夢を持ってトヨタに入社した。
世界一の会社で働くことが誇りだった。
しかし変則勤務が続いた。
月144時間の残業が続いた。
深夜1時に帰宅し、翌朝6時25分に出勤した。
2002年2月9日、30歳の内野健一さんは堤工場で倒れ、死んだ。
愛知県豊田市。
「トヨタ自動車堤工場社員過労死事件」。
内野健一さんは1989年4月、高校卒業後すぐにトヨタ自動車に入社した。豊田市内の堤工場でカムリ・ウィンダムの車体品質検査を担当していた。子どもの頃から車が好きで、世界トップのトヨタ本社で正社員として働くことに非常な誇りを持っていた。
健一さんはどんな人だったのか。
いつもニコニコした優しい人で、疲れているのに家事もよく手伝い、子どもの面倒もよく見ていた。妻の博子さんとの間には当時3歳と1歳の子どもがいた。
何が起きたのか。
トヨタの「連続二交代制(連二)」の勤務体制。一直は午前6時25分から午後3時15分、二直は午後4時10分から深夜1時まで。これが1週間交代で続いた。
深夜1時に帰宅する。
翌朝6時25分に出勤する。
睡眠は5時間しかとれなかった。
亡くなる最後の1ヶ月間の残業時間は144時間に達した。2002年2月9日早朝、博子さんは突然の知らせを受けた。
「あまりにも突然の知らせでした。病気もしなかった夫がなぜ……。過労による致死性不整脈で死んでしまったのです」
しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。
会社は何をしていたのか。
全国紙で大きく報道されることはなかった。世界的企業の過労死事件にもかかわらず、多くの人に知られなかった。
世界一の自動車会社の社員が死んだ。
全国紙は大きく報道しなかった。
豊田労働基準監督署は労災申請を却下した。妻の博子さんが審査請求したが、これも却下。2005年7月22日、国を相手取って裁判を起こした。
労基署が「業務外」と言った。
妻が一人で闘い始めた。
🔴 判決
2007年11月30日、名古屋地裁は月144時間の残業を認定。「創意くふう提案活動」などの「自主活動」も業務と認定し、過労死を認める判決を言い渡した。
博子さんは語った。
「夫が亡くなる最後の1ヶ月間は残業時間が144時間にもなる過酷な状況でした。夫は家族のために一生懸命働いたんだ、その頑張りを認めてもらうために私は闘うことにしたのです」
月144時間の残業を認定した。
「自主活動」も業務と認めた。
過労死が確定した。
しかし認定まで5年以上かかった。
その間ずっと妻が一人で闘った。
3歳と1歳の子どもを抱えながら。
月144時間残業させた。
深夜1時に帰らせ、朝6時25分に来させた。
「自主活動」という名の強制業務があった。
労基署は「業務外」と言った。
全国紙は大きく報道しなかった。
世界一の利益を誇るトヨタが、30歳の命の対価を認めるまで5年かかった。
あなたは、月144時間残業させ「業務外」と言い張った会社と、それを大きく報道しなかったマスコミに、何を思いますか。