古道を辿ると"地名の由来"が分かる!?徳川家康ゆかりの古道「中原街道」を紐解く旅
かつて田んぼがあったことが由来している!?「五反田」と付けられたワケとは
その後は、国道1号に合流。長い坂を下って五反田駅の手前へ。「国道1号はまっすぐに突き抜けるが、中原街道は駅の手前の左の道。昔の道筋を残しつつ、新しい道が造られた」と荻窪さん。 ここで五反田の歴史に繋がる重要なポイントが。 (道マニア・荻窪圭さん) 「この辺りがなぜ低くなったのかというと、目黒川が長年かけて削った。川沿いは水があるから田んぼになり、ここには田んぼが約1500坪あった。300坪を昔の単位で"一反(たん)"と数えていたので、1500坪は"五反"。"五反(約1500坪)"の"田んぼ"で『五反田』」 かつて中原街道は、目黒川沿いで作られた野菜や農作物を運ぶ重要な道だったと言われており、その帰りには江戸市民の人糞、いわゆる肥料を持ち帰ったことから"肥やし街道"とも呼ばれ、江戸のリサイクル社会を支えた道でもありました。 その先の中原口交差点では、初見では困惑してしまう光景が。歩道橋の上から覗いてみると… (道マニア・荻窪圭さん) 「道が複雑に交差している。古い道筋があって、そこに新しい道筋が絡むと、変に土地が余ったりする。歩道が三角に広くなったり、歩道にできない場合は草が植えられたりする」 交差点を抜けると、新旧2つの道に分かれた中原街道。旧道を進み続けると再び新旧の道が合流し、その先に「洗足池(せんぞくいけ)」が現れます。 (道マニア・荻窪圭さん) 「ここは、鎌倉時代の僧・日蓮が足を洗ったといわれる歴史ある池。昔は"洗う足"ではなく、収穫が多い場所ということで"千の束"から"千束池"になったんじゃないかと言われている。少なくとも家康がここを通って江戸に入っていた時は、この池はすでにあった」 最後に、大田区・田園調布へ。中原街道は、ここで再び2つの道筋に分かれます。多摩川の近くで地元の方に話を聞くと、かつての多摩川には幅の狭い橋が架かっており、交通量も多く、子どもだけで渡るのは危険だったとのこと。 その後、道幅が拡幅された「丸子橋」の完成に伴い、この橋を通る道筋が新たに現中原街道として整備されました。 (道マニア・荻窪圭さん) 「ここに"丸子の渡し"という渡し船があって、その船で対岸に渡り、神奈川県平塚市の中原というところまで繋がっていた」 船で多摩川を渡り、平塚市・中原で東海道へと合流する中原街道。終点の中原では、将軍に献上されるほどの名品「成瀬酢(なるせす)」が生産され、その運搬のため「御酢(おす)街道」とも呼ばれたこの道は、地域の産業や暮らしを支え、街の歴史を紡いできました。 CBCテレビ「道との遭遇」2025年11月4日(火)午後11時56分放送より
CBCテレビ