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M(mannaz)/Novel by なち

M(mannaz)

30,056 character(s)1 hr

◇◇はじめまして。5次弓に惚れすぎて頭がおかしくなりいきなり同人復帰してしまいました。今は槍弓にどハマリ中です。◇◇HPからの再録で申し訳ないです◇◇R18までは行きませんが、その手のシーンがありますので、苦手な方はご注意下さい。◇◇あわわ、たくさんの閲覧と評価、ブックマークまで! ありがとうございます!!!!やる気でます♪◇◇3/16~22の小説ルーキーランキング16位ありがとうございます(感涙)◇◇

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M(mannaz)


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 蒼い閃光が疾(は)しる。
 その軌跡にいた敵を全て薙ぎ倒し、消滅させて。
 しなやかな獣は敵に回せば恐ろしいが、背を預けるとなるとこれほど頼りになる者もいまい。
(ふ、なんの因果かな)
 アーチャーは両手に握り締めた剣を振るい、延々と湧き上がる影を切り捨てて行く。
 一体一体にはさほど力はないが、なにしろ数が多い。
 戦いの場所に選んだのは、郊外の森を抜けた開けた原野。そこを黒い影が埋め尽くしている。
 地面から立ち上る靄のように、影が産まれては二人を取り囲み、押しつぶそうとする。
「……っざっけんな、うじゃうじゃといつまでもキリがねェッ」
 強敵相手なら喜々として戦うランサーだが、こういった消耗戦は『つまらない』のだろう。その端正な風貌は嫌悪と厭世に歪められていた。
 対するアーチャーはこういったことは慣れているのか、無表情のまま双剣を振るう。

 かつて。
 運命の輪のどこかで、対峙して殺し合ったことがあった。
 その数、幾度になるか。
 時にはアーチャーはランサーのゲイ・ボルグに心臓を貫かれ。
 また時にはランサーはアーチャーのカラドボルクにより敗北を余儀なくされ。
 決着が着かずに終わったことも、多々ある。
 記憶ではなく記録でしか知りえないそれらはけれども、双方にとって心に留め置くべき戦いであったのだろう。
 再びめぐり合うたびに、瞬時に憎悪に近い高揚が胸を満たすのだ。

「ったく、お嬢ちゃんの方はどうよ? うちのヤツはまんまと偽の工房に誘い出されてトラップにとっつかまっちまったみてェだ。まったく詰めが甘い」
 それでもなんとか自分で処理できるから、手助けは無用、と繋がったパスが伝えてくる。
 ランサーは唇の端を僅かに歪ませた。
 偽りの聖杯戦争で呼び出され、『遊び』に付き合わされてから数ヶ月。ようやく本来のマスターである女と契約を交わすことが出来たが、なにせ要領が悪い。生身の身体のくせにサーヴァント並みに戦えることは評価するが。
 けれど、生真面目なのはいいのだが、ここぞという時にポカをやらかすのはもう仕様だろうか。
「凜の方も空振りのようだな」
 アーチャーのマスターも一流の魔術師なのだが、やはり詰めが甘い。それは若さゆえの経験のなさと、生来の真っ直ぐな気性によるもので、こちらの方はランサーはだいぶ気に入っている。
 あと数年もすればとんでもなくいい女になるだろう。
「ってことは、こいつらの相手、いつまで続けんだ?」
 ふ、とアーチャーは短い息を漏らす。笑ったのだ、とわかる程にはランサーもアーチャーと付き合いが長い。
 魔術師を足止めするために派手に戦う必要は、もうないだろう。肝心の魔術師の居場所が特定できないのだから。
(やはり凜の作戦は甘すぎる。帰ったら話し合う必要がありそうだな)
 予備動作なしの跳躍に、追いすがろうとした影どもをランサーの槍が一閃する。
 アーチャーは跳躍し、森の一番高い木の上に着地した。
 左手に、弓を投影する。右手には、剣を。
 魔力を込める。
 凜から供給される魔力は十分だ。名立たる英雄たちと互角にやりあえるだけの力を出せたのも、一流の魔術師からの潤沢な魔力補給があればこそ。
 キィィィィン、と、空気が震える。
「避けろ」
 ギュルギュルと空気を巻き込む魔剣がアーチャーの弓から放たれ、一瞬後、地上を埋め尽くす魔どもを殲滅する。
 爆風と閃光の後、地上の影どもはあらかたが消滅していた。
 ひゅん、と隣に、ランサーが降り立つ。
「てめぇ、いま、俺ごと殺ろうとしたろうっ」
「避けろと言った」
「ああ言ったな。放つ瞬間にな。俺じゃなかったら、あいつらと一緒におダブツな絶妙なタイミングでなッ」
 ふ、とアーチャーが今度はそれとわかるほどの笑みを見せる。
「うむ、さすがに疾いな槍兵。それよりも、私が離れた瞬間にわかっただろう、弓を放つと?」
「――先に離脱したと思ったんだよ」
「これは心外な。共同戦線を張るとマスター同士が決めた以上、私はそれに従うが」
「ああん? そんなビンビンな殺気を放ちながら言っても説得力ねぇっつうの」
 アーチャーは大げさに肩を竦めて見せる。
「それこそ心外だ。私は貴様から放たれている殺気に反応しているまで。私を殺したいのは貴様だろう、槍兵」
「ああ、ヤりたいね。オマエと戦うのは面白ェ」
 ギロリと、獣の瞳で睨み付けられて、アーチャーはその真紅の光を正面から見返す。
 純粋な、子供じみた欲求で、ランサーは戦いを求める。
 槍を振るい、勝利すること、苦戦することすら、楽しくて仕方がないのだ。
「私は戦いに愉悦を求めない。迷惑だな」
 言い捨てて、一瞬の内に霊体化する。実体化に拘る――そのほうが『面白い』からだ、とランサーは言った。どうせなら、受肉した生を愉しんだほうがいい、と――男とは違い、アーチャーはなるべく凜の負担を減らしたくて、必要がなければ霊体で過ごす。
「チ、腰抜けめ」
 それでもアーチャーが姿を消してくれたおかげで、マスターからの命令を破らなくて済んだ。
 隙があれば戦って、あの男と殺し合いたい欲望に負けそうになるのだ。

 けれども。
 今はまだそのときではない。


-2-


 魔術協会から依頼という名の命令がお互いのマスターに下されたのは、数日前。
『冬木市に封印指定の魔術師が潜伏している。それを生きたまま捕獲せよ』
 冬木市を統括する魔術師である遠坂とフリーランスだが元封印指定の執行者であるバゼットに話が行くのは不自然ではない。
 しかし。
 封印指定を受けるような『大物の魔術師』を生け捕りとは、これまた無茶な話である。
 死体で良いのであればそれは凜にしろバゼットにしろ可能であろう。
 自身が腕効きの魔術師であるし、とびっきりの戦闘能力を持つサーヴァントも付いている。
「無駄にえらそうに、『出来ないのなら断って下さってけっこうですよ?』と薄笑いうかべやがったのよあの女。あったま来る。断ったら今度はどんな無理難題言い出すか知れたもんじゃんじゃないわ」
「同感です。あの冷酷な司祭代行ならばどんな事を言い出しても不思議ではありません。傷を治してやった代わりに命を差し出せ、とか」
 ぐ、と握るこぶしがふるふると震える。大切な大切なサーヴァントを彼女から取り返したのだって、どんなに大変な事だったか。
「貴女ほどの魔術師にそうまで言わせるなんて、ほんと、なんて恐ろしいの!」
 やや芝居がかった口調でそう言い放つと、凜はでも、と瞳を伏せる。
「やはり魔術協会からの依頼なんですもの、きちんとやり遂げなければね。頑張りましょう、バゼット」
「承知した、凜」
「お互いのサーヴァントの特性を生かして、まずは作戦を立てましょう。もちろん、元執行者の貴女の力もとてもあてにしてるわ」
「君こそ、とても優秀な魔術師だ、凜。あなたの事は私が守ろう」
「ありがとうバゼット」
 凜はにっこりと、微笑む。
「ところで、魔術協会からの報酬の取り分なんだけど――」


 凜が考えた作戦はこうだった。魔術師が魔術を行使している先にサーヴァント二人を差し向け、魔力の供給が途絶えないように戦い続けさせる。そしてそのラインの先を辿り、魔術師本人を凜かバゼットが捕獲する。
 その大雑把な作戦に、アーチャーは苦言を呈したが、残り二人に
『おお、そりゃいい作戦だぜ!』
『素晴らしいです、凜』
 と、持ち上げられた凜はアーチャーの言葉を黙殺した。
 そうして、作戦は遂行されたのだが――。


「凜、だから言ったではないか。そもそも君は他の魔術師の事を甘くみすぎている。隠れると決めたらどんな手を使ってでも隠れようとするのが魔術師だ。無関係の人間を経由して無理やり魔術のパスを繋ぐなんて真似も、当然考えに入れるべき事だ」
 経由された人間が廃人になるその方法は、まっとうな神経の持ち主なら考えも付かないだろう。何しろ無理やり身体に擬似魔術回路を作るのだ。生きたまま、焼けた針金を神経に通されるような苦痛を、なんの関係もない人間に行える、その神経は、凜には想像も付かない。
 凜が向かった先に転がっていた焼け焦げたかつて人間だったものの姿に、無言で立ち尽くすことしかできなかった。
 魔術師は手がかりを残すのを恐れて、最後まで無常な罠を仕掛けて行ったのだ。
「わかってるわよ、今回は私が甘かった」
「いいや君は分かっていない。いいか凜、封印指定を受けるようなヤツが普通の思考回路を持つなどとは考えるな。”自分の望みを叶える”為ならどんな犠牲も厭わない輩だ、それがこの街全ての人間の命でも」
「なにそれ、アーチャー……」
「魔術師が魔力を補いたい時にすることはなんだ?」
 凜はきゅ、と唇を噛む。
 かつて、あの戦いでキャスターが行った戦術。
 魔術師ならば簡単に思いつくそれを、けれども実際に行うには色々な制約がある。
 この街全体を囲む魔法陣なんてそうおいそれと書けるものではないし、そんな大掛かりなことをしていて他の魔術師が気付かぬ訳がない。
「君も見たろう、『生きた人間』に無理やりパスを繋げ、そいつらを街の周辺に配置すれば不可能じゃない。発動さえしなければ擬似魔術回路なんて感知は不可能だし、 何しろ生きて自分で動いてくれるんだ」
「……そんな」
 生きたままの人間を魔法陣の道具に使う。
 論理的には可能である。
 あるが。
「させないから、そんなこと」
 凜の瞳が、怒りに燃え上がった。


-3-


 マリア・ブラックストーン。
 聖女の名を持つ女が、今回の封印指定を受け行方をくらませた魔術師であり、捕縛する相手だった。
 魔術協会からの資料によると、彼女は行く先々の村を全滅させ、住民全てを動く死体とし操った。
その死体はまるで、生きているものと変わらなかったという。
 アンデット――、禁忌とされる魔術のひとつである。
 死体を操る魔術は古くからあり、それだけならば封印指定を受けるほどのものではない。
 マリアの魔術が他とは違うのは、死体が自分が死んでいるとは自覚せず、自分の意思で動いていると錯覚していたことである。
 それはとてつもなく、利用価値がある魔術であるだろう。


 警察のデータベースにハッキングして、ここ数ヶ月の『異常死体』を調べる。同時に行方不明者の割り出し。
 死体の発見現場、行方不明者の失踪場所、そして持ち主が不明であったり、現在使われていない不動産、それらのデータを組み合わせ、探索範囲を狭める。
 アーチャーが提案したのはおよそ魔術師らしからぬ方法だった。
 それは魔術師としての能力が偏っているエミヤシロウがフリーランスの魔術師として活動した時の方法に極めて近い。あるいは、彼の養父のそれと。
 そして同時に、優秀な魔術師である凜とバゼットが『魔術師らしい』方法――魔術が発動された場所を探し出し、前者のデータとあわせ、『魔術師の工房』を突き止める。
「すごいわアーチャー、あなた、ハッキングとか出来るの?」
「ふ、出来るわけないだろう。魔術協会に連絡してみろ、それ専用の部署があるはずだ。だろう? バゼット」
「ええ、たしかにそういった部署はあります」
「本来ならそこまでデータを提示されてから、封印指定の討伐に向かう。違うか?」
 バゼットは小さく頷く。
 魔術師が誰かわからない場合はともかく、封印指定されるほどの魔術師が相手の場合、執行者は探索は他にまかせ、戦いのみに赴く。執行者の数は限られており、無駄に使える時間などないのだ。
「なによそれ――ッ、じゃあなに、私たちは試されてたってわけ? 居場所を突き止めるとこから始めてみろって」
「いえ、試されていたのではなく」
 バゼットが嫌そうに呟く。
「――いやがらせ、ではないかと」
「あ、あ、あの女――ッ!」
「いいえ、凜。彼女は確かに陰険で冷酷で底意地の悪い女ですが、そんなつまらない嫌がらせはしません。時間の無駄を何より嫌う人ですから」
「じゃあ、魔術協会がやったっての?」
「誰かの思惑、でしょう。この国は魔術に関しては管理が杜撰です。なんらかの難癖を付けておきたいと考える者はいるはずです」
 あるいは、冬木の管理者と元執行者が目障りだと考える者が。
「ふん、いいわ。それならこっちにだって考えがある」
 失敗することを望まれていることを、相手を喜ばせてやることはない。
「私を怒らせたこと、後悔させてやるんだから」

 そうしてその言葉を凜は実行に移す。
 凜は彼女の時計塔での後見人に連絡を取り、魔術協会への圧力を『頼み込んだ』 聞いてくれなければ今すぐ時計塔へ復帰して四六時中つきまとってやるという、なんとも子供じみた、しかし効果的な脅しに、彼は『快く』承知してくれたのだった。
 その後すぐに、魔術協会から直に連絡があり、憔悴しきった声の担当者が、すぐに必要なデータを送ることを約束した。


「で、次はナニをすればいいって? 結局」
 ソファでたいくつそうに話を聞いていたランサーは、あくびをかみ殺しながそう口を開いた。
「しばらくは何も」
「ったく、マジかよ。身体がなまっちまう。なあ弓兵」
「戦わないぞ」
「~~っ、けちけちすんなよ」
「鍛錬なら付き合うが、貴様がしたいのは本気の殺し合いだろう」
「決まってンだろ。まあ、半殺しくらいで止めといてやるし」
 当然のように言い放つランサーに、
「ダメよ」
「許可しません」
 二人のマスターの声が重なる。
 ランサーはわかったわかった、と両手を挙げてみせる。
「じゃあ他のこと付き合えよ。凜、ちょっとこいつを借りてもいいか?」
「いいけど……ランサー、ナンパなんて真似、アーチャーに付きあわせたら殺すわよ」
「許可します、凜。手伝いましょう」
「おっかねぇなあ」
 ニヤニヤと笑いながらランサーがアーチャーを促す。
「…………」
 嫌そうな表情を隠そうともせず、アーチャーは仕方なさそうに後に続いた。

「で、どこがいい?」
 まるでどこで食事をしようか、とでも言うような気軽な口調に、アーチャーは眉をしかめる。
「俺はどこだっていいけど、オマエは煩いからなァ」
「室内で、防音で、ここでなければどこでもいい」


-4-


 両手に握るは、陰陽の夫婦剣。
 その切っ先が己の腕の一部となるまで、それをいったいどれだけ振るったろうか。
 自分には、生まれつき与えられたものはとても少ない。
 英雄と呼ばれる者が産まれ付き光の下に在ったのとは違い、平凡な、普通の人間だった。
 無駄とか無理とか、そういった思考を切り捨て必死に鍛錬した。
 自分に負ける事だけは、己に許さなかった。
 そうして鍛え上げた身体と魂は、確かに英霊に相応しいものであったが――。

 両手に宝玉を握って産まれた英雄に対して、羨望が皆無であったとは言えない。
 妬ましさや卑下ではなく、純粋な想い。
 確かにエミヤシロウはこの蒼い閃光に憧れた。


「――で? オマエはいつまでそうして突っ立ってるつもりだよ?」
 戦装束を解いて引き締まった裸体を惜しげなく晒した男は、備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しあおった。
 ごくり、と喉仏が動き、その下に続くなめらかな胸がゆっくりと上下する。
 光の御子と称えられただけの美しい身体とその容貌。女性でなくても思わず見とれてしまうだろう。
 栄えた街ならどこにでもある、なんの変哲もないラブホテル。
 その一室に何故自分はこうしてこの男と居るのだろうか、と、アーチャーは改めて頭が痛くなる。
 挑発に乗ってしまった、というのが一番正しい経緯を現す言葉であったが。

『は、この腰抜けめ! オレと戦うのがそんなに怖いのかよ? お嬢ちゃんに免じてとどめは刺さないでやるって言ってるだろ』
 ギラギラと煌く赤い瞳が挑発する。
 戦えと、命のやりとりをしようと誘う獰猛な笑み。
 しつこいそれに、アーチャーもいい加減面倒になっていたのだ。
 だから。
『まー、いいけどよ。じゃあ嬢ちゃんにでも付き合ってもらうかな。違う戦いだけどよ』
 そんな安い挑発に乗ってしまったのだ。
『凜に何をするって?』
『何って、男と女がすることって言ったら決まってるだろ? なあに、最初は嫌がっていてもヤッちまえばオレに感謝するだろ、魔術師なら』
 普通の女だと後々面倒だからそんなことはしないが、と嘯く。
 英霊の、しかもキャスターのサーヴァントとして呼び出されることが可能でもあるランサーの体液は魔術師にとって何よりの魔力補給になる。
『バカを言うな、凜にそんな事をしてみろ』
『オレを殺す――か? いいなぁ、この手があったか』
 ランサーは本気ではない。
 これは挑発に過ぎない。
 わかっていても、アーチャーは見過ごせなかった。
 自分だって気に入っているくせにそうやって凜のことを持ち出す槍兵に腹が立った。
 だから。
『は、そっちの戦いならオレがつきやってやるが?』
 そんなふうに、挑発で返す。
『は――?』
 その驚愕の表情に気をよくして、アーチャーは本気ではない言葉を続ける。
『どうした槍兵、暇潰しがしたいのだろう?』
(本気で嫌がれ、このバカが)
 これに懲りてちょっかいを出すのを止めればいい。
『ううん……そう来たか』
 うんうん唸っているランサーに、アーチャーは嘲笑を浮かべる。
 生粋の女好きの男にはなによりの嫌がらせだが、自分へのダメージも強い。
 もうこれでこの話はおしまいだ、という風に肩を竦めて見せると、アーチャーはランサーに背を向ける。
 が。
『良しわかった!』
 楽しげなランサーの声に、ぎょっとして振り向く。
『ソレでいいや、たいくつしのぎにはなンだろ』
(くそ――こいつ)
 今度はアーチャーがうろたえる番だ、とでも言うような薄ら笑いに、むかっ腹が立つ。
『ああそうだな! 受けて立つ』
 見事なまでの、売り言葉に買い言葉。
 子供の口げんかのように、どちらか引いた方が負けなそれは、とりかえしのつかない方向へ向かって行ったのだ。

 そうして、今。
 アーチャーは窮地に立たされていた。
 冗談だ、アホが。
 そうひとこと言ってしまえばいい。
 わかっていても。
 この男相手に引くのは嫌だった。
 本音を言えば。
 アーチャーも、ランサーと戦いたかった。
 命を懸けた戦いを、存分にこの英雄としたかった。
 それは、アーチャーの武器に偽・螺旋剣(カラドボルグ)がある事からもわかるように、仮想敵の一人であった。
 かつて、人間であったころ。
 無様に負けた記憶しかなかったから。
 それでも。
 ただでさえこの世界に留まっているには凜への負担が大きいのに、自分の愉悦の為の戦いに魔力を消費する事はできなかった。
 ましてやこの男には、全力を持ってして相対しなければならないのだ。
(それを、こいつは簡単に戦おうだと――)
 マスターへの負担など、自分の楽しみの前では取るに足りないことなのか。
(気に食わない)
 とことん、槍兵とは相容れない。

 赤い瞳がじっとこちらを見ている。
 その表情は、これからセックスをしようとする男のものではなかった。
 どうせ逃げ出すんだろう、俺はかまわないぜ? とでも言いたそうに上げられた口角。
 ふう、とアーチャーは小さく息を吐くと、武装を解いた。


-5-


 魔術師とは一生を魔道の追求に捧げる。
 魔術師の家に産まれたからにはそれが当然だし、それに疑問を持ったことはなかった。
 確かに――幼い頃に、他の子供たちのように無邪気に遊んだり愛玩動物を可愛がったり両親に甘えたり……そんなことが羨ましいと思った事もある。
 けれども。
 優雅たれ、という家訓のままに常に悠然としていた父親と、その夫に心酔していた母親を見て育った凜は、自分の価値と生き方をほんの物心ついたときから理解していた。
 父親のことは尊敬していたし、その生き方に憧れてもいた。ただ、そう。
 たった一度だけ――愛しい者をなんの躊躇もなく手放した父親に怒りと失望を覚えたことがあったが。それも。魔術師として生きるためには強くあらねばならないと、心の奥底にしまい込んだ。
 そうして今、その失った最愛の者は己の近くに居る。
 まだ、ぎこちなくはあるし、わだかまりが全てなくなったとはいえなかったが。
 それでも。
 かつて、二度と戻らないと思った彼女の笑顔を、時折与えられ。凜は満足だった。
(姉妹二人して、同じ男に翻弄されてるしね)
 それが恋心だと認めるのはとてつもなくシャクであったが、確かにあの真っ直ぐで不器用な少年に、凜は恋をした。甘ちゃんで、どうしようもなく頑固で、考えなしで、でも優しくて。
 妹が彼と幸せになればいいと願った。
 彼なら、幼くして人生の大半を悲哀と共に生きてきた彼女を、癒してくれると。
 なのに、あのバカは、全ての人を救うためには自分は誰かを選んではいけないと思い込んでいるらしく――あるいは情緒が10年前から育っていないか、だ――とんでもなく美人のサーヴァントも、可愛い後輩も、超絶美少女の同級生も、皆同じように気があるふうで、全くその気がないようで。
 はじめはやきもきしていたが、最近では妹と二人でしょうがないよね、だって彼だから、と諦めとなんとも言えない気持ちを愚痴りあっている。全く腹が立つことこの上ないが、はっきり失恋してしまうのもそれも辛いような気がするから、今はこれでいいのかもしれない。
(まったく、士郎のクセに生意気よ)
 全く恋というのはやっかいでままならないものだ。


 凜はランサーの後を嫌そうな表情を隠そうともせず付いて行くアーチャーの背中を見送った。
 彼にとても似ていて、けれども全く違う自分のサーヴァントも、同じように鈍感で、情緒未発達なのかも、と思ってしまう。
 マスターである凜をまるで綺麗で壊れやすい宝石みたいに思っているのがわかる。宝箱に大事にしまって、時折取り出しては眺め、持っているだけで満足する、それ。
 それがほんの少し不満であり、なんともくすぐったい気持ちにもなる。
 凜の恋する少年が、こう在りたいと願った姿の彼は、強く、気高く、そして優しい。
 英霊である彼には憧憬と信頼と親愛と――言葉に出来ない、言葉にしたら途端に陳腐になってしまうような大切な気持ちを抱いている。
 誰にも甘えることが出来なかった少女が、ゆいいつ、甘えてもいいと思える相手。
 凜はずっと欲しかった、その手を手に入れたのだ。
 だから。
 彼には、幸せになって欲しい。
 英霊たるアーチャーに対してそんな風に思う自分は思い上がっているのかも知れない。
 けれども。
(だって、それくらい、いいわよね)
 今のこの状態が彼にとって、ほんのひと時のまやかしの生だとはわかっている。そう、けれども。だからこそ。
(ちょっと複雑だけどね)

「どうしました、凜?」
 我知らず微笑んでいたのだろう、バゼットが優しいまなざしで見返している。
「嬉しそうです」
「んん、なんでもない。それよりバゼット、あなたって美人だけど、恋人はいるの?」
「え、ええっ? そんな――いません、恋人なんて、そんな」
 途端にうろたえるバゼットが、とても可愛く見えて、凜は楽しくなる。
「好きなひとくらい、いるんでしょ?」
 突然の問いにバゼットは頬を染める。
「――そう、ですね。心惹かれる少年なら……」
 あ、やばい。
 嫌な予感しかしない。
「そ、そうなんだ。上手く行くといいわね。それよりバゼット、例の魔術師なんだけど」
「あ、はい」
 いきなり変わった話題に、バゼットも真剣な表情に戻す。
 凜は小さくため息をついた。 

 これ以上ライバルが増えるのは、困る。
 

-6-


「ふーん、へええ」
 ベットに座ったランサーは、目の前で武装を解いた男をまじまじと見詰めた。
 戦装束の上からでもその素晴らしい筋肉は見てとれたが、改めて裸体になるとまるで神々をかたちどった石像のような均整の取れた、素晴らしい肉体であった。
 その、滑らかな首から背中にかけて、そうして腰にかけてのラインは、美術の造詣があるものであれば垂涎ものの見事さだ。彫刻に、キャンバスに、どうにかして写し取りたいと熱望するだろう。
 どれほどの修練がこの身体を造り上げたのか。
 みせかけのものではなく、戦うことで出来上がったその美しい肉体。
 ランサーは興味深げに足先から頭のてっぺんまで視線を巡らせた。
 男の裸なんてつまらないとしか思っていなかったが、これは鑑賞に堪えられる。
 あまりにもジロジロと見られて、アーチャーは気まずげに身じろいだ。
 英霊になってからはこんな無防備な姿を人前――いや人ではないが、英霊相手ならなおさら――で晒したことなどない。
 ちょいちょい、と手招きされて、アーチャーは嫌々ベットに近づく。
(……本気でやるのか?)
 あろうことか、ランサーの赤い瞳には自分への興味が見て取れる。
 裸を見せれば嫌気が差すだろうという思惑は、見事に逆の方向へ向かってしまった。
「良いカラダしてんねぇ、ココに傷が残ってたらもう完璧だ」
 す、と伸ばされた指が鎖骨の下を撫で。
 ランサーにかつて貫かれた心臓の上で、止まる。
 英霊の受肉された身体は、生前のものと同じではあるが、いちいち古傷などは再生されない。もしそうであれば、アーチャーの身体はあの業火に焼かれた醜い火傷と、死ぬまでに帯びたいくつもの傷跡でとても見られたものではなかったろう。
「……ッ」
「で、オマエは。俺を抱きたい? それとも抱かせてくれんのか?」
 どちらもごめんこうむる。
 無理だ、絶対に、無理。
 ランサーの指が肌を辿るたびに、アーチャーの表情が強張る。
「俺に選ばせてくれるって訳か」
 ランサーの声は完全に面白がっている。
 それでもその声音にほんの僅か、情欲が混じっているのが、アーチャーには信じられなかった。
 そうしてやっと思い至る。ランサーは神話時代に生きた男だ。性への禁忌は、現在とは比べ物にならないくらい、緩い。気に入った女を強姦してから求婚するような。
「き、貴様は、その、オレ相手に」
「ン――? 勃つかって? そりゃもちろん、オマエが俺の下であんあん喘いでくれるってンなら、お兄さん頑張っちゃうぜ」
「知らなかったな、槍兵、生粋の女好きの貴様が、男もいけるとは」
「あー、ナイナイ。そんな、誰が好き好んで男の身体なんて抱くかよ」
 では今のこれはいったい何なのだ。
 アーチャーの憮然とした表情に、クックッとランサーが楽しそうに笑う。
「オマエは、特別だ、弓兵」
 ネツのこもった声音。
 それがどんな種類のものであれ――生意気で気に入らない男を屈服させたいという思いであるのか、それとも純粋な興味であるのか、ランサーは完全に”その気”になった。
 ランサーはいったんアーチャーの身体に触れていた手を引くと、
「来いよ、アーチャー」
 唆すような、女を口説く時のような、甘い響きを声に乗せる。
「それとも――」
 男の、形を変え始めた下肢から、アーチャーが思わず目を逸らす。
「尻尾を巻いて逃げ出すか?」
「……ッ」
「泣いて謝れば、許してやれるぜ。今なら」
「――、だれがっ」
 ランサーは自分の望みを叶えるためになら狡猾にもなれる男だ。
 だから、アーチャーが引けないように、あえて、そんな言葉を選んだ。
 自分から落ちてくるように。
「いいのか? 後悔しても途中で止められねぇぞ」
「後悔するのは、貴様のほうだ」
 そうしてこの部屋に入ってはじめて。
 アーチャーは正面から、ランサーの真紅の瞳を見据えた。


 もしかして自分は、とてつもなく愚かなのかも知れない。
 普段はあえて目を逸らしていたそんな気持ちを、改めてアーチャーは思い出していた。
 何故自分は、ここに、こうしているのだろう。
 さらり、としたシーツを背にして、自分の身体の上でうごめいているのは、半神たる光の御子、美しい獣のような獰猛な雄。
 たぶん、嫌悪しか感じないと高をくくっていた。
 反応しない自分に飽きて、あるいは呆れて、さっさと相手は冷めるだろうと。
 そうして何故こんなことをしたのだろうかと、後悔するのだろうと。
 なのに。
 息が、苦しい。
 指で、唇で、舌で。触れられる場所からざわりと立ちのぼる、それは。
 確かに、快感と呼べるものであろう。
 心は頑なまでに固まったまま、身体から堕とされる。
 
 ダメダ、ハヤク、ニゲナクテハ。

 この男の赤い瞳に捕らえられる前に。
 快楽に、溺れてしまう前に。
 硬く閉ざしたモノをこじ開けられる前に。

(いや……だ……)

 オレに、触れないでくれ。
 オレに、触れないでくれ。

 ――で、くれ。


-7-


 英霊エミヤは孤独な男であった。
 エミヤシロウで在った頃に持っていた、暖かなぬくもりや愛しい人の微笑みや優しい友や幸せな時間や。
 そういったものは全て両手の隙間から零れ落ちて行った。
 大勢の他人を救うために。
 自分自分を省みず。
 かつて。
 幼い頃に持っていた両親の愛情や可愛がっていたペットや楽しい思い出が詰まった家や友人を、一度に失った。
 あまりにもあっけなく、暴力的なまでに圧倒的な力で奪われた。
 どんなに祈っても、願っても、手を伸ばしても。
 少年は何一つ救えなかったし、救えるなどとかけらも思わなかった。
 その時の記憶は、あまり残っていない。
 人間は余りにも辛い記憶は残しておけないように機能している。それは生物が生きるための自衛のようなもので、あいまいな、けれども絶望はずっと彼の心の奥底に在り続けた。
 だからだろうか。
 エミヤシロウは他人に優劣を付けない。自分すらも、同じように扱う。
 天秤が、壊れてしまっているのだ。
 そうして。
 エミヤシロウは第五次聖杯戦争で全てを得て、全てを失った。
 勝者にはなった。
 けれども。
 同時に彼は敗者だった。
 本当の意味では、誰も救えなかった。
 

 彼の、孤独を癒してくれようとした女性もいた。
 彼の、孤独を理解しようとしてくれた青年もいた。
 けれども。
 他人に優劣を付けない彼に、自分を簡単に捨てる彼に、そのひとたちは傍にい続けることが出来なかったのだ。
 エミヤシロウの最後は親友だと思っていた男に裏切られ、法で裁かれた。
 大勢を救うために少数を殺すその行為が、罪だと――悪だと断罪されて。

 それでも彼は、誰のことも恨まなかったし、ソレが自分に課せられた運命であると受け入れた。
 孤独で在ることを選び続けたのは、誰も自分のために傷ついて欲しくなかったから。
 大切なものを得ることは、それを失うことに他ならないと――それは逃れようのない事実であったから、ならば、最初から大切なものは作らなければいいと、脆い心が欲したから。


 なのに。
 触れないで欲しい。
 圧倒的な力で、自分を壊してしまいかねない破壊力で、魂すら慰撫するような優しさで。
「アーチャー」
 甘く、とろけるような……まるで愛しいひとを呼ぶような響きで、呼ぶのはやめて欲しかった。
 どうしてこの男は。
 こんな熱の篭った、優しい触れ方をしてくるのだろうか。
「――キスして、いいか?」
 何故そんな風に聞いてくるのだろう。もっと強引に、好き勝手に扱えばいいものを。
 そうすれば、これは単なるランサーの戯れだと、そんなものに嫌々付き合っているのだと、思えるのに。
 優しく頬を撫でられて、唇を指で辿られる。額に、眦に、鼻先に、優しい唇が落とされ、真紅の瞳がアーチャーが応えるのを待っている。
「いや……だ」
「――ふ、他には何が嫌なんだ?」
 甘やかすように聞かれて、アーチャーはぜんぶがいやだ、とまるで幼子のように応える。
「もういいだろう、槍兵。オレの負けだ」
 負けを認める悔しさよりもなにより、この責め苦から逃れたかった。
 慰撫するようにあまく抱かれるなんて、想定していなかった。
 そんな行為を受け入れることなど、とても出来ない。
「ふうん?」
 ランサーは小さく笑った。
「勝ち負けで言ったら、俺のほうがオマエに負けてるなぁ、ホラ、オマエを欲しがって、こんなになってる」
 熱く昂ぶったものを腹に押し付けられ、アーチャーはきつく瞳を閉じる。
 そうして、欲しがっているのは自分だと、どこまでこの男は優しいのだろう。
「……アーチャー?」
「いやなんだ」
 いつもの、泰然とした態度からはかけ離れたアーチャーの震える声に、ランサーはゆっくりと身体を引く。
「わかった」
 驚いて思わず見上げるアーチャーの髪を、まるで小さな子供にするように、ランサーはくしゃりと撫でた。
「悪かったな。悪ふざけが過ぎた。けど、オマエも悪いんだぜ、いつまでも引かねェから」
 小さく、ランサーが笑う。
「霊体になって逃げても良かったのに、ほんと負けず嫌いなヤツだ」
「……」
「ま、気が向いたらまた付き合えよ」
 男の下肢は未だ熱を持っているというのに、その声音には軽い響きしかない。
 アーチャーは無言のまま身体を起こすと、手を伸ばしてソレに触れた。
「っ、もう止めるんだろ」
「――一方的に抱かれるのが、嫌だって言っただけだ」
「クッ、ほんとオマエは」
「うるさい」
 ためらうことなく、その熱を口腔に受け入れる。
「……キスは嫌なくせにフェラは良いって、どんなだよ」
 うろたえる男の声に、やっと一矢報いた、とアーチャーは満足げにその熱を嘗めしゃぶった。

 先端から溢れ出る体液を舌に乗せると、じわり、と魔力が身体に入り込むのがわかる。
 ランサーが豪語する通りに、なるほどこれなら魔術師は喜んでこの男に抱かれるだろう。
 まるで、甘露だ。
 最後の一滴まで飲み干すと、どうだ、といわんばかりの表情で胸を喘がせるランサーを見上げる。
 その瞳が、面白そうに笑っている。
「ほんと、予想を裏切るヤツだな」
「ふん、貴様の単純な思考で測れると思われているのは心外だ」
「で、この先もあるわけ?」
 ランサーが言いたいことはわかっていたが、また先ほどのように触れられるのはごめんだった。
「そんなものはない」
 ”暇つぶし”ならこれで充分だろう、と嘯くアーチャーに、ランサーも苦笑して同意する。
「ま、今回はこれでいいか」
「――次回などない」
 断言するアーチャーに、ランサーは意味あり気に口角を上げる。
 何か言われたら即座に否定してやろうと身構えるアーチャーに、けれどもランサーは何も言わなかった。

 悔しい、と。
 何度もこの男に思わせられるそのことこそが、一番屈辱だった。


-8-


「じゃあ先輩、後はお願いします」
「おう、いつもありがとな、桜」
「いえ。今日のお夕飯、期待してて下さいね。ランサーさんが、お魚をたくさん差し入れしてくれたって、先生からメール入ってました」
「ん、あんまし遅くはならないよう帰るよ」
 いつも悪いな、と言う士郎に、桜は微笑んで首を振る。自分で好きでやっているのだから、逆にお礼を言うのはこちらのほうだ、と。
「あ、それと。後で相談があるって伝えてくれって書かれてました。なんでも、先輩のお父さんのお墓が誰かにいたずらされたかもって」
 なんて罰あたりな。士郎も桜も憤慨していたが、大河の怒りは相当なものだろう。今夜は覚悟しておかなくては。
「わかった。酷いヤツが居るもんだな」
 後で確認しなくてはならないだろう。桜が手を振って帰ると、士郎は雑巾をぎゅっと絞った。
 弓道場の掃除を終えた後、士郎は一人、弓をつがえた。
 聖杯戦争を終えた後、自分を鍛えるためにと士郎は顧問と部長の許可を得て、掃除する代わりに弓道場を使わせてもらっている。
 部活に戻ってくればいいと皆に言われたが――自分が鍛えたいのは、戦闘のための武器のそれだから。武道を行っている皆とは共にいられない。
 すう、と大きく息を吸い。止める。
 広がった意識を、小さく、小さく窄めて行く。弓が自分の身体の延長線上に在り、矢が飛ぶ軌跡が視えたそのとき。す、と指を離す。
 ビイン、と清廉な音と共に、矢が思い描いた軌跡通りに的を射る。
 頭に浮かぶのは、悔しいが、赤い外套を纏った英霊。剣も、弓も、士郎の理想のそれに、いかに近づけるか、全てがそこに到る。
 続けて三本。全て狙った場所に矢は射られた。実戦を考えたそれは、射法八節を守っていない。いかに早く次の矢を中(あ)てられるか――それだけを、何度も反復する。
 ふ、と小さく息を吐くと、ゆっくりと弓を下ろした。
 と。
 パチパチパチ、と小さく手が打ち鳴らされ、びくりと士郎が身じろぐ。
 たった今まで、誰の気配も感じなかった背後に、誰かが居る。
 中途半端な魔術師である士郎でも感じられるほどの、強大な魔力をもつ誰か。
「あなたが、エミヤシロウ?」
「誰――だ?」
 身構えながらも、名を呼ばれ、士郎はゆっくりと振り返る。
 そこには、小柄な少女が立っていた。
 長く艶やかな金髪に、赤銅色の肌。まだ幼さの残る美貌の中、緑色の瞳だけが老成したそれで、
とてつもない違和感を抱かせる。
「私の名は、マリア。マリア・ブラックストーン。ブラッディ・マリアと呼ぶ人もいるけど」
 少女は鈴のような声でぶっそうな二つ名を告げる。
「あなたのお父さん――エミヤキリツグの友人よ」

 士郎は少女と公園のベンチに並んで座ると、自販機で買った紅茶を手渡す。
「ありがとう」
 士郎も自分のために買った缶コーヒーのプルトップをあけ、ひとくち飲む。
 はじめは家にどうぞ、と言ったのだが、行けないわ、とあっさりと返されて、公園に誘ったのだ。
「切嗣――父さんと、友人だったって?」
 少女が見た目通りの年齢だとしたら、二周りほどの年齢差がある。
「ええ。”とても”仲良くしてたわ」
 マリアは士郎を値踏みするように見詰める。
「あまり、似ていないのね」
「……俺は養子だから」
「そう、なの。だから、か」
 マリアは残念そうに呟く。
「せっかくキリツグの息子に会いにこの国に来たのに、空振りね」
「っ、そりゃ親父とは血は繋がっていないけど、本当の親子と変わんなく」
「魔術刻印」
「――え?」
「血縁でしか、継げないでしょう。キリツグのが欲しかったのに」
「欲しかった……って、今、自分で言ったんじゃないか、血縁でしか継げないって。そんな、欲しかったって、どういう意味だよ」
「うるさいガキね」
 マリアはもう士郎には用がない、とでも言うように、ベンチから立ち上がる。
「言葉通りの意味。あんまりきゃんきゃん喚くと、殺すわよ」
「……おまえ、ほんとは親父の友人なんて嘘だな?」
「さあ? まあいいわ、必要なものはもう手に入ったし。この街にも厭きた。そろそろ潮時かも」
 その言い方が、酷くカンに触る。
(もしかして――親父の、墓)
「ちょ、待てよ! 何なんだよ、おまえ。手に入ったって、何がだよ、答えろ!」
「うるさいってば」 
 少女は悪魔的な笑みを浮かべて、す、と右手をピストルの形にして士郎に突きつける。
 反射的に飛び退ったその場所で、小さな爆発が起こった。
「あら、けっこうやるじゃない」
(ガンド!?)
 いや、違う。そんな可愛げのあるものではない。
 遠坂凜の打つそれも強力過ぎてもはや弾丸と呼べるものだったが、これは砲弾だ。
 再び飛んできたそれを、士郎は両手に復元した夫婦剣で薙ぎ払う。へえ、と少女が微笑む。
「ううん、クズはいらないって思ってたけど、あなた、おもしろいかも」
 クスクスと、少女は笑う。
「殺して、”使って”あげる」


-9-


「わーい、ランサーさん、いっつもありがとぅ。あ、これ、お礼!」
 大河は大量の魚が入ったクーラーボックスを受け取ると、一升瓶を押し付けた。
「お、こいつは……美青年とはまた洒落が効いてるな。俺のことか?」
「うふふふ、やだぁ、お兄さんは美青年じゃないわよぉ、いい男ってやつ。良く言われない?」
「まあたいていの女にはイロ男って呼ばれてるね」
「イロモノの間違いだろう」
「あはは、アーチャーさんってば上手い事を!」
「上手いんかっ」
 大河はひとしきり笑うと、ありがとう、と改めて礼を言う。
「ん、どした?」
「ふふ、ちょーっと、いや、かなり腹立つ事があってね。もう爆発しちゃいそうだったの。けど、ランサーさんとアーチャーさんに会ったら、気が晴れた。これで士郎に八つ当たりしないで済みそう」
「アイツになら、どんな八つ当たりをしてもかまわんだろう」
「アーチャーおまえ、坊主に冷たすぎ」
「ふん、オマエにだけは言われたくない」
「あはははは! 二人とも何故か士郎には厳しいよね、でも男の子はそれくらいの困難を乗り越えなくちゃだから、だいじょーぶ。もーがんがんやっちゃって」
 獅子ではなくて虎だが、大河も我が子を谷に突き落として登って来たところを踏みつけるタイプだ。たっぷりの愛情を持って。
「……いや、その、坊主も頑張ってるよ、なあ?」
「――オレに振るな」

 大河が手を振って港から去ると、アーチャーは小さく息を吐いた。
 何度会っても、妙に緊張する。
「あーあ、あのお姉ちゃんにはかなわねぇなあ」
 まんざらでもないふうに言うと、ランサーは一升瓶をアーチャーに掲げて見せる。
「おまえも、飲(や)るだろ?」
「ふん、のんきなものだな。しばらくと言っても、いつあの魔術師が仕掛けるか知れたものではないのに」
 ランサーは肩を竦めると、釣り道具を片付け始める。
「だってよぉ、誰かさんはアレっぽっちしか”暇つぶし”に付きあわねェし」
 バイト中勝手に抜けらんねェし、だったら釣りでもするしかねえだろうよ、と唇を尖らせる。
 バゼットはしなくていい、と言い張っているのだが――なにせ執行者時代荒稼ぎした金がたんまりある資産家なのだ――ランサーはバイトは楽しいから好きだと、時々入れている。バイト代が出たと言って凜とアーチャーに焼肉を奢ってくれた事もあるのだ。いつの間に嗅ぎつけた大食い共が乱入して、バイト代どころか借金をする羽目になってしまったのは、笑い話だが。
「……だからこうして付き合ってやってるだろう」
「一緒にやればいいのに。ホラなんだっけ、あの高いカーボン製の釣竿どうした。いつでも出し入れ自由の便利なポケットから出せば?」
「オレのはそんな奇天烈なモンじゃない。金ぴかと一緒にするな」
「――げっ、言うな」
 凜がたいそう羨ましがっていたあの男を思い浮かべ、二人してげんなりする。話題にしないほうがいい、どこからか現れかねない、とそのまま無言が続く。
(……なんなんだろうな、これは)
 アーチャーは、不思議で仕方なかった。
 この、妙な男といると、どうも自分が自分でなくなるような、腹の座りが悪いような、不可思議な気持ちになる。決して、嫌な気分ではないところが、また最悪だ。
 これが人間相手なら、即座に離れるところだ。自分の傍に居ることで、どんな巻き添えを食うかわからない。けれど。この誰よりも強い英霊なら。そんな心配は皆無だし、巻き添えを食うとしたらこちらのほうだろう。
 だから。
 無理に離れる必要がないからといって、共に居る必要もないのだが。
「おー、バゼットが怒ってる怒ってる。早く帰って来いってよ。何か動きでもあったンかな」
 ランサーは釣り道具と一升瓶を抱えると、アーチャーの方へ歩き出す。
「嬢ちゃんからは、何かあったか?」
「いや」
「ンン、じゃああの魔術師がらみじゃねェのか」
 身体が近づいて、男くさいランサーの体臭が妙に鼻に付いた。
 初めてランサーと出会った時に、凜は彼を”獣の臭いがする”と言っていた。実際はその身体が発する魔力をそう感じたのだろうが、確かに今のランサーからは、野生の獣に似た体臭がした。
 今までは、気にならなかったそれ。
 喉が妙に渇く。
 上質な魔力を直接口腔で受け入れたことで、身体がもっと欲しいと要求しているのだ。
 凜からの魔力供給は潤沢で、たとえばずっと実体化し続けても行動に支障はないし、宝具の使用も問題ない。けれど、それは言ってみれば三度の食事のようなもので。ランサーから与えられたのは菓子や果物といった間食のようなものだ。なくても支障はない。ないが。
(何を考えている)
 また、アレが欲しい、とでも言うつもりか。
 言えばランサーは喜んで付き合ってくれるだろう。暇つぶしだ、と言い訳もくれるだろう。
 一度知ってしまった蜜の味を忘れることなど、いかなアーチャーでも出来ない。ただ、意思の力で忘れたフリをすることは可能だろう。
 諦めることは、慣れていたから。


-10-


 このままでは、いずれ死ぬ。
 士郎は冷静にそう今の現状を分析した。
 目の前に居るのは、自分とは桁外れの魔力を持った魔術師。
 鼠をいたぶる猫のように、わざとぎりぎりで避けられる攻撃を繰り出し、士郎を弄んでいる。
「ふふっ、ほらほらぁ、もっと頑張らないと死んじゃうよ?」
 公園に結界でも張っているのか、こんなに激しい爆発が起こっているのに、野次馬の姿もない。一般人を巻き込まずに済んで良かったのだろうが、魔術が発動されているのが他に知られないということは、この地を管理している遠坂や教会にも伝わらないという事で――つまりはこの窮地を、自分の力でなんとかしなくてはならない、ということだった。
「どうしたの、シロウ? キリツグの息子なら、もっと愉しませてくれないと。キリツグはもっと強かったよ?」
 くすくすと、楽しそうに嘲笑いながらマリアは攻撃を放つ。
「――っ、くそっ」
 何度目の再生だろうか。攻撃を受けるたびに砕け散る剣を、それでも何度でも創り出す。
(こんなの、アイツと戦ったときに比べたら)
 獅子は鼠相手にも全力で相対するという。
 その点、この魔術師はあまりにも格下の士郎相手に”遊んで”いる。つけこむとしたら、その油断のみであろう。
 この少女は知らないのだ。
 士郎が今まで、どんな相手と死闘を演じて来たのか。
 圧倒的な力不足をなんとか克服して、そうして。
 士郎は最後まで立っていた。
 どんなに傷ついても、血を流しても、もう絶望的な状況であっても。
 士郎は、諦めることだけはしなかった。
 だから。
 遊びに興じる魔術師の攻撃をこちらは死ぬ気で避けながら、なんとか攻撃の糸口を探る。
(なんとか、隙を見つけて――)
 が。
 そんな甘い幻想を、少女の声が断ち切った。確かに、このまま続けていたらどうにかして士郎にも勝機があったかもしれない。けれど。
「なんか、つまんない。もういい。死んじゃえ」

 どんなに覚悟があっても。この圧倒的な力の差は埋められない。

「こンの――バカ!」
 もう死ぬ、と身構えた瞬間、聞き覚えのある罵声が士郎に投げつけられる。
 と、同時に。
 閃光が視界を奪う。
 遅れて、爆発音が数度。
「もうなんなの、この災厄を呼び寄せる体質。信じられない」
 怒っている。すごく、怒っている。
 恐る恐る目を開けた士郎の目の前には、赤い少女と、黒いスーツの女性。
 士郎を庇うように立ち、魔術師の少女を睨み付けている。
「ど……して、結界が」
 あるのに、と続けようとした士郎の言葉を凜が遮る。
「バカね。結界を張るのにも魔力が必要でしょ、この辺りに目星を付けていた所だったのよ。ほんとアンタって運だけは強いんだから」
「――こんな微弱な魔力の流れを探知したっていうの?」
 少女は――凶悪な魔術師は、ほんの少し感心したように二人を見据えた。
「簡単な事です、魔術師(メイガス)」
 なめないでいただきたい、とバゼットが冷ややかな声音で言う。
「魔術協会の命により、貴女を拘束させていただく。異論は聞きません」
「ふん、そんなこと、出来ると思っているの?」
 マリアは不敵に微笑むと、小さく何かを囁く。
 ざあっと、地面から影が立ち上る。
「ランサー!」
 バゼットの呼ぶ声と同時に、蒼い旋風がその魔共を一瞬で薙ぎ払った。
「はいはいっと。今回は時間稼ぎの必要ねェんだろ?」
「な……っ」
 いくら強大な魔力を持っていても、所詮マリアは人間である。英霊であるサーヴァントを前にしてその力の差に思わず怯む。
「ちなみに、人間を配置して巨大な魔術陣を作るってのも、無駄だから。わたしのアーチャーが、鉄橋の上からここいら一体を見張っていて、ちょっとでも魔術を発動した先から消滅させるから」
「………」
「冬木の地で、勝手な真似は許さない」
 この地を管理する者として。凜の眼差しは強く魔術師をねめつけ、その誇りを窺わせた。
「ふん、つまんない」
 少女は肩を竦めると。
 にやり、と嫌な笑みを浮かべた。
「覚えておくわ、そこの二人。――また、ね」
 凜とバゼットが動くよりも先に。
 少女は、一瞬にして燃え上がった。


-11-


「あーもう、なんなのっ」
 目の前で燃え尽き、既に炭と化した死体に向かって、凜は毒づきかけ――我に返り、手を合わせる。
「可愛そうに、アンタもあいつの被害者だったのね」
 バゼットもそれに倣い、しばしの黙祷を捧げる。後は魔術協会が後始末をするだろう。
「まんまと逃げられましたね。失態です」
「言わないで、バゼット。それにしてもなんてデタラメの魔術なの。傀儡にあの魔力量って」
「かい、らい……?」
 呆然としている士郎に、凜は場所を移すことを提案する。
 こんな公共の場所ですべき話でもないし、結界が解かれた今、いつ他の住民が公園を訪れるかわからない。焼死体と共に居るのを見られると後々やっかいだ。
(アーチャー、私たちは士郎の家に移動するけど、何か動きがあったら知らせて?)
(了解した)
 バゼットに目で合図すると、彼女もランサーにここで待機するように指示する。
「ハア? 無駄だろーが」
「……貴方は少々、アーチャーを見習うべきだと思うのですが」
「アイツだって、凜に絶対服従って訳じゃねェぞ。なあ凜?」
「ランサー、悪いけどその問答、今必要?」
「へいへい、わーったよ」
 バゼットの方こそ、凜のこの容赦のなさを見習うべきだな、とランサーは肩を竦めた。


「――そ、んな」
 士郎は簡単に経緯を説明され、呆然と凜とバゼットを見返した。
 あの、 圧倒的な力を持っていたあの魔術師が、単なる傀儡(くぐつ)であったとは。とても信じられないが、目の前で燃えてしまった少女を見た以上、納得するしかない。
 士郎もマリア――に操られた少女――とのやりとりを説明する。
「オヤジの墓が、いたずらされたって話もあるし、それと簡単に関連付けるのもなんなんだけど……あのマリアってヤツ、オヤジの魔術刻印が俺にあると思ってて、それを欲しがってたから」
「衛宮切嗣――魔術師殺しと呼ばれていた、とても優秀なハンターであったと聞いています。詳しくは知らないのですが、不思議な魔術を使うとか」
「オヤジが……?」
 あの穏やかな切嗣がそんな物騒な二つ名で呼ばれていたとは。
 しかし、セイバーから10年前の事を聞いてもいたし、なによりあの神父が悪し様に言っていたので、それは事実なのだろう。
「衛宮君のお義父さんの魔術か……魔術刻印をわざわざ欲しがるって事は、かなり特殊だったのかも知れない」
 どんなものだったか、聞いていない? との問いに、士郎は首を振る。
「自分は魔法使いなんだって、確かに言ってたけど」
「この世に魔法使いは五人しかいません」
 端的に否定するバゼットに、
「今はそういう話じゃないでしょ。もう」
 と、凜がたしなめる。
「申し訳ありません。が――」
「うん、知ってるよ。オヤジはガキの俺にもわかるようにってそういう風に言っただけだって。だって、魔術師なんて言ったって、馴染みがないと、なんだよそれーって感じだもんな」
「すいません、シロウ」
 謝るバゼットに、いいよ、と士郎は笑いかける。それに、ほんの少し、痛そうな顔をして、バゼットは視線を下げた。それは膝の上に揃えた自分の手に落ちる。
「話を戻してもいいかしら? つまりは、マリア・ブラックストーン――いかにもって偽名よねほんと――は、 衛宮切嗣氏の遺骨を手に入れて何かしようとしてるってこと?」
「魔術協会も、彼女が日本の、しかも冬木市を訪れた事を不思議がっていました。が、シロウに会いに日本に来た、となると、合点が行きます。大掛かりな魔術を行うつもりだったのかも」
「ぞっとしないわね。死体を操る魔術師が遺骨で何をしたいかっていったら」
「そんな――許せないぞ、そんな、オヤジのっ」
「落ち着いて、衛宮君。まだそうと決まった訳じゃないし、そんな大それた禁術、成功するとも限らない」
 凜の声に、士郎はぐ、と拳を握り締める。
「だって、その、封印指定、だっけ? それを受けるほどのヤツなんだろ」
 許せない、ぜったいに。士郎の声が悲痛に響く。死者を冒涜するなんて。
「私が取り返します」
「え――?」
 バゼットの言葉に、二人の声がハモる。
「私が、取り返しますから」
 その瞳に決意を込めて、バゼットが士郎を見返す。
「安心して下さい、エミヤシロウ」
「バゼット、さん……?」
「どうぞバゼットと」
「え、あ、その、バゼット。取り返すって」
 戸惑いを隠せない士郎に、バゼットは、綺麗な微笑みを見せた。
「お父様の遺骨は絶対に私が貴方の元に戻すと約束しましょう」


-12-


「俺は反対だね」
 バゼットは旅行バックに最低限の荷物を詰め終えると、ランサーを振り返る。
「何故ですか」
「二人が言われてたのは、ココで魔術師を生け捕りにしろって事だろ。もう既にくだんの魔術師は冬木を去った。その先は、依頼もねェ」
 ただ働きで命を掛けるっていうのか?
 ランサーの言い分はもっともである。凜も同じ意見らしく、バゼットにやめておいたほうがいいんじゃないか、と苦言を呈した。
「でも」
 バゼットは黒い手袋に覆われた左手をゆっくりと握り締める。自分の手とは明らかに違ってはいるが、感触もあるし、それほどの不便はない。
「約束したのです。私は、彼と……」
「間違えるな、バゼット」
 ランサーは冷たく言い放つ。
「坊主は、アイツじゃねェぞ。それに、ヤツには凜も桜も、大河もいる。アンタの付け入る隙間なんて全くねェ」
 バゼットは、苦い笑みを貼り付ける。
「もちろん、わかっています。彼とシロウは別人です。彼はあんなにも素直で優しくなかったし、前向きで正しくもなかった」
 けれど。同じ顔を、しているのだ。
 同じ、声なのだ。
 バゼットが心惹かれた、あの少年と。
 一緒にいるだけで、心がざわめく。それは、そんなにいけないことなのだろうか。
「――シロウの心を手に入れるとか、そんな大それた事は望んでいません」
 けれど。
 バゼットは、小さく、小さく呟く。
「やくそく、したかった。シロウの大切なものを、取り返してあげたら、きっと、私にありがとうって言ってくれる。笑ってくれる。その笑顔も感謝も、私だけのものです」
 それが、欲しいのです。
 血を吐くような言葉に、ランサーはしんそこ呆れ果てる。
「坊主にお礼を言われたきゃ、土産でも買ってってやれ。あいつの感謝は安いモンだ」
 く、とバゼットが笑みを漏らし。己のサーヴァントに、冷たい瞳を向けた。
「ランサー、わかっているくせに」
「……」
「命を懸けてでしか証明できない、己の心の在り方を。そうして得たものでなければ、なんの価値もないって事を。あなたが欲しがったのだって、そういうもののはずです」
「ハッ、死ぬ前の事をぐだぐだと。今の俺にはわかんねぇな」
 もう忘れた、とランサーがうそぶくと、バゼットはふうっと息を吐く。
 その瞳は揺るがない。
「嘘です、あなただって今、欲しているくせに。何の見返りがなくても、それでも」
「――気に入らねェな。俺は他人にアレコレ俺を計る言葉を言われんのは好きじゃねェ。例えマスターだとしても、だ」
「なら。私と戦いますか、ランサー?」
 バゼットは怯まない。
 もちろん、ランサーが本気になれば、バゼットはおそらく死ぬだろう。フラガラックの力を持ってしても、ランサーのゲイボルグはキャンセルされることはなく、バゼットの心臓はその槍で貫かれる。
 マスターであるバゼットが死んでも、ランサーの事だ、誰か――たとえばそれは、凜でもカレンでも――すぐに次のマスターと契約すればいい事だ。
 それがわかっていても、バゼットは、ランサーと戦うことになっても、引く気はなかった。
 何が正しいとか、どうでも良い。
 一度は死んだ身。自分の好きなように、生きるべきだと、もっとわがままになれと、”彼”が言ったではないか。
「……忘れてたぜ。恋ってヤツは女を狂わせるンだったな」
 ランサーはまいった、という風に、両手を挙げた。
「降参だ、バゼット。あんたの報われない献身劇に付き合うぜ。きっと悲劇じゃなくて、これは喜劇だ。笑える」
「意地悪ですね、ランサー」
「あったりまえだろ、アンタが言ったんだぜ。俺も欲しているってな。それを邪魔すんだ、少しくらい、意地悪させろ」
 先ほどはあんなに怒って見せたくせに、バゼットの言葉をあっさりと肯定して、ランサーは楽しそうに笑う。
「ま。報われなさそうなのは、俺も一緒かもな。笑っていいぜ、バゼット」
 バゼットは、ぱちぱち、と目をしばたかせる。
「貴方の場合、本気であることを告げれば、それだけで事態は変わるような気がするのですが」
「は、ずいぶんと持ち上げるな?」
「いいえ、貴方はとても魅力的な男性だ、ランサー。貴方がいつもの軽薄さを捨て真剣に愛を語れば、たいていの女性なら、いつかは振り向く」
「アンタでも?」
 意地悪な質問に、けれどバゼットは素直に頷く。
「ええ。私のような経験の浅い小娘などひとひねりです」
「そりゃまた、ずいぶんと高評価だ」
 あんたに惚れときゃ良かったな、じゃあ、と小さく笑う。
「本当に残念です」
 たぶんそれは本心だった。
 もし、この英霊が本気で自分を好いてくれていたら、バゼットは全てを忘れてその愛に包まれる。幼い頃から憧れていた。たぶん、バゼットの初恋は、この英雄だった。
 そうしてサーヴァントとして現れた光の御子は、強く、気高く、とても美しく――バゼットはあの神父に殺される瞬間まで、自分が彼のマスターであることに誇りを抱いて嬉しさで満ちていたのだ。
(けれど――私は、出会ってしまった)
 暗い瞳の少年に。傷ついて、ボロボロになって、意地悪で、最低な、けれども優しい彼に。
 衛宮士郎の中に彼を見てしまうのは、気のせいだろうか。
 虚ろな、魂。
 それを、抱きしめてあげたいと願ってしまう心は、誰にも止められない。
 ランサーの言うように、もう既にバゼットの席は用意されていないとしても。
 それでも。
(ほんの少しでいいのです。私は……私が望むものは)
 ふふ、ほんとうに喜劇ですね。
 バゼットはそうして笑い飛ばしてくれるランサーがありがたかった。下手に同情されたならば、死にたくなるほど恥ずかしい。この年になって、まるで幼い少女のような恋をしている。

 そうして。
 バゼットがいくつかの連絡をするために席を外した後。誰に聞かせるともなく、ランサーは呟く。

「俺が本気だってわかったら、ビビッて逃げられて、終わりだ」
 アイツはホントに臆病でどうしようもなくバカだからな。
 それでも。
 諦めるという選択肢は、バゼットにも自分にも、ないのだろう。
 きっと。


-13-


『アーチャー』 
 名前を、呼ばれる。
 それは仮の名で、単なる位(クラス)の呼び名だというのに。
 まるで、魂を震わすような、優しく身体全身を包み込むような、柔らかな声音で。
 何度も、何度も。
『どうした? 嫌なのか?』
 イヤだ――と、応えたのか、それとも、声にならない吐息を漏らしたのか。
 そっと腕をとられて、その内側の柔らかい肌を嘗められる。濡れた舌の感触にびくりと身体を震わせると、ガリ、といきなり歯を立てられた。
『……ッ』
『ンなに緊張するなよ。もっと気楽に愉しめ』
 甘い声とは裏腹に、見詰めてくる瞳はまるで獣のように情欲に濡れた紅で。炎のように煌くそれに、射抜かれる。獰猛な笑みに、男の口角が上がる。チラ、と血のように濡れた舌が唇から覗き、己の噛んだアーチャーの肌を見せ付けるように嘗め上げた。
 チリ、と走ったのは、痛みと、甘い快感。
『痛いのが好きなのか? もっと噛んでやるよ、お前の好きな場所を。――俺に、喰われたいンだろう?』
 甘く、甘く、まるで毒のように囁きが耳を侵す。
(違う)
 これは、現実ではない。
『優しく抱かれるのが嫌なら、酷く痛めつけてやろうか?』

 準備もなしに突っ込んで、血を流したオマエをぐちゃぐちゃにしてやろうか。
 それとも、もっと酷いことをして欲しい?
 逃げられないように手足の腱を切って、それから抱いてやろうか。
 ああ、槍でオマエの肩でも貫いて地面に縫い付けて、ってのもいいな。血塗れのオマエは、そそる。
 なあ。
 言い訳をやるよ。

(違う――)
 ランサーはそんな男ではない。
 これは、たいそうな侮辱だ。
 そう、わかっているのに。
 こうされたいと、無理やりに蹂躙され、己はただの被害者であると、そう、望んでいるのか――。
(ちが……う……)
 顎を強い力で掴まれ。
 男の欲望を、開かされた唇にねじ込まれる。
『噛むなよ? 噛んだら、オマエの歯を全部折ってやる』
『ぐ……う、うぅ……っ』
 太く長いソレが、無理やりに口腔内を犯す。
 とても全てを受け入れきれず、苦しさに呻くがそれで許されるはずもなく。ぐいぐいと喉までも犯される。
『もっと舌を使え――下手糞』
 それでも。滲み出る体液が甘くアーチャーの舌を痺れさせ。夢中でそれを嘗め取っていた。
『ハッ、犬みてェにがっついてやがる』
(――違う。違う、違う)
『欲しいんだろう? ナニお上品ぶってやがる。誇りもねェ野郎が』
 甘く魅力的な毒。
 身体を浸す、甘い、甘い――。
 それが。欲しくないと言ったら嘘になる。
 けれど。

「私は本物しか欲しくない、失せろッ!」

 アーチャーは夢に入り込んだ淫魔を意思の力で払いのけると、飛び起きた。
 嫌な汗をぬぐう。
 サーヴァントは、基本的に夢を見ない。時に、パスの繋がったマスターの過去を見てしまう位だ。
 眠るつもりはなかった。今のも時間にすればほんの数分であろう。
 鉄橋の上で、冬木の街を見張る事3昼夜。その間ずっと実体化していて、サーヴァントは疲れることはないが、凜のほうはそうではない。魔力供給を抑えるように伝えたから、今のアーチャーはいつもよりランクが落ちている状態だ。
 だから、だろうか。低級な淫魔に夢に入り込まれてしまった。
 いや。
 きっと、隙があったのだ。
 飢えた事で――あの上質な魔力が欲しいと、そう。
 身体が、望んでしまったから。
(浅ましい事だ)
 だから、あの男に関わるのは嫌だったのだ。知らなければ良かったと、いまさら思っても仕方がない。望んだのは、行動したのは、自分であった。
 けれど――。
 今の、夢は。

 己の醜さを見せ付けられるようで、嫌気がする。
 あの、下品だが低俗ではない男を貶めてしまった。
 しかも。
(……うそ、だろう?)

 本物しか欲しくない、と。

 図らずも本音が漏れて、アーチャーは頭を抱える事になる。


-14-


「全く馬鹿げているな、貴様が付いていながら何故そんな事を許した」
 マスターが誤った選択をしようとするのを止めるのもサーヴァントとしての使命ではないか、とアーチャーは冷たく言い放つ。
「それ位の忠誠は持ち合わせていると思っていたが、私の見込み違いか」
 封印指定の魔術師を殺す、というのならともかく、姿を消した魔術師を追い、奪ったのかそうでもないか定かではないモノを取り返す、などという愚行。しかも魔術協会の援護を受けられない今、全て自腹を切らなくてはならない。行動に対する対価が余りにも少ない、それ。
「あ――、それについちゃ一応は止めたんだぜ、俺だって」
 ランサーは凜とアーチャーの前で、大きく肩を竦めて見せる。
「だってよお、バゼット、俺と戦ってでも、行くっていうから。や、マスター殺して誰かに乗り換えるってのもまあ一考したんだが」
(したんだ)
 凜はぞっとしてさらりと言い放ったランサーを見詰める。
 やはり人間とは違う思考なのだな、と改めて心に留め置く。
「……気持ち的には、私もバゼットに近いわ。身内の遺骨が悪用されるかもって思ったら、居ても立ってもいられないもの。けどそれは衛宮君がやるべきで、その力がないのなら、諦めるしかない」
 第一、それを士郎が望むとは思えない。誰かが自分のために犠牲になることを何より厭う少年だ。バゼットが行動するのも仕事の一環だと思っていて、まさか、”自分の為”だとは思いつきもしないだろう。それを伝えるべきかどうか、悩まされた分、凜は怒っている。
 鈍感な士郎にか、愚かなバゼットにか、それとも両方にか。
 凜とて、ランサーが従わないと考えていたから、正直安心していた節がある。なのに。
「まあそれが普通の魔術師の選択だよなァ」
 けれど、とランサーが肩を竦める。
「バゼットはあいにく普通の状態じゃなくってね。重い病にかかってる」
「え――?」
「ああ、命に別状は特段ないから安心しろ。まあ嬢ちゃんだって、そのうちわかるだろうよ」
 なんだか、今、馬鹿にされた?
 凜はむっとしてランサーを睨む。
 ランサーは聖杯戦争が終わった後は、凜にはとんと甘かったのに。それが、なんだか敵対しているかのように、冷たい――ような、気がする。
 気のせい、かもしれないけれど。
 アーチャーもそれに気付いたのだろう、訝しげな視線を、ランサーと、その後ろで黙ってしまっているバゼットに向けた。
 バゼットは相変わらず無表情であったが、ほんの少しだけ、ばつが悪そうに視線を外している。
「で、そういう訳だから、俺たちは冬木を去る。どれくらいの時間がかかるかはまあ、運次第ってことだが、俺が付いてるからそんなにはかかんねェだろ」
 まさしく希望的観測だが。
「いいわ、わざわざ冬木の管理者へ筋を通しに来てくれたのに、ぐちぐち言うつもりはない。もう決めた事を、他人にあれこれ言われることほど腹立だしい事はないもの。で、いつ出発(た)つの?」
「すぐにでも――と言いたいところですが、情報屋からの連絡待ちです。魔術協会にも貸しがいくつかあるので、それを取り立てようかと」
 だから、そんなに手立てが無いわけではないのですよ、とバゼットはやっと視線を凜に合わせた。
「心配してくれて、ありがとう凜」
「し、心配なんてしてないけどっ。だって貴女は最強の魔術師だし、ランサーはすごい英霊だし。これっぽっちだって、負ける要素なんてないじゃない?」
「そうですね、ランサーの助けがあれば、私は最強です」
 その真っ直ぐな信頼に肩を竦めて、ランサーは軽く言う。
「って訳で、出発までに俺たちの壮行会? 送別会? とにかく飲んで騒ごうぜ。あの坊主の家で」
「ランサー、それは」
「いいわ、バゼット。私の方から衛宮君には話を通して置く。あいつのためなんだから、少しはいいでしょ」
「ンで、俺は、あんたの料理が食いたいな、嬢ちゃん」
「ふん、あんまり美味しくて他では中華を食べられなくなるものをご馳走してやるわよ」
「楽しみにしてるぜ」
 にやり、と口角を上げるランサーを、アーチャーは訝しげな瞳で見詰めていた。


「どういうつもりだ?」
 わだかまりが解け、また二人で話しに興じているマスターから離れたランサーに、アーチャーが詰め寄る。
「どういうって、つまり?」
「問いに問いで返すな。貴様の真意は何だ。なんだ、バゼットのあの行動は。おかしいだろう」
「おかしかねーよ。言ったろ、バゼットは恋心をこじらせてンのさ。いつかは諦めなくちゃなんねェだろうが、それは今じゃない。好きにさせてやろうぜ。これから文字通り命懸けンだ、一緒に騒ぐくらいの特典だって、あってもいい」
「バカな、それではアイツを……?」
「どうしてそんなに女どもを惹き付けるンだって、不思議か、アーチャー? オマエだって昔はそうだったんだろうよ。そして、坊主と一緒で、気付きもしなかった」
「は、まさか」
 信じてねェ顔だなあ、とランサーは呆れた声を出す。
「なんでお前たちは自分に向けられる敵意には敏感なのに、好意にはそうも鈍感かね」
 いや、坊主の場合は悪意にも鈍感だったか。
「………」
「俺がホントに食いたいのはなんだか、それくらいは知ってるよな?」
「それ――は」
 まあ、いいけど。ランサーは小さく笑う。
「餞別に、キスくらいさせろよ」
 それはとてつもなく、軽い口調だったから。
 そこに込められた真意に、アーチャーは気付かなかった。
 いや、違う。気付かなかったフリをすることを許された。
「断る」
「即答かよ、冷てェの」
 まあ当然か、と、ランサーはあっさりと引き下がる。それに、
「帰って来たら――」
 アーチャーは、視線を外しながら、急いで言った。
「暇つぶしくらいなら、付き合ってやる」
「釣り勝負かぁ? オマエほんと、負けず嫌いだよな」
「たわけ、そんなわけあるか」
 へ? と驚いた顔をするランサーに、不機嫌な口調で続ける。
「どうして貴様は――人のことをさんざ鈍いだなんだと、よく言えたものだな!」
 負けっぱなしは、嫌だった。
 軽い口調で、逃げるのを許されたからといって、逃げるのも。
 ほんとうに自分は、どうにかするほど負けず嫌いで、どうしようもなくバカだ。
「ククッ、そうかよ、おーけー、わかった。帰って来たら、だな?」
「ふん、二言はない」
「――なるべく早く帰ってくるけどよ」
 ランサーの、赤くきらめく瞳に、ネツがこもる。アーチャーの耳元に甘く囁かれたのは。
「その間に、覚悟しとけよ?」

 何の、とは聞かずともわかった。

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