その理由を考えてみると、どうも信仰を持つ(⇔無宗教)ということのイメージが、こうしたことを言う人との間のそれと違うからではないかと思い始めた。
私はプロテスタントなのだが、信仰を持つということは、自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ。それに伴い、聖書に書かれた道徳に従った生活を送ることをも意味する。
何か問題にぶつかれば聖書を参照し、解決策を探る。それが自分にとってつらいこともあれば、救いになることもある。
他方、クリスマス・初詣・葬式しかやらない人にこうした要素は見出しにくい。
神を受け容れるという点について、初詣のときには神を受け容れる人が多いかもしれないが、その時限りのものだ。クリスマスや葬式は言わずもがな。
また、日常生活において宗教の教義を意識するなどということはないだろう。そもそも神道については教義があるのかどうかもあいまいだ。
宗教=信仰ではないわな。 信仰を強要する宗教ってのは、ユダヤ教→キリスト教→イスラム教の流れ。 あとの宗教は、教義とか、かなりいい加減。 神道なんて、「世間はそういうもん...
「宗教=信仰ではない」ってのはその通りかも。うまく言えないけど。 再考します。
一神教信仰する奴らって 自分たちのような信仰こそが信仰であり それ以外は信仰ではないって言いがちよね 傲慢の罪でその全能の神様とやらから雷でも喰らえばいいのに
はるか昔、民衆を効率的に統治するために自身にとって都合の良い神のみを認めさせることを、統治方法として採用したんじゃないかな。しらんけど。 だから雷食らうべきなのはすでに...
お前はプロテスタントだから、それを辞めることなしに他の宗教を理解することは出来ない。
でもキリスト教徒でもそこまで敬虔じゃない人はたくさんいるじゃん。 増田の基準では彼らは無宗教ってこと?