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ハッピーエンドはダッシュで逃げだした!/Novel by 斑猫

ハッピーエンドはダッシュで逃げだした!

21,244 character(s)42 mins

※男性妊娠のできる世界観・切嗣と血縁者・現パロ等の特殊設定があります。
■子供の頃から付き合いがある二人。槍からの恋愛感情を卑屈さと自身の特異体質のせいで受け入れられなかった弓が、とうとう根負けして付き合うことに。大人になり、色々なことを乗り切り子供ができたものの、槍が術との子供と勘違いしてしまって…!な怖がりな二人のお話です。
追記⇨即追い出されるかと思いきや、生活力がないため一週間だけ指導をしてほしいという名目で側にいてほしいと槍に頼まれ、弓が了承し、その数日の話がメインになります。ハッピーエンドはちゃんと帰宅します。
表紙はBIZARREさんに依頼しました。なんやかんやあるように見せかけ、修羅場は少なめで基本明るめとなっております。
■50P健全、春コミ新刊です。後日お品書きを出します。
■通販始まってます、宜しくお願い致します^^ https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040030814652/

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※!※ 男性妊娠ができる世界観、切嗣とは本当の血縁者という特殊設定の現パロです。



  ***



 遠い遠い昔の記憶、まだ幼稚園児だった頃の話だ。私の通う幼稚園の女児といえばそれはそれは元気がよく、外で遊ぶのを好むような子供ばかりだった。
 お蔭で遊びの時間になると教室はがら空きになることが多く、外で遊ぶことをそこまで好まない私にとっては楽園と化していた。
 周囲を見渡して人けのないことを確かめてからこっそりと近づいたのは本棚の前。好きな本を選びたい放題だが、望んでいるのは一番人気の迷路の描かれた物じゃあない。寧ろ大抵残りがちではあるのだが、それでも私にとっては特別でお気に入りの一冊だった。
 ゆっくりと人の目を気にせず読むことができるので、この時間を楽しみにしていた。
 あの日もいつものようにワクワクとした気持ちを抑えながら絵本に指をかけたのだが、次の瞬間に背後から声がかけられた。
「お前さ」
「うわびっくりした!!!!!!」
 ちゃんと周囲を確認したはずなのに! 振り返るとそこには少年が佇み首を傾げていた。
 彼はランサー、私の幼馴染だ。
(しまった!)
 半分顔を出している絵本のタイトルはシンデレラ。あまり男児が読む印象のないそれだと自覚があり、恥ずかしさが込みあげて顔が熱くなる。
 私はこの手の話が大好きだ、お姫様と王子様、運命の人と結ばれるようなロマンのある話が。
 冷静に「ああ、間違えた」と戻せばいいのだが、そんな知恵はまだない。見られてしまったことにパニックを起こして固まっていると、ランサーがひょいとその本を引き抜いてしまった。
「お前もか」
「え」
「結構オレもさ、こういうの好き」
 ぱっと顔を上げると、そこには大きな赤目があった。きらきらと輝くそれが私を映しだし、へらりと懐っこそうな笑みを浮かべている。
「そ、そうなの?」
「おう!」
 隣に腰を下ろすと、一緒に読もうと誘われる。
「こういうの……君も好きなのか」
「ん。いいよな、こういうの。王子ってやつはここぞってときに必ず姫のとこに駆けつけるじゃん。そういうの、憧れる」
 ぺらりと捲る指に、横顔に、全てに釘付けになる。
 真剣に熱心に文字を追う姿がなんだか眩しい。後ろ暗さを抱えている私は、自分が消えてしまうんじゃないかなんてバカな考えに襲われて息をひそめたものだ。
(そうか、ランサーは誰かの王子になりたいのか)
 ――私の初恋の相手は既に売約済み。
 まだ見ぬどこかに存在している姫のものであり、絶対に私のモノにはならないと理解した瞬間だった。


  ***


 空の一欠片を溶かし込んだかのような青い髪、煌々と燃え滾る赤い瞳に白磁の肌、そして端正な顔つき。彼は神の造りし一級の芸術品の如き姿だった。
 これで穏やかな性格を持ち合わせていれば、宗教画に描かれている天使、まさに地上に舞い降りた神の子そのものだっただろうに。残念なことにそういった要素はお母様の腹の中へ置いてきてしまったらしい。
 粗野で乱暴でオマケに野蛮。厚かましく図々しい、犬っぽくよく無駄吠えをする、沸点が低く子供っぽくて儚さは微塵もない……のだが。実はお人よしで兄貴肌でもあり、存外面倒見もいい。
 家柄が大変いいのだが、笠に着ることもない。
 明るく懐っこい性格でムードメーカー、人から大変好かれている――クー・フーリン=ランサー=アルスター。私の、衛宮・E・アーチャーの完璧な幼馴染だ。
 奴とは幼稚園からの付き合いになる。最初はまあよく喧嘩をしていたが、いつの間にか仲良くなっていたと父親からは聞いている。
 ランサーが傍にいてあたりまえの日々。歳を重ねるごとに興味を持つ対象や好む遊びの種類が変わり、つるむ友人が変わっても、驚くことに付き合いは続いていた。
 学校へは一緒に登校するし、食事も我が家で私が作った物を食べることが多い。
 彼の家は裕福で、所謂豪邸の部類に入る。使用人も何人も雇っており、専属のコックがいるのだとか。プロが作る食事の方が何倍も美味いだろうと言っているのだが、何故か私の作った物がいいと言って聞かなかった。
 部活が終わればうちに直接立ち寄り、実家よりうちですごす時間の方が長かった。
 目の届くところにいればやはり構いたくなるものだ。奴のシャツの皺を気にし、ネクタイが曲がっていれば結び直してやる。放置されている髪の手入れ、弁当を始めとする食事の世話にも関与してした。
 素行についても口を出したな。教師への態度、勉学の大事さ、マナーについて。女子の扱い、紳士的な接し方。
 女子だけでなく男子との付き合い方に物を申すときもあった。ランサーは快活で物怖じしない性格だが、敵を作ることも少なくはない。うまく立ちまわることもときには必要だとやんわりと窘めた。
 煩わしいと口では言いはするものの、世話を焼いているときのランサーはいつも笑顔だ。
 彼にも考えがあり反発することも多々あるし、喧嘩だってよくした。しかし拗れて仲違いするなんてことは一度もないし、最後は互いに謝りいつも通りの生活に戻る。
「いや~~マジお前がいてくれて助かってるわ~~」
「たわけ、ありがたがっている場合か! これくらい一人でやれなくてどうする。家のこともある、いつかは自立しなければならないんだからな」
「無理無理、絶対生活してけねえって自信あるし! もうアーチャーがいねえと生きていけねえもん」
 わたしがいないといきていけない ――なんて残酷な言葉なんだろう。戯れに放ったその一言にどれだけ私が縛りつけられるかなんて考えもしないんだな。
 無邪気な顔で笑う相手にいつもならば厭味を吹っ掛けてやるところだが、皮肉げに笑うことしかできなかった。
(こっちのセリフだ)
 実のところ、ランサーがいないとダメなのは私の方だ。
 私は彼のことが好きだ。友達や家族のような親愛の類ではない。つまりライクではない方の意味で。
 自覚は早い段階からしていた。長らく淡い気持ちを抱いていたが、子供ながらにそれは口にしてはならないことと理解しており、ずっと押し込めてきた。
 私如きがあの美しいいきものに好意を寄せるなど烏滸がましい。好きだと告げて困らせるなど言語道断 ――こんな “半端者 ”が、彼を煩わせるなど許されることじゃあない。
 半端者。
 どこにでもいるありふれたこの身にも、一つだけ秘密があった。それは女性の神秘がこの体にあるということ。
 わかりやすく言うならば、その気になればこの腹に子供を宿すことができる―― 男の身でありながらも妊娠することができる体を持って生まれてきた。
 世界には私のような体質の人間が、数は少ないながらも存在している。都市伝説レベルの稀少さだがね。
 男でありながらも妊娠できるということに、先入観から差別されることはなくはない。心無い言葉を投げつける者もいはするが、基本的には世間はこの体質に大して寛容的だ。出くわす率が少ないため、興味が薄いというのも理由の一つだろう。
 ちなみに権力者からは重宝されがちだ。女性より体力はあるし、体の構造的に丈夫。
 この体質の者から産まれ出る子供は天才肌が生まれやすいなどという迷信もあることから、産まれる子供目当てに大金を払い囲い込むなんてことはよく聞く話。権力の象徴と、幾人も侍らせているバカな金持ちなんていうのもいるとかなんとか。
 まるで物のような扱いだ。面倒なことはごめんだと、特異体質の者は自分の性質を隠して暮らしていることが大半だ。金銭面的を始めとした事情、開き直りステータスとして公言している者も一部はいるようだが、基本的には潜伏している。
 私もまた体質について知っているのは両親、姉と弟、かかりつけの医者、教師にランサーとその近しい親族、少数の友人くらいのものだ。
 教師は他の生徒と変わりなく接してくるが、どこか余所余所しさがあった。この特異体質の子供が誘拐される事件は昔から多々ある。学校内でトラブルが起こらないかとピリピリしてしまうのも仕方がない。
 私の性質を知っていながらただの人間として接してくれたのは、家族以外ではランサーが初めてだった。
 秘密について説明をしたのは小学低学年の頃。うちに遊びにきていたランサーに、切嗣が丁寧に説明をした。
 ランサーは聡明な子供だった。噛み砕きはしているものの、やはり内容は難しく退屈だろうに、真面目な顔つきでじっと聞いている。最後に「絶対にコイツを守ってみせる!」と強い口調で宣言したあのとき。きっと私の中で彼は、ただの憧れではない特別な存在となっていた。
 切嗣から体術を学び、小学校上級生になる頃には護身術以上の技を身につけた。
 同時期、ランサーも代々受け継いでる槍術の稽古を家でつけてもらっていた。しきたりなど古臭いだけだとよくボヤいていたのに、切嗣の話を聞いてからは文句を言うことはなくなった。
 真面目に物事に取り組むことは感心なことではあるが、理由を察するに素直に喜ぶことができない。
 あんなに面倒がっていたのに。私如きのために無理をするべきではない、ランサーはランサーのために生きるべきだ。最近では痣をあちこちにこしらえてくる。うちに深夜近くに訪問し、玄関先で倒れて動かなくなるということも何度もあった。
 なんでもご両親が雇った家庭教師が容赦のない人なのだとか。我々は世間的に幼いはずなのだが、大人顔負けの過酷な生活を強いられていた。
 あの日もそう、廊下に辿りつくことすらできずに倒れているランサーの傍に座りこみ、動けなくなった彼を見下ろす。白くまろい頬に残った擦り傷が痛々しい。あまりにボロボロで、胸が張り裂けそうだった。
 あの約束のせいで無茶をさせてしまっているのは明白だ。縛りつけたくない。
「もうやめていいんだぞ」
 揺り起こしても反応がなかったというのに、ぽつりと落ちた言葉に閉じていた赤目が大きく見開かれた。
 ぱちりぱちりと瞬いていたが、すぐに眇められる。唇を尖らせ、体の気怠さを感じさせない俊敏さで上体を起こすと、ずいっと顔を近づけてきた。
「何か勘違いしてるようだが、これはオレの矜持の問題だ。お前だけ強くなったらカッコ悪ィしな」
「カッコ悪い?」
「いつだって対等でいてえんだよ」
「そんなこと」
「あるんだっつうの! まあた面倒なことを隙あらば考えやがって……」
「考えていない、失礼な奴め。私はただ」
「まあ聞けアーチャー。フクザツな事情なんか持ち合わせちゃいねえ、ただ物理的にもそうじゃねえ面でも単純に強くなりてえだけだ。お前のためじゃねえ、オレはオレのために鍛錬詰んでっから勘違いするんじゃねえぞ」
「む……」
「それに……あー、絵本仲間ならわかるだろ」
「……!」
 絵本仲間なんてフレーズは久しぶりに聞いた。まだ覚えていたのかと驚いたくらいだ。
 私達は王子と姫の出てくる物語を好んで読んでいた。
 さすがに今はそういった物は読みはしないが……嫌いではない。それはまたランサーも同じということが嬉しくもあり、同時に気落ちもした。やはり彼は誰かの王子様になりたいのだと再確認したからだ。
 体を鍛えること自体は色々な利点がありはする。
 最近では体と共に心を鍛えることにも通じていると感じるようになった身としてはこれ以上言い辛いところなんだが……いやしかし……。
(いつか現れる姫になる子のためにも鍛えたい、か)
 照れくさそうにはにかんでいる姿は心にクるものがあったが、少しばかりモヤついてしまう。さっさと切り替えればいいのに、なんぞスッキリしない。
(バカなことを)
 私はお姫様じゃないし、なることもできない。
 彼が売約済みであることはわかりきったことなのに、何を今更気にすることがあるんだ?
 物思いに耽っていると、頬を両の手で包まれてしまった。ごちんと額同士を重ねられ、突然の至近距離に頭が白く塗り潰されてしまう。
「難しいこと考えんなって。弱いよりも、強い方が格好いいだろ? そんだけだ」
 ニカっと笑われてしまい、今度こそ押し黙ってしまう。
 ……くそ、それ以上格好よくなってどうするんだたわけ。最近じゃ更に女子に人気が出ているというのに。バレンタインに貰うチョコの数が毎年毎年記録更新中なの、知っているんだからな。その辺りも少し複雑ではある。言えるわけがないがね。
 学校で他の友人と話していても、私が近くを通ればすぐに中断して飛んできてしまう。
 買い出しに誘えば先約を蹴ってこちらを選ぶし(後日そのことを私が知り、喧嘩になることは日常茶飯事だ)、暇があれば会いにくる。
 あたりまえのように私のことを優先するランサーのことが心配ではあるのだが、どうしても満たされてしまう自分もいた。
 義理堅い奴め。特異体質を持つ私は弱者であり、護るべき対象なのだろう。
 背も随分伸びてきたし、筋肉もつきつつある。助けを必要とするようなか弱い存在ではないぞと真剣に話し合いの場を設けたこともあるが、そんなことは見ればわかるとさらりと返され逆に黙り込んでしまった。
 目が腐っていないと知って安心したが、謎が深まるばかりだ。ではあれか……あれだな、あれに違いない。彼は身内に甘い人間だからな。長い付き合いを持ったせいで、その枠にうっかり私を入れてしまったんだろう。
 傍にいられるだけでありがたいことなのに、私のことを大事な友人として接してくれることが嬉しい。
 それに比べて私は醜悪で浅ましい。彼の正義感につけ込む最低な下種だ。
 せめてこの気持ちだけは墓場まで持っていこう。これ以上彼に迷惑をかけないよう、押し殺し隠したまま、抱えて生きていこう。そう決めていたのだが、想定外の出来事が起こってしまった。
 ――中学二の夏休み、ランサーにキスをされた。
 家で宿題をしているときだ。先刻まで麦茶の入ったグラスに触れていた唇はとても冷たくて、そればかりが印象に残っていた。
 我に返ったときには目の前に顔を赤らめ、へへっとランサーが悪戯っぽく笑っていた。特にフォローも続ける言葉もなく、普通に宿題を続けた。
 心臓がもう飛びだしそうで死ぬかと思ったが、奴は普通に問題集にとりかかっていたしオヤツも食べていたし、いつも通りに過ごしていた。
 悪ふざけだったかと判断したが、何故だか翌日もやられてしまった。
 成程、これは新しい遊びなのだなそうに違いない。これくらいで騒ぐなんてとバカにされるかもしれん。反応してやるのもなんぞ負けたみたいで腹立たしく、あえてこの件に関して話し合ったことはなかった。
 何度もナチュラルにその後も長らく行為は繰り返され、まあ飽きもせず高校二年の頃までランサーはちょくちょくキスをしてきた。
 放っておいたらこの先もしかねない気配があり、勿体なくはあったがさすがに焦りを感じた。
 高校生時代に伴侶を見つける者もこの世には多く存在しているし、同じ大学で出会ってというケースならもっと増えていく。
 彼の未来を思うとこの謎の遊びもそろそろやめさせるべきだろうと心を鬼にして窘めたのだが、きょとんとしたランサーはこう言った。
「は? 遊びじゃねえんですけど?」
 成程。では本気の遊びなのかと頷いたが、肩を強い力で掴まれた。
「だから遊びじゃねえし!! え、おま、今まで何だと思ってたの!? 本気に決まってんだろ!!!!」
 焦った顔で血迷ったことを告げられる。
 この日から、私と彼の攻防は始まった。
「好きになった切っ掛けなんざ覚えちゃいねえ。初めて会ったとき、コイツはオレのモンだって強く感じた。ただそれだけだ」
 運命、オレのモノ、特別な存在――熱烈な文句の数々が並べられていく。私如きに相応しくない言葉の数々に、顔が熱くなると同時に気が遠くなった。
 素直に喜べるはずがない。私なんかじゃダメだ、もっと別の素敵なパートナーを見つけるべきだ。
 半端者なことを含め私では釣り合わないと言い聞かせると、片眉が跳ねあがった。フンっと鼻を鳴らし、それがどうしたと顎を持ち上げる。
「お前が男だろうと女だろうとかまやしなかったが、特異体質を知ったときは正直震えたぜ。これはオレのオンナだ、天からの授かりモンだって確信したね」
「大袈裟な……」
「何を気にすることがあるよ。子供が作れないからと拒む理由も潰せるし、マジで最高だわ」
「君って奴は…………」
 ニィと犬歯を覗かせて口元を笑みに裂かせる。変なところで頭がまわる……、陸でもない成長の仕方をしたものだ。どこで育て間違えたんだ? 頭痛がする。
 私の返事を一つずつ潰すと、倍の量のあまったるい言葉をかけた。その後は手を握られては振り払っての繰り返し。一晩かけていかに本気かを説くランサーに、とりあえずひとまずは受け入れることにした。
 根気負けなどせず頑なに拒むべきシーンではあるのだが、だってもう朝の九時だ。十二時間近く経ったぞ、いい加減にしろしつこすぎるだろう。
 何度も話し合いを中断させようとはしたんだが、決着がつくまではダメだと断られこんなことになってしまった。
 チュンチュンと家の外では鳥の声が響いている。朝日が目に沁みるし、疲れて眠かったし、堂々巡りすぎてこれ以上は不毛だ。
「……成程わかった、君の気持ちは本物だと認めよう。しかしそれは思いこみが激しいだけで、そうでなくとも一過性のようなものだ。なあに性質の悪い風邪を引いたようなものだが、待っていれば必ず治るので安心したまえ」
「医者みたいなことを言うんじゃねえ、何も安心できねえしそんなんじゃねえ!!」
 先刻まで若干眠そうに目をとろつかせていたくせに、疲れを一切感じさせぬ調子で朝っぱらから吠える。鍛えられて体力をつけたな……、なんと厄介な。
(埒が明かない、どうしたものか)
 こう頑なでは丸め込めるものも丸め込めない。ここは一度寝る流れに持っていき冷静にさせたいところなのだが、散々促してはいるもののランサーは頷かない。
「一度仕切り直しを」
「絶対ヤだね! お前、逃げるかはぐらかすかして、なかったことにしちまうだろ」
「そんなことは……」
「絶対ある。あるったらある」
 図星ではあるのでなんとも言えない。無駄に付き合いが長いだけじゃないな、感心している場合ではないんだが。
 そもそもにして口ではまず言い返せないとわかっているのだろう。眠気に襲われて、思考力が低下している今こそが最初で最後のチャンスなのだと困ったことに理解しているらしい。迂闊なことを言えないため、そこにつけ込み猛攻あるのみといった雰囲気だった。
 言質をとられたところで大して困りはしないはずなんだが、常にバカ正直に突っ込んでくるランサーに対しては誠実でありたいと思う自分もいる。
 非常にまずい流れだ。頭もまわらず、舌打ちをした。
「もう諦めな」
「諦められるかッ!」
「だって何を言ったところでオレは手前が好きだし、フラれたところで他の奴なんざ興味ねえし」
「ぐ……でも、しかし」
「ならこれはどうだ――オレが飽きるまで付き合え。お前が言ったんだろ、証明してみせろよ」
 飽きるまで。飽きるまでならば、いいか……?
 私が言い出したことでもある。気が済むまで好きにさせてやるくらいはいいだろう、などとうっかりそこで思ってしまい頷いてしまう。その日から私達は幼馴染兼恋人という関係になってしまった。
 ふとしたときに甘やかな空気が流れる。見つめてきたり、ボディタッチが増えたり、やけにくっつきたがるようにもなった。鬱陶しいと振り払うが、何故か袖にされてもランサーは嬉しそうだった。
 適当にその辺りに出かけることをデートと呼ぶようになり、行く先が大した場所でなくとも大喜びだった。
 どんな場所でも喜ぶ。近所の公園でも、だ。
 少し寒さが気になり始めた十一月。寒空の下、ベンチで缶コーヒーを片手にだらだらと話をした。
 文化祭が近いこともあり、互いのクラスの出し物について話をしていた。ランサーのクラスはメイド喫茶なのだが、彼もメイド服を着せられるらしい。他の男子は執事の装いなのだがあえての服のチョイスなのだとか。
 できあがりつつある衣装を撮った画像を見せてもらっているうちに、あっという間に辺りが薄暗くなった。
「あ。そういやメイド喫茶じゃ飯とか飲み物とかを客に出すときに、ちょっとしたパフォーマンスをするんだぜ」
  客。そこはお嬢様と旦那様と呼ぶところな気がするんだが大丈夫だろうかと場違いな心配をした。
「天井から茶を注ぐとか?」
「ん~~、ちょっと違うかな~~。それはお前にしかたぶんできねえな~~。呪文! 美味しくなる呪文ってのをかけるんだわ」
「ああ……私はてっきり正統派で勝負するのかと」
「オレよくわかんねえけど、正統派喫茶はそんなのしねえんじゃねえの。それよりアーチャー! ちょっと練習に付き合ってくれねえ?」
「催眠術のか」
「ん~~。オレが呪文とか言っちまったからかな~。系統がちょっと違えな~~。もっとこう、可愛らしい部類のやつなんですけどね!」
「わかったわかった。好きにするといいさ」
 メイド喫茶というものがだいたいどんな物なのかをランサーから簡単に説明を受ける。呪文というのはささやかなもので、料理やカップに美味しくなれと呼びかけるのだとか。
 ランサーは腕を持ち上げると人差し指を天に向けてくるくるとまわしだした。
「おいしくなーれおいしくなーれ」
「これは客は何もしなくていいのか。掛け声とか手を打つだとかしなくて……」
「なんか一気にオッサン臭くなるな……。いや、しなくて全然いい。ただ見ててくれりゃあいい」
 美味しくなれとあと二度続けてから、ランサーは身を近づけてきた。
「オレのことを好きになーる好きになーる」
「…………」
「えいっ」
 ツン、と冷えた指の先が唇に触れる。ぐっと眉間の皺を寄せると、柔らかく目元を緩めた。
「……そんなことまでするのか?」
「いんや、お前にだけ特別仕様。アーチャーガオレノコトスキニナールの呪文」
「たわけ」
「効果の程は?」
「効いてないようだな」
「ひっで」
 ――当たり前だろう、既に好いているのだから効くわけがない。
 なんだそのネーミングセンスは。わかりやすさ重視の名前が許されるのは、小林製薬かかじりま専科(主にげっ歯類を中心とした小型動物のおやつ)だけだぞ。
「遅効性なのかねえ」
「バカなことを言ってないで帰るぞ」
「へーい」
 空になった空き缶を奪い、ぽいっと屑籠に投げ入れてから手を握り込まれた。人目につくことを恐れたが、なんせもう暗くなりつつある。公園内だけだぞと好きにさせ、迫る夕闇に紛れるようにして帰った。
 一つ一つ思い出を重ねていく。
 季節を感じ、行事を楽しむ。キスを沢山して、触れ合って、初めてセックスをした。記念日を作って二人で祝い、一つ一つを噛みしめるかのように静かに私も堪能した。
(どうせすぐに飽きるのだから)
 新しい事柄は新鮮に映る。今は夢中になっていても、そのうち慣れがくる。
 離れるまで思い出を今の内に頂戴しておこう……と呑気に構えていたが、どういうことかランサーの気は狂ったまま、正気に戻ることはなかった。
 高校、大学を卒業、社会人へ。
 以前から切嗣は、私が大学を卒業する頃には日本を出るという話をしていた。
 多忙な人で世界中を巡る仕事に就いており、本来ならば一ヵ所に留まることは少ないらしい。
 治安のよさと自分の故郷であるこの国で子育てをしたいと以前から願望があったため、ここで二人で暮らすことを選んだと聞いる。
 治安云々については、私の特異な体質のせいだろう。
 他の家族と引き離してしまったことに申し訳なさを感じているが、いつも「淋しくないと言えば嘘になるけど、可愛い息子を独占できるなんて幸せだよ」と微笑みながら言い聞かされたものだ。ちなみに彼に職業を尋ねても、正義の味方かなと笑ってごまかされ続けている。謎が多い人だ。
 私の母親は健在で、姉と弟と共に他国で暮らしている。
 病弱なために空気のよい場所でしか生活できない、か弱くも美しい人だ。手紙のやりとりはあるが、長いこと会っていない。
 ……この母親というのが結構なお嬢様らしく、切嗣との結婚を親族が認めないがために、我々だけで日本で暮らしていた要因の一つではないかとも睨んでいる。
 最近では切嗣を敵視していた爺さん連中も軟化しつつあり、うちで一緒に暮らせばいいと言っていると姉からは聞いているがね。
 さて卒業と共にどうするか。日本に残るか、母親達の元にいくか切嗣と共に世界を渡るか。選択肢は多くあったが、あまり悩みはしなかった。
「オレさ、卒業したら一人暮らしするんだわ。一緒に暮らそうぜ!」
「いや私は」
「お前がいなきゃ生きてけない……」
 棄てられた仔犬のような潤んだ瞳を向けられ、誰が断れるというのか。キューンと切ない鳴き声まで聞こえ(幻聴だ)、その場でつい了承してしまった。
 ランサーは親の子会社に入社し、一から経験を積む予定となっている。
 住む場所についてはランサーが一任してくれと言ったため、心配はあったものの任せることにした。
 親御さんからここに住むようにと持ち物件を譲り受けたとは聞いていたし、それなりの部屋なのだろうなとは予想はしていたがとんでもない。ここが新居だと連れていかれた先は、厳重なセキュリティシステムを備えた高層マンションのワンフロアだった。
 そう、ワンフロアなのだ。フロアに一つしか部屋が存在せず、エレベーターを下りた先に扉が一つしかないことに驚き逃げようとしたが首根っこを掴まれる。
「おいおい、今更どこに行こうっつうんだ仔猫ちゃん」
「不動産屋に……」
「ケッ、出遅れすぎて最悪な物件掴まされんのが関の山だぜ。やめとけって」
「だが!! こんな家だと聞いていない!!」
 ランサーの親御さんには私の体質の話をしてあるのだが、どうせ二人で一緒に住むならとしっかりとしたセキュリティシステムに守られた場所を選んでくれたらしい。
 うっかり鍵をかけ忘れるような間抜けな息子だし、このくらいが丁度いい。一人にすると生活が崩壊しそうなこともあるし、一緒に住むことで様子を見てやってくれると嬉しいなどと直接電話を頂戴してしまい、切嗣の後押しもあり結局ここで共に暮らすことになった。
 私の進路は色々と考えたが、近くの老夫婦が営んでいる喫茶店で働くことになった。
 実は学生の頃の行きつけの場所だったのだが、マスターに誘われてアルバイトを。そのまま就職先にどうだと誘われ、他に興味を惹く職もなかったこともあり世話になることになった。
 数年が経った。ランサーは経験を積み、順調に昇進している。自分の仕事のやり方というものがわかってきたと、楽しむ余裕もできてきたらしい。
 私はというと、なんとマスターから喫茶店を譲り受けていた。学生アルバイトとして雇ったときから、是非私を後継人にと考えていたんだと入院先で笑っていた。無論無理だと断ったのだが、最期の頼みだからと願われてしまい、謹んで受けさせてもらった。
 日中は互いに仕事をし、夜になるとランサーを出迎える。休みの日は二人で過ごし、穏やかな毎日が続いてはいるのだが一つだけ困ったことがある。それは何か? ランサーが相変わらず正気に戻らない、他所に好いた相手を作る気配が全くないことだ。
 学生の頃もモテていたが、年数を重ねた現在は更にモテている。バレンタインの度に思い知らされるし、ちょいちょい鞄やジャケットのポケットから手紙などが発見されていた。
 上司からの評判もいい。仕事ができるだけでなく、家柄もいいときている。縁談の話は絶えないし、なんと会社の付近でお偉いさんの娘さん達が出待ちしているという事態にもなっているのだとか。これらは知人から聞いている話で、本人に確認してみたところうんざりとした様子で肯定したので事実のようだ。
 どんなお嬢さん達かは存じないものの、どなたかとはご縁があるやもしれない。
 そのうち誰かと付き合うことだろうとホッとしつつ見守っていたのだが……ところがどっこい、安心している場合ではなかった。なんと寝室で結婚情報誌を見つけてしまったのだ。
 ………………、……。なんだこれは。そもそもなんでこの男はまだ私の傍にいるんだ?
 いやいやいや、落ち着け早とちりはよくない。この情報誌自体がランサーの私物でない可能性もある。
 もしかしたら知人に押しつけられた物だとか、結婚を考えている知人が同棲してる彼女にはまだ隠したいだとかで預けられただとかもなくはない話だ。
 なんだそういうことか、謎は全て解けた。慌ててバカみたいだ、ちょっとしたコントのようだな。
 預かり物ならばその辺に放置しておくのは宜しくない。
 汚さないように袋にでも入れておいてやろうと手を伸ばしたんだが、めちゃくちゃいっぱい貼ってある付箋に『アーチャー好きそう』『アーチャーの候補①』『これ!』だとか不吉な字をうっかり見つけてしまったがために絶望した。
 ふむ、どうやらこの雑誌は私とのあれそれのために購入されたらしいな。…………、……。…………このままじゃまずい。どうやって目を覚まさせればいい。
 私の未来予想図ではこうなっていた。
 あるとき他所で彼は真なる運命の相手……心底惚れる相手を見つけてしまう。
 その日は最悪な一日だった。仕事ではヘマをして上司に大層叱られたし、傘は盗まれたし、突然の土砂降りでずぶ濡れになっていた。
 そんなときにコンビニで出会ったのが彼女だ。この傘使ってくださいと、自分の傘を押しつけてくる。
 名前はサチコ(仮)。若くて黒髪の、ショートボブがよく似合うお嬢さんだ。はにかんだ笑顔が可愛くて、彼女に癒されるためにこのコンビニに通う客も多いのだとかなんとか。
 傘を借りてから数日後。サチコ(仮名)は基本昼勤務で時間がすれ違うために会えない日々が続いていたんだが、そんな彼女と偶然にも駅前で再会した。ランサーがお礼にと食事にでもと誘ったのがきっかけで知り合い、意気投合しなんか良い感じになる。
 サチコ(仮名)、サチコ(仮名)可愛い。気づけばどっぷりはまってしまい、まさかここまで惚れこむ相手が現れるなんて! とランサーは驚いた。
 だが既に彼には私という存在がいる。
 義理堅い彼は溢れだした思いを押し殺し、心の奥底へとしまおうとする。出会いが遅すぎた。もっと早ければあるいは未来は変わったかもしれないと、漸く巡り合った恋を手放そうとする。
 運命の二人は離れ離れになってしまうのか? 答えは否ッ! 否だ!!
 全てを察した私は「幸せになれよ」と肩を叩いてそっと静かに離れてやる。
 焦った彼は言い募ろうとするが、私はこう言うんだ。
 君にもう十分守ってもらった。今度は私が君の幸せを守らせてほしい。
 二人の思い出の品である、ちょっと冷めたローファミセブチキ(※唐揚げ)を押しつけ、綺麗に終わらせる。
 私は美しい思い出を貰った。せめて彼の中でも悪くない形で終わるように、最高の形で締める――という予定をしっかり組んでいたというのに台無しなのだが?? 結婚情報誌とかどうなっているんだ?? 意味がわからない。
 一応それとなく最近コンビニ店員と知りあわなかったかを尋ねてみたんだが、全く縁がないと不思議そうに返された。
 サチコ(仮名)とは、残念ながら出会っていないらしい。どこにいるんだサチコ(仮名)。今すぐ出てきてくれサチコ(仮名)。
(いかん、いかんぞ……非常にまずい)
 未来のお姫様ことサチコ(仮名)を早いところ見つけなければ、私の計画は水の泡だ。
 もうこうなれば形振り構っていられない。共通の知り合いに女性を紹介(私ではなく、ランサーのお相手だ)してもらうように頼んでみたのだが、うっかり知人がそのことを漏らしてしまったがために私はランサーに数日軟禁されてしまった。
 どうも私が浮気をしようとしていると誤解したようだがとんでもない! 自分で言うのもなんだが、ランサー一筋で他に考えられるものか。よそ見できるものならしたいくらいだ。
 私はただ彼の本当のお姫様を見つけたかった。
 ランサーはバカではない、話せばわかってくれる。身の潔白を晴らすためにしっかりとこの辺りの理由を話したのだが、更に何故か真顔になり、部屋への軟禁期間が伸びてしまった。全く解せない。
 軟禁されている間、ランサーの想いをたっぷりと身をもって思い知らされることになる。気づけば二ヵ月、家の外に出してもらえなかった。
 仕事に関しては丁度店のキッチンのリニューアル工事期間に入っており、長期の休みにはなっていた。
 古いオーブンの火の通りはまばらだし、窯も作っていいとマスターも言っていたし、シンクや水漏れが激しい水まわり、それから雨漏り天井と大々的に手入れを施す予定だったがため、告知をしていたので問題はない。
 ……問題はないが、問題はないのがまた大問題だ。
 軟禁中、部屋の中を行き来できる程に長い鎖(いつのまに用意していたのか本当に謎だ)のついた枷を足につけられて生活をしていた。
 拘束はされているものの、逃げる方法もチャンスなくはないがそれを選ばなかった。
 いつもと同じだ、気が済むまでやればいい。
 コイツには何をやっても無駄なのだとランサーが悟るまで精々付き合ってやろう。どうせ一週間くらいで飽きるだろう……な~んて考え生活していた時期が私にもあった。呑気に構えていたのだが、気づけば結構な時間が過ぎていたので驚きだ。毎回懲りないのは私の方なのではと少しだけ悟った。
 仕事から戻ったランサーは私の姿を見、その都度に安堵の表情を浮かべる。
「アーチャー」
 迷子になった子供のような頼りない声で私を呼び、ぺたぺたと顔や体に触れ、長いこと抱きしめるのが日課だ。
「オレのアーチャー。どこにもいかないでくれ」
 愛しているんだ。切なげな声でおまえしかいらない、おまえがいいと毎日繰り返され――漸く、漸く彼を受け入れることにした。
「……君はバカだ。何度もチャンスがあったのに」
「オレにとってのチャンスが何なのか、お前が勝手に決めつけんじゃねえよ」
「私なんぞに捕まりおって、たわけ」
「お生憎様。捕まったのはテメェの方だろ間抜け」
「それもそうか。今も繋げられているしな」
「おー、そうだな。鎖だけじゃなく “コッチ ”も含めて」
「地獄に落ちろ……っ」
 この数ヵ月間、どんなときにも影が付き纏っていたが、今はその気配がない。憑き物が落ちたかのように穏やかな表情で笑い口づけを交わした翌日、長きに渡った軟禁生活は漸く終わりを迎えた。
 受け入れはしたが、私なんぞに捕まってしまって申し訳ないやら後悔やらで押し潰されそうなことには変わりはない。
 一人で抱えきれない。情けないことだが、耐えきれず友人に懺悔を兼ねて話を聞いてもらうことも多々あった。
 今日もまた、その機会を頂戴している。
「やった、ラッキー! くらいでいいんじゃないの?」
「そんな軽い……」
「重くないといけない理由って何かしらね」
 軟禁生活明けの数日後、私の喫茶店にて。空調の効いた室内で長いこと生活していたこともあり、久しぶりに味わう屋外の寒さは随分身に沁みた。
 冬の始まりから一気に二月に飛んだのだからと言い聞かせたが、慣れるまで時間がかかりそうだ。いけないとは思いつつ、そっと空調の温度を上げてしまった。
 まだ営業を再開していない扉にはクローズの看板をかけている。しっかりと掃除を終えて出迎える準備の整った店内にて、カウンター席に腰かけている女性と机を挟んで向き合っていた。
 黒く豊かな髪を高い位置で二つに結い、瞳は青く澄んだ湖面を彷彿とさせる。彼女の名は遠坂凛。私の幼馴染の一人で、ランサーと同じく幼稚園からの付き合いだ。
 家柄もいいが、鼻にかけず常日頃から努力を怠らない。若いながらも色々な商いを手掛けており、世界中から注目されている人物の一人で、私の自慢の友人だ。
 ちなみにランサーからの信頼も厚く、軟禁生活中は誰にも会わせてもらえなかったが、凛との通話だけは定期的に許された。
 軟禁については大変呆れていた。私への扱いに怒りもしたが、いい機会だからみっちり話し合うようにと言い放ち、通報することはなく静観してくれていた。
「アンタみたいに物事をなんでも深刻に考えちゃうような面倒くさい奴には、ランサーみたいな系統の違う面倒くさい奴が丁度いいのよ」
「そんな化け物には化け物をぶつけるんだよ的なノリで」
「ふふふ、そんなんじゃないってば。もっとシンプルよ。ちょうどいい凹凸な二人ってだけ」
 デコボコ具合が丁度いいなどと言われてもしっくりこない。彼は十分に完璧な存在だろうに。
「というか私が面倒な人間であることはともかく」
「あっ、自覚はあるのね」
「ランサーは違うだろう?」
「いやいや、十分拗らせてるっての」
 普通は恋人を長いこと軟禁したりしないと言われ、ぐっと黙り込んでしまった。
 ちなみに半年経っても状況が変わらなかったら拉致しにいく予定だったと上品に微笑んでいたが、目は笑っていなかった。
 凛は凄い女性だ。私が深刻に考えていると、いつもどうということはないと問題を蹴りあげてくれる。口が達者で屁理屈を捏ねるのがただ上手いともいえるが。
 彼女は悩ましげに溜め息をつくと華奢な肩を竦めた。
「アンタがどれだけ手塩にかけてランサーを育ててきたか、私はよーく見てきたわよ」
「手塩。いや私はだな凛」
「否定したって無駄なんだから。アイツのことをきっちり教育してたでしょ! 女の扱い、人との接し方について、素行についても叩きこんでたじゃない」
「あれは彼が孤立しないよう、友人として……!」
「忠告にしても友達の域を超えてるっての、お母様かってレベルだったわ」
「おか!?」
「いいから聞きなさいアーチャー。散々躾てならしたんだから。今更そこらのぽっと出の変な女だか男だかにくれてやるのも腹立つし、これでよかったじゃない」
「そうか、私は親の立場としても彼を見ていたのか」
 親としての目線、そうか。それなら色々と納得だ。
 早く相手を見つけたい半面、どこかでそれを寂しいとも感じている。だが親ならば仕方がないことだ。子供が離れていくことに感傷を覚えても仕方がなかろう。
「だから!! どうしてそうぶっ飛ぶのッ!」
「痛ッ!」
 素早く頭を叩かれて声を上げた。容赦も遠慮もなくしばいてくるのは如何なものか。軽く窘めようとするが、黙れとばかり鋭い眼光で睨まれたので大人しく口を閉ざした。
「貴方がアイツを撃ち落としたのよ。ちゃんと責任もって食べてあげなさい」
「そんな狩人のように……」
 とはいえ、だ。あれだけ受け入れない! と頑なだったはずなのだが、なんぞストンときてしまった。食材に例えられるとなんだか勿体なく感じてしまうから妙な話だ。
 彼女はとんでもないことを度々言いはするが、ハッとさせられることも多々あり助けられている。今日のところはガス抜きをさせてもらった。
 凛との会話で考えを改めたこの記念すべき日。驚くべきことに……いやなるべくしてなったというべきか、私の妊娠が発覚した。
 気分が悪いなと思うことがあったが、これもまた凛が察してくれていた。すぐに病院に行きましょうと連行され、検査の結果発覚した。
 驚きに硬直している私の隣で、意外な程に冷静に淡々と医師から注意事項や諸々の説明を凛が聞いてくれていた(血縁者でもないために同席は難しいはずだが、裏技を使ったと悪い顔……ンンッ、優美に彼女は笑っていた)。
 身に覚えがないわけではなかった。あれは確か軟禁生活が終わる前だ。つい盛り上がったせいもあり、避妊しなかった。
(この胎は、本当に子を宿すことができるんだな)
 そういう体質で、そういう器官があるということは理解していたのだが、不思議な感じだ。
 突然のことに呆然と立ち竦む。我に返ったのは病院を出てからだった。
 緩い足取りで歩く最中、長く伸びる自分の影の腹の部分を見下ろす。
「ここにアイツの子がいるのねえ」
 おめでとうと降る柔らかな声に、漸くじわじわと実感を覚え始めた。
 先刻までの寒さが嘘のように、ほわりと体が温もりに包まれたかのような心地を覚えた。
(ここに……ランサーの子が……)
 ただの黒い影でさえなんだか愛おしく感じ、足を止めて地面に指先を伸ばす。
 じわりと熱くなる目頭に、少しの間、顔を上げることができない。凛は茶化すことなく、背を緩くさすってくれていた。
 軽く咳払いをし、ポケットから電子機器を取りだした。指で操作し、アプリを起動させる。
「ランサーにメッセージ送ってるの? 通話の方がよくないかしら」
「いや、キャスターに」
 キャスター――ランサーの兄で、彼もまた幼馴染の一人だ。
 幼い頃から親切に接してくれて、細かな気遣いのできる人でとても好感の持てる相手だ。ランサーとこういう仲になったときも祝福してくれて、現在も交友関係がしっかりと築かれている。
 ちなみに軟禁中は連絡を取らせてもらっていない。どういう状況なのか、ずっと凛伝いに報告してもらっていた。
「そういえば今日はこの後に会う約束があるって言ってたわね」
「ああ。ランサーの気持ちはわかったので、嫌われるようにするにはどうするべきか相談しようかとだな」
「ンンンンンン、私も同席します。させなさい、いいわね?」
 『予定だった』とつけたしたというのに目が据わっている。もう嫌われるための相談はしないと言っているのに完全に信頼がない、何故なのだ。
 キャスターに凛が一緒だと連絡すると、了解と短く返事があった。
 彼の勤務先である会社(ランサーの勤務先でもあるな)の真横のカフェに予定通り赴いた。
 店の手前でキャスターの後姿を見つけた。一目で上等だとわかる紺のスーツに、弟よりも淡い色味の長い髪を束ねず背に流していた。
 すれ違う者は男女問わず振り返ったり、ちらちらと熱の篭った視線を送っている。相変わらず立っているだけで絵になる男だと感心した。
「キャスター」
 振り返った彼は、凛と私の姿を赤目に映すと片手を挙げてひらひらと振った。
「マジで久しぶりだなアーチャー、嬢ちゃん。今日はデートだったかい?」
「こんにちはキャスター。ちょっと病院に用事があったんだが、彼女に付き添ってもらっていたんだ」
「病院? どっか悪ィのか。あ、妊娠したとか?」
 造形も素晴らしく、見栄えはいいというのにオッサン臭いのが玉に瑕だな。軽く冗談を言ったつもりなんだろうがタイミングにちょっと笑ってしまう。
「そうだ」
「え」
「よくわかったなキャスター。ここに、子供がいる」
 はにかんで報告をし、凛は穏やかに微笑みんでいる。キャスターは面喰ってぽかんとしていたが、一つ頷くと目を見開き破顔した。
「でかしたアーチャー!!!!!」
「キャスター!? や、やめろ! 人が見ている!」
 何故か抱き上げられ、幼子にするようにくるくる回られた。日中のオフィス街ということもあり沢山の数の人間に目撃されてしまい恥ずかしかった
 感慨深げにオレもおじさんかと呟いた後に漸く下ろされる。
 その直後におもむろに前回に相談した『家を即出るときのためにリュックに詰めておくべき物』の件に触れられ、準備ができたかを尋ねられてしまい、うっかり無事に準備してあると返事をしたのだが、隣で凛からの圧が凄かったことをここに報告をしておく。
 どう考えてもタイミングが不自然にも程があるだろう。棒読みだったことといい、こういう類のことを未だに相談しているのだと遠回しに凛にチクったのだと思われる。卑怯な……!
 せっかくなので何か飲みながらでもと凛が声をかけると漸く地面に下ろされた。
 あちらこちらから向けられる視線から逃げるため、二人を店の中へと無理やり押し込んだ。
「お前さんがアイツのことマジで嫌になったら、いつだってうちに逃げてこい。子供つきでも歓迎すんぜ」
 ボックス席にて。凛の隣に私、向かいにキャスターの並びで腰を落ち着けた。キャスターはご機嫌でずっとニコニコと笑っている。
 ふむ、そんなに子供が好きだったのか。こんなに喜んでくれるとはありがたいことだ……会話の内容はアレなものの。
「前に相談したろう。どうやれば上手く行方不明になれるか……切嗣を予定通りに頼るよ」
「アンタそんな相談までしてたの!?」
「君にはちゃんと定期的に、ランサーにはバレないよう連絡する予定だったさ」
「ならいいわ」
 目尻を吊り上げたので素早くフォローを入れると、その一言で静かになった。ブレないな凛。
 万が一のとき、ランサーから完全に逃げ切るにはどうすればいいかということを以前からキャスターに相談していた。
 何故相談相手が彼なのかというと、ランサーのことをよくわかっていること、そしてかなり頭がキレるためだ。
 もし逃げると決めたならば、どれだけ話し合ったところで和解などできるはずもない。距離を置くことも難しいに違いない。ならば物理的に逃げるしかない。
 周囲の人間に迷惑をかけないようにうまくやる予定ではあるが、これだけ世話になっている凛に無言で行方をくらましはしないとも。きちんと約束をすると頷くと、紅茶の入ったカップを傾けた。
「ランサーに自分は相応しくないって思いこみ、もうここまできたら病的よね」
「こういう性格だからねえ。だからこそ『もしも』の相談を聞いてやることでガス抜きさせてたっつうわけ」
「ふうん……。いつでも逃げられる状態にさえしておけば、ちょっと心に余裕もできるみたいな感じってわけね。心の平穏を保つのに必要なことなのかしら」
「ま、あの愚弟よかオレんとこに落っこちてきてくんねえかな~~って下心がなくもねえんだけど、いでっ!」
 下の方でゴツリと重い音が響く。机が揺れたが、幸いにも頼んだ紅茶はカップの外には零れずに済んだ。
「でもよかったわ、全部無事に無駄になったじゃない。おめでとうアーチャー。諦めて幸せになっちゃいなさい」
 ソーサーに戻し、こちらに顔を向けた。
「アンタ達のことだから、最後まで気は抜けないけど……」
「……? 何か言ったかね」
「なんでもない」
 全てがうまくいくという期待に満ちた空気の中、ひっそりと紛れた影に凛だけがいち早く気づいていたのだが、的中を恐れて口にすることはなかった。
 不安を払うが如く明るい声で店員を呼ぶと、本日のケーキが何かを尋ねた。


 ランサーとの関係について、改めて腹を括り彼と向き合うことをと決意したわけだが、我々はとことんすれ違う運命らしい。
 いつもの時間、いつものように自宅で奴を出迎える。
 ランサーは眉根を寄せて玄関に立っている。仕事で疲れたのだろうか。戸惑い気味に風呂を勧めると、無言で首を横に振った。
(何かあったのか?)
 重苦しい沈黙が流れている。会社か、それとも親族に何かあったのか。不安を覚え始めた頃、やっと唇を開いた。
「何か言うべきことがあるんじゃねえの」
 硬い声音尋ねられ、ぴくりと肩が跳ねた。
 ああ、誰かから先に聞いたのか。自分の口からできれば言いたかったが仕方がないな。
 勿体つける必要もない。今日判明したことを伝えることにした。
「子供が……できたんだ」
「…………」
 さらりと報告するつもりだったが、妙に緊張してしまうものだな。照れくさいようなむず痒いような心地を紛れさせるため、そっと腹を撫でる。何故か指の先が触れた瞬間に眉間の皺が更に深くなったが、特に気にはしなかった。
 子供が欲しいとずっとランサーは言っていた。
 名前の候補はできているだとか、性別についてだとか、人数だとか。最近はそればかり幸せに語り、行為中でもそうでないときも、私の腹に触れてうっとりと瞳をとろつかせていた。
 だからこの報告を喜んでくれるに違いない ――そう思っていたというのに。
「そうか」
 きゅっと目を伏せた後に、唇を噛みしめる。
 まるで苦痛に耐えるかの表情に漸く不穏を読み取る。近づこうとすると、手で制された。
 明らかなる拒絶に小さく息を呑む。嫌な予感に、ぶるりと身震いが起きた。
「ラン……」
「 ――子供が欲しいたあ確かに言ったが、よりによってキャスターのかよ」
 キャスター。
 何故そこで彼の名前が出てくるかわからなかった。出された名前に頭が白く塗り潰されていく。想定していた反応とあまりにかけ離れすぎていて、驚きに呆けてしまった。
(いま、なんと言った?)
 酷い眩暈がする。ぐわんぐわんと世界がブレて揺れ、下駄箱に身を預けた。気を抜くと座りこんでしまいそうで、立っているのがやっとだった。
 彼はなんと言った。キャスター……、そう、名前が出たな。兄もまた伯父になるのだという意味で使われたわけではないだろう。
(まさかだが、信じられないが、この腹の子の父親が彼だと……言っているのか?)
 手放しで喜んでくれると思っていた。
 叫ぶだろうか、歌うだろうか。あれだけ楽しみにしていたのだ、もしかしたら泣いてしまうなんてこともあるかもしれない。
 だがその想像は全て粉々に砕かれる。まさか子供の父親を疑われるなんて、誰が予測できただろう。
(どうやら私も相当舞い上がっていたらしい)
 ショックを受けたことにより自覚をするなんて。
「悪ィ、頭を冷やす必要がある。ちょっと一人にしてくれ」
 靴を脱ぎ、隣をすり抜けて廊下を歩いていく。自室にこもるらしく、遠くで扉の閉まる音が響いた。
 私はというと、立ち竦んだまま動けないでいた。どういう意味なのか漸く遅れて理解し、脱力するととうとうその場に崩れた。
 誤解をした理由だけは、なんとなく察することができる。日中に凛を含めた三人で会っていたときのこと。人目につく場所で騒がしくしてしまったあのときだ。
 キャスターやランサーはちょっとした有名人だ。本人がその場にいなくとも、知人が目撃していてもおかしくない。
(誰かしら誤解をして、お兄さんに子供ができるんですねとでも言われたのか?)
 言われたところでどうした、真に受けるか普通。確かにランサーは兄であるキャスターに対し、昔からはやけに張り合う節があった。だからといって彼との仲を誤解するなど、あってはならないことなのだが。
 あまりにもショックが大きく、言い縋ることも否定を重ねることができなかった。
(そもそもそんなことをして何になる?)
 完全に疑われている。きっと何を言ったところで無駄だろう。それでも話をすべきなのだろうが、諦めが重石になり動くことができなかった。
(待てよ)
 逆に考えてみる。疑いを晴らす必要など、本当にあるのだろうか?
(いや、いい機会なんじゃないか)
 ずっと離れるべきだと思っていたし、これはチャンスだ。
 望ましいタイミングでなかったが、喜ぶべき事柄なんだ。どうせここまできたからには円満に別れることなどできない、なら構いはしないさ。
 脳裏に幼い頃の姿が思い描かれる。笑った顔、拗ねた顔、驚いた顔、怒った顔と、まるで走馬灯のように。
 見せてくれた物全てが宝物で、物理的にも子供という形で最高の贈り物を貰った。
(十分すぎる)
 そっと腹に触れて、ぎこちなく口端を持ち上げた。
 予定より随分遅くなってしまったが始めよう。
 これは、君とお別れするための物語――。



(この後、自分には生活力がないために一週間だけ面倒をみてくれと槍に頼まれ、数日を一緒に過ごすことになる というのがメインの話になります。)

Comments

  • 笔记本
    Feb 22nd
  • July 7, 2022
  • あい
    October 19, 2021
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