日記
最近おやつを食べていない。
きままに始めた筋トレが、思ったよりもずっと続いている。ココア味のプロテインは、飲み慣れた味に飽きを感じるときこそあるが、そう思う程度には習慣になった。
今月の頭に、身近な人がおやつとジュースを暫くとらないと言っていた。節約のためらしい。俺もそれに乗っかりたくて、じゃあやめようと思った。一度だけ落ち込んだ日に、小さいサイズの3つセットの雪見だいふくを食べた。それ以外はたぶん何も甘味を口にしていない。人がチョコの話をしているときに、自分が全然食べていないから乗れなくて、なんだか嫌だった。健康になっていくみたいで。まるで自分が自制できるみたいで。
不誠実について、たぶんひとより少しは考えてきた人生だ。子供の頃から回避傾向が強い。何らかの拘束が苦しい。フリーライドと意図的なネグレクトを常習してきたと言ってもいい。
それを思春期で自覚してからも、正直であろうとは思うが、そんなに人の根っこは変わらない。
流されるのだけうまくなったから、流されるように見せかけて自分が楽な方に流れるのがうまくなったから、いつも人を傷つけることに怯えている。数年は人と関わることがなかったから、別に一人で腐っていただけなのだけど、最近幸運にも人と話すことがあるから、人間関係というのが生まれるのだから、否応にも意識する。だが身を振り返るとどうにもまた失敗した気がしている。
俺がうまく人と離れられるようになるまでにあとどれくらい人を傷つければいいのだろうか。
最初に酒を飲んだ日のことを覚えている。
半ば自傷だった。それで死ぬとは思わないが、そういう文化を嫌っていた。誕生日に親と少しも席をともにしていない。成人式など出ていない。会える人など今更居ない。
だから飲めるようになってからひと月くらい経った日に、いつものように疲れた日に、コンビニで買ったアルミの缶を夜の公園で歩きながら飲んでいた。そういうふうにひっそりと死にたかった。
煙草を吸うつもりがなかった。喫煙者を馬鹿にしていた。登校するときに煙を吹かす大人が嫌いだった。好きなベンチの下にびっしり吸い殻が落ちていたときに、ルールを守っている喫煙者も丸ごと嫌悪してしまった。
煙草を吸いだす人の一番の理由はかっこいいと思うかららしい。阿呆らしい。自傷にしてももっとやり方がある。俺は痰を絡ませて死にたくはなかったし、カッコつけようという見栄を持つ元気も、思い入れも何もなかったから、人生でただの一度も吸うつもりはなかった。
ベランダに出て火をつける。網戸を開けたときに羽虫が部屋に入ってきたがどうでもよかった。整然と箱に並んでいる一本を取り出して白いフィルターもあるのだと知った。口に咥えてみたらバニラの香りが少しした。
ライターの火を近づける。フリントライターの不便そうな音が好きだから、そっちにすればよかったと思った。コンビニでその場にあった一番近いのを手に取ったから、慌てていて考えられはしなかった。
吸ってみると、全然なんてことはない。味も香りもよくわからない。思い切って吸っても、大きく煙草の尻が燃えるが、咳込みはしなかった。その代わりに目に煙をあびて、片目が少し痛かった。
本来はもっとゆったり楽しむのだろうけど、確かめることもなく、目的もなく、ただ単純に口の先の煙草を見ていただけだから、ほんの数分で短くなった。灰皿がなかったからコンクリートに押し付けて消した。こんなものかと思った。
ただ部屋に吸うと自分が煙草臭いことに気づく。副流煙と主流煙の匂いは全然違う。吸ったという事実は確かに残った。
なんで吸ったのだろうと自問する。
買ったからには一度吸ってみたかったからか。止むことのない日々のストレスのせいか。また突発的に自傷したくなったのか。言いようのない寂しさのせいか。
たぶん一緒に火をつけて、すっかり燃やしてしまいたかったのだ。残った感情と罪の意識とわずかな出来事を。自分のどうしようもなさと、明日からに纏わりつく不安を。
吸ったことに意味などない。自分が変わっていないことを確かめていた。俺がこういう人間であるのはきっと死ぬまで変わりはしない。もっとごまかせる様になっても、社会で擦れても多分なにも変わりはしない。
喉のいがいがと一緒に、苦しさを打ち明けられないという苦しさを呑み込む。元気になってきているのだから、まだ生きないといけない。
だが生きるというのは、どんな人間であっても、小さくはない何かを背負っているのだと知った。自覚できないものを。
