりは大小いろいろあるがプロジェクトを前に進めていく力が必要
・高学歴層が想像する「専門性」とは毛色の異なるJTC特有の専門性が重要
・よって勉強だけできる高学歴には実は向いていない

そして、あるタイミングの人事評価を当時の上司から言い渡された。
それがマイナス評価だったのだ。
上記のような状態だったため、マイナス評価になることは予見できていた。
というか、それ以前の評価時点で上司から「今時点では異動直後だから標準評価にするけど、次回も同じ状態であればマイナス評価にします。」と警告されていた。
しかし、筆者は生まれ変わることができず、マイナス評価を食らってしまったのだ。
前章に記載した状況であったため、その状況を打開するのは実際難易度が高く、仕事の才能があるシゴデキでないと厳しいだろう。
そうはいっても、「余程のシゴデキでないと状況打開は無理だ」とか「環境のせいである」といった他責思考で片づけてしまうのは、今後の自分の成長を妨げてしまうため、良くないだろう。

反省点を上げると、

・受け身になっており最低限のタスクしか実施しなかった
 ⇒会議後に発生したToDoを自分で巻き取るための相談をすぐにチームリーダー等にするべきであった
・業務知見の不足を補う手段が座学しかないと考えてしまい、空き時間に資料を眺める程度しかしていなかった
 ⇒資料を眺めて、質問を無理やりでもひねり出してチーム内で確認する等の積極性が必要だった
・チームリーダー、その他メンバーとのコミュニケーションに障壁を感じ、やり取りに消極的になっていた
 ⇒タスクを進める際、本来は他メンバーとコミュニケーションを取って情報を仕入れるべきだが、自分で抱え込んでしまった。無理にでも用事を作って周りのメンバーとの人間関係を構築することが必須だったように思う。

こんなところだろうか。

JTC終盤③ -初転職-

前章の通り、万年キャッチアップができず、大した仕事をせず、人事評価マイナスを付けられてしまった。
これだけなら全然いいのだが、人事評価がマイナスだと昇進できないのである。実際これが原因で、順調な同期が昇進するタイミングで筆者は昇進できなかった。
所定のタイミングで昇進できずとも何年か待てばいいのでは、という意見もあるだろう。
しかし、当時は、キャッチアップができずまともな仕事ができずパフォーマンスが上がらないといった負のスパイラルに陥ってしまい、抜け出すイメージが持てなかった。
難しい検討ごとは結局20年プレイヤーが巻き取ってしまうため、ぽっと出の自分がそれを奪うことは叶わないのである。とはいえ、シゴデキであればこの状況でも突破口を見つけて、20年プレイヤーから仕事を巻き取り自分の得意領域を作っていけそうだ。筆者にはそれができなかった。
そんなわけで仮に数年粘ったとしても現部署での昇進は叶わないと判断した。
それならアセマネ系の部署などに異動を申し出ればよかったのではといった意見があるだろう。
当時の時点で、資産運用関連の資格や英語力は一定身に付けていた。
しかし、当時の感覚だとそのような専門系の部署は新卒からいないといけない、数年経ってロクに昇進もできていない自分が途中から行ってもそれはそれでツラいだろう、と思ってその選択肢は見送った。

回りくどくなってしまったが、このタイミングで事業企画部門で数年マイナス評価を食らっても会社にしがみつき続ける、もしくは向いていないことを理由にアセマネ部門への異動を申し出る選択肢を取れば良かった

しかし、事業企画部門において八方塞がりになった筆者は、転職を決意した。
ちなみに、ここで八方塞がりと感じたことが今振り返ると間違っている。
別記事でも紹介したが、本社間接部門への配属は意外と緩い。
他部門で使い物にならなかったみたいな消極的な理由でも配属されることを当時は知らなかった。事業企画部門で使い物にならなかったら、配属希望なんぞ通るはずがないだろうと考えていた。

転職エージェントに初めて登録した。
エージェントだけで何社か面談した。
そのうちの1人は、「大企業から出るのはもったいないですよ。一般的に大企業から転職することは『降りる』と言います」というように、転職は慎重にした方がいいよとアドバイスをくれた。
そのアドバイスに目もくれなかったわけではない。
実際、筆者が所属していたJTCは福利厚生が充実しており、会社自体にはそれなりに満足していた。
しかし、事業企画部門で八方塞がりになってしまい、会社を出る以外の選択肢が考えられなかったのだ。
そんな中、コンサル業界を専門に支援しているエージェントと話が合ったことから、転職活動を本格的に開始した。
コンサル業界を志望した理由は、ざっくり以下である。

・当時勤務していた事業企画部門の仕事が業界に閉じたニッチなものであり、汎用的なスキル取得を見込めない
・同じ案件に入っていたコンサル会社の人の仕事を見て、自分も同じような仕事をしたいと思った

何社か受けて、早めにオファーをくれた会社があり、条件的にも満足できると考えそちらに入社を承諾した。
この短絡的な承諾は、転職活動においてやってはいけないことである。
この決断により、筆者はレッドオーシャンに飛び込んでしまい後々の軌道修正に苦労するのであった。

JTC終盤 番外編 -退職交渉-

JTCからコンサル業界に転職を決めたのだが、当然JTCの退職交渉をした。
その際のエピソードを紹介する。
前述の通り、筆者は事業企画部門内でパフォームできていなかったため、筆者が退職しても何等影響はなかっただろう。
しかしながら、1社員のキャリア形成といった観点で、当時の上司から、「退職を取り下げれば他部署への異動希望は叶えられる」という話を受けた。
今思うと、この話に乗っておけばよかったかもしれない。
しかし当時の感覚だと、部署異動の確約など、書面も交わさないのにできるはずがないだろう、と考えた。
同様なパターンの話を聞いたことがないため、その真偽は今となってもわからない。
しかし、まだJTCに残っている同期の話を聞く限りだと、異動希望は案外あっさり通っている印象だ。そのため、上長からここまでの確約をもらえていれば次回の異動で希望部署への異動は叶っていたのかもしれない。
しかし当時は、先述の通り「専門系の部署は新卒からいないといけない、数年経ってロクに昇進もできていない自分が途中から行ってもそれはそれでツラいだろう」といった感覚が強かった。
また、コンサル業界で身に付く(と勘違いしていた)、業界問わず様々なプロジェクトにおいて問題解決を支援しプロジェクトを前に進めるスキルの方が魅力的に映った。
しかし、後述するが、コンサル業界でやっていたのは所詮高級文房具としての動きであり、想像していたスキルは身に付かなかったように思う。
そのため、結果論でしかないのだが、退職を取り下げて、JTC内の希望部署への異動を叶えればよかった。(とはいえ、本当に異動が叶うのか読めないことが最大の懸念であり、見送ったわけだが。)

JTCの場合だと、額面収入に加えて家賃補助や退職金、企業型DCなど様々な福利厚生がある。それらを加味しても、コンサルティングファームの方が待遇が良かったため転職を決意した。ここはさすがに何回も計算した。
しかし、長期的にみると、JTCにはベアがあり、昇進は遅れてもそのうち一定程度までは見込めるため、JTCに残り続けた方が良かったように思う。

コンサルティングファーム1社目

JTCでの勤務を終えて、とあるコンサルティングファームに中途入社した。
戦略コンサルではなく、総合コンサルのため、やっていることは高級文房具に近かった。
しかし、JTC時代に間近で見ていたコンサル会社がやっているような仕事をしたかったため、高級文房具であることに不満はなかった。
途中までは順調に、いくつか案件を経験した。

しかし、数案件目のとあるプロジェクトで壮絶な体験をした。

社会人生活で初めて、当時同じチームにいた上長からパワハラを受けるのである。
ここでのパワハラは、筆者の能力不足が一定起因しており、あまり当時の上長を恨む気持ちはない。というか時間が経って忘れているだけかもしれない。
しかしこの上司は、半沢直樹に出てくる小木曽のように、机をバンバン叩きながら詰めてきた。こんなこと実際にあるんか、と思ったが、いざ実際にやられると中々精神的に追い詰められるのだ。
あと、筆者にタスクを振った際に、「これは誰でもできる仕事だから」みたいな発言をしたり、いろいろと問題はあるような気がしたが、後述する別件のパワハラに比べるとマシなので、あまり記載しないこととする。

この案件では筆者のパフォーマンス不足もあったとはいえ、パワハラ上司は筆者に向けたパワハラをする前に別の社員に対してもパワハラを行っており、同じ案件内で2件やらかしたことで離任になった。筆者もタイミングを同じくして離任になった。

パワハラエピソードばかりが目立ってしまうが、この案件を終えたあとに参画した案件では、(上司がまともだったこともあり、)一定のパフォーマンスは出していたように思う。ちなみに及第点という程度でしかない。

コンサルティングファーム2社目

結論、今振り返ると不要な転職をしてしまったと思うのだが、コンサルティングファーム1社目→2社目へ転職した。
本記事執筆時点での現職である。
1社目だと
・ワークライフバランスが実現しづらい≒テレワークがしづらい
・高級文具感が強すぎてスキルアップが見込めない
(一定、高級文具としての立ち回りはできるようになった実感はあった)
・よってもう少し上流工程の検討をしたい
・昇進が見込みづらい

といった懸念があったことから、安直に2度目の転職してしまった。
なお、1回目の転職と同じエージェントにお世話になった。
このときのエージェントには甘い言葉でまんまと騙されてしまった。
ちなみにこれは完全な筆者のミスであるため、エージェントを悪く言うつもりはない。甘い言葉で転職者を転がすのは彼らの仕事であるからだ。
真っ当に転職者のキャリアを考えてアドバイスをくれたり動いてくれるエージェントも多くいらっしゃるため、高額なフィーのために転職者転がしばかりを画策するエージェントばかりではないことを補足したい。

コンサルティングファーム2社目への転職は後悔している。
結局、上記の見込みは外れてしまったためである。
同じような総合コンサルティングファームである以上、やっている案件の性質に大きな違いがあるはずはないのだ。
また、WLB向上できると見込んだがそれほどではなかった。
とはいえ在宅勤務割合はかなり増えたため、そこの見込みは当たっていた。
なので悪いことばかりではなかったかもしれない。
しかし、以下の強烈なクソエピソードのおかげでキャリア的にも予定が狂ってしまった
キャリアの予定が狂った、というのは、この案件における評価が最悪だったことで、その年における昇進が叶えられなかったということだ。

コンサル1社目に続いてだが、またパワハラである。

ここで、パワハラに関する筆者の持論を記載する。
便宜的にパワハラ加害者、被害者と置いた場合に、加害者が100%悪いケースは今の時代それほどないだろう。
現実的には被害者にも一定の非があるケースが多いと思う。
例えば、単に業務遂行能力が加害者側の期待に達していなかった、とか、業務を進めるうえで必要なコミュニケーションを取らなかった、とか。
とはいえ、パワハラ被害者を貶める意図は全くなく、パワハラで悩んでいる人はすぐに訴えた方がいい。ちなみに訴えることは想像以上に難しいのだが。
筆者のケースにおいては、筆者にも非があったことは自認している。

この会社において最も腹が立っているのはやはり、以下記事で紹介した「マネージャーA」である。

記事の中では、「マネージャーA」からの嫌味発言を全て紹介しているが、この男の人間性は終わっている。敢えて偏差値換算するとマイナス100くらいだろう。
この男と同じチームでやっていた案件を離れ、別の案件では有能な上司のもと前向きにプロジェクトを進行できていた。
その期間においては、この憎むべき男のことは忘れていたのだが、会社を辞める直前になって怒りが煮えたぎってきた。
「マネージャーA」事件からは結構な期間が経っているにも関わらず今になって怒りが沸いている理由は、そもそも何で現職を辞めることにしたんだっけ?と思って振り返ってみると、この「マネージャーA」が起点であったのだ。
余談だが、筆者は駆け出しNoterであることもあり、有料記事で最も売れたのが上記パワハラ記事である。何とも皮肉な話だ。(購入してくださった方は本当にありがとうございます。今後も執筆活動を頑張ります。)
これは「マネージャーA」のせいにはできず、何なら彼のおかげで利得を得ているので何とも言えないが、最後まで憎らしい男である。
ルッキズムの話をするつもりはないのだが、ちょっと生々しい話をすると、「マネージャーA」は美容に廃課金しているらしいのだ。
彼はモラハラ気質のせいなのか、子供はいるが離婚経験しているそうだ。どうやら親権は彼にあるらしい。
新しい奥さんか彼女を作ろうとしているのか、色気を得ようとしているようだ。筆者にはあれだけ嫌味を言っていながら、自分はオッサンのくせに色目を使っていて反吐が出るほど気持ち悪い。ゾクゾクする。
この「ゾクゾクする」は、相棒24‐19で社美彌子が叶恭次についてコメントした際の「ゾクゾクする」と全く一緒の感覚だ。
筆者が甲斐亨であればダークナイトとなりこの男に対して私刑を下すだろう。しかし、そんなことをして御用になってはこの男の思う壺なのでそんなことはしない。
とにかく、この男には何らかの形で正義の鉄槌が下されなければ気が済まないのだが、こんなしょうもない人間のことを考えて脳のリソースの一部が使われてしまっては本末転倒だろう。
以下のような筆者の状況にちょうど良さそうな書籍を見つけたので、早速読んでみたいと思う。

パワハラのエピソードの印象が強すぎて、そればかり語ってしまったが、その後は有能な上司のもと、新しく発注した案件のデリバリーをしていた。
一応まともに仕事をしており、新規に発注した案件を1期間で終わらせず、クライアントからの継続要望をいただくところまではやったので、及第点に達する程度には会社に貢献したのではないか。
「マネージャーA」の案件が尾を引いており、昇進が難しいことから、コンサルファームからの撤退を決意した。
また、直近の有能上司案件については、案件そのものは順調であったが、評価は中々に厳しく、昇進までは見込みづらかった。これも撤退を決意した要因である。

コンサル会社要約

コンサル2社分、主にパワハラエピソードの記載のみでまとまらない文章になってしまったため、要約する。

・Excelでの集計、可視化、PowerPointで課題整理、ディスカッションペーパー作成をする等、「高級文具」としての立ち回りは身に付けた
・「高級文具」以上のことはほとんどしていない
・割合は低いがパワハラ上司と当たってしまった
・その期間中は当然低評価を付けられてしまったが、それ以外の期間は高評価をもらえたこともあった
・有能な上司のもとで仕事をする機会もあり、それは勉強になった
・しかし、上司の有能さゆえに、この境地には筆者がたどり着くのは困難と結論づけた

その後

別記事で紹介したとおり、コンサルティングファーム2社目から転職活動をし、JTC間接部門への入社が決まった。
JTC→コンサル転職に後悔していると記載したものの、コンサル勤務時代の経験が一定評価されたことで転職活動が成功したと思う。
ただ、結局のところJTCで塞がれてコンサルを経験したが、思うようにキャリア形成できずJTCに出戻り、しかも1社目のJTCと比較して長期的に見ると勝てない可能性が高い、といった状況だ。

まとめ

筆者が選択をミスったのは以下である。

・東大の進学振り分けで経済学部に行ったこと
・実務的な知識が身に付きづらいゼミに入ったこと
・JTCの専門部署に配属されるための活動をしなかったこと
・JTCを退職しレッドオーシャンのコンサル業界に入ったこと
・レッドオーシャン内でも、転職エージェントの甘言に騙されて不要な転職をしたこと

花垣武道のようなタイムリープ能力を得て、選択をミスったタイミングからやり直したい気持ちしかない。
しかし、そんなことができたとしても、何度やっても思うような結果にはならないところも原作準拠なのかもしれない。
冗談はさておき、前を向くしかないのだ。
アルスラーン戦記のナルサスも、「目的地に向かうためにはその方向に進まないといけない」的なことをアルスラーンに進言していた。それと一緒である。

今回は怨念をお焚き上げしたく長文で吐き出してみた。
今後は会社にぶら下がり続けるのではなく、叶えたい野望があるため、それを叶えられるよう別記事で決意表明をしようと思う。

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