問題という重力

館の監視室には、警報装置が並んでいる。

温度異常、侵入検知、火災警報。

何十もの赤いランプが、常に点滅している。

新人の警備員が尋ねた。

「なぜ、こんなに警報が鳴るのですか」

私は答えた。

「鳴っているのではない。探しているんだ。この装置は、異常を見つけることが仕事だから、ずっと、探し続ける」


脳は、問題探知装置だ。

朝、目覚めた瞬間からスキャンが始まる。


「今日の予定は大丈夫か」

「あの件、まだ解決していない」

「体調が悪い気がする」

「あの人、怒っていたかもしれない」


次から次へと、問題が浮かぶ。


これは、異常ではない。設計だ。


太古の昔、人類の祖先は、危険に囲まれていた。

捕食者、毒、崖、飢え。

生き延びるためには、

問題を先に見つける必要があった。

楽観的な個体は、死んだ。

警戒的な個体は、生き残った。

その警戒的な個体の子孫が、私たちだ。

だから、私たちの脳はデフォルトで、

ネガティブサーチモードになっている。


ある神経科学者の研究がある。

脳は、ポジティブな情報よりネガティブな情報に、5倍強く反応する。

褒められた記憶より、批判された記憶の方が、

鮮明に残る。

成功より失敗を、幸福より危機を、

優先的に処理する。

これは、ネガティビティバイアスと呼ばれる。


このバイアスのおかげで、

人類は生き延びた。

しかし、現代ではこのバイアスが、

苦しみを生む。


目の前に、何も危険はない。

屋根がある。食べ物がある。安全だ。

それでも、脳は問題を探す。

「将来、お金が足りなくなるかもしれない」

「この関係、うまくいかないかもしれない」

「あの発言、失礼だったかもしれない」

問題がなければ、作り出す。


ある心理学者は、こう表現した。

「脳は、問題解決マシンだ。でも、問題がない状態に耐えられない。だから、問題を探す。見つからなければ、想像する

その結果、私たちは、存在しない問題に、悩む。


問題探知モード。

それ自体は、悪ではない。

危険を見つけることは、必要だ。

リスクを予測することは、賢明だ。

しかし、それだけになると、人生が変わる。


問題解決だけに終始する人生。

それは、どういうものか。


朝、目覚める。「今日の問題は何か」と考える。

問題を見つける。

解決策を考える。

実行する。

夕方、また問題を見つける。

解決する。

夜、明日の問題を心配する。

翌日も、同じ。

翌週も、同じ。


一つの問題を解決すれば、次の問題が現れる。

昇進すれば、新しい責任が問題になる。

お金が増えれば、運用が問題になる。

結婚すれば、関係の維持が問題になる。

問題は、永遠に尽きない


ある経営者の告白がある。

「会社を立ち上げたとき、問題だらけだった。
資金、人材、顧客、すべてが問題だった。だから、一つずつ解決した」

「10年後、会社は成功した。でも、問題は増えていた」

「社員が1000人になれば、1000人分の問題がある。売上が上がれば、税金、競合、規制。新しい問題が生まれる」

「気づいたんだ。問題を解決しても、幸福にはならないと」


問題解決は、ゼロに戻すことだ。

マイナスを、ゼロにする。

しかし、ゼロは、プラスではない。


そして、次の問題が現れれば、

また、マイナスになる。

その繰り返し。

マイナスとゼロの間を行ったり来たり。

プラスには、決して到達しない。


では、どうすればいいのか。


視点を、変える。

問題から考えるのではなく、未来から考える


問題ベースの思考は、こうだ。

「今、何が間違っているか」

「何を直さなければならないか」

過去と現在を見る。欠陥を探す。修正する。

一方、未来ベースの思考は、こうだ。

「どこに、行きたいのか」

「何を創りたいのか」

未来を見る。可能性を探す。

そこから逆算する。


ある建築家の比喩がある。

「問題解決は、壊れた家を修理することだ。屋根の穴を塞ぎ、壁のひびを埋める。終われば、元の家に戻る」

「未来創造は、新しい家を設計することだ。どんな部屋が欲しいか。どんな光が入るか。まず、ビジョンがあり、それを実現する」

どちらが、ワクワクするか。


問題解決モードで生きる人は、こう問う。

「今日、何が壊れているか」

未来創造モードで生きる人は、こう問う。

「今日、何を創るか」


例えば、キャリアを考える。

問題ベースなら、

「今の仕事の、何が不満か」から始まる。

給料が低い。

上司が嫌だ。

やりがいがない。

それを解決するために、転職する。

新しい職場。最初は良い。

しかし、しばらくすると、

また問題が見えてくる。

そして、また転職を考える。


未来ベースなら、

「5年後、どうなっていたいか」から始まる。

どんなスキルを持っていたいか。

どんな人と働いていたいか。

どんな価値を生み出していたいか。

そのビジョンから、逆算する。

今の仕事で、そこに近づけるか。

近づけないなら、何が必要か。


問題ベースは、逃げる動機だ。

未来ベースは、向かう動機だ。

逃げる動機は、短期的だ。

問題がなくなれば、動機も消える。

向かう動機は、持続的だ。

ビジョンがある限り、動き続けられる。


しかし、未来ベースだけでも足りない。


未来を見るだけで、

現実を無視すれば、それは、空想だ。

問題を見ないことは、無責任だ。

必要なのは、両方だ。


ある航海士の方法がある。

「航海するとき、2つのものを見る。
目的地と、現在地だ」

目的地。それが、未来のビジョン。

現在地。それが、今の問題。

両方を見て、初めて、航路が決まる。


目的地だけ見ていれば、岩にぶつかる。

現在地だけ見ていれば、漂流する。

両方を交互に見る。


具体的には、こうだ。

まず、未来を描く。

3年後、5年後、10年後。

どうなっていたいか。

できるだけ具体的に。感覚的に。

ワクワクする未来を。


次に、現在を見る。

今、どこにいるのか。

何が足りないのか。

何が障害なのか。

冷静に、客観的に。


そして、ギャップを見る。

未来と現在の差。

そのギャップを埋めるために、何が必要か。

それが、今、やること。


このアプローチの違いは、微妙だが決定的だ。

問題解決モードなら、

「この問題を、どう消すか」と考える。

未来逆算モードなら、

「この未来に、どう近づくか」と考える。

問題は、同じかもしれない。

しかし、意味が変わる


例えば、資金不足という問題。

問題解決モードなら、

「どう節約するか」

「どう借りるか」。

未来逆算モードなら、

「この資金があれば、どんな未来が開けるか」

「その未来のために、今どう動くか」。

行動は似ているかもしれない。

しかし、心の状態が違う。


問題解決モードは、重い。

義務感。

焦燥感。

「やらなければ」という圧迫。

未来逆算モードは、軽い。

可能性。

期待感。

「やりたい」という推進力。


館の監視室に戻る。

警報は、今も鳴っている。

しかし、私は別の部屋も見ている。

設計室だ。


そこには、未来の館の図面がある。

新しい展示室。新しい庭。新しい体験。

「これを創りたい」

その図面を見ながら、また監視室に戻る。

警報を見る。

「この警報は、未来の館を創るために、対処すべきか、無視すべきか」


すべての問題を、解決する必要はない。

未来に向かうために必要な問題だけ、

解決すればいい。

そうでない問題は、放っておいてもいい。


脳は、問題を探す。

それは止められない。

しかし、何に反応するかは、選べる。

問題が浮かんだとき、

「これは、未来に関係あるか」と問う。

関係あるなら、対処する。

関係ないなら、手放す。


問題探知モードは、道具だ。

道具を、使いこなす。

道具に、使われない。

問題を見る。


しかし、未来も見る。

問題から逆算しない。

未来から、逆算する。


脳は、問題を探す。

それは、変えられない。

しかし、心は

未来を、描ける。

その未来が、明確なら、

問題は、道標になる。

「ここを、通り抜けろ」という。

問題は、敵ではない。

未来への通過点だ。


警報は、鳴り続ける。

しかし、図面もある。

両方を見て、進め。

それが、前進だ。


深海、静寂のなかで

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