洞窟にいた時期の話

半生を赤裸々に語ったら、面白いかも?と思いました。

まず、簡単に半生といいましたが、私は2024年5月にうつ病と診断されました。大学に入ってからの数年間はかなり目まぐるしく、かつひとつの(ひとつどころではない)人生の瓦解を経験したからこそ、今こそ、歴史を残さねば、と思いました。

あくまで淡々と、書き残していきたいです。

遡ること中学二年生、私は芸人になるという夢を抱えていました。

明確なきっかけがあったわけではないものの、お笑いが好きでしょっちゅう劇場にライブを見に行ったりTSUTAYA(中野駅近くのやつ、今はつぶれてTSUTAYAくらいデカいコンビニになっている)で単独のDVDを借りたりしている間に「この世界に一生住んでいたい」と思うようになりました。

そして順調に中学高校生活を終え、東京大学に入学しました。
そこからは運命の導くままに東京大学お笑いサークル笑論法と早稲田大学お笑い工房LUDOに入りました。あまり記憶はないけど、初対面から「こんにちは!プロの芸人になろうと思って」くらいの感じだったかも。おそろしい。

大学お笑いという場所は、本当に理想郷でした。
みんながみんな面白くて、自分は自分の面白いをいくらでも表現していい。ここにあらゆる夢が詰まっていて、そこらじゅうを駆け回りました。
ここで、今だからこそ言えるのですが、私はネタを作るのが得意ではありませんでした。「自分の面白いを表現していい」当時はそう思っていたけれど、別に自分は自分の面白いが好きではありませんでした。好きじゃない?というか、認められない?多分プライドの高さゆえに、うまく失敗ができなかったのです。私は周りの友達を凌駕する勢いで色々と挑戦し、走り回っていましたが、実際はものすごく繊細で臆病でした。大学1,2年のころはその繊細さと臆病さから目を背けながら、「分析と研究が得意だから!」と言い張って人のネタを見て見て見て見まくって、書いたネタは10本足らずでした。
他人の作品を見れば見るほど、自分の中に評価軸が増えていきます。それと同時に、自分の中でタブーが育っていきます。インプットだけを繰り返した先で、「面白い」を外側から憧れの形に塗り固め、タブーに蓋をして、結局自分の「面白い」はもう出てくる隙間がありませんでした。

あと、割愛できないこととして、1,2年のころ私はキャパシティの3倍くらいのタスクを抱えていました。当時は、自分のキャパを把握したうえできっかり10割にしているつもりでした(アホたれ)。今思うとぜんぜん30割でした。あの時心配してくれた全友達、ごめんね。ありがとう。
そうなると切り捨てざるを得ないのが、勉強と睡眠でした。とくに勉強については(泣)もう思い出したくない(泣)前期教養学部理科二類のあいだ、生物選択の私にも残酷に物理が降り注ぎ、中3で物理を捨てた私に東大の教授の授業が分かるわけもなく、前述のとおりプライドが高く友達にも聞けず、自習するにも時間が足りず、それはそれは悲惨でした。
あとこんな状態で教職も取ろうとしていました。夏休みに、朝から教職の授業に向かう自分を見送らなかったという理由で旧恋人と喧嘩をしたこともあります。申し訳ない。

2024年1月、相方Aから解散を告げられます。朝7時からのマックのバイトに向かっている途中に連絡が来ました。バイトは手につきませんでした。
私はなぜか、憎しみに吞まれました。結果を出していく同期を見ながら、タスクに溺れながら、ずっと焦って縋っていたコンビでした。相方Aが自分を捨てて、楽しそうに、他のコンビで結果を出していくのが耐えられませんでした。こんな風に考えてしまうのはおかしいことだと、今ではよく分かっています。

相方Aの顔が見れなくなりました。勝手に動悸がして涙が出るのです。LUDOに行かなくなりました。

2024年2月、新しくコンビを4つほど組みました。なんでもいいから見返したかった。こんなにお笑いが好きなのに、勝てなかったらおかしい。お笑いがたいして好きじゃない、プロになるつもりがない人たちが自分より上にいるのは異常だ、まだ努力が足りない。4時間以上の睡眠をとれる日はありませんでした。

2024年3月、初めて動けなくなりました。たくさんの予定をこなした日、新宿から旧恋人の家に向かおうとしていたら、電車が止まりました。途端に涙が止まらなくなり、ふらふらと電車を降りて新宿のホームでうずくまって立ち上がれなくなりました。

2024年4月29日、ある大会の予選がありました。自分的にはよく仕上がっていたと思うのですが、負けました。
急に気づきました。お笑い向いてないんだと。
そうなったら生きてる意味がないと分かりました。

数日間、よくわかりませんでした。死ぬことしか考えていませんでした。
死ぬと言っても実感はなくて、街をただ歩きました。踏切がやたらと怖かったことだけ覚えています。
ドンキでサニー号のパズルを買って、数日間家でパズルをしてしのぎました。

2024年5月、うつ病と診断されました。薬はもらいませんでした。

2024年6月初旬、教職を取るために必要な実習に行きました。教育実習とは別でなんか地学に必要な単位とかいうやつで、栃木の山に二泊三日。知り合いが一人もいません。同行者の、脇毛をすべて生やしたままのノースリーブの女性と、クチャラーの女性と、熊が怖くて気が狂ってしまいました。一日山を歩いたあと、夜からみんなで飲み会を始めるようなので、ロングスリーパーだと嘘をついて部屋でおやすみプンプンを読みました。いよいよ、死のう。死なねば。と思っていました。

2024年6月中旬、旧恋人と別れました。まあさすがにねー。こんだけいろいろあって、こんだけのいろいろに、かなり巻き込んでしまいました。
旧恋人は大学お笑いのなかで本当にトップのトップを走っていた人なので、自分がお笑いで結果が出せなくてうつになった時点でかなり関係は軋んでいました。人間としてすごく出来た方でした。誰もがこうなれたら、世界は平和だろう、という感じの人間でした。

2024年6月下旬、かなり危ない感じでした。
ヤリマンになって死んでしまおう、と考えていました。生きるか死ぬかというより、シンプルに、生きていなかった。バイトを3つくらい飛んで、それでもライブに出ていました。

友人Aと、深夜の下北を歩きました。
悲しみで錯乱している私をみかねて大学で語り明かしてくれました。
大学の門はもう閉まっていたけど、飛び越え方を教えてくれました。下北に繰り出して、自販機で缶を買ったら、割と大丈夫になりました。

現恋人と、公園でスケボーをして、怪我をしました。
情けない話、血を見て安心しました。

2024年8月、自傷をしました。面白くないので詳細は省きます。

2024年9月、旧恋人との復縁に失敗しました。
3日間くらい部屋から出られなかったのですが、なぜかオンライン家庭教師のバイトだけはできました。できた、というより楽しかった。

2024年9月末、勝手に実家を出て現恋人の家に移り住みました。
まだ当時は付き合っていなかったのですが、うつになってからずっと逃げ場になっていた場所で、私にはもうそこしか残されていませんでした。
親は本当に良い人たちなのですが、当時は自分の人生が続くということ自体に耐えられなかった。

2024年10月、大学が再び始まるのですが、、、なんだか大変でした。
何が大変だったかよく覚えていないけれど、なんかみんながわけの分からない話をしている中で分かった風に存在することができなくなりました。実験の自由時間になったらすぐに部屋を抜け出して、タバコを吸って、トイレの前でしゃがんで動画を見ていました。

その中のある日、突然。奥歯が痛くなりました。
頭が割れるほど痛くなりました。
なぜここまでの仕打ちが!?と思いました。痛み止めを飲んでも飲んでも眠れずに、結局奥歯は抜きました。奥歯は抜くだけ抜いて歯医者を飛んだので、まだ穴ぼこです。

実験は3回くらい休んだら単位がもらえないので、もう諦めました。
教育実習も、書類が出せず諦めました。母校から電話が来ました。K先生がはじめは怒った声でしたが、うつなので諦める、と言ったらすごく優しい声になって、いつでも帰ってきてね、と言いました。
大学は休学することにしました。

2024年11月、今の職場で働きはじめました。

2025年1月2日
いつの間にか、自分の知らない間に、関係はこじれていました。相方Bは、私と現恋人が付き合っていることに心を痛めていたようでした。どうしたら良いのかわかりませんでした。恋人は唯一の逃げ場でした。相方は、私が恋人に洗脳されているというのです。どうしたらいいかわかりませんでした。
正月で実家に帰っていたので、そばに恋人がおらず、眠れませんでした。すべてが覆されて何も信じられない夜でした。
深夜4時に、「メンタルが落ちて明日の親戚の集まりにはいけない、私を置いて行ってきてください、みんなによろしく」とメッセージを送り、朝になるころに眠りました。
昼過ぎに起きると、リビングには母がいました。行かなかったの、と聞くと、待ってようと思って、と母は言いました。お雑煮を出してくれました。
安心して、泣きました。

2025年2月、相方Bとのコンビで大会に出ました。
ウケました。人生が戻ってきた、と思いました。ここまで来てもなお、お笑いは私の人生の全てでした。
そして負けました。じゃあもういいや、と思いました。

2025年6月、もっともよく覚えていません。

外に出たら恋人と付き合ってることが間違いだと言われ、家に帰ったら恋人は疲れ果てて待っていました。地獄のような日々でした。

単独の2日前、相方Bは私を好きだと言いました。

2025年6月末、相方Bは私が恋人と別れないと死ぬと言いました。
ここで限界が来ました。
お笑いをやめる、と初めて口に出しました。
もうやめる、好きにしてくれ、私はお笑いやめる、でも死なないから。しばらく塾の先生になる、死なないからそれで許して。
と、言いました。

死なないから、しばらく塾の先生になるから、と口をついて出ました。これはとても嬉しいことでした。塾があるから今も私は生きていられます。

2025年8月、みんなで旅行に行きました。
正直ありえないくらい楽しかった。

2025年9月、最後のお笑いライブに出ました。
次の日、5年日記をつけはじめました。

2025年10月、スペインに留学に行きました。
一カ月だけだったし、心の傷も癒えていなくて、この留学ですっかり元気になる、みたいなことはありませんでした。
でも、勉強が好きだと気づけました。

ほどなくして、東大をやめる決心がつきました。
言語系の大学に編入することや、働き始めることや、お笑いに戻ることを考えました。

お笑いは地獄で、将来はまっくらで、金もなく、病気も抱え、死にたくもなくて、いちばん悩みました。
子どもが欲しいとか、そのために金がほしいとか、親に迷惑かけたくないとか、まだお笑いは終わってないはずとか。
その間、無我夢中で勉強をしました。現世とのつながりが勉強しか残っていませんでした。

2025年11月から、お笑いをやめる決心がつきました。
様々な人と連絡を絶ちました。
正月の集まりでは、なにかが耐えられなくて帰りの車でわんわん泣きました。
人と会うのがおそろしく、むなしく思いました。

それ以上に、塾にこもっていれば満足でした。
他人に知識を与えられるのは、この上ない幸福でした。

2026年2月、ふと、翻訳家を志しました。
映画の字幕や吹替の台本を作る職業です。
親にお金を借りて、オンラインの翻訳者養成校に申し込みました。

2026年4月、パーソナルジムに通い始めました。
大学入学時と比べて、体重は19キロ増えていました。


2026年5月、仕事と、恋人と、ダイエットと、翻訳の勉強と、日記が、うまく続いています。
求めずとも、走らずとも、祈らずとも、そこにあります。
幸せなことです。


長文ですが、なかなかな半生でした。
読んでいただいてありがとうございました。

さいごに、ぜひこの動画の2曲目を聞いてください。
https://youtu.be/L22K2oU7iC4?si=fTMrJ5R4q8nMg2lE


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