うつ病になって2ヶ月、生きるとは何か
こんばんは。ぴおらです。
FF14とは別に、うつ病になって2ヶ月、勢いのままに想いを書きます。
自分の生きた証として。
友達・仲間たち・読んでくれるみんながこうならないように。
心の叫びのまま文字を書き殴ります。
精神的に不安定な方はあんまりお勧めしません。
私自身が不安定な人なので、逆にうつ病の人ってこういう考えなんだ?
っていうある一種の人間観察的に読んでください。
とんでもなく重い記事です。
なぜうつ病になったのか
キッカケは単純。いろーんな悩み、不安の増長と支柱の喪失。
・元々デカい借金がある(若かりし頃の誤り・遊びとかのツケで)
→原因は大学生の時借金でどうにかしてたせい
→金を使ったプライベートはほぼ何もできない
→食生活も絞られる
→飲み会あるだけで赤字
→生きてる必要あるのか
・仕事が上達安定せず、その上謎の体調不良が続く
→それを社長自身から社会人失格など叱責され、返す言葉もない
→体調不良で病院に赴くも、軽い胃腸炎などと適当な診断しか出ない
→精神が悪いのかな・・・いや、でも最終手段だよな・・・
→出勤時間でカバーしようとするも、どんどん重症化する
→派遣先は良い人ばっかりで、自責の念ループ
→辞めてもお金が入らず前述の借金返済で詰む。
→このまま生きててもマイナス。命を絶ちたくなる
→遊んだせいで学歴ボロボロ。どこ行ってもこうなのか?地獄の連鎖。
→死んで楽になりたい。
・実家に帰って親父が酔った勢いで人格否定
→30近くになってまだ東京で遊び歩いているのか
→むしろ家に引きこもってゲーム。
→過去に請求が実家に飛んだ時、親父が立替た事もアリ、信用を失う
→そんなことも出来ないガキが~
→死んだ方がマシかな
→実家に帰りづらい、縋る場所が無い
→何かあったら死ぬしかないなぁ
・オンラインゲームで一番大好きだった人に嫌われた
→多少傷つくよね
→キャラデリまでされた
→最後は全無視される形でお別れ
→心が粉々に砕け散る感覚をここで初めて味わう
(初恋より痛かった)
そうしてある日・・・
どうしたら楽に死ねるのか、死んで迷惑をかけないのはどの方法か
それを毎日考えるようになり、Google検索でフィルターがかかるにも関わらず検索して検索して検索して答えが出ない
情報をまとめると電車の人身事故が比較的痛みが無い、突発的に気軽に死ねるため手段として選ばれがち
後は首つり、ちゃんと縛って吊ったら最後。抵抗してもどうにも出来ないから必ず死ねる
セルフ斬首 切腹よりも死体はキレイに残りそう
痛みは強いだろうけど、罪を赦してほしい気持ちから、最後に苦痛を受ける。それでも良いと思っていた
私はそんな情報を手にして首吊りか、セルフ斬首か(ギロチンって調達できるのかな)とか色々死ぬ方向に物事を考え、どうしようもなく死にたくなる日があった。
けどこれからみんなでゲーム攻略しようとか言ってったなぁ・・・とか
私の母に心をうち開けた時の表情を思い浮かべると
死ぬ事に抵抗を覚えたのであった
死ぬ勇気なんてなかった
こういう人が行くところは精神科。
そこで今、医者が病気ではなく甘えが招いた結果だと言うのであれば死のう。
ただ病気であるならば受け入れよう。
こうして精神科に行く事になり、事なきを得、うつ病になった。
(そっから2ヶ月、現在休職中)
元からある私の歪んだエゴイズム
私は中途半端は大っ嫌い。
やり切るならやり切る。
人間50年。短命だろうがすべてを得てやる。
こんな凄まじい想いを小学生にして私は持つ。
バケモノだ。
そして現実は甘かった。
何でも成せた。
努力努力努力努力
大会では優勝、生徒会長になり2つの部長を兼任し、何をしなくても学内全生徒が私を知っており、耳を傾ける。
努力によって得る、得る、得る。
やり切って頂点を得る事を”ユメ”と称してユメを叶える事で生きがいを感じていた。
でももう落ちぶれた大人になって初めて叶えたユメはファミチキ4個食べたり、小さな夢だったかな。とほほ。
今思えば小さい頃の方がエゴは強かったのかもしれない。
医者になって不老不死を実現する。
プログラミングにて自身の想いのままの世界を創造、意識を移植する。
恐ろしい。
中学生にしてたどり着いた結論はそれだ。
(これがオタクになる前の発想であるのが一番の狂気である)
七つの大罪ってキリスト教がつくった、罪へ導く思想は何か7つに分類した定義のような言葉があるが、そのうちの一つ
止められない
「強欲」
が私を支配している。
それは今は知っている。
全てを得たい。
支配したい。
何もかもトップでありたい。
皆に認められたい。
負けなくして伝説でありたい。
そんなとんでもない野心と欲だけあって行動力の無い私は欲の塊のまま、届くはずもない先の先を見て嗚咽を漏らしながら終わりのない階段を登り続け・・・
届くはずもなく。
気付けば泥濘に沈んでむしろ見上げる場所に居た。
そんな自分に嫌気がさした。
何も出来ない。
死ね方がマシだ。
その自己嫌悪の繰り返し。
強欲ゆえにひたすら他人に認められようと、
世間に認められようと、親に認められようと、
もがいてもがいてもがいて
それでいて気付けば元居る位置よりも低みに居る。
これがキリスト教の教えに反したからなのかは無信仰なので分からないが、強欲ゆえに反骨精神だけで生きてこられたことが逆に誇らしいのでそれは無いだろう。
次こそは、次こそは、
気がつけば全てをかけて20代を走り抜け・・・
29歳という年になり泥濘にたどり着く。
どうすればいいんだ。
分からない。もう何も分からない。
そうなった瞬間、周りが真っ白になった。
泥濘すら消えて無。
その上に砂のようになった自分のバラバラになった心とぽっかり胸の空いた自分が居るばっかりであった。
何も得ない人間に価値はない
私は得る人間である
歪んだ幼少期の成功体験が自分の歪んだ欲へと変貌していた。
そんなエゴに支配された人間が私である。
今でも思う事はある。
成せると。
うつ病になってやっと向き合えた
現実を直視した。
先ほど書いたなぜうつ病に~の部分が大事で。
それをいわゆるなぜなぜ分析していくと、何にも分かっちゃいなかった自分が浮き彫りになる。嫌になる。死にたくなる。
ひとつひとつの解決が必要だとしてまとめると問題は
・金
・会社
・仕事
・父親との関係
・ネットでのトラウマ
なのだが、色々癒されて軽いネットのトラウマなんて吹っ飛んだので
・金
・会社
・仕事
・父親との関係
問題は以上の4点となる。
実は母親とは仲が良く、落ち込んだ時にはよく電話をかけては2時間など話し込んでいる。
母親の「私が良いって言ってんだから、私が居る実家に最悪帰ってきな」という一言が私のおおきな精神的支柱に今はなっている。
つまり、父親と別に和解しなくても実家はどうにかなる。
悪いけど地元付近に住んでいる弟に色々世話になるかもしれないが。
それで一つの問題とは曲がりながらも向き合う事が出来た。
つまり残る問題は
・金
・会社
・仕事
現在休職中、
会社との関係値は勿論最悪だろう。
転職かなと思いつつも、会社と向き合う姿勢は整った。
私は就業先の人達が優しくしてくれたお陰で仕事で来ていた半面があったので、その就業先との縁が切れたのであれば私は会社を去るべきだろう。
そこまで考えたので会社は私としては解決。
今後辞めようが辞めまいが、社長の言った一言やここには書けないようなイジメについてはそのせいでうつになったと、お前のせいだと、呪いを言い放つつもりである。
と書きつつも休職後の自分が、エゴで育ちに育ったコミュニケーション能力で解決することを祈って。
さて残り
・金
・仕事
となった。
仕事ってのは会社に似てそうだが違う。
そもそもの仕事自体だ。
農業・工業といった仕事の種別だ。
5年間私はITの業界に身を寄せて働いたが、このような現状にはそれが一因であるのも可能性として捨てきれなかった。
つまり、そこがどうしても詰まっている点なのだ。
30代になれば「どう生きてきたか」が問われる。
ただ必死にもがいていた私は「何を成したか」が空白である。
まさに、奴隷である。
必死に必死に働いても実績など得られない。
それを評価もされない。
30代になって奴隷であったことを言ったとてどこもクサイとポイするのがオチであろう。死んだ方がマシだ。
これが泥濘の原因であった。
私はIT=泥濘として離れるべきか、未だ決めかねている。
この休職という「ある種の甘え期間」に考えねばならないだろう。
ここは今の時点ではこういう問題提起と立ち向かえた事が何よりの成果だ。
昔工場で働いていて、まさに奴隷そのものであったため私は嫌だった。
ITも変わらず奴隷であった。
何が私の杯を満たすのか。
満たしていいものなのか。
分からないのがまさに現状の「うつ病」たる所以であろうか。
これ以上考えても解はない。
分からない。
推測できない。
AIであってもオススメしかできない。
自分とは何かの答えを得るに等しい。
それは未だ無理だ。
さて、最後に残った
・金
である。
母親から苦心してもらっている。
それはいい。
こうして休職しているからお金が入る。
それもいい。
いつまでこのマイナスに付き合うのか・・・
ただ終わらない謎の支出に頭は破壊される。
昔の自分をただただ恨むだけだが、そんなものどうしようもない。
得るしかないのだ。
まず得るには会社・仕事を解決するしかない。
親に頼っているが、黙っている。
いい結果にはならないかもしれないが自分の罪は自ら贖罪したい。
知恵の輪のように絡まった問題はカチャリと音を立てて2つのカタマリになったのだが、私はそれ自体が解決なのか甚だ疑問であった。
白い部屋には
砕けた心 穴の空いた自分 さっきのカタマリ2つ
ーーーーなんも分かっていない。
そこには何もない。
ただただ残滓が残るのみ。
向き合って得られたのは自分が無に等しい虚しい解であることであった。
一つの言葉
生きるとは 死ぬことに抗う事だ
何かしらのゲームか、どこで得た言葉なのだが出典は忘れたが、私に刻まれたのはその一言であった。
わたしは死に抗わず死を受容し生きていた。
いつ死のうと、死によって成されるものであろうと、人間何かを人生に成すのが道理だと。それが人生だと。
ある意味失うものが無い武士的な、生き様と恐れなき心こそが華であるような価値観だった。
ただ私をハッとさせてくれたのは4人の祖父・祖母の死に立ち会った思い出だった。
祖母と祖父の最後を思い返して
ひとりは2週間、苦痛に耐え抜いた。
天使のように優しいおばあちゃん。
おにぎりが美味しかった。
ただただ塩にぎり。
実家で作られたコメの、一升炊きの炊飯器で炊かれた塩にぎり。
もう一個にぎる?
うん!
優しさを私は祖母から前面に貰っていた。
天はなぜ試練を課すか。
先に逝った祖父に連れていかれるかのように体調は崩れ
病気は体を蝕み、2週間苦しそうに抗っていた。だが悲惨だった。
息子(叔父)はモルヒネにて安楽を選んだ医師に当初異を唱えていたが、察してかそれを飲み込んだ。
ただただ悲しかった。最後まで優しい表情であった。
ひとりは怪我をし、入院したとたん老衰が早まった。
筋肉自慢の大好きなおじいちゃん。その足が枝のようになっていたのは今でも強烈に脳裏に焼き付いている。
でも安らかな表情であった。
手を握り返してくれた。
何をおもっていたのかは分からない。
ただただ諸行無常であった。だが人生を謳歌したかのような表情であった。
ひとりは謳歌した。
買った株は死後留まる事無く高騰、多く買い占めた土地は4人もの子供たちの財産となり、残された祖母の財産となった。
気性が荒く、ワガママの化身である私の父に猟銃を持って皆殺しにしてやると言う様な暴力的なおじいちゃん。
でも、私は孫ゆえにそんな父に向ける殺意とは裏腹に、秘密で美味しいアイスクリーム屋さんに連れて行ってくれたり、ダムの放水を見せに車を走らせてくれたり、遊びに行くと大好きなイクラの醬油漬けを作っておいてくれたりと、今思えば宝物のような時間である。
私はそんな祖父に顔向けできないと嫌悪に陥るのである。
ひとりは限界を超えた。
ガンだと言われ、もって1年と言われた。
決断は治療しないという、ある種死を受容するものであった。
「2度目の東京オリンピックが見られればいいね」なんて悲しい言葉を周囲から投げかけられたが、天国に先だった爺様を思い返しては涙する、気性が荒かった爺様ではあるが好きに生きろと言わんばかりの財産彼女にを残した。
驕らず、慎ましく生き、友と過ごし、子には金を対価に生活用品を買いに行ってもらい・・・
1年と言われたのが4年近く残りの人生を謳歌した。
オリンピックどころではない。
2度目のオリンピックの方が先に終わったのだ。
死を受け入れたように見えたが、結果は死に抗ったのだ。
私の祖父・祖母は全員が老衰と言えるような最期であった。
人生を謳歌した。
戦争も経たであろう。
だが謳歌した。幸せな表情であった。
それはいま、得た一つの言葉「生きるとは死に抗う事だ」という言葉をまさに証明していた。
生きる事。これこそ華ではないか。
今私が死んでどうなるか。
残念だな、と親戚がなる、親が泣く。
結果として何も残らない。
死はなにも解決しない。
祖父・祖母はそれを、言葉にせずとも絶望の淵に立った私に三途の川を渡るなと、身をもって教えていてくれた。
なんと恥ずかしいことか。
立派になって天国で会う、それが恩返しではないか。
以上が2ヶ月での心情である
状況は何も解決していない。
休職も、借金の利子も、無に等しいキャリアも、戻らない恋心も。
ただ生きている。死にたくなる気になる事はあるが、もう自発的に死のうとは思わなくなった。
甘えであろうが、私は次医師に1ヶ月の休職延長を申し込む。
生きるために、今は考える時間が必要だ。
最期まで読んでくれてありがとう。
生きてくれ。みんな。



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