中露共同声明が突きつけた現実と、日本の核保有論という危うい幻想
今回の中露共同声明は、日本に対して異例とも言える強い警告を発した。
声明は、日本が「再軍事化」を加速させ、地域の平和と安定を脅かしていると批判。さらに東京裁判80周年に言及し、日本政府に対して、侵略の歴史から教訓を学び、「新型軍国主義」と「再軍事化」に抵抗するよう求めた。
この現実を前にしてなお、日本国内で繰り返される核保有論には、原口一博・ゆうこく連合代表の表現を借りれば、「頭の周りをヒヨコが回ってる」としか言いようがない非現実性がある。
世界の現実は、空想よりはるかに厳しい。
たとえばイラン問題では、核燃料濃縮率の引き上げをめぐり、米国は極めて強硬な姿勢を取ってきた。核開発疑惑や核能力拡大への警戒が、国家間の軍事衝突リスクを一気に高めることは、現代の国際政治では珍しい話ではない。
その状況で、日本が本気で核保有を目指したら何が起きるのか。
中国とロシアが、すでに共同声明で日本の「再軍事化」に強い警戒を示している中、日本の核武装への動きが始まれば、それは単なる国内政策論争では終わらないだろう。周辺核大国から見れば、安全保障環境を根本から変える重大事態として受け止められる可能性が高い。
そして最も都合よく忘れられているのが、日米同盟の限界である。
仮に日本が独自核武装へ踏み出し、対立が軍事的緊張へ発展した場合、アメリカは無条件に日本のために全面介入できるのか。自ら関与していない日本独自の核武装路線によって生じた危機に、米国が必ず軍事行動を取ると断言できる根拠はどこにあるのか。
核保有論は、「核を持てば安全になる」という単純な話ではない。現実には、外交的孤立、周辺国の軍拡加速、先制攻撃リスク、同盟関係の不確実性まで含めて考えなければならない。
中露共同声明が示した警戒感を見てもなお、「日本も核を持てばいい」という発想で済ませるなら、それこそ現実の国際政治を見ずに、頭の周りをヒヨコが回っている議論と言われても仕方がないだろう。