魔術的思考とアニミズム
世の中には、魔術的思考、英名:Magical thinkingという一見、ポップでキッチュなワードがある。私はこの概念をnoteでフォローをしている方の発達心理学に関するシリーズ記事で知った。それは目から鱗、自分の体験に置き換えると大変に合点が行った。そのような訳で思いがけず教えていただいたことに驚きと感謝をしている。
なお、作者の丸い三角さんはエディップス期と魔術的思考について以下のように語られている。
フロイト理論では3-6歳期をエディップス期という。そして、このエディップス期では超自我の形成が為される。
また、エディップス期は、社会を構成しているそれぞれの人間の役割についての認識が高まる時期でもある。所謂「らしさ」についての意識ともいえる。この典型として、男らしさ・女らしさにいついてのジェンダー意識がある。
このエディップス期の幼児の社会的役割への認識獲得の機序は「いま現在の自分としての自我理想による超自我形成」の一部である。
エディップス期の幼児の思考の特徴として「魔術的思考・シャーマニズム的思考」とでもいうべき特徴がある。すなわち、合理的には説明できない摩訶不思議なメカニズムによって思考対象となっている事態が起こる、とする考え方である。例えば「くま君のおとうさんは魔法の力を持っているから、『えいっ』との言葉で信号機を青に変えられる」といった考え方である。
潜在期(6-12歳期)には子供の認識能力が向上し、(中略)幻想が合理的思考によって解体される。
その他、ウィキペディアには『魔術的思考、呪術的思考とは、ある事象について、理性と観察においては因果関係を正当化できない物事に原因を求める思考である。宗教や民俗、迷信において、信仰心や祈り、儀式や生贄、タブーの順守など、それに対して期待される報酬や利益が結びつけらた。』とある。
以前に私は、自身の軽率な振る舞いから他人を危険な目に遭わせたことの罪悪感を記事にしたのだが、丸い三角さんは件のエピソードを引用の記事のなかで「魔術的思考」の一例として掬い取ってくださった。私にとって、それは長年にわたり閉ざされていた暗闇に光が差し込んだかのようであり、幼少期の自身の在り様を新たな視点で捉える契機にもなった。
3-6歳の幼児期は、社会認識力を強め、超自我(神の視点)を形成する時期である。そのなかで子供は、常に不安定かつ不確定な価値判断の機会に迫られたり、外的価値に身を委ねるより他ない非力な存在である。幼児期における魔術的思考とは、認知機能や自我の未発達からくる因果に対する推量の不正確さ、外的価値との葛藤から生じる内的不安を鎮めるための幼児的精神に特有な防衛反応のひとつなのかもしれない。
私の魔術的思考も基本的には上記のメカニズムと同様であるが、今回は更に影響を及ぼしたであろう因子を追加したい。前回の記事に詳しく書いたが、私は子供の頃、物事の最悪のシナリオを想像してはその詳細過ぎるビジョンによって自らを苦しめる自縄自縛を地でいっていた。(いや、一応の合理的思考を身に付けた現在においても根本的には変わっていない)とにかく自縄自縛状態から逃れるため不合理な魔術を用いて難を逃れようと必死だったのだ。例えば、地球滅亡ビジョンに対抗する魔術的思考の一例を挙げてみる。
〇階段に差した影を踏まずに上までのぼりきれば地球滅亡回避できる
〇通学路で小石を蹴り続けて学校まで到着できたらOK
〇信号を赤で止まることなく自転車で走り続けて塾に着けばOK
また、魔術は悪い話に限ったことではなくて、追い風が吹けば苦境に立つ私を風が後押ししてくれていると捉えるし、早朝にキジバトの声で目覚めたらハトが今日一日を見守ってくれるのだと解釈する。つまりは、良しにつけ悪しきにつけ「ご都合主義」の極みなのである。
全てがこんな調子で、私の思考はいつだって気の抜けた奇妙さ、滑稽さが漂っている。そして同時にその根底には原始的なアニミズムが見え隠れする。
アニミズムとは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、エドワード・バーネット・タイラーが著書「原始文化」の中で使用し定着させた。
このアニミズムという概念も、幼児で頻繁にみられる思考形態であり、ぬいぐるみを友達と捉えたり、母親が子供に整理整頓を教える際に「仲良くお靴さんを揃えてあげないとお靴さんが寂しいって言っているよ。」と感情に訴えるのもアニミズム効果によるところである。
したがって、私が魔術的思考の一環で、影や小石、信号機に追い風、キジバトといった有機物、無機物問わず擬人化をしたり、人間並みの能力を付加させてしまうのもアニミズムが自身の無意識において通底している証拠であり、心の内面に蠢く不安や葛藤を現実世界に投影させ、アニミズム霊的魔力をもって現実および内面の難局を乗り切らんとする姿勢の表れ、これも幼児期に獲得した戦術のひとつなのだと推測する。
また、これらの不合理な回路は、幼少期における認知機能や自我、人格形成が未発達な段階ゆえに発生する特性であり、このような思考、発想が未だに自分の身に残っているところをみると、私の認知、自我形成のパターンも幼少の頃の歪みを保持したまま現在に至ってしまったのかもしれない。
さりとて、この二つの概念を認知、自我機能の未発達期における思考特性とあっさり片付けて良いものだろうか。テクノロジーが突き進んだ現代においてもなお、非合理な思考、概念が脈々と存在するには何かの理由や必要性があるからではないだろうか。自身の体験を踏まえれば、魔術的思考やアニミズムには「子供じみている」「バカバカしい」とは一蹴しきれない超強力な現実変性力を有しているようにしか思えない。
こうした「滑稽だが馬鹿にならない魔術」を大人になるにつれて人は忘れてしまう。非合理で無形のものたちは、論理性、経済合理性、エビデンスなどの進歩的概念たちによって駆逐される。
しかし、その魔術あなどるなかれ。
ちっぽけで滑稽な魔術思考、アニミズムこそ世知辛い世の中をしなやかに生き抜く一助となり得ることを自分本位でご都合主義の私は知っている。
いやはや話はアニミズムに及び風呂敷を広げすぎてまとまりを欠いてしまった。次回以降、これらの思考や信念、傾向といったものがどのように変容し今の私を形づくっていったのか書き進めてゆきたい。


ごめんなさい、続きです。 日本人はヨーロッパ人ほど論理性を重んじない文化と思いますが、それだけに日本ならではの混乱があるような気がしています。 ともあれ、魔術的思考と合理的思考、どちらが上という問題ではないでしょう。人類学的にもそう思うのです。 ごしょさんの考察を楽しみにし…
以前に悟塔さんが紹介くださった折口信夫が論じた類化性能のことですね。その時のやり取りでは河合隼雄先生がダジャレがお好きということで、それも類化性能のひとつであり遊びから知的産物が生まれるのではないか、という話であったかと記憶しています。尊敬する梅棹忠夫先生も晩年には「遊び」に価値…
こんばんは、コメント失礼します。 魔術的思考はたとえ合理的思考により「解体された」としても、無意識の根底に残り続けるのが人間心理の自然だろうと思います。 根幹にある魔術的思考に加えて、もうひとつ合理的思考を持つ。それらをあまり矛盾させない形で同居させるのが智恵かもしれません。…
人間の思考様式について合理的思考・科学的思考・魔術的思考・物語的思考・・・等々と色々ありますが、「合理性」をどこに置くのかで評価は変わるんですよね。 客観的事態のコントローラビリティを上げるのであれば当然ながら合理的思考や科学的思考が優れています。予測可能性を向上させて「次にど…
「超論理思考構造」をもって世界(他者)にむけて常に情理を尽くす姿が丸い三角さんの真骨頂なのだとPC越しに考え至る次第です。 私はとかく物事の概念や学問的論述さえも確証バイアスで自分の体験や信条になぞらえすっかり理解したような気になるクチです。そのた…
面白かったです! 感想を書いてみました。 的外れだったらすみません・・・😅 読んでいて、これはレヴィストロースのいう野生の思考に近いように感じました。 自分としては幼児的な魔術的思考は、単に「誤った推論」ではなく、 因果律の枠外で働く思考の形式としても理解できるかもなあと…
私も同じです。長年、仕事と家事だけに絞り込んできたので友人もおらず脳内対話だけで十分満足していたのですが4年前にnoteを書き始めてから、こちらの記事のように様々な書き手の方から新たな知見や気付きに触れる機会をたくさんいただき、また私には到底持ち得ない世界観や芸術性をご披露いただいて…