とりもち踏んだら頭が痒い
いま? と思うことがある。
用事があるのに誰かに呼ばれた、とかではなく、自分の中で起きる「いま?」だ。電車の中で急にお腹が痛くなって「いま?」と思ったり、深夜に不意にドクターペッパーが飲みにたくなり「いま?」となったり。自分の中で起きるコントロールできない「いま?」が存在する。
説明できないのだ。
今でなくてもいいでしょ! と自分のことを怒りたくなる。でもコントロールできない。急にやってくるのだ。誰かが悪いわけではない。もはや自分も悪くない。偶然としか説明できないものだ。
とりもちを踏んだ。
鳥やネズミ、虫などを捕まえる粘着生のあるものだ。たとえば鳥ならば、とりもちを踏んでしまえば、逃げることはできない。粘着力がすごくて抜け出すことはできないのだ。場所によってはそのようなものが仕掛けられている。
それを踏んだ。
思いっきり踏んだ。踏みたくて踏んだわけではない。撮影している時に足元を見ていなくて、仕掛けられていたとりもちに気がつかず踏んだのだ。勝手に撮影していたわけではなく、許可を得て撮影したいたのだけれど、とりもちには気がつかなかった。
別にとりもちを踏んだことはいい。
そのようなことはよくあることだ。いや、初めてとりもちを踏んだのだけれど、撮影中に起きることなので仕方がない。もちろん驚いた。さっきまで普通に歩けていたのに、次の足を踏み出したら急に重いから。
大きなとりもちではなかったので、足を上げるととりもちごと浮いた。ちなみに私の足の真横には先にとりもちを踏んでしまった鳥類が死んでいた。とりもちはとりもちの役割を十分に果たしているということだ。
カメラを片手で持って、とりもちを地面に押し付けながら足を上げた。とりもちを靴から外すためだ。ただ片手ではとりもちの粘着力が強く、靴から外すのは難しかったので、カメラを肩にかけて両手でとりもちを地面に押し付けて足を浮かして脱出を試みた。
成功した。
とりもちは足から外れた。問題は両手にとりもちが付着してネバネバすることだった。白い粘着質のものが、まるで何かの記念のように両手に付着している。水で丁寧に手を洗えば取ることができるはずだ。
そこで「いま?」が起きる。
記録的に、観測史上初くらいの感じで、ものすごく頭が痒くなったのだ。厳密には額のちょっと左上の方。額と頭頂部の中間よりも額に近いところだ。かかずにいられないほど痒かった。とんでもなく痒かった。抗えない痒みだった。
「いま?」なのだ。
頭が痒い。間違いなく痒い。でも、手には粘着質の白いとりもちが付着している。頭をかけば、間違いなくとりもちが髪につくのだ。かかなきゃいいじゃん、と思うけれど、記録的に痒いのだ。
葛藤だった。
「いま?」を心の中で連発した。だって説明できないのだ。なぜ急に頭が痒くなるのか、全く理由を思いつかない。さっきまで全然痒くなかったのだ。痒いという概念が存在しないほど痒くはなかった。しかし事実として、現実として頭は痒いのだ。とてつもなく痒いのだ。忘れることなど到底できない、無視することなどあり得ない痒みなのだ。



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