NPT文書決裂に失望広がる 被団協や長崎・広島市長ら
共同通信配信
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自分のコメント(マイページ)コメント38件
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核のない社会を目指したい気持ちはわかりますが、それはあくまで理想であって、毒をもって毒を制すではないですが、実際には核保有国同士の抑止で均衡が保たれているのが現状です。被爆地の思いは尊重されるべきですが、理想だけでは動けない、今の国際情勢の複雑さを理解してほしいです。理想だけでは国や国民の安全を守れないのが、今の国際社会だと思います。
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NPT再検討会議でコンセンサスによる成果文書を採択できたのは、1975年、1985年、2000年、2010年の4回に限られる。そもそも核軍縮、不拡散、原子力の平和利用という各国の安全保障上の核心利益に関わる問題を扱う以上、各国が容易に一致できる性質の会議ではない。したがって、成果文書が出なかったことだけをもって、失敗と単純に評価するのは適切ではなく、むしろ合意形成が困難であることを前提に見るべきである。
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核保有を目指す国があって、それを止めるために諍いが起きる。核を使わなくても、ウクライナとロシアの問題とか、イスラエルの横暴とかで、沢山の命が失われている。核廃絶など夢物語を論じるなら、世界の争い事が無いようにすることに力点を置くべきだと思う。
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核兵器のような現状では最も威力のある最終兵器を手にしたら手放すことは不可能でしょうね。隣国が核兵器を手にし、その隣国との関係が緊張感のあるものであれば自国も持ちたいと思うのはまあ分かりますし、安全保障というのはそういうものだと思います。 仮に核兵器が無ければ大国同士の戦争がもっと盛大に行われていた可能性もありますし、難しい問題ですね。 しかし核兵器は地球に飛来する隕石などの軌道変更に使うことも研究されていたりしますが、なんとも厄介な存在ですね。
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前提として被爆者及びその関係者の方々の忸怩たる想いは理解します。 理想は「核なき世界」なのは誰でも同じ。 しかし現実は、ロシアも中国も北朝鮮も核を手放していない。そんな中で日本だけが感情論で「核廃絶」を叫んでも、国民の命は守れない。 むしろ今回の決裂は、「綺麗事だけでは安全保障は成り立たない」という現実を示しただけ。 ウクライナを見れば分かるが、核を持つ国と持たない国で扱いが違うのは明白。 被爆の悲惨さを知る日本だからこそ、「二度と使わせないための抑止力」という視点も持つべきだと思う。 理想論だけで平和が守れる時代ではない。
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まあそれはそうだろうなとしか… 現状核兵器を放棄する明確なメリットが存在しない 抑止力として効果を発揮してるからね そもそも参加国以外に核保有国がいる時点で破綻しているし… 本当に全世界で放棄したら戦争がやりやすくなるぐらいかな? 核兵器を根絶したいなら感情ではなく明確なメリットを提示すべきだと思うよ
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今回もNPT再検討会議は成果文書を採択できずに終わったが、現実を見ると、ウクライナ戦争、中東危機、米中対立、北朝鮮問題まで重なり、「核なき世界」という理想と各国の安全保障認識が完全に乖離していることを改めて感じる。 今は被爆者の高齢化や戦争体験の風化もあり、核抑止への依存が強まっているのかもしれない。ロシアは核威嚇を続け、中国は核戦力を急拡大し、北朝鮮も開発を止めない。そうした中で各国の利害を一致させる難しさは非常に大きいのだろう。 それでも被爆者や広島・長崎が訴え続ける意味は失われないし、メディアも伝え続ける必要があると思う。核兵器は「使われなかったから問題ない」のではなく、一度使われれば人類全体に取り返しのつかない被害をもたらす。理想論だと切り捨てず、被爆国として粘り強く発信を続けること自体に意味がある。
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被爆地として悔しくて悔しくて仕方ないと思います。でも国際社会からすれば、核放棄できる国はない。軍備と同じ。戦争がない世界平和を願うしかありません。 他国のことを意見したり、批判しても疲れるだけ。 日本として、軍は持たない、武力による紛争解決は放棄する、核は持たないという平和主義、非核宣言の姿勢を持ち続けることは大事。 核被害の惨状を訴え続けましょう。
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戦争の被害者は被爆者だけではない。 苦しみの程度も、被爆者の苦しみとそれ以外の犠牲者の苦しみとの間で、誰が判断を下すのだろうか、誰が判断を下せるのだろうか。 三月十一日に東京で生きながら焼かれて亡くなった方が、原爆の被害者と比べて扱いが区別される(結果として差別される)理由はない。日本各地の被災者の方々も同様。 被爆者だけを特権的に扱うのはおかしい。
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核の必要無い平和が良いが太平洋戦争後時間が経って80年以上、普通に便利な今の世の中で被爆者の意見も関係無い人に理解出来ないかもしれない。世界平和より自国の安全が優先だろうし世界の指導者もナショナリズム優先の連中が大国にいるから中々非核などは眼中にないだろう。外交の武器になる核は手放すとは思えない。理想はわかるが現実は厳しく理解は広がらないだろう。
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