今日の日記ちょー

前の記事に 追記して行こうかと思ったが…
さすがにちょっと・・・   
それは、やめた。
6:19頃 足の裏がヒリヒリ  その前から 背中の左、前から内臓悪く痛みある箇所だが…痛かった。ヒリヒリでは無いけど
足の裏ヒリヒリは「噴火」とX.com地震前体感アカで、2-3年前 5ch地震板で台風が来なければ地域まで当たると書かれてたぽ○ぽさんが書いてた。
だから、そうなのかなぁ…と思う。
それか「足の裏」は、身体の感知の場所の対応で、南の方でかなりの南の方に当たるから、南西諸島や南洋諸島の近くは、比較的噴火も起こりやすいからかもしれない。

とりあえず6:28入力

6:39追記 昨日もだが…船底感あった。さっきも、今もちょっとかな…
それから、Xにも書いた事あるが O崎豊さんの記事を見たりしてしまう。。。
さっきも、どこまで本当かわからないと思うnote記事だが…読んでしまってた。。。そういう事が地震前にある。必ずそうとも言えないかもしれないが。
あと、栗本薫さんの「時の石」という短編小説を引き合いに出したりして、その事の説明書いてた事もあった。

#栗本薫 さん、故人の作家 今の若い人には説明必要かな…

今、Wikipediaを見て、
>父親は石川島重工業の重役を経て、石川島建機の社長となった実業家[2]
と初めて知った!知らなかった!下町で芸事に通じた育ちと読んでて、そういう仕事関係の家なのかと思ってた。。。

7:27 追記 検索語句の「地震」を入れると出ないけど… 「X.com 尾崎豊 時の石 」検索で自分のpostが出る。

7:50から https://twilog.togetter.com/tama5slot?order=allasc&ao=a&word=%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A+%E6%99%82%E3%81%AE%E7%9F%B3 「尾崎豊 時の石」検索 古い順にしたので、さっき出たのは1番下に
地震の事出ない。このアカでないので書いたのかも。または「O崎」などで書いたのかも

7:56から https://twilog.togetter.com/tama5slot?order=allasc&ao=a&word=O%E5%B4%8E+%E6%99%82%E3%81%AE%E7%9F%B3 「O崎 時の石」
地震の事はない。後でスクショで両方の検索結果upするかも

こっちにあった。
 https://x.com/kibunhakeijijyo/status/1949105012673802480

 これ以外にも何か書いたような気がする。

9:56追記 今日は寒い🥶←これほどではないけど
今日はまだ寒い。朝早い時間だから、寒いのかと思ったが…この時間でも寒い。いつももう朝早くても寒くないけど、今日は少し寒いのかと思った。それでも朝だからというのもあって、そのうちどうにかなって行くかと思ったら…まだ寒い寒い。9:59入力

10:01 さっき温度計見たら20℃なかったもんなー
今も似たようなもの
だから、熱いお茶を🍵淹れて飲んでる。🍵ズズズ

10:05 テスト pdf取込み 

こういう風に取り込まれるんだ。
https://share.google/aimode/gj8cXGMjug4nvRRBU  「地震 中国古来 陽の気 邪気」検索で出た産総研地質調査総合センターのページからのpdf 

10:15 入力 

10:27 から追記
一46一
中国古代人の地震
との戦い
岸本・文一男(鉱床部)
FumioK工sIII皿0T0
ここに2篇の中国の論文がある.1は内蒙古師範学
校の数学部で教鞭をとっている李適(リーチ)という人が書いた
『我国古代人民同地震斗争的歴史』もう1つコーンシア オホ 
和という人が書いた『地震火災及其預防』である.
前者は<科学通報>の1977年第4-5号に後者は<科
学実験>の1977年第5号にそれぞれ掲載され両者を通じて中国古代における地震対策といったものなどがうかがえるのでまとめ組して紹介することにした.
まず李迫の前書きは古代地震の研究の意義に触れ
次のように述べている.
“地震はたえず発生している1つの自然現象だがこ
れが大地震となると損害を生じ死傷者が出ることにもなる.ここ数年中国を含め世界的に大地震が比較的多く発生している.地震は常に人々に恐怖を与えているが古代中国でももちろんそうであった.
たとえチャンアンシアンは紀元前48年に長安(当時は前漢の国都今の西安)で地震が起きたとき人々は
「天地のいましめを怖れなすすべを知らず」(<前漢書>)という状態におち入った.
シヤンシ
また1556年に山西地方を襲った大地震の蔵前には
「鶏・犬おだやかならず.人歩く惚れおののく」(擁正<洪洞縣志>)という現象が生じているが大地震が起きる前の類似現象の記録は非常に多い.
しかし地震はいろいろな事実を詳しく認識さえすれば征服することができるので少しも恐れることはない.
そこで3,O00-4,000年来の中国人民の地震に対する戦
いの歴史を一っ一っ検討すれば地震についての研究や
地震災害を防ぐ大きな成果が得られることを明らかにし
てみたい''
第1図
中国古代の地震に対する認識
中国は地震多発国の]つであり歴史は長く文化が
早くから開けた国であるため世界でもっとも多くの貴
重な資料をもっていると言ってよい.まだ完全荏統計
ではないが1959年以前で15,000をこえる記録が文書に
とどめられ現在地震の研究への重要な参考資料とし
て再検討されつつある.
中国の古文書に現われる最初の大地震は
カプアーフル
「夏の発布7年泰山霧う」(<付書紀年>)
で紀元前1831年に当る(当時我が国は縄文式土器文
化の中期の時代).それからしぱらくして大地震の
記録の中に地震の発生と天体の運行との関係や地震発生
かつて西周の治下襲誓一工榊
大いに栄えたとこ註帯、一47一
後に生じた幾つかの現象の記載が現われてくる.すなわち斉の宰相昌子(ヤンチ)と占や天文を司どる1人の役人の言として

「癸帝(一名案)10年五星錯行し夜印流星雨の如し.地震え伊水・洛水洞る」(<付書紀年>)
五星とは水星金星火星木星土星のことで癸帝
10年は紀元前1809年に当る・だがこのような星との関係については信用できない.

<詩経>にも地震の記事があって紀元前780年に陳
酉地方(西周)を襲った大地震の様子を
「激しく震動雷光を発し騒然たり.河川ごとごとく沸きかえりて山家崩れ去り高地は化して谷となり深谷は化して山稜と底る」
と書いている.これは地震がひき起した地殻の運動
山崩れと地袋河流の閉塞陸地の上昇や沈降を説明したものと思われる.この地震に関連して周王朝(西周時代)の1高官であった伯陽父(伯陽甫)が提起した地震発生の原因についての推論を紹介してみよう.彼は次のように述べている.
「天地に気はその序を失わず.ものその序を過くれば民これを乱す.陽は伏して出ること能わず陰は迫られて蒸発すること能わず而うして地震うにいたる」(<史記>)
これが陰陽2気の運動論を用いて地震の原因を説明した最初であろう.その後庄子も一つの見解を出し
「海水は三年にして一周し流浪相薄まり故に地動く」
(<淵鑑類函>)
とした.これは地震の原因を海水の「流浪相薄」まる
ことと3年に1回循環することに帰したもので したがって地震の発生に周期性があることを見抜いていたといえる.宋の時代になって上記2種の解釈に対して批判する人も現われ庄子の「流浪相薄」に反対し伯陽父の陰陽2気説を支持して
「大地ごとごとく震わば言う所の海水相薄あるべし.されふるLんそど地震う時節図等しからず.あるいは秦静かにして楚しコ=くご
震えあるいは蜀動きて呉平安恋り故にこれを論ずれば海水非にして気これ是なり」(郵光庭<兼明書>)
と指摘している.この意見にはそれなりに一理があるが以上の地震発生の原因をめぐる見解は誰の場合も明らかに観念的で科学的根拠に乏しい.
さらに孔子と孟子を代表とする儒教者たちは一そう観念的となり李迫に言わせれば「反動化」した.
トンツ男Fンシュー
たとえば董伸筋(紀元前179-104年西漢時代)は地
震を「天」が人に与える懲罰で「災害を受ける」こと
を拒んではならないと説きあるいは地震を天象の変化
からもっともらしく予測して
第3図
張衡
(78-139年)
「光星堕ちて勃海決潰す」(<准南子>)
と著わしあるいは運命論と政治支配論を展開して
「官人天都に在りて内外に兵を備え天地震を治む)「<晋書>
13巻)
と述べた.
当然このような根拠のたい論調に対する反論はでて
ヌンチ
くる.たとえば葡子は
「星堕ち木鳴るはこれ天地の変陰陽の化物体の動とみべき
ものなり.とカミむは可なり.怖るるは非匁り」(<萄
子>
ワンチョン
と反駁している.また王充(紀元27-97年)も
「天地の変日月の蝕にありては政治介在せず…・まだ人承・
政教のよくする所にあらず」(<論衡>)
と儒学者の誤った論に抵抗した.さらに時代が下が
って北宋時代の有名な法律家王安石(102!-1086年)は
r天地・人間これ相関せず.日月の蝕地の震これみ在一定
出現しあれば怖れ忌むにたらず」(<司馬温公伝家集>)
という戒を遺し事実に即さ狂い空論をきびしく批判し
ている.
地盤観測機器の発明
チキンホン
中国における地震観測機器の発明といえば張衛の地
震計であろう.
張衡(78-139)は後漢時代の著名祖科学者であり文
学者である.彼は数10年にわたって科学的な研究に従
事し当時q人抑)生産の多数の経験と先人の研究の成
果を吸収して自分を研究に資しそれによって科学上の
多くの重要な成果をあげた.当時主都洛陽一帯はし
ばしば地震に襲われ紀元92年から張衡が亡くなるまで
の47年間に記録に残る地震は!8回に達し1年に2回も
大地震カミ起ることもあった.このような情況が張衡に
地震の研究を促がし苦心の末彼は一種の地震計を作一48}
第4図古都洛陽の郊外
に口)び署;新建築の集団
って測風地動儀と名づけた.'この世界最初の地震計の
完成は紀元132年のことである(西洋に先立つこと
1,500有余年).これは酒樽によく似た大き在銅器の中
に「都柱」と呼ばれる逆立ち振子が1本立っており銅
器の上の方に「竜」と呼ばれる竜の形をした首が8方位
に各1個づつ出ていてそれぞれ銅の球を口にくわえ
「竜」の首の下に「がまがえる」が口を開いて待ってい
るという構成のものである.そして地震カミ起ると
その方向の竜の首から鋼球カミ落ちて「がまがえる」の口
に入り同時に大き恋音が出るという仕掛けにたって
いた.人々はその音によってまず地震の発生と時刻を
知り鋼球を呑んだ「がまがえる」の位置から震源の方
向を知るというわけである.この測風地動儀は敏感

「一竜作動すれど七電動かず.該方向を尋ぬるやすなわち
震ありし所を知る.これを駁すれば合致すること神の如し.
書典に記さるるもの未だこれあらざるなり」(<後漢書>)
と記録されている.当時の我が国は弥生式土器文化の
時代で古墳時代が始まる1世紀ほど前であった.中
国の史書に
篇ち図
張衡が作った「測
風地動儀」の模型
内部構造の模型の
写真は雑誌〈測量〉
の1977年10月号に
固申豊氏が紹介さ
れている
「倭国大いに乱る」(<魏志>)
と書かれた時代の90年ほど前まだ「卑弥乎」も現われ
ていない時代であった.
さて張衡の測恩地動儀であるカミ世にすんなりと受
け入れられたわけでは荏かった.当時の封建政府は
「占い書」を大せっにし迷信で庶民を統治していたか
ら張衡の科学研究は政府機関や御用学者たちからの包
囲攻撃を受けあるいは彼の研究は出世や金もうけの道
であると宣伝されあるいは「屠竜の技」とののしられ
あるいは一笑に付されあるいは冷たくあしらわれたの
である.
紀元138年測鳳地動儀が作動して1竜首から「がま
がえる」の口に鋼球が落ちこんだが洛陽の人女は地震
を誰も感じ恋かった.この時とばかり儒学者たちは
「これこそマヤカシの証明」と大声で笑いあったという.
ところが数目だって「随西(甘粛省西部)に地震が起っ
た」ことが洛陽から1,000長m以上も離れた同地方か
ら報告され役人や儒学者たちはガックリぎたと<後漢
書>は記している・張衡がこれを好機として「占い政
治」への批判と「迷信」打破をめざす論陣を張ったこと
は言うまでもない.
「出書の人士みな世俗を歎し以て権勢・地位を貧る.
すべからく出書を収蔵しこれを禁絶せんことを…・」(<後
漢書>)
張衡は紀元139年に死んだがそれ以後も中国では地
シシトウファーン
震計がひき続き研究され南北時代には僧都労が機器設
計図集として<器准>の書を書いたがその中に地動儀
ずいリンシヤオ]一ン
の設計図が掲げられている.さらに晴の初期に臨孝恭
は一巻の<地動銅儀経>を写本しているがそれには主
に地震計の構造原理が述べてある(<陪審・臨孝恭樽>).
地震の前兆の記録と地震の予知
ここでまた李迫に登場してもらう.この自然科学吏一49一
を通じて地震を研究している科学者は次のように述べ
ている.
“地震を研究する目的は地震の発生と発展の規則性を
探り出し人々に対する地震の脅威をとり除き最終的
には地震を征服することである.現在の地震研究に当
っての主な課題は正確に地震を予知しそれでもって地
震発生前および発生時に正しい措置をとり災害を少在
くするか無くしてしまうことである.
地震の予知をうまくやろうとするなら記録を調べて
地震の前兆現象を研究する必要がある.中国古代のこ
の面での記録は非常に豊富で地震発生前に生じた前震
・発光現象・地鳴り・ガス噴出・気候異常・動物異常・
地下水異常などカミすべて記載されている"
大地震が起る前にしばしば一連の微弱な前震が発生す
ることは日本でもよく知られているところである.李
チ戸ンシュイ
適は1606年11月に雲南省建水地域に発生した烈しい地震
のときの記録を最初に挙げている.
「日暮どき(前震)起り般般として雷声の如し.斯くにし
て盛んとなる」(康煕<建水州志>)
ミアンヤン
さらに1879年5月の四川省綿陽地震のときには
「(十目午後より)地微かに震うこと連日匁り.(十二目か十
三目に次り)黎明地大いに震い東北より織然たる地響き
来り約四十分轟音久し」(民国<綿陽縣志>)
地鳴りと発光現象は地震の比較的普遍的な前兆現象で
あるらしく古文書にのこるその記録はかなり多いよう
である.その最初の記録は南北時代にさかのぼる.
すなわち紀元474年に山西で
ヤンメンチチェン
「雁門・瞭城地鳴りあり雷の如し.面より十余声響ける
に地鳴り止みて地震う」(<魏書・鑑徴志>)
チオンチョウ
また1468年の広東省涼州の地震は
「地震まだ来らざるとき西南より地鳴り起り斯くにして大
いに震う.終りてまた震い久しくして止む」(<成化実
録>第55巻)
という推移を辿っている.さらに!771件8月に福建
チヤンタイ
省長泰の大陥没を伴う地震が発生する前にも地鳴りがあ
り乾隆の<潭州府志>に
rこれより先十余目村民隠隠たる地鳴りを聞く.その夜
陥落し一村ごとごとく没す」
と記録された.1509年5月己亥の夜湖北地方に
ウーチャン
「武昌府碧光の閃くを見雷の如きは六・七回隠々として地
鳴り雷鼓の如し.止みて地震う」(<明史・五行志>)
という前兆を伴う地震も発生している.1635年に広東
ハイヤンチャオヤン
省海陽・潮陽一帯を襲った地震の前に発光現象がみられ
「海上に星の如く堕ちてまた起ち…・光気流れ回り…・」
(康煕<潮陽縣志>)
同時に地鳴りがして潮陽は
ふる
「旬日を経て地震う」(同上)
にいたった.1556年1月23目に陳西省華県で発生した
震度8と推測されている地震は死者82万人という悲惨な
結果を生んだものであるがこの地震に先立って発光し
「雷の如きもの地より出で…・閃閃と光を発せり.斯くにし
て地震う.…・地陥没・裂開し震裂の大なるは出水・出
火してその怪形容すべからず」(<華州志>)
と経過し地震後にも特異な現象が生じたことが記録さ
れている.
第6図
陳西省華県地域
につら征る山々一50一
地震前にガスが噴出する現象も記録に残っている.
ツアンプー
たとえば1604年11月9目に福建省の溝浦で発生した地
震は
「一・二目先だちσ)ろし火の如く剣Hず」(康照<薄浦鱗
志>)
という現象を伴っていた.また1668年6月の江西省
スオチヤン回ウ
鎮江棲付近の地震発生前に
「地震に先立ちたる早朝楊子江上を過ぎありし者あり.楼
趾を江津に望み般段たる地鳴り雷の如く実として黒煙噴
起す」(1司治<九江府志>)
それから
「半ト1いたらずして河津楊r江に折入し楊r江沸きて七
尺上れり」(同治<九江府志>)
となった.
地震前に現われた気象異常や地下水異常などについて
の記録も少なくないが鮮明とは言い難い.たとえば
チアーシリン
1631年7月の湖北省江陵の地震の前に
「夫たちまちにしてあまねく赤変し地鳴り雷の如し.こ
れより先だち五・六月来長雨止まず」(乾隆<江陵縣
志>)
という現象が現われた.これは地震発生前の天候異常
ショウグアーン
を述べた記録である.また1668年に山東省寿光で
起きた地震の1目前に
「耳に河水の淘淘たる音を聞き下僕を遺して探らしむるも明
ミウェイ
らかならず.該一目前瀦・灘の諸河急澗す」(民国<光
毒縣志>)
と述べた人があったという.これが地下水異常につい
ての記録である.
中国の歴史の中で大地震の前に動物異常現象を認めた
記載はきわめて多い(日本以外でのこの現象の研究につ
いて雑誌<測量>1977年10月号に井上英二氏が紹介さ
トーンスー
れている).たとえば1481年5月の河南省通計県の
地震の場合について
「地鳴り西北より来り鶏・犬怖れ鳴く.続きて屋宇震動す」
(擁正<通計縣志>)
トンチョーウ
と記録され1556年の河南省の鄭州地震の場合にも地
籏の前に同じような現象がみられた.すなわち
「風雨・地鳴り仙北より来り一帖獣みな1鳴く.斯くにして地
麓謡11きたること雷の如し」(順治<都州志>)
さて実際の地震予知についてはどうだったのであろ
うか.李迫のその項を次に完訳してみる.
“我が国の人民は多くの地震の前兆現象の経過を分析
・研究した結果にもとづいて幾つかの規則性をひき出
しそれを地震の予報に用いた.この面で我が国の
勤労者は大きな貢献をしている.
ユシアー:'
実例を拾ってみよう.1815年8月山西省の虞郷県
は例年に較べて天候が異常でそのため地震が発生し
かかっているのだと予報する人が出てきた.
「陰雨連綿と四十余日続き盆傾き軒に注ぎしも八月六目を
過ぎし噴陽目微かに晴る.十三日大いに晴れたり.郷
の老人に識者あり.陰雨の後天大いに熟す.すべからく
地震を防ぐべしという」(民国<虞郷麟志>)
20目の夜になって
「忽ちにして屋舎傾き崩れたり」(同上)
と本当に大地震が発生した.また大地震の前兆に対
する認識は人によって異存ることがある.そこで大
地震の前兆現象を正確にまとめるという作業も行われた.
たとえば1755年に編纂された<銀川小志>には官
庁で飯炊きをやっていた男と下級官吏の老人がある地方
での地震の前兆について経験したことが記されその地
方での地震の予知についての寛見が書かれている.
「毎年小動し民慣れること常なり.人よそ春各二季に多し.
井本忽ちにして澤濁し砲声の如き散りて長く群大群り吠
えればすなわち地震の恵を防ぐべし」
これは地下水異常地鳴り動物異常という3種の前兆
をまとめたものと言える"
防災の措置
地震の予知は地震の発生前と発生時に防災上有効な措
置をとるために絶対必要なことである.中国の歴史の
中にその成功例が少恋からずみられるようである.現
在でも全世界的に予知は至難とされているのであるから
成功の例は貴重といわねばなるまい.
中国の場合地震前の地鳴りにもとづいて措置をとっ
た記録カミ比較的多い.数例を挙げてみる.
スーイチ]一ウ
1466年に河南省准州の田畑・平野に大きな陥没地震
が発生したが当時多くの農民が田畑で働いおり
「忽然地下より兵才交うる如き声あり海として来る.ため
に民骸き遺棄して奔る.しばらくにして地約三畝陥没
す」(康煕<唯州志>)
すなわち地鳴りが起ったので避難しそのため死傷者
が出なくてすんだというわけである.
ウェーンシーシアタンパ
また1838年7月湖北省恩施県の下壌土貝村では
「裂絹の如き音」(iI三蝸<恩施縣志>)
の地鳴りが起り村人たちは地震が発生すると判断して
「居民尽く他に移るL≡(1…ゴj上)
という予防措置をとり
「三目過ぎし夜山崩る」(同上)
という大災害も免がれることができた.
ナン
さらに1855年の遼寧省全県の人々も地震の予知に成功
している.一51一
「未だ震えざるの時雷の如き音あるを聞き該地の居民早
々にして予防せんがため各連れだちて屋を走り出で逝
く」(<故宮構案>)
そのため災害を軽くすることができた.
「故をもって多数圧死するを経ずただ死するもの易女・子
女七名のみ」(同上)
地震には余震があるという規則性からすると第!回
目の主震後にも地震の災害を予防する措置は続けなくて
はならないがこのような事例は中国の歴史にも非常に
多く書きとどめられている.
ウーアン
たとえば1830年4月22μの河北省武安県では
「在地大いに震え人民屋外に争い巡る.口に震うこと
三・四回あるいは五・六回連りて一ト余日震い人民野
に架席して属す」(民国<武安縣志>)
ルオチヨウ
であった.1880年7月13目に河北省灘州では前震が始
まり8月26目に主震が襲い
「以後連目震動しあるいは一・二回あるいは四・五回.
人み放草を編みて住めり」(光緒<漢州志>)
と余震が続き人々の困窮が短文の中ににじみ出ている.
また1730年清国政府は
「地大いに震え震えたる後小農あること専らなり.小な
りとも心しおよそ尾角・璃根などの所靖立すべからず」
(<故宮満文椙案>)
スーイツァオ
という指示まで発している.もう一つの例として孫兆
杜る人物が書きとどめていることを紹介してみよう.
それは1830年4月22目のこと・西安の住人である彼は
地鳴りを聞いて西安を去り河南省の湖池の目ヨ合宿に投
宿したがその夜遅くに地震が発生した.彼は地鳴り
と前震から
「地震うと知り衣を着し急ぎ起き裸足にて出ず.しか
る後旅館正屋轟然と倒れり」(弥兆<桂花菱録>第1巻)
と前震から彼は幸い難を逃れたが
「地震必ず回し有れば急ぎまた衣を重ね履靴を結び坐す.
未だ久しからざるに轟艦の音また起つ」(同上)
ので再び避難した.
2・3の地震多発地域では人々が地震から身を守る
よい方法を考え出している.たとえば陳西省はその
代表的な所で地震が多くそこでの人々の効果的だっ
た体験を報皆させてまとめた記録の中に次のような記
述がある.
「住民の家勉めて合凋嬢板を置き内に堅壮なる木の床・寝
台を設くべし.卒然として変を聞くや急ぎ出るべからず.
クツガカン
伏してこれを待ち箆覆完らんとせば卵完ならんことを願
うべし.力辮晋ざる者空隙かきあけたる所に頃け審趨
避くべき匁り」(康煕<戒寧縣志>・秦可大<地震記>)
この措置は現在でも大いに参考と在るだろう(「合湘横
板を置き」とは2階家に仕切ることである)
「古きをたずねて新しきを知る」上で役立ではと
願って紹介した.地震恐るべしそして怖るべからず.
備えさえあればきりぬけることができるということで
ある.
あとがき
中国で史上最大の被害を出した地震はすでに触れた
1556年1月23目の陳西省華県の震度8死者82万(我が
国の関東大震災が5万余)のものであるが地震そのもの
タンチェン
が最大であったのは1668年の郷城地震(l1凍省)で震
度は8.5を越え揚子江に浮かぶ船も破壊されたほどであった.1975年の唐山(タンシャン)地震はせっかく予知してい柱がら警報を出すことを膳賭して死者67万という惨事となってしまった.これは警報を出すタイミングのむずかしさの現われであろうが全世界的な教訓となって歴史に残ったことは間違いない.わカミ国も地震国である.
中国よりも都市が発達しモータリゼーションの程度も はるかに高い.それに付随した施設網も中国とは比較にならないほど複雑である.ひとたび予知と予報のタイミングを誤ればその影響するところは中国の比ではあるまい.そのため予知・予報関係者の味合っている苦悩は計り知れないが一般にはそれほどその心が濠透していないように思われる.そのギャップを埋めることがすなわちパニックを防ぐ根底と筆者は考える.
1人1人の生命と財産の安全のためには具体的な対策とこのギャップ解消がどうしても必要ということになるはずである.
第7図
西安郊外の
田園風景
ーーーーーーーー
ふりがなが大きく文字のように入ってしまったところもある。少しは直したが。あと文字化けも
10:55入力




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