ほんとうにつらい。
辺野古の船は希望する人なら誰でも乗せて案内するということを毎日続けていた。あくまで自主的な同志の集まりで、事業として行っていることではないから届けを要するという感覚を持たなかったのだろう。友人の船に乗せてもらう時に保険をかけないのと同じだ。
私も船こそ乗っていないが、ぶらりと通りがかっただけで車には当たり前のように乗せていただいた。この場所で何が起こっているか知りたいと本土から訪ねてくる人は多いからだ。
しかしながら、修学旅行で、しかも引率教師が同乗することもなく生徒を海に出した。それは明らかに「安全管理上の」問題があった。
そのことについては、乗せた側も、依頼した側も、猛省しなければならない。
亡くなった方に本当に謝らなければならない。
そして、この事故を利用して、政府決定に反対する団体やその支援者を教育から根絶しようとする動きには心底暗澹とする。
これはこの先の日本の教育のあり方全体に関わる。
これから政府は、既に多くを押し付けている沖縄に、さらにどんどん押し付けてくる。
本土の人々はただでさえ報道がなくて、明るいリゾートの沖縄しか知らない。沖縄リゾートで商売をしている人々は、楽しくて明るい沖縄をアピールするために、あの土砂搬出のために無惨に抉られた山肌のことなど言わない。
その間に、正しくない政治がどんどん沖縄を貪っていく。
沖縄にもそれを迎え入れる政治家がいて、止められない。
それがほんとうにつらい。
イスラエルの学校現場にはかつてパレスチナとの関係を考えさせる授業があった。それが右派政権に狙い撃ちにされた。パレスチナとの関係を人間として考えさせる教育コンテンツが消えて5、6年。
イスラエルはああなった。
考えることをやめるとあんなふうに残酷なこともできてしまう。
皆、イスラエルには差別に反対するリベラルが多かったことなど今では想像できないだろう。
だから権力者が公教育を都合よく操作できないように、法がある。
「中立でなければならない」というのは、偏向教育を認めてはならないということであって、権力者のやっていることに沈黙していなければならないということではない。
イスラエルの学校の場合を考えてほしい。
「パレスチナは抹消すべきだ」と言う先生と、
「パレスチナのことを言うのはやめなさい」と言う先生と、
「私たちの国はパレスチナを占領している。だがこれは正しいのか。別の未来はないのか?」と言う先生。
教育現場に立つべき先生はどれなんだ。