沖縄県名護市辺野古沖で抗議船が転覆し、同志社国際高校の女子高校生らが死亡した事故をめぐり、元同志社大学大学院教授の浅野健一氏が、女子高校生の遺族による「note(ノート)」での投稿について、「たとえ親子でも別人格であり、親が娘の意思を代弁すべきではない」などと発言した問題に批判が殺到している。
浅野氏といえば、1980年代に著書『犯罪報道の犯罪』で、事件の容疑者の実名報道は「人権侵害だ」と提言した元共同通信記者で、冤罪報道や権力批判などで「人権派記者」として名を売ってきた人物だが、自身が認める人や組織の「人権」以外はあまり関心がないのだろう。
遺族のnoteをめぐっては、2015年に沖縄で行われた同校の平和学習の内容が当時の記録をもとに公開されている。興味深いのは、講師として登場した沖縄タイムスの記者を生徒らが完全に論破している点だ。ある意味では「多角的な学習」とも言えるほど、生徒らの質問は鋭く、記者側は議論にすらなっていない。
今月16日には東大本郷キャンパスで五月祭が中止になったが、参政党代表の神谷宗幣氏の講演中止を求めていた人たちも、「議論」が苦手なようだ。「苦手」が失礼なら「幼稚」と言ってもいいかもしれない。
彼らに共通するのは、常に自分たちが「被害者側」であるという思考であり、「被害者を批判するな」とさえ繰り返せば、議論にも勝ったと思っている点である。
民放労連は「寄り添う」
以前にこの欄で、全国の民放テレビ労組などでつくる「民放労連」が、辺野古事故を起こした「ヘリ基地反対協議会」などを支援する「辺野古基金」の賛同団体であることは書いた。