たまたま、地元の友人との話で、伊須ラーム文化がヨーロッパ文化に貢献したか?という話になった。私はしていないという意見。
チュート―の荒武はテント生活がメインでしたから、建築はそれほどこだわらなかった。あの加田フィ大佐は宮殿を建てず、終生テント生活だった。
彼らの最大の建築は、もとは東方正教会の建てたハギア・ソフィア。キリスト教の教会をも巣句にした。ローマのパンテオンの古代セメントの工法は実に見事だ。ヨーロッパの中世の大聖堂は、どこもすばらしい。今はヤクCyuの巣になってしまったイタリアのジェノヴァの大聖堂は、それはすばらしい。かつては、フィレンツェやヴェネツィアと覇権を争っていましたから。英国のリンカンの大聖堂は、一時期世界1の高さの建築だった。あちこちにユーモラスな怪獣・怪物がいて、有名なのは”インプ”という小鬼。そういうものは、たとえばサファビー朝の首都であったイスファハンなどには無い。当時は領土の大きさから”世界の半分”と言われていたほどだったが、意外にしょぼい。王がポロを観戦したスタジアムの桟敷席の壁画なども、合戦で斬られた首が舞っているような、げんなりするような絵だった。
中心地にザーヤンデルードと言われる川があり、そこに中世の橋がかかっていて、そこでお茶が飲めるようになっていた。なぜか、小さいカゴに入れられたウズラのような鳥がいて、壁にカゴがかかっているのだが、とてつもなくやかましかったのを思い出す。
そういえば、爆撃で死んだアリ・カメネイ師はヘヴィ・スモーカーだったという。私は彼の地では水ギセルをぶくぶく吸うのが数少ない愉しみだった。水ギセルの上に煙草の葉っぱ、つまり巻いていない葉巻のようなものだが、を乗せて、その上に小さい炭を置く。その煙を水をくぐらせて吸うわけだが、実に美味かった。アレキサンドリアの最上級の葉を思わせる味だった。煙草の煙は熱くないほどうまい。シャーロック・ホームズは”柄の長い”パイプを吸っている絵があるが、あれはチャーチ・ワーデンと言うタイプで、煙がクールになってうまい。
しかし、煙草それ自体はうまいのだが、それをとりまく文化がずいぶん違った。英国なら、一日働いたら、家へ一度帰ってシャワーを浴びて、パブへ、そこでシングル・モルトのウィスキーやルビー・ポート、などを飲みつつ、パブの暖炉のわきで、炎を眺めつつパイプをくゆらせ、友と語らい、あるいは瞑想的な時間を過ごす。ほとんど、シェークスピアの芝居の中の人物になったような気分になれた。
gentle meditative thoughtful conversation が煙のなかで生まれる。現代はなんでも医学的にケリをつけようとする。酒も煙草も身体に悪いに決まっている。それを言うなら油であげたファーストフードもレンジでちんするレトルト食品も、保存料・添加物ビッチリの弁当や総菜も身体に悪いだろう。
チュート―にいたとき、パンフレットをもらって『我々は酒を飲まないので、つねに頭脳は明晰であり、その文化レベルが高い、それに引き換え西洋諸国とその追従者たちは堕落している』と書いてあった。日本の神話を読むと日本の神さまたちはみんな酒が大好き。じゃあ、我々は酒で頭脳明晰でないというなら、日本の工業技術品を買わずに自分たちで作れば?と言いたくなる。彼らの聖典には『お前たちは私が創造したものの中で最高のものだ。それにひきかえ異教徒たちは動物以下』と彼らの神が繰り返し言っている。それは名知巣のジンシュ理論と似ていないか?我々ドイッチェランドのアーリア人こそが優秀で、あとは劣等という思想との類似を私はみますが。
ヨーロッパでは彼らが一定数の割合を超えたエリアでは、自警団のような連中がパトロールして飲酒を取り締まっているところも最近はある。このままヨーロッパの伊須ラミフィケーションが進んだら、イタリアのキャンティもツボルグも、フランスのワインも、ポルトガルのシェリーやポートも、英国のビールやウィスキーも飲めなくなるのかな?と思いますね。イスファ版では、酒はご法度なので、”炭酸の抜けたファンタ”みたいなものをみんな飲んでいた。
シェークスピアの作中人物、フォルスタッフは『我々も、こうしてワインを飲んでいるから智慧も機知も出て来るのさ。酒を抜くと、あいつみたいに間抜けになる。』言っている。
彼らの自慢の詩人にして科学者、オマル・ハイヤームは『酒飲みが天国へ行けないというのなら、天国というのは行きたくもない寂れ果てたところだろう』と書いた。
ヨーロッパ文明では、古代ギリシャからの人間をひとつの美として考える伝統がある。ギリシャの神々も人間の姿をしている。だから知力を磨き、余分なぜい肉をそぎ落とし、知力でも体力でも優れた人になろうと努力した。オリンピックも、そうした鍛えられた肉体を賛美するイベントだった。そこからギリシャ彫刻が生まれてくる。フィディアス、プラクシテレスに比肩しうる彫刻は伊須ラーム圏にはない。そもそも、そうした像をつくってはいけない宗教ですから。
キリスト教では人は神の姿の似せて創造されたことになっているから、このギリシャの伝統は西洋文化に統合されて発展した。
レオナルド・ダ・ヴィンチの同時代人で礼賛者だったジョルジョ・ヴァザーリの本を読むと『神のごときレオナルド』と書いてある。知識に優れ、画家として一流で、花の絵を描いても、その裏にある自然法則を描いているようなところがある。そうした絵画も伊須ラーム文化圏にはない。ちなみにレオナルドは身体能力も高かったと言われている。
音楽もそうだ。彼らの宗教では音楽と踊りは原則禁止ですから。
建築は西洋の借り物、科学技術もアリストテレスなど、古代ギリシャの本をみんな彼らは翻訳して持っていた。つまり科学も借りもの。
音楽は、ルーツをやはり古代ギリシャに求められる。ハープもフルートもみんなあった。ピタゴラスは宇宙は音楽的な法則で動いていると、人間には聞こえない宇宙の音楽、ハーモニーを考えていた。そこで音楽が人のこころを癒すという思想が出てくる。これはチュート―には無い。そこへキリスト教の聖歌からしだいに西洋音楽の基が固まってくる。神へ捧げる、賛美する音楽。”アマデウス・モーツアルト”の名前のアマデウスは神を愛するという意味。それ以外の地元特有の音楽も流れ込んでくる。
ここまでで、建築も詩歌も、文学も絵画も彫刻も、音楽も踊りも、みんな自分の中にあるものから発現してきたのがわかる。伊須ラームから入った習慣は珈琲でしょう。オーストリ―から彼らを追い払った後に、珈琲豆が残されていた。『これは飲んでも大丈夫かな?』と、飲んでみる前に、教皇にお祓いを(祝福を与えて)もらった。それがヨーロッパの珈琲の本格的始まりになった。そこからドリップ式珈琲も蒸気圧式珈琲も西洋で発明された。
私がチュート―にいた時、ネクタイはしないように言われた。『ネクタイなどというのは、悪しき西洋かぶれ』とみなされるからだ。みんな白いシャツを着て、首には何もなし。ネクタイを外しただらしのない格好。もちろん、洒落たネクタイなどは売っていない。彼らは絨毯などではさまざまな模様を使うので、私は絨毯模様(ペイズリーの替わりになる)の布を買って、10㎝幅ぐらいに切って、クラバットにして、首に巻いていた。(日本でいうアスコット・タイというやつ)私の真似をした地元の若者が2人いた。
女性は、政府の推奨は、黒い布でかぶり、黒いスカーフに口元を黒い布でかくす”ずんどう着”(体のラインが出てはいけない。くるぶしも露出させてはいけない)ので、ファッションも発展しようがない。
食事はきつかった。物価が安くて、街の最高級の、もと王宮だったところのレストランで食べてもコースで200円ぐらい。とがないで炊いた米(ものすごく臭う)の中にケバブが埋まっていて、その上に豆のどろどろしたのを、タコ焼きの上にマヨネーズがかかっているような具合にかかっていたものとか、食事で私が不満に思った唯一の地域です。カレーのようなものもあったが塩が強くてダメでした。ペッパーステーキがあったが、靴の革底のように固かった。
インドでは路上のすごい汚いところで買い食いしても、奇跡的に腹をこわさず、cast iron stomachと言われていたが、伊蘭はダメでした。お菓子はヌガーみたいなものが、気温でねとついていた。うまかったのは果物。つまり人が手を加える”料理”は西洋や日本、インドとはまったく比較にならなかった。食器もかなり雑な出来で、記憶にすら残っていない。プレスのばりが出ているようなナイフ&フォークで、雑な作りだったということしか覚えていない。
こう考えてみて、私は西洋文明のどこに影響が与えられたのか、私はちょっと思いつかない。ポロとペイズリー模様、珈琲とリュート、アルハンブラ宮殿?
そう考えると、我々日本人も、日本文化、いや日本文明を大切にしないといけないと思います。