「川崎・女躰神社」では「阿吽の狛犬」が双方「子抱き」で、その
子たちの「阿吽形」が逆になり、また「親:吽形、子:阿形」の子
が「玉遊び」をしていました。
珍しい組合せと思い、また「狛犬とは、何者であるか」を知りたく
なって「資料」を読み込んで行くと意外な名前に辿り着きました。
「三遊亭円丈」、そうです「新作落語の革命児」と呼ばれた「噺家
・円丈師匠」です。
かなり膨大な資料でしたが、その資料の前に 他の「狛犬先達資料」
から読み始め、まだまだ理解が不足ではありますが「ダイジェスト
・フォロー・トレース」を試みたいと思いますので、どうぞご容赦
ください。
(こんなに「狛犬」に関する記事が多いとは思わなかった! また
記述内容にも細かな相違があって、どれを採用して良いか 迷う。
資料を読み進め、自分の理解を 少しでも深めつつ・・・・難しい!
資料の矛盾・表現の不明不詳・誤字脱字に悩み、何度も挫折寸前で
筆が止まるが、なんとか最後まで書き切ってみたいと思う。 まあ、
こんなボリュームになるとは・・・・・)
「狛犬」とは、主に 神社の入口・鳥居の両脇や本殿等の正面左右に
一対で、向き合う または本殿等に背を向け 参拝者に正対するよう
に置かれた「想像上の生物像」の事で、飛鳥時代に「我が国 日本」
に伝わった時には、左右の姿に差異はない「獅子」であったが、平
案時代になると 異なる外見を持つ「獅子と狛犬」の像が対となって
置かれる様になったと云います。
「無角の獅子と有角の狛犬の一対」で、狭義には 後者のみ「狛犬」
と称すが、現在では「両者併せて狛犬」と呼ぶのが一般的になって
いるようです。
「狛犬の起源」としては、「ペルシャ・印度」の「ライオン(獅子)
を象った像」、「古代エジプト・メソポタミア」の神域を守ったと
云う「ライオン像」も その源流とされ、「古代オリエント諸国」で
も 聖なるもの・神や王位の守護神としての「ライオン」が用いられ
ているとか(「スフィンクス」も、その一例だそうです)
「狛犬(こまいぬ)の語義由来」は、伝来の時期については 明確で
ないが、「朝鮮」から伝来した 異様な姿の生き物を「犬」と勘違い
して、「高句麗・高麗」は古名として「こま」と 読まれることから
「高麗犬」が「こま いぬ」になったとの説や、「魔除け」に用いた
処から「拒魔(こま)犬」と呼ばれたと云う説等の諸説がある。
「類聚雑要抄」では「胡摩犬」と表現され、この「胡」は異民族を
表わすと云います。
清の官吏「段玉裁」が著した「説文解字」によれば、「狛」は「狼
の如く善く駆ける羊」であるとされ、注釈書「説文解字注」に於い
ては「狛」は「貊」と同字であるとされ、「貊」はツングース系民
族を表わすと記されているそうです。
また「李白」の詩の一節には「天狗」の対比として「土狛」と呼ば
れるものが登場するとか。
「貊」や「高句麗」の訓読み「こま」は「蓋馬国」の転化という説
や、中国「宋」代に作られた「韻書」の一つである「集韻」に「駒
驪、國名」とあり、「狛」は「駒・子馬」から由来するとも考えら
れるとか。
「犬」についての記述では、「隼人」の「狗犬」との関係が指摘さ
れ、「隼人」は「熊襲」と同族で、「熊襲」の国が「狗奴国(邪馬
台国の南に位置し、邪馬台国と対立していたと云う)」であったと
される。
日本語の「こま」は「駒・子馬」を意味し、「日向 隼人」の「駒」
は評判の高かったようです。
この「隼人」が、朝廷に恭順した後には「護衛の任」についており
門番などもしていた点が「狛犬のルーツ」ではないかと云う説も。
段々難しい淵に嵌って参りますね。
「狛犬の姿」に関しては、奈良法隆寺・五重塔初重の壁面塑造に彫
られた像に見られるように「仏や仏塔入口の両脇に置かれ、左右共
『獅子』」であったようです。
それに対する『有角の狛犬』に由来は様々で、「延喜式」に於いて
『兕(じ)』と云う「正体は判然としないが、水牛に似た一角獣で、
鎧の材料に成る程の硬皮を持ち 角は酒盃に用いた獣?」この「兕」
が「狛犬」であるとも云われるそうです。
この「仏や仏塔入口」に置いていたものが、平安時代には 香炉を取
り付けた「大いなる白銀の 狛犬」が、宮中の御帳(御帳台)の四隅
に置かれた と記述した「うつほ物語」を始めとして、「枕草子・栄
花物語」等にも「獅子と狛犬」を組み合わせて調度品として、御簾・
几帳を押さえる為の重し(鎮子)として使っていたようです。
「獅子と狛犬の 配置と阿吽形」に関しては「禁秘抄・ 類聚雑要抄」
に「獅子を 左、狛犬を右に置く」と記され、更に「類聚雑要抄」に
「獅子は色黄にして口を開き、胡摩犬は 色白く口を開かず 角あり」
と特徴を描いているようです(これは内側からの左右で、向かって
という場合の 逆になります)
中国・韓国にも「獅子・狛犬」と同様の物が在るが、「阿吽形」は
日本で多く見られる特徴で、「仁王像と同様の、日本における仏教
観を反映した物」と考えられるとか。
「向かって右側の獅子像が『阿形・口を開く』で、左側の狛犬像が
『吽形・口を閉じ、古くは角を持つ』とされるのが一般的」
これが 鎌倉時代後期以降になると 様式の簡略化が出はじめ、昭和
時代以降に作られたものでは「左右共に角が無いものが多くなって、
阿吽の口の開き方以外には外見差異が無くなってきた」ので、本来
ならが「獅子」と呼ぶべきだが、現在は 両方の像を合せて「狛犬」
と呼ぶ事が多いようです。
「獅子像・狛犬像」の材質は、宮中の御帳台などで調度品として使
われたものは「金属製」であったと思われるが、各地の寺社境内に
見られるものは「石製」が多く、「金属製・陶製」の物もある。
また「神仏守護」として屋内に置かれたものには「木製」が多くあ
る事から、屋外に置かれるようになり「石製」が多くなったと思わ
れる。
「石製」の中で古い例では「奈良・東大寺南大門」に置かれた一対
の像があり、これらは「宋」の時代の様式が「日本」に伝えられた
と考えられる「唐獅子」で「阿吽形」は無く、双方が「獅子」の姿
をしています。
「神道」に於いては「神使(かみのつかい・かみのつかわしめ)」
とされ、その代表的なものとして「稲荷神社・狐」が挙げられるが、
「守護獣」としての「狛犬」とは異なると考える説もあると思うが、
神社における「一神一使」の中には「守護獣」との区分が曖昧な物
もある。
春日神・鹿、弁財天・蛇、八幡神・鳩、毘沙門天・虎、摩利支天
・猪栃木県野木神社・梟、京都府岡崎神社・狛卯、岩手県常堅寺
・河童狛犬、京都府金刀比羅神社境内木島社・狛猫(阿吽配置が
逆とか)、大阪府大江神社・狛虎(阪神タイガース)、沖縄県・
シーサー?
「狛犬の分類」を考えると、現在 統一的な分類方法や名称は定まっ
ていないようで、多くの先達の分類法・命名を参考にするしか無い
ようで「形・発祥地・製造地・分布状況・年代・材料等」、いずれ
も決定的なものに辿り着きません。
「狛犬研究・分類」に於いて、「江戸」とか「昭和」と云う言葉が
出て来ますが、これが「江戸時代・昭和期」のような「年代」意味
するのか 「江戸」と云う「地域」を指しているのか、「円丈師匠」
の唱える「昭和=日本全国で見られる、型が決まり大量生産される
狛犬」との定義を意味するのか、なかなか解り難いように思えます。
(「江戸」が年代ではなく 地域を指しているのだとすれば「昭和」
は 最初に大量生産された「岡崎市」から「岡崎とか、岡崎現代型」
と云う呼び方で良いのでは との事)
地域による形状類似
・越後禿
・畿内(浪花」
・江戸
・出雲(丹後)
・尾道玉乗り
・佐渡兜
由来やコピー元の共通による形状類似
・渡来中国獅子
・護国
・神殿狛犬型
・龍神社型
・靖国神社型
・東大寺型
年代・材料と制作手法による定型化
・はじめ
・越前禿(材料が笏谷石)
・岡崎現代型(酒井孫兵衛が広めた)
・岡崎古代型
・輸入物
狛犬由来ではないもの
・狼
・狐
・和犬
(牛・鼠・兎・鶏などは一応除いた)
(狼・山犬・神犬などと呼ばれているものは、同じか?)
*「円丈師匠」は「神使(しんし)」と云う分類表現で「犬・狐
・鼠・亀・猪・虎・河童・兎・狼・猿・牛 更に雷鳥・熊・猫
・龍・鯛・狸・鹿なども記しています。
属性による小分類
材料による分類
・石(火山岩系か深成岩系か砂岩系か? 詳細分類では採石地名に
よる固有名:小松石・来待石・大谷石・御影石・笏谷石等)
・木
・ブロンズ
・焼き物(備前焼・美濃焼・瓦焼き等。 陶工の手による物と 瓦
工場の製作と云う分類も)
・セメント、コンクリート
・鋳鉄
構図的分類
・両正面
・両ひねり
・対面
・混合型
・獅子山
付属品による分類
・玉乗り
・玉抑え
・玉くわえ
・子持ち(組み伏せ・遊ばせ・授乳)
尾の形による分類
・扇尾
・炎尾
・筒尾
・獅子尾
・滝(流水)尾
(尾が立っているか寝ているか)
目の形による分類
・釣り目空豆型
・釣り目半月型
・丸目
・垂れ目
・小判目
・光彩のあるなし
耳の形による分類
・垂れ耳
・立ち耳
・横耳
・耳なし
頭の形・髪型による分類
・角あり/なし
・宝珠(擬宝珠)
・兜型
・前分け
・尊結び
・たてがみ(ライオン型など)
「女躰神社の 阿吽の狛犬」は「江戸狛犬」の特徴が見られます。
そもそも「狛犬分類」に於いては「江戸」と「京・浪花」の区分が
あって・・・・・。
細かく分類すると「江戸」だけでも「江戸でぶっちょ・江戸くちび
る・江戸たいら・江戸尾立ち・謎の江戸原・江戸くずし・江戸獅子
山・準江戸会津・江戸犬・江戸角・江戸はじめ・江戸招魂社系・江
戸唐草・江戸ボタン・江戸角尾立ち」など多種多様なのだとか。
また「京・浪花」も「江戸」と同様に 多種多様のようです。
そして「江戸」は、最終的には「阿吽共に、獅子の形」になって行
くので「江戸獅子」として、「浪花」は「獅子・狛犬」の違いを守
り続けて行くので「浪花狛犬」と大別するようです。
「江戸獅子」
前髪&眉:カールしてほぼ中央分けのヘアスタイル。
目:やや小さめで、楕円形。目玉の瞳は描かない場合が多い。
耳:伏せ耳が基本。
鼻:それほど大きさを強調しない。
髭:顎髭があり、前髪に合わせてカールしている。
唇:極端な二重にはならない。
歯:あまり彫り込まないが、ある場合は犬型(犬歯状)が多い。
左右二本の犬歯のみ彫り込むこともある。
全体の形:やや平べったいが彫りは浅くない。
犬などの獣の頭部に近い印象。
吽型にも角のあるものはそれほど多くない。
たてがみ・体毛:長毛で流麗に流れる。
尾:江戸後期からは下がって身体に巻くように密着。
初期のものは尾が立っている。
背中:猫背で、丸みのラインの美しさを強調。
子獅子:阿吽合わせて、たいてい1~3頭付属している。
姿勢:前脚を上げていたり立ち上がっていたりするものもある。
構図的に自由度が大きい。
「浪花狛犬」
前髪&眉:前髪はほとんどなく、代わりに太い眉がある。
目:おおきなぎょろ目。ほぼ正円形。目玉の瞳を描く場合が多い。
耳:折れ耳、または横耳が基本。
鼻:大きく胡座をかいた獅子鼻や団子鼻。
髭:顎の真下にはなく、顎の両脇に瘤状に描かれる。
唇:二重に縁取りする。
歯:特に阿型は多くが歯をむき出しにしており、形状は人間型
(入れ歯型・獅子頭型)が多い。
全体の形:縦長で彫りが浅い。人面、鬼面に近い印象。
また本来の「獅子・狛犬」の形式を踏襲しているため、
吽型の狛犬の頭部には角がある場合が多い。
たてがみ・体毛:螺髪(らほつ:仏像の丸まった毛髪)のように
瘤状に短く巻いているものが多い。
尾:団扇型が基本で直立、背中側に密着している。
背中:ほぼ真っ直ぐ背筋を伸ばしている
子獅子:いても1頭どまりであることが多い。
姿勢:お座り(蹲踞)が基本で、あまり自由度はない。
「江戸」と比べ「近畿地方」には「破天荒な狛犬」が少ないと云い、
江戸時代の物も 昭和以降の物も、みな似たように思えます。
江戸時代の「大坂城下・石工町」では石切場も近く、「石工」が一
か所に集まり、代々「姿を常識化・パターン化した狛犬造り」を行
ったのではないかとの事。
一方「江戸」では、「石工の組織」が「火消し組織」のように「組」
に分かれて腕を競った事、石切場も「江戸城下」からは 遠く離れて
いた事、「石問屋」と「石工集団」が分離し、その 風土も「伝統と
形式を重視した畿内」に対して「新しい・流麗な・豪華で 芸術的な
華やかな 文化」を好む「江戸っ子気風」によって「江戸獅子」の流
れるような線が生まれ、時代を追うごとに洗練されたようだとの事。
ここから「円丈師匠式狛犬分類」に関して・・・・・。
前述「神使(しんし)」から 始まり「分類メニュー」を「全国共通
タイプ、地方タイプ、関東江戸編、東北編、中部関西編、中国九州
編、四国北海道編」に区分しています。
(円丈師匠の 好み・感想等がハッキリ記されて・・・見飽きます、
ガッカリします とか。 また正直に言うと「誤字・誤記」も散在し、
「文章」が読みにくい)
「全国共通タイプ」
・招魂社系(明治末~現在)
基本的には正面をぐっと睨み胸のグッと張った厳めしい狛犬、その
ルーツは「木彫り神殿狛犬」にあり、嘗て「招魂社(幕末維新期や
明治維新以降に 国家の為に殉難した人の霊を祭る神社)」と言って
いた「護国神社」に多く見られる。
・鈴しょうわ(大正末期~現在)
これも「木彫り神殿狛犬」を基にして作られたもので、胸を張り喉
に「鈴」があるのが「鈴昭和」。
ただ、「タイプ」が同じなので、少し見ると飽きて来る。
・渡来系(1100年以降~現在)
「日本最古の狛犬」とされる「奈良東大・南大門」の狛犬が、この
渡来系で、胸に飾り紐をつけ一対共に「阿形」の中国伝来の狛犬。
「紐を持ったもの」を「渡来系紐獅子」と2タイプに分類している。
*「奈良東大寺南大門の 日本最古の狛犬」(国の重要文化財)
造立は 建久7年(1196年)と推定される。
設置場所は「南大門 内側(大仏殿側)」だが、当初は「中門」に
安置されていたものを永禄10年(1567年)「大仏殿の戦い」
(松永久秀、三好義継と三好三人衆、筒井順慶、池田勝正等が 半年
間の市街戦を繰り広げた)勃発迄に現在地に移しているようです。
材質は「砂岩」で「近畿地方産・水成岩」だが、一部は「国内産」
ではなく「中国・宋」で産出されたものが使われている。
作者は「中国 宋の石工」と云い、現在は彫刻が消えかかって視認
し難いのだが、当時「宋」で流行していた「牡丹を中心に 動物や
唐獅子、天女など」が彫られ、台座下には 細かな「雲模様」まで
描かれている。 また 造立当初は「極彩色」が施されていたもの
と考えられている。(「石工」は、伽藍再建に関わった「陳和卿」
が率いる技術派集団が呼び寄せた「伊行末」を始めとした四名の
「石工」のようです)
・しょうわ(大正~現在)
全国どこにでもあって、どれも同じに・・・。
白御影で丈夫で長持ち、しかも安いと云う大量生産型の狛犬。
特に昭和40年代以降は造立される狛犬の殆どがこの「しょうわ」
である。
([最初の頃 神社に行ってこれが在るとがっかりした」とまで師匠
は言っております・・・偏見か、好みか?)
・初めしょうわ(大正~昭和初期)
まだ「しょうわ」が 完全な定型化をするまでの短い間に出現した
タイプで バランスの取れない不格好なものが多いが、それがまた
良い(と「円丈師匠」は申します)
・新しょうわ(昭和50年代~現在)
昭和50年代後半あたりから出現する、やや個性的な「しょうわ」
で 韓国あたりに注文して作らせた外国産のようだが、それまでの
「しょうわ」よりは変化もあり、まだ楽しめる。
「関東江戸編」
「関東の狛犬」を総称して「江戸タイプ」と言う。
この「江戸」は 時代とともにダイナミックに変化し、そして進化を
続けた「狛犬」で、全国の地方タイプの中で最も種類が多く 奥が深
い「狛犬」である。
・江戸はじめ(1600年後半~1700年前半)
元々本殿などにいた「木彫り狛犬」が、関東では 1600年代に
「石造の狛犬」となり、最初に参道に出現した「狛犬」
まだ「狛犬」の様式が進む前の段階として「江戸はじめ」が まず
登場する。
体は一様でなくやや小型で、一般的に彫も浅く 素朴な中に味わい
がある。
首は曲げずに 正面を向き、頭には「角」が付いているが、嵌込み
式なので、今も「角」のある「江戸はじめ」は 残念ながら残って
いない。
「銘」は台石ではなく、「足座」や「胸・背」に刻まれている物が
多く、数は少なく貴重な「狛犬」である。
この「江戸はじめ」、「江戸時代の初め」に出てきた と云う意味か、
それとも「江戸タイプになる前段階」と云う意味かが明確ではない。
「平安時代」にも立派な形の「狛犬」は存在していたが、それは 貴
族・皇室のものであり、庶民が「狛犬」を村社等に奉納する風潮は、
確かに「江戸時代」からであったと思われます。
まだ殆どの「石工」が「狛犬」と云うものを良く知らず、伝聞 想像
で 造り始めた頃の「狛犬」と理解すれば、地域としての「江戸」に
限らず、全国に散らばる「初期型狛犬」とも言えます。
「江戸・畿内」と云う 大分類からすれば、「江戸はじめ」と呼ぶと
地域としての「江戸」と混同しがちである事から、敢えて「はじめ」
と呼ぶのも一考かと。
この「はじめ」は 時代的には「江戸中期」くらいまでが多い様だが
「江戸・畿内」を始め 全国の「狛犬を知らなかった 各地方の石工」
は、江戸時代後期に至っても、まだ このような「はじめタイプ」の
「狛犬」を造っていたようです。
「参道狛犬の起源について」
その起源は、まず宮中で生まれた「神殿狛犬」で、既に「平安時代」
には かなり完成した姿を見せており、数は多くないものの 著名な寺
社などに 伝統が引き継がれ、「石造り 狛犬」として「神殿狛犬」を
模したものが出現する「宮中ルーツ」、もう一つが「はじめタイプ」
で、「神殿狛犬」を見た事が無い「石工」が 伝聞想像によって造り
だした、言わば「庶民ルーツ」で、定型が余り無く、技術も「神殿
狛犬起源」と比べると、多くの物が稚拙のようです。
「江戸時代」の「狛犬奉納ブーム」の先駆けとなるのは、「はじめ」
タイプの「狛犬」だったようです。
「はじめタイプ」が誕生し、それを模した「二代目 はじめ狛犬」が
生まれ、更に次々と似たような「はじめ」が生まれて来る。
その流れの中で「石工」が知った「狛犬とは、こう云うものである」
と云うものが「伝言ゲーム」となって変化しながら拡がる事で 様々
な「狛犬」が生まれたのではないでしょうか。
このような個性が出易い「はじめタイプ狛犬の 特徴」を敢えて定義
づけるとすれば・・・・・。
「顔の特徴」
・彫りが浅い
・巻き毛や牙などのパーツが少ない
・鼻や目が小ぶりで、余り怖くない
「身体の特徴」
・全体に小ぶりである
・渦巻き模様など装飾的な要素が少なく、平板である
・前脚の間が刳り抜いていないものが多い
・尾も目立たず、ほとんど無いものもある
(建立の時期、時代を経る事で「顔の彫りが多少深くなり、背丈が
高くなり、また身体の全体に装飾的要素が見られるようになる傾向
が現れ、次第に身体に装飾は無いものの、脚の間が刳り抜かれ身体
が立ち上がって行く様に)
「円丈分類」によると・・・・(「江戸」と云う分類が、なにやら
判らなくなってきます)
『江戸中(1730~1800年)』
「江戸はじめに続く 狛犬」で、尾が「うちわ状」に立ち 真っすぐ
正面を向くか やや首を曲げ気味にし、やや太って飾り物(子獅子
・玉)は無く、稀に「玉を持っている場合がある」
『江戸尾立ち(1780年~)』
「江戸中」より 細部が細かく彫られ、装飾的にも凝ってきて、首
の曲がりも大きくなるが、「江戸中」でも首の曲がった物も居る
ので その線引きが難しい。
大体「寛政時代」辺りからの「尾の立った狛犬」を「江戸尾立ち」
と呼ぶようにしている とか。
『江戸(1800年代初め~現代)』
通常「江戸」と云うのは「尾が下がり 顔を曲げたタイプ」を云う。
「江戸タイプ」は、「江戸はじめ」から「江戸中・江戸尾立ち」を
経て「江戸」に進化し、「尾が下がり、鬣や尾が 流れるように美
しい 独自の狛犬文化」を持つように至った。 更にこれに色んな
飾り物が付き、多彩な変化を持つようになり、それらを 判り易く
するためにバリエーションを付けて表現します。
『初江戸足座なし(1830年代~1900年)』
普通、狛犬は「足座」と 一緒に彫られるものだが、このタイプは
その「足座」が無い。 珠に 見かける事もはあるが、大正時代に
入ってからは 見ていない。 また「北前船」で、全国に送られた
「出雲尾立ち」も「足座」が無い。 これは「船で運び易いため」
であると思われる。
『江戸犬(1700年代前半~)』
主に「成田不動系の寺院」で見かける。 「獅子」ではなく 完全
「犬タイプ」である。 これは 関東以外では 全く見かけないので
敢えて「江戸」をつけて「江戸犬」と分類した。
『獅子山(1880年初頭~現在)』
「溶岩」で築山を作り「親獅子」を置いて、下から「子獅子」が
上を伺うと云う、将に派手好みの「江戸っ子」にピッタリの江戸
独自の「狛犬」。 このタイプの「狛犬」は「雄・雌」に別れて
いる場合が多いので「獅子山」を見たら、良く確認して欲しい。
これも「尾が 雲の様に流れるもの」と「尾が 背についている 尾
つき」の二種類がある。
『準江戸(明治~現在)』
「江戸唐獅子」は、関東から福島・宮城辺りまで拡がっているが、
関東圏から外れると「江戸獅子」が崩れ「準江戸」となり、その
多くは「尾が立つ」場合が多い。
『先代』
これは「タイプの分類」ではなく「一対でなかったり、参道から
隅の方に片づけられ、もうその役を降ろされた狛犬たち」を「先
代」と呼びたい。 その多くは「ぼろぼろ」になっているが、中
には そのまま参道に立つものもあり、どこか気の毒にも思う。
『江戸ローカル』
「江戸ローカル」の中でも、更に「地域限定タイプ」の二種類を
記すが、それが分類の為の分類にならぬよう・・・・・。
・浦賀尾立(1700年代後半~1860年代)
浦賀の某神社を祖とするタイプで、横須賀・三浦辺りで良く見
かける「尾の立ったタイプ」
・群馬尾立(1900年代~)
通常の「江戸タイプ」をベースにして作られた、「江戸」より
コロッとした「尾の立った狛犬」が、群馬県で良く見られる。
群馬特産の「くぬぎ石」で彫られる場合が多いようである。
明治期になると「江戸や畿内」では、大きく立派で、完全に定型化
が始まった「狛犬」が量産されましたので、「素朴な形の狛犬」は
地方ならではの物となり、「はじめ」の要素は「江戸や畿内」から
距離が離れ 地方に行くほど 時代が後になっても 残ったと云う事に
なります。
「はじめタイプの狛犬」は 技術的には稚拙であるが、昔の「石工」
が「狛犬って、如何いう格好をさせれば良いんだろう?」と悩み・
考え・試しながら心を込めて彫って行ったところが、味わいを生み
庶民が地元の神社に「狛犬を奉納」し始めた頃の素朴な気持ちが伝
わり、現代の「定型化・量産化された狛犬」には無い重みがあるの
ではないでしょうか。
続いて「円丈分類」による「地方タイプ」なのですが・・・・・。
先ずは「東北編」と云う事で。
『青森構え獅子(1860年代~)』
「出雲構え獅子」の影響だろうか(あれぇ、まだ「出雲構え獅子」
は出てきていない筈だが)、「青森県」では 四つん這いになった
「構え獅子」を多く見る事ができます(県下で50対前後ある?)
しかし、どの「構え獅子」も妙に愛嬌のある顔をしている。
青森県の「狛犬」は 基本的に愛嬌のある顔なのであろう。
『秋田狛犬(1860年~)』
「秋田」では 元々「浪花狛犬」や「出雲狛犬」が、「北前船」で
運ばれ 建立されていたものが、江戸末期に突然 筋肉質の全く違っ
た この「秋田狛犬」が出現する。 そのルーツは「出雲尾立ち」
ではないか と推測される。 このタイプは「大曲や青森県」でも
見られ、かなり分布は広いように思われる。
『仙台狛犬(1740年~現在)』
「塩釜神社」の狛犬を 祖にした「仙台狛犬」は、少しづつ 変化が
あるが、その多くは「蹲踞」の姿勢で真っすぐ座り、両前足が僅
かに前後して 腹の下が刳り抜かれていない事が多い。
「中部関西編」として、「浪花狛犬・金沢逆さ狛犬・岡山備前焼・
瀬戸狛犬・笏谷狛犬」が挙げられる。
『浪花狛犬(1740年~現在)』
「愛知県~九州、東に 日本海沿岸に沿って北海道」まで広く分布
している。 「橋本萬平先生」が主張される『浪花狛犬(京系)
は 北前船で運ばれた』は ほぼ実証されつつある。 初期の頃は
「御影石」で彫られ、後期になると 細かい彫りの出来る「砂岩の
狛犬」が多くなったようである。
『金沢逆さ狛犬(明治~大正時代)』
「逆立ちと かまえ獅子タイプ」で一対に。 しかし通常とは「阿
吽」の置かれる位置が逆になっている変則獅子(これの ルーツ
と思われる「江戸末期の 狛犬」が居るが、残念ながら 今は彫ら
れていない。
『岡山備前焼(1810年~現在)』
現在、岡山を中心に120対程が確認されている。 かなり珍重
されたものとみえ、東京の「品川神社」や千葉の「金谷神社」等
関東でも何対か確認されている。
『瀬戸狛犬(1300年代~)』
愛知県には昔から「瀬戸焼き狛犬」が存在する。 これは自分が
窯元になった時、神社に自分で作った「狛犬」を奉納するのが慣
わしだったようで、窯元の多い神社では嘗て拝殿にかなりの数が
在ったようだが、戦後の混乱期にかなり盗まれ、その一部が「骨
董商」に流れ、市場に流通したと思われる。
『笏谷狛犬(1400年~)』
福井市足羽山産の「笏谷石・緊密な ややブルーかかった凝灰岩」
で彫った、やや小型の「おかっぱ頭」で正面を向いた狛犬です。
「参道狛犬」からすると 極めて早い「室町時代」から作られ「江
戸時代」に入ると、「三国港」から「北前船」で 日本海沿岸の
東北地方にも運ばれたようで、時に見かける事が出来ます。
「中国 九州編」としては「広島玉獅子・出雲構え獅子・出雲尾立
・久留米尾立・肥前狛犬・熊本狛犬」が挙げられます。
『広島玉獅子(1800年~現在)』
1800年の初め頃より 広島の尾道辺りから「玉獅子」が登場
します。 広島を中心に 中国地方で主に見かけるが人気が高か
ったとみえ、北海道の函館・小樽迄「北前船」で運ばれている。
(「円丈分類の原稿」には誤字が多いが、この項目に「いろんな
恰好舌狛犬が」と云う表現が在って・・・「舌」と云うのは?
「え、舌を出した狛犬が居るのか!」 と驚いたが、よく読むと
「色んな格好(を)した狛犬」らしい)
『出雲構え獅子(1810年代~現在)』
「江戸獅子山」とポーズが似て、時代もほぼ同年代。 どちらが
元祖か本家かは 不明である。 「宍道町」で採れる「来待石」
と云う 柔らかい石で彫られているが、それだけに 崩れやすい。
これも「北前船」で 各地に運ばれ、古い港の神社で見かける事
があります。(日本海側の港町には、昭和以降も この「構え獅
子」が建立されている)
『出雲尾立(1800年~現在)』
これも「構え獅子」と同じ「来待石」で彫られています。
「北前船」で「日本海沿岸~北海道、太平洋側の仙台辺りまでの
沿岸の都市」で「構え獅子」と一緒に良く見かけます。
(「出雲」は、「構え獅子・尾立」の いずれも「足座」が無くて
「狛犬部・台石部」がハッキリ分かれる「セパレートタイプ」に)
『久留米尾立(1700年代後半~)』
福岡県久留米市の「甲良大社」の、宝暦13年(1763)建立
と云う「狛犬」を元にして、このタイプの「狛犬」が結構作られ
「久留米」ばかりでなく「福岡県」では割りと良く見かける。
(「福岡県内」には、このタイプが 百対以上在るのでは?)
『肥前狛犬(1600年~1750年あたり?)』
1600年前後から 作られ始め、それは 1800年代に入って
もっと「狛犬」らしい 立派なものがt出現してきて、この素朴な
「肥前狛犬」は姿を消していったようです。 このタイプでは 建
立年を彫らないのが通常のようで「失われた狛犬」(このタイプ
に限らず 日本全国に在ると思われますが)と言う。
『熊本狛犬(~ 現在)』
(これら「年代表示」が「円丈分類」では バラついているんです。
本文を読むと、その事情が ある程度理解は出来るのですが)
「アゴ無し」のムックリした「狛犬」だが、分布状況・出現時期・
ルーツなどは不明であります。
九州・四国などの「狛犬」には、この「アゴ無しタイプの狛犬」
を良く見かける。
「四国 北海道編」
『四国狛犬』
四国は、「瀬戸内海」を通じて「狛犬」が絶えず入ってきており
「浪花狛犬・広島玉獅子・出雲狛犬」等 が持ち込まれると 同時に
それらの「コピー」も盛んに作られたようです。 細かく見れば
四国で彫られた「狛犬」の特徴はあるものの「四国狛犬」と分類
される地方タイプには至らなかった。(四国で割りと多く見かけ
る「浪花系アゴ無し」も、単独地方タイプとまでは・・・)
『北海道狛犬』
北海道には「北海道狛犬」と分類するまでのものは 存在しない。
ある地方に定型タイプの狛犬が出現するためには幾つかの条件が
必要で・・・・・。
1.江戸末期~明治あたりまでに定型化していない
2.その地方タイプを形成するだけの充分な狛犬建立数と時間が
必要である
3.全国共通タイプが出現する「大正以降」では、地方定型化が
できない。
これらから、「北海道」では「地方タイプ」が生まれ育つような
状況になかった と思われます。
ここまでで「円丈狛犬分類」は一区切りとなっています。
(「続編」が在るとか無いとか・・・・・・・・・)
「狛犬」について、「円丈分類」を中心に「狛犬とはダイジェスト
・フォロー・トレース」を試みましたが、基礎知識の不足を痛感し、
また「分類のバラつき」にも悩み、そのままを書き散らす事なって
しまいました。
この辺りで 私も「阿・吽」と一区切りに致します。