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田中重人 (東北大学) 2026-05-20 20:53

実録「日本モデル」: コロナ対策の虚像

第6章 「3密」の変遷


[全章PDF] [図表 (PDF)] [文献]

多重防護とそのコスト

コロナが人から人へと伝染するのは、主として、飛沫等のかたちで感染者が空中に排出したウイルスが他の人の体内に入りこみ、増殖することによる。この伝染のリスクを高める要因として、つぎのこと(1) が想定できる。

そうすると、伝染を避けるには、つぎのような防護策が有効であろう。

防護策のどれかひとつを単独でおこなうだけでもリスクを下げる効果はあるが、それでじゅうぶんとは限らない。全部あわせておこなえば、伝染をもっと確実に防ぐことができる。このように複数の防護策を組み合わせて使うことで効果を高める、というのが「多重防護」の考えかたである。あちこちに穴が空いている薄切りチーズを複数枚重ねると穴が見えなくなる、という現象になぞらえて「スイスチーズモデル」(2) と呼ばれる。

幾重にも積み重なり、互いに補完しあっている防護を採用している原子力発電所や航空機のような複雑なシステムでは、単一の機器故障やヒューマンエラーが発生しても十分に安全性が確保できるようになっている。〔……〕

〔……〕

理想的な状態では、〔……〕防護のすべての階層が健全で、潜在的な危険性がその間を突き抜ける可能性はないであろう。しかしながら、現実的には防護の各層には〔……〕「穴」があり、あたかもスイスチーズのようである

——Reason (1997=1999)『組織事故』[305: 9-11]

チーズに穴があるのは製造工程で気泡ができるためであり、つまりもともと穴があいているのであるが、防護壁をチーズにたとえるのにはもうひとつ理由がある。それは、チーズはやわらかくて変形しやすい弱い素材であるため、穴があいたりひび割れたりするということだ。防護壁というものは、もともと穴だらけであるうえに、最初は大丈夫だったところにも後になって問題が生じたりするのである。

この考えかたは、リスク管理の文脈で広く使われてきた。望ましくない結果 (たとえば重大事故) を確実に防ぐには、多重の防護システムを用意した上で、なおその各防護層に綻びが生まれることを前提として対策を考えなければならない。コロナの流行とともに、同様のスローガンが感染対策でも言及されるようになった [Roberts 307]。

多重防護は、事故を防ぐ目的にはいいのだが、コストが大きいという難点がある。大勢で集まってはいけない、換気の悪いところに行ってもいけない、声は出すな、というのでは私たちの社会生活はほとんど成り立たなくなってしまう [金井 103: 194] [山羽祥貴 444: 85-87]。伝染を完全に防ぐことを目標にするのをやめて、ある程度の伝染を許容する発想に切り替えれば、穴だらけの脆弱な薄切りチーズのような単独防護策だけでもなんとかなるのではないか?

こうした反・多重防護の思想から産まれたのが、日本政府がコロナ第1波前半で展開した「3密」キャンペーンである。本章では、この「3密」あるいは「3つの密」という概念について、その出現以降の変遷を追う。なお、算用数字による「3密」「3つの密」と漢数字による「三密」「三つの密」はどちらも使われており、おなじ意味である。これらは引用元文章に応じて使いわけている。


「3密」とは

「3密」は「3つの密」の略称である。「3つの密」の初出は、おそらく、2020年3月18日の首相官邸Twitterアカウントのツイートである。そこでは、「3つの「密」を避けて外出しましょう」(3) という呼びかけがおこなわれた。翌日には、Twitter上でこれを「三密」(4) あるいは「3密」(5) と略した個人の発言がみられる。その後、政府のウエブサイト、記者会見、各種メディア記事などにおいて「3つの密」あるいは「3密」という表現がしばしば出現するようになった。公的な文書で「3つの密」に明確な定義をあたえたのは、4月1日の専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」である。

「3つの条件が同時に重なる場」: これまで集団感染が確認された場に共通する「①換気の悪い密閉空間、②人が密集している、③近距離での会話や発声が行われる」という3つの条件が同時に重なった場のこと。以下「3つの密」という。

——専門家会議 (2020-04-01)「状況分析・提言」[373: 8頁脚注2]

ここで出てくる3つの条件——「密閉」「密集」と、3つ目の「近距離での会話や発声」をあらわす「密接」——をすべて備えた場のことを、「3つの密」と称しているわけである。

ことばとしての「3つの密」「3密」出現のいきさつはそういうことになるが、これらに該当するアイディアはかなり前から出ている。次節で、この概念が確立するまでの経緯を確認しておこう。


「3密」概念確立までの時系列

前史

後に「密接」「密閉」「密集」と呼ばれることになる3条件は、早くから感染拡大の要因として認識されていたようである。「密接」については、1月17日に国立感染症研究所が作成した「積極的疫学調査実施要領」の最初のバージョンですでに「濃厚接触者」(6) の条件のひとつが「手で触れること又は対面で会話することが可能な距離 (目安として2メートル) で、必要な感染予防策なしで、「患者 (確定例)」と接触があった者等」[132] となっており、近距離でのコミュニケーションは感染リスクの高い行為だという認識が早くからあったことがわかる。「密閉」については、感染予防のために換気を呼び掛ける記事が、1月末の雑誌や新聞に載っている [週刊朝日 448] [読売新聞 105]。 2月になると、中国の上海市が「空気が感染を広げる懸念」を表明したことが報じられ [毎日新聞 196]、「飛沫の多くは床に落ちるが、一部は空気中に長時間漂う」[毎日新聞 197] といった解説もマスメディアに出てくるようになる。そして「密集」については、多数の人への感染が起きるためには感染可能な範囲に多数の人がいる必要があるという命題は、特に実証的な根拠がなくとも導くことができる。

2月19日の第2回専門家会議の記録には、人々が接触する場の環境的条件が感染確率を決めるとの意見が散見される。議事概要 [364] にはつぎのような発言がある:「フェイス・トゥ・フェイスの状態にあるクルーズ船や屋形船でのリスクが高い」「近くに行って長くいることが問題の本質」「職場の集会や飲み会等を注意すべき」。

2月24日の第3回会議の議事概要 [366] ではつぎのようである:「閉鎖空間がリスクファクター」「換気が重要」「①腕が届く距離であること、②長くいること、③混雑していることにリスクがある」「呼気などから感染する報告が上がってきている」など。

この2月24日会議の前日、専門家会議の一部メンバーは非公式の会合で意見交換していたという。

換気が悪い場所で密集して、対面で人と人との距離が近いまま話をすること。そして時間が問題です〔……〕一秒でも感染が起きないとは言えない。でもすべての感染を抑えようとすると社会機能を全部止めないといけなくなるので、そこは目をつぶるしかない。

——河合香織 (2021)『分水嶺』岩波書店 [112: 30] 非公式会合での押谷仁発言

こうした議論を経てできた専門家会議2月24日「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解」は「対面で人と人との距離が近い接触 (互いに手を伸ばしたら届く距離) が、会話などで一定時間以上続き、多くの人々との間で交わされるような環境」[365: 3] の回避を呼びかけている。ここには、後の「3密」の3要素のうち、「密接」「密集」への警告が入っている。

翌日の対策本部2月25日「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」には「閉鎖空間において近距離で多くの人と会話する等の一定の環境下であれば、咳やくしゃみ等がなくても感染を拡大させるリスクがある」[357: 2] との一文がある。これは「密閉」もふくむとみることができる。ただ、「等」がついているし、「咳やくしゃみ」にも触れているため、感染拡大の条件をどの範囲に限定できるかははっきりしない。

この時期の実証的な研究成果としてしばしば言及されるのが、2月26日までの日本の110症例について屋内の閉鎖環境 (closed environment) と屋外の open-air environment を対比した Nishiuraほかによる3月3日のプレプリント [263] である (2章参照)。同様のデータを用いて湿度によって(7) 環境を区分した分析結果のグラフも知られており、押谷仁 [294: 21] の資料などで見ることができる。

厚生労働省Q&A (2月29日)

「3密」につながる3つの構成要素について回避を呼びかける文言が一般向けにはじめて出たのは、2月29日に厚生労働省ウエブサイトに掲載された「新型コロナウイルスに関するQ&A」である。問12「集団感染を防ぐためにはどうすればよいでしょうか?」につぎのとおり答えている。

これまでの感染発生事例をもとに、一人の感染者が生み出す二次感染者数を分析したところ、感染源が密閉された (換気不十分な) 環境にいた事例において、二次感染者数が特徴的に多いことが明らかになりました。(下のグラフ)

換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まることは避けてください。また、イベントを開催する場合には、風通しの悪い空間や人が至近距離で会話する環境は感染リスクが高いことから、その規模の大小にかかわらず、その開催の必要性について検討するとともに、開催する場合にあっては、風通しの悪い空間をなるべく作らないなど、その実施方法を工夫するようお願いします。

——厚生労働省 (2020-02-29) Q&A [156: 問12]

「換気が悪く」が「密閉」、「密に集まって過ごす」が「密接」、「集団で集まる」が「密集」にあたると考えると、3つの要素がここでそろったと読むことができる。感染一般ではなく、集団感染を問題にする文脈での説明であるところがポイントである。なお、この回答の下のグラフ (図表2.2) は、押谷 [294: 21] とおなじ数値によるものである。ただし、「空気のよどんだ閉鎖環境」(humid environment) とあったところが「換気の悪い環境」になっている。

翌日の厚生労働省大臣記者会見 [日本経済新聞 250] の際の広報資料 [厚生労働省 158] にも、同様の記述がある。そこでは「集団感染の共通点は、特に、「換気が悪く」、「人が密に集まって過ごすような空間」、「不特定多数の人が接触するおそれが高い場所」です」として、「不特定」という要素を加えている。ここでどうしてこの要素を加えたかは、よくわからない。この要素は、これ以降、3条件を定義する際には出てこない。

専門家会議3月2日「見解」

専門家会議が3月2日に発表した「新型コロナウイルス感染症対策の見解」では、つぎのようになっている。

屋内の閉鎖的な空間で、人と人とが至近距離で、一定時間以上交わることによって、患者集団 (クラスター) が発生する可能性が示唆されます。

——専門家会議 (2020-03-02)「見解」[367]

ここで言及されているのは、閉鎖的な空間 (密閉) と至近距離で交わること (密接) という2要素である。また、このあと、「北海道の皆様ができること」として「風通しの悪い空間で人と人が至近距離で会話する場所やイベント」に行かないよう求めていて、換気や会話にも触れている。

NHK 3月3日「ミングる」

NHKの3月3日の番組に、「専門家会議のメンバーがキーワードとして挙げる」ことばとして、「ミングる」という新語が登場する。

専門家会議のメンバーがキーワードとして挙げるのが、「ミングる」。英語では「mingle」、「人と入り交じる」という意味の言葉で、感染の拡大を防ぐために「ミングる」をできるかぎり避けることが必要だとしています。

〔……〕

専門家は具体的には、ライブハウスやスポーツジム、ビュッフェ形式の会食、クラブ、カラオケボックスなど、「風通しの悪い空間で、人と人とが至近距離で会話する場所やイベント」を挙げています。

〔……〕

専門家会議は、今の段階では、「ミングる」状況を減らしていけば、感染拡大を収束に向かわせることができるとしています。

——NHK NEWS WEB (2020-03-03) [237]

NHKはこのように「専門家」の発案だとして「ミングる」を紹介しているのだが、実際に専門家がこれを使っていた例は見当たらない。専門家以外に広げて探しても、このことばの用例はほとんどなく、大学卒業生への学長からのメッセージ [志村二三夫 334] での言及が1件見つかる程度である。

「3つの条件が重なった場」

専門家会議3月9日「見解」

専門家会議が3月9日に公表した「見解」で、「3つの条件が同時に重なった場」という表現が登場した。

これまで集団感染が確認された場に共通するのは、①換気の悪い密閉空間であった、②多くの人が密集していた、③近距離 (互いに手を伸ばしたら届く距離) での会話や発声が行われたという3つの条件が同時に重なった場です。〔……〕

〔……〕

これら3つの条件がすべて重ならないまでも1つないし2つの条件があれば、なにかのきっかけに3つの条件が揃うことがあります。例えば、満員電車では、①と②がありますが③はあまりなされません。しかし、場合によっては③が重なることがあります。

——専門家会議 (2020-03-09)「見解」[369: 4, 6] 〔原文の強調を省略した〕

「集団感染が確認された場に共通する」のが、換気が悪く、多くの人が密集していて、近距離での会話や発声がある、という3条件が重なることだと明確に示されている。 3条件が重ならない状況にも注意を促しているが、それは「何かのきっかけに3つの条件が揃うことがあ」るからである。たとえば満員電車は、①換気の悪い密閉空間に、②人が密集する場面だ (つまり2条件が存在する) から、そこで③しゃべる人が出てくれば、3条件が重なることになる。

この文書には、3条件を表したベン図がある。「密閉空間であり換気が悪い」「近距離での会話や発声がある」「手の届く距離に多くの人がいる」の3条件をそれぞれ色付きの円であらわし、3つの円が重なった部分に「3つの条件が揃う場所がクラスター (集団) 発生のリスクが高い」という説明を加えている (図表6.1)。

この文書について審議した3月9日の第6回専門家会議の議事概要には、国内の感染状況について「一部の方が多くの二次感染者を生み出していて、密閉された空間という共通項が一部ありそう」[368: 1] という発言はあるものの、「3つの条件が同時に重なった場」を回避することを求める案についての賛成意見はない。一方で、反対の立場からつぎの発言がある。

中国でどうして減ったかということをエビデンスで考えてもらいたいのであるが、それは換気をして減ったということは絶対なくて、消毒をしただけで減るということも絶対ない。家に閉じ込めて接触を絶ったので減り始めているのである。〔……〕しばらくの間、接触は避けてもらわないといけないという話が、ちゃんと伝わるようにすることは、恐らくこの感染症を予防する上ではキーになる

——専門家会議 (第6回) 議事概要 (3月9日) [368: 3-4]

専門家会議3月19日「状況分析・提言」

それから10日後、3月19日の「状況分析・提言」では、専門家会議は「3つの条件が同時に重なった場」あるいは「3つの条件が同時に重なる場」という表現を16回繰り返し、警戒を訴えている。

最も感染拡大のリスクを高める環境 (①換気の悪い密閉空間、②人が密集している、③近距離での会話や発声が行われる、という3つの条件が同時に重なった場) での行動を十分抑制していただくことが重要です。

——専門家会議 (2020-03-19)「状況分析・提言」[372: 7]

この「状況分析・提言」中には「3つの密」ということばは出てこない。ただし、この文書を決定した3月19日会議の資料には、テレビCM [厚生労働省 163] のサンプルがあり、そこで「3つの「密」」という表現が使われている [専門家会議 370: 参考資料2]。また、会議に出席していた加藤勝信厚生労働大臣も「3つの密」と発言している [専門家会議 371: 5]。このときまでには、「3つの密」は政府関連の会議で使われることばとなっていたらしい。しかし「状況分析・提言」はこの新しいことばを使わず、「3つの条件が重なった場」などの長い表現を多用している。

対策本部3月28日「基本的対処方針」

3月28日に対策本部が決定した「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」も、「3つの密」ということばは使っていなかった。使っていたのは「3つの条件が同時に重なる場」である。

・ 集団感染が生じた場の共通点を踏まえると、特に①密閉空間 (換気の悪い密閉空間である)、②密集場所 (多くの人が密集している)、③密接場面 (互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる) という3つの条件が同時に重なる場では、感染を拡大させるリスクが高いと考えられる。

〔……〕

④ 都道府県は、密閉空間、密集場所、密接場面という3つの条件が同時に重なるような集まりについて自粛の協力を強く求める

——対策本部 (2020-03-28)「基本的対処方針」[358: 3, 7]

細部がちがうものの、専門家会議が使ってきた「3つの条件が同時に重なる場」とだいたいおなじである。このことばは、14頁からなる「基本的対処方針」[358] のなかで2度しか出てこない。

「3 (つの) 密」

首相官邸「3つの「密」を避けて外出しましょう」

すこし時間をさかのぼって、3月18日に、首相官邸のTwitterアカウントが「3つの「密」を避けて外出しましょう」と呼びかけていた。前述のとおり、これが現在確認できている「3つの密」の初出である。

同時期に首相官邸サイトが掲載したポスターが図表3.3である。上部に「密を避けて外出しましょう!」と大書し、その下に「①換気の悪い密閉空間」「②多数が集まる密集場所」「③間近で会話や発声をする密接場面」の3つをならべている。さらにその下には「新型コロナウイルスへの対策として、クラスター (集団) の発生を防止することが重要です」「イベントや集会で3つの「密」が重ならないよう工夫しましょう」とあり、ベン図を示して「3つの条件がそろう場所がクラスター (集団) 発生のリスクが高い!」と主張している。3月23日の首相官邸メールマガジン [392] にもこのポスターが載っている。厚生労働省からは、同様の内容の動画も配信された [163]。

ポスターが伝えるメッセージの主成分は、「外出しましょう!」である。3条件が重なる所に行くなということも言ってはいるが、全体として外出を奨励するものになっている (後述)。後になって、ポスターは「3つの密を避けましょう!」というものに変更された [首相官邸 393]。

「3つの密」から「3密」へ

このように、「3つの密」は政府が使い始めたのであるが、それを縮めて「三密」「3密」と略したのは、前述のように、Twitterの個人アカウントである。

影響力のあるメディアで「3密」ということばを使った例としては、医師の忽那賢志が著した3月22日のYahoo!記事がある。忽那はYahoo!ウエブサイト上に専門家個人としてのニュース枠を持っており、医学の解説記事を掲載して注目を集めていた。

新型コロナ患者の8割は誰にも感染させていません。

感染を広げているのは残り2割の患者であり、この2割の感染者が広げた環境は多くが「密閉・密集・密接」の3要素を持つ空間 (3密空間と勝手に命名) であったことも分かっています。

——忽那賢志 (2020-03-22) Yahoo! 個人ニュース [190]

「2割の感染者が広げた環境は多くが「密閉・密集・密接」の3要素を持つ空間」だという根拠として、忽那 [190] は Nishiura ほか [263] を挙げている。しかしその論文にそんなことは書いていない(8) ので、間違いである。忽那は以降も同趣旨の発言を繰り返している [村上 223: 5]。論文を読まずにでたらめを吹聴していたのか、読んだ上ででたらめを吹聴していたのかは不明である。

その後、東京都知事会見 [東京都 423] などで、「3密」という表現が広く使われるようになっていった [竹中 408: 135-136] [Borovoy 23: 7]。

専門家会議4月1日「状況分析・提言」

前述のように、4月1日の専門家会議「状況分析・提言」は、「3つの条件が同時に重なる場」[373: 8頁脚注2] を「3つの密」と呼んでいる。先に忽那 [190] が「密閉・密集・密接」の3要素を持つ空間を「3密空間」と名づけたのと同様、専門家会議も3条件がそろった場を「3つの密」ということばの定義とした。

この文書には「「3つの密」を徹底的に回避する」「「3つの密」をできる限り避ける」といった表現が出てくるが、これらは (定義により) 3つの条件が重なる場を避けることを指している(9)。条件がどれか欠けていれば、これに該当しない。特に9頁では以下のようにある。

・ジム、卓球など呼気が激しくなる室内運動の場面で集団感染が生じていることを踏まえた対応をしていただくこと。

・こうした場所では接触感染等のリスクも高いため、「密」の状況が一つでもある場合には普段以上に手洗いや咳エチケットをはじめとした基本的な感染症対策の徹底にも留意すること。

——専門家会議 (2020-04-01)「状況分析・提言」[373: 9]

ここでは、「密」の状況が一つであっても感染のリスクが高い場合があると説明している。にもかかわらず、そうした場所を避けることは要求せず、手洗いや咳エチケット等で対処すればよいとするのである。

他方、この前には「人混みや近距離での会話、特に大きな声を出すことや歌うことを避けていただく」とあり、「3つの密」に該当しない場所でも避けるべき場合があるとも主張している。専門家会議は、この時点ですでに、3条件が揃うところだけを避ければいいという反・多重防護的な発想を脱していたと見ることができる (後述)。


「3密」の誕生

以上を振り返って、「3密」の概念が確立してくる過程をまとめておこう。

「3密」を構成する個別の条件 (密閉・密集・密接) については、基準に揺れがみられる。

まず「密閉」に関しては、専門家会議の当初の見解は「どの程度の換気が十分であるかの確立したエビデンスはまだ十分にありません」[369: 7] ということであり、具体的な基準は示していなかった。 3月30日になって厚生労働省が出した説明では、「専門家会議の見解における「換気の悪い密閉空間」とは、一般的な建築物の空気環境の基準を満たしていないことを指すものと考えられる」[164: 3] となっている。ところが、首相官邸と厚生労働省が4月中旬に作成したパンフレット「3つの密を避けるための手引き!」は、換気設備のある建物についても「油断は禁物です。換気量をさらに増やすことは予防に有効です。冷暖房効率は悪くなりますが、窓やドアを開けたり、換気設備の外気取入れ量を増やしましょう」[397: 2] という。結局、一般的な基準に則って設置済みの換気設備でじゅうぶんなのかどうかははっきりしない。

これに対し、「密集」「密接」については、3月9日の専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の見解」[369] がいちおう具体的な基準を設定している。「密集」については、「見解」本文中には「多くの人が密集していた」という記述しかないのだが、付属文書に載っていた図 (図表6.1) に「手の届く距離に多くの人がいる」[369: 7] と書いてある。「手の届く距離」がどれくらいであるかは体格によるが、おおむね70--90センチメートル(10) であろう。「多く」が何人を指すかは特定されていないが、その後5人以上の規模であることが「クラスター」認定の基準になっていく (4章) ので、それと同様に考えれば、4人以上 (自分自身をふくめれば5人以上) であろう。「密接」については、本文中に「近距離 (互いに手を伸ばしたら届く距離) での会話や発声が行われた」[369: 4] とある。「互いに」ということなので距離は2倍であり、1.4--1.8メートルになる。

もっとも、この3月9日「見解」[369] の基準がその後も一貫して使われていたとはいいにくい。たとえば10日後の3月19日に首相官邸が発表した広報資料 [391] では、「密集場所」のイラストの人混みは、ずいぶんまばらである (図表3.3)。手の届く間合いに4人以上の他人が入っている人は、ひとりもいないように見える。 3月9日「見解」の基準を明文で否定したわけではないが、実質的に条件をかなり緩めて、それほど密集していない人混みも「密集」と呼ぶようになっていたと考えていいだろう。さらにその後、4月中旬になって作成されたパンフレットでは、「他の人とは互いに手を伸ばして届かない十分な距離 (2メートル以上) を取りましょう」[397: 3] という表現になった。


人々は「3密」をどう受け容れたか

「3密」の概念は、本来は、感染防止のために人々の生活を大きく制限する多重防護的な発想に異を唱えるものである。だからそれが伝えるメッセージは、反・多重防護——3条件の重なったところだけを避ければよい——のはずであった。実際、日本政府は3月後半には「「密」を避けて外出しましょう!」[391] というポスターを作り、外出を呼びかけるキャンペーンを展開している (図表3.3)。このポスターについて、リスクコミュニケーションの研究者である堀口逸子はこう解説した。

これを見て、みんな外に行きますよね。「〜しましょう」という単語は、推奨する時に使うのです。「手を洗いましょう」とかですね。そしてここには「外出しましょう」と書かれています。

——堀口逸子 (2020-03-26) BuzzFeed News [岩永直子によるインタビュー 90]

日本のコロナ対策は、感染防止効果をできる限り高めるのではなく、感染防止が行き過ぎないよう市民の行動を制御しようとする志向を持つ。日本政府が呼びかけていた「行動変容」とは、単に感染しないようにするということではない。「社会・経済機能への影響を最小限と」[専門家会議 373: 9] しなければならないので、感染防止効果だけを追求してはならず、ある程度の感染リスクは覚悟して消費活動に勤しまないといけないのだ。健康増進 (health promotion) の手段としての公衆衛生の発想 [大北全俊 278: 86] からみれば異例ともいえるが、3条件が同時に重なった場だけ避ければいいという「3密」回避の発想は、日本政府のこの志向に沿っている。その後さらに、同年末の第3波時には「「静かなマスク会食」をお願いします」[399] (図表6.2)、翌年春には「ポイントをおさえて会食しよう!」[382] と、同工異曲の消費喚起キャンペーンが展開されていく。「3つの密」は、そうしたキャンペーンのために日本政府が創った最初の宣伝文句であった。

もっとも、そうした意図通りに人々がメッセージを受容したとは限らない。むしろ、多重防護で感染を防ぐべきと考えた人も多かったであろう。西田亮介は、2020年7月に出版した『コロナ危機の社会学』において、つぎのように述べている。

もともと、専門家会議は「三つの条件が同時に重なった場」の回避を呼びかけたはずだが、世間の受け止めは一つひとつの「密」をリスクと見なし、忌避する雰囲気になった。

——西田亮介 (2020)『コロナ危機の社会学』[256: 62] 〔原文の振り仮名を省略した〕

「3密を避ける」というとき、「密閉」「密集」「密接」の3条件すべてがそろったところだけ避ければいいのか、ひとつでも該当すれば避けるべきなのか。専門家会議も政府も前者の意味でこのことばを使っていたのは明らかだが、少なからぬ人々が後者の意味で受け止めた。

なぜそんなことが起きるのか。原因はいろいろ考えられる。

ひとつ目は、この概念は「3つの密」「3密」という新奇なことばとともに人口に膾炙したのだが、この新語からは「3条件がすべてそろう」という意味が感じられなくなっていた、ということだ。「3つの密」という表現から読みとれるのは、なにか避けるべき「密」なるものが3つあるということだけである。たとえば、ある病気の治療に際して医師から「肉・魚・卵を避けるように」と指示された場合、焼肉は食べていいんだな (魚も卵も入っていないから) とはふつう考えない。「肉・魚・卵を避ける」は「肉も魚も卵も食べてはいけない」という意味なのであり、「肉と魚と卵を全部使った料理だけを避ける」という意味ではないのだ。「密閉・密集・密接を避ける」ことを要請された場合も、これとおなじく、「密閉も密集も密接も避ける」と考えるのがふつうである。「密閉と密集と密接が同時に重なった場だけを避ける」と解釈する人は稀であろう。

専門家会議が当初使っていた「3つの条件が同時に重なった場」[369: 4] という表現であれば、3つの条件が同時に重なった場を避けることが要請されているのは、その字面から明白であった。この表現を使いつづけたなら、誤解は起きなかっただろう(11)。ところが「3つの密」「3密」という用語が広まって以降は、政府も専門家会議もマスメディアもこの新語をこぞって使うようになってしまった。「単なる語呂合わせ」[吉川 118: 130] のために概念の正確な理解を犠牲にした、というのがこの問題のひとつの側面である。

ふたつ目は、「3密」はあくまでもSSE (集団感染あるいはクラスター) を防ぐために考案された概念であって、感染を防ぐためのものではなかったという点である。これは2月29日以降明言されていたことなので、一連の言説を追ってきた人にとっては自明であった。たとえば、神奈川県知事の黒岩祐治は、自らのウエブサイトでこう書いている。

「密閉・密集・密接が重なった所は感染の危険が高いから避けるように」とのメッセージが誤解を招いているのではないでしょうか? これは集団感染が起きやすい条件を提示したものであって、一人一人の感染の危険からすれば、この3つは「重なる」必要はありません。一つでも十分、危険です。「重なる」ことを条件にしているから、「ならば屋外は大丈夫か」と思ってしまうのではないでしょうか。

——黒岩祐治 (2020-03-28) [187]

集団感染さえ起こらなければ自分が感染してもいい、と思う人はまずいない。人々が不安になるのは「自身が感染するのではないか」[西田 256: 126] と思うからであり、それを避けるためにどうすればいいかを知りたいのである。たとえば厚生労働省がウエブサイトに掲載していた図表2.2は、2月26日までに確認された1--3人規模の感染 (合計36人) のうち6割 (22人) が換気の悪い環境以外で起きていたことを示している(12)。政府や専門家会議は、そういう小規模な感染は社会全体での流行につながらないので、放置していいという立場をとる。それが「日本モデル」というものである。だが個人の立場からすれば、社会全体での流行につながるかどうかにかかわらず、自分が感染するのは嫌である。そこで、換気のいい場所でも感染が起きるなら他人との接触は避ける、という結論に至る。「3密」概念を正確に理解したとしても、そこから得られる知識をどう利用するかについて、政府や専門家会議と個人とでは目的がちがうのだ。企業にとっても状況は同様だった。感染防止策を怠って従業員や顧客のひとりでも感染させればその責任を問われるおそれがある [近藤亮 143] ので、集団感染でなければいいという話にはならない。

3つ目は、7章で説明するように、この後4月7日になって政府が「3密」の定義を変更し、多重防護的な「3密回避」を呼びかけるようになったことである。この変更についての広報はなかったので、その日を境に意味が切り替わることにはならなかった。しかし後になって、次第にことばの意味が変容していく。

4つ目に、3密仮説は科学的根拠を欠いていた。専門家会議もそのことを認めており、3月9日「見解」ではつぎの補足を加えている。

市民のみなさまは、これらの3つの条件ができるだけ同時に揃う場所や場面を予測し、避ける行動をとってください。

ただし、こうした行動によって、どの程度の感染拡大リスクが減少するかについては、今のところ十分な科学的根拠はありませんが、換気のよくない場所や人が密集する場所は、感染を拡大させていることから、明確な基準に関する科学的根拠が得られる前であっても、事前の警戒として対策をとっていただきたいと考えています。

——専門家会議 (2020-03-09)「見解」[369: 4]

3条件が同時にそろう場所だけ避けることで感染拡大を防げるという科学的根拠はじゅうぶんではない、というのである。その上で「換気のよくない場所や人が密集する場所は、感染を拡大させている」という知見を示して、他の条件がどうであろうと換気の悪い場所や人が密集する場所は避けたほうがいい、と勧めている。結局のところ、3条件のうちすくなくとも「密閉」と「密集」に関しては、それぞれ単独でも避ける多重防護的な態度をとるよう要請している。


専門家会議の姿勢

マスメディアは、3月下旬には、「3密」を避ければ感染拡大を防ぐことができる、とさかんに宣伝するようになった。

集団感染を防ぐことができれば、感染の広がりを大幅に抑えることができると考えられているんです。

そのためのに〔ママ〕大切なのが「3つの密」、「3密」です。「密閉」された場所で、多くの人が「密集」し、近い距離で会話するなどの「密接」な環境、この3つの条件が重なるのをできる限り避けることで集団感染のリスクを減らせるとされています

感染経路が分からない場合、見えていないところで、集団感染が起こっているおそれがありますが、見えているかどうかに関わらず、新たな集団感染が起こるのを徹底して防ぐこと、つまり「3密」を避けることがもっとも重要なポイントです。

——NHK NEW WEB (2020-03-26) 記者解説 [240]

この間、専門家会議は、じゅうぶんな科学的根拠はないとの意見を変えておらず、マスメディアの姿勢とは乖離がある。専門家会議3月9日「見解」が「今のところ十分な科学的根拠はありません」[369: 4] と書いていたことはすでに述べた。その後の3月19日「状況分析・提言」では、こうなっている。

もし大多数の国民や事業者の皆様が、人と人との接触をできる限り絶つ努力、「3つの条件が同時に重なる場」を避けていただく努力を続けていただけない場合には、既に複数の国で報告されているように、感染に気づかない人たちによるクラスター (患者集団) が断続的に発生し、その大規模化や連鎖が生じえます。そして、ある日、オーバーシュート(爆発的患者急増)が起こりかねないと考えます。〔……〕

したがって、我々としては、「3つの条件が同時に重なる場」を避けるための取組を、地域特性なども踏まえながら、これまで以上に、より国民の皆様に徹底していただくことにより、多くの犠牲の上に成り立つロックダウンのような事後的な劇薬ではない「日本型の感染症対策」を模索していく必要があると考えています。

——専門家会議 (2020-03-19)「状況分析・提言」[372: 9-10] 〔原文の強調を省略した〕

ここでは、爆発的患者急増を防ぐには「3つの条件が同時に重なる場」を避けるだけでは足りず、「人と人との接触をできる限り絶つ努力」を要するかもしれないと示唆している。「3つの条件が同時に重なる場」を避けることでロックダウンなしで流行を終息させる「日本型の感染症対策」(すなわち後の「日本モデル」) も模索したいが、それが成功するかどうかは定かではない。だから「3密」の回避で流行を終息させられるとは確約できない。このことは専門家会議も認めていたわけである。

3月28日、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」[358] を定めるための諮問委員会が開かれた。諮問委員会の席上、押谷仁委員がつぎの発言をしている。

これはここ〔基本的対処方針〕に書けという話ではないのですけれども、新たな我々の知見の情報共有です。3密だけではなくて、声出すようなことが危ないということが分かってきて、歌を歌うのはかなり危ないです。カラオケだけではなくて合唱団というのも出てきて、声を出すことはかなり共通項として出てきています。ライブハウスも声を出すということがかなり大きな要素なのだろうと思います。コールセンターがありましたけれども、コールセンターの人たちは朝、みんなで集まって発声練習をするらしいです。

——諮問委員会 (第1回) 議事録 (3月27日) [337: 24] 押谷仁発言

声を出すのが危ないというのは、2章でみた飛行機の事例と似た話だろう。その事例では、換気装置がはたらいていたにもかかわらず、激しい咳をしていたインデックス・ケースから遠く離れた座席の乗客へウイルスが伝播していた [427] [428]。咳をしたり声を張り上げたりすると大量の飛沫等が放出されるので、人々がまばらにしかいなくて換気がいいという条件下でも、大量の2次感染が出てしまうのである。

専門家会議が4月1日に出した「状況分析・提言」は、この押谷発言をさらに拡張した内容を盛り込んでいる。

市民の皆様には、以下のような取組を徹底していただく必要がある。

・「3つの密」をできる限り避けることは、自身の感染リスクを下げるだけでなく、多くの人々の重症化を食い止め、命を救うことに繋がることについての理解の浸透。

・今一度、「3つの密」をできる限り避ける取組の徹底を図る。

・また、人混みや近距離での会話、特に大きな声を出すことや歌うことを避けていただく。

——専門家会議 (2020-04-01)「状況分析・提言」[373: 9]

この前の頁では「3つの密」は「3つの条件が同時に重なった場」のことだと定義しているのだが、ここでは3条件がそろわなくても「近距離の会話」は避けよとも言っている。すなわち、「密閉」「密集」のない場所であっても「密接」は避けよということである。専門家会議が、一方では「3密」を避ければ感染拡大を阻止できるという説を打ち出し、それを「日本モデル」の主要な柱としていたことは3章でみた。しかし他方で、市民に対しては「3密」の範囲を超えて、近距離での会話を一切避けるよう呼びかけてもいたのである。専門家会議のメンバーたちにも、「3密」さえ回避すれば大丈夫という確固たる見通しはなかった。

4月7日、緊急事態の宣言を前に、「基本的対処方針」改訂のための原案 [338: 資料3] が諮問委員会で審議される。この席上で、また押谷委員からつぎの発言があった。

3密でなくても〔クラスターが〕起こり得る場合があります。例えば〔資料3の〕12ページに繁華街の接客を伴う飲食店のところがあるのですけれども、これは必ずしも3密が全部そろっていない環境だと思います。人がたくさんいない、けれども1人の人が不特定多数の人とこういう接触をするという形なのです。歌を歌うとかも、必ずしも3密がそろっていない環境でも起きています。無観客のライブハウスでも起きている

——諮問委員会 (第2回) 議事録 (4月7日) [339: 12] 押谷仁発言

「歌を歌う」「無観客のライブハウス」の件は、3月28日の諮問委員会での発言と同趣旨だろう。一方、接客を伴う飲食店で「人がたくさんいない、けれども1人の人が不特定多数の人とこういう接触をする」というのは、SSEがなくてもスーパースプレッダーは出現する、という話である。スーパースプレッダーとは多数の2次感染を生み出す感染者のことをいう (3章参照) が、その2次感染は1か所で一度に起きるSSEであるとは限らない。少人数を相手の接触を何度も繰り返して、その都度小規模な感染を起こしたとすれば、一回あたり感染者数が少なくても、合計では多数の感染を引き起こしていたことになる。

SSE抜きでスーパースプレッダーが生まれるというのは、専門家会議が提唱した「日本モデル」の根幹を揺るがす発見であった。 3章で整理したように、「日本モデル」は、コロナ感染のほとんどがSSEによるという仮説の上に組み立てられている。「3密」を避ければ感染拡大が防げるという見立ては、「3密」でなければSSEは起きないということを前提としており、なぜそれで感染拡大が防げるかというと、SSEが起きなければ感染は拡大しないからなのである。これに対して、押谷のこの発言は、SSEがなくても小規模な感染がつづけば感染が拡大することを示しており、「日本モデル」を前提から否定するものであった(13)

この諮問委員会は、反・多重防護のための「3密」概念を否定する方向で決着した。全国知事会からオブザーバーとして出席していた黒岩祐治や事務局を構成する西村康稔大臣らが「3つの密」の定義を変更するよう主張し、それが通って「基本的対処方針」原案が書き直される。書き直し後の原案では、「3つの密」は3条件が同時に重なる場を指すものではなくなった (ただしその定義は明確ではなく、記述が混乱している:7章参照)。最終的に決定された「基本的対処方針」4月7日版では、たとえば「室内で「三つの密」を避ける。特に、日常生活及び職場において、人混みや近距離での会話、多数の者が集まり室内において大きな声を出すことや歌うこと〔……〕を避けるように強く促す」[359: 8] とあり、近距離での会話は、その場の人数や換気状況にかかわらず、「三つの密」に該当するものとしてあつかわれている。これ以降、3条件が同時に重なる場だけを避ければ流行が阻止できるとする主張は、すくなくとも政府と専門家会議の文書にはみられなくなっていく。


  1. ^ 空気を媒介にして伝染する病気 (たとえば結核) について、従来から注意されてきた事項である [安武 453: 130]。
  2. ^ スイスはチーズの名産地である。
  3. ^ https://twitter.com/Kantei_Saigai/status/1240057648835252224
  4. ^ 仏教 (密教) においては、「三密」とは「身密」「口密」「意密」を指す用語である。首相官邸によるツイートを引用した https://twitter.com/KH_HokujinIGRTC/status/1240543149677633540 は、この宗教用語に触れている。
  5. ^ https://twitter.com/gS99c52ClfRrwzN/status/1240589252670308352
  6. ^ 「密接」は後に「close-contact settings」[首相官邸 394] と訳すようになった (7章参照) が、「close contact」は「濃厚接触」の訳語でもある [136] [137]。
  7. ^ 西浦博は、クラスター対策班発足当初、2次感染がたくさん生じた場所の共通項を「もわっとしている」(=湿度が高い) というイメージでとらえていたという [262: 66]。
  8. ^ Nishiura ほか [263] が報告する2次感染61例のうち、14例 (23%) は open-air (屋外) でのものなので、「密閉」の条件がなかったことは確実である。のこる47例 (77%) が屋内での感染ということになるが、そのうちいくつが「密閉」に該当していたかは定かでない。「密集」「密接」については、その論文は何も書いていない。
  9. ^ ただし最終頁には「3つの密が重なる場を徹底して避ける」[373: 12] という部分がある。「3つの密」は「3つの条件が同時に重なった場」なのだから、これでは「3つの条件が同時に重なった場が重なる場」になってしまい、日本語として成立していない。同文書の他の用例はすべてカギ括弧付きなのにこの部分だけ括弧がないので、何かしら含意のちがいがある可能性はある。
  10. ^ 日本の伝統的な長さの単位として「尋」(ひろ) というのがあり、両手を広げた長さとされる。『日本語国語大辞典』[248] によると、1.36メートル (4尺5寸) から1.8メートル (6尺) 程度である。この半分が「手の届く距離」だと考えると、68--90センチメートルになる。
  11. ^ もっとも、3条件の内容が「密閉」「密集」「密接」では、何を避ければいいのかは結局わからない。換気の程度、一定面積内の人数、一定距離以下での発声などの条件をいちいち明示すべきである。
  12. ^ このグラフは作成の手続きについて説明が何もないので、まともな議論の根拠としていいものではない (2章参照)。とはいうものの、政府と専門家はこのグラフを無批判に持ち上げて彼らの議論を正当化しており、問題が指摘されることはほとんどなかった [忽那 191: 9] [山藤栄一郎 317: 1341]。
  13. ^ もっとも、3章でみたように、押谷をふくむ専門家会議メンバーはスーパースプレッダーが複数の場所で感染を引き起こす (それぞれがSSEとは限らない) 可能性に触れている [285: 42-43] [345: 15] ので、むしろSSEだけ警戒すればいいとする「日本モデル」をなぜ採用したのかということのほうが謎である。

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