http://tsigeto.info/covid19/book/ch03.html
田中重人 (東北大学)
2026-05-20 20:53
専門家会議は、2020年3月19日から5月29日の間に「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」を7回出している。その2回目にあたる4月1日「状況分析・提言」では、日本のコロナ対策の特徴をつぎのとおりまとめている。
〇 日本では、社会・経済機能への影響を最小限としながら、感染拡大防止の効果を最大限にするため、「①クラスター (患者集団) の早期発見・早期対応」、「②患者の早期診断・重症者への集中治療の充実と医療提供体制の確保」、「③市民の行動変容」という3本柱の基本戦略に取り組んできた。
——専門家会議 (2020-04-01)「状況分析・提言」 [373: 9]
この文書最後の「終わりに」に、「日本モデル」ということばが出てくる。
〇 世界各国で、「ロックダウン」が講じられる中、市民の行動変容とクラスターの早期発見・早期対応に力点を置いた日本の取組 (「日本モデル」) に世界の注目が集まっている。実際に、中国湖北省を発端とした第1波に対する対応としては、適切に対応してきたと考える。
——専門家会議 (2020-04-01)「状況分析・提言」 [373: 11]
日本のコロナ対策の「3本柱」のうち、医療関係の対策を抜いたふたつ——市民の行動変容とクラスターの早期発見・早期対応——を「日本モデル」と呼んで自画自賛しているわけである(1)。
「日本モデル」ということばは、これが初出ではない。このほぼ2週間前、3月19日の専門家会議「状況分析・提言」において、「多くの犠牲の上に成り立つロックダウンのような事後的な劇薬ではない「日本型の感染症対策」を模索していく必要があると考えています」[372: 10] との表現があった。そして、この日に専門家会議が開いた記者会見において、「日本モデル」ということばが使われていた。
〔専門家会議は〕「海外のような外出禁止や店舗閉鎖は長く続けられないので、日本モデルとして、閉鎖空間で集まらない努力を続け、社会・経済機能を維持する道を皆で話し合いたい」と述べた。
——「感染「持ちこたえている」引き続き警戒を」(2020-03-20) 日テレNEWS NNN [254]
おなじ記者会見のよりくわしい内容として、クラスター対策班で活動していた西浦博 (北海道大学教授) のつぎの発言が報じられている。
全てのバーが閉鎖されるようなアメリカのような状況が長期間、持続可能かどうか。おそらくそうではないと思う。経済的インパクトがあまりに大きすぎる。日本モデルで活路を見いだし、社会経済機能をなんとかして維持しつつ、皆さんの行動で無駄な部分を省いて、しわ寄せの来る社会的弱者を助けながら、なんとか持続可能な方法がないかを必死に模索している
——高橋直純 (2020-03-20) m3.com [406]
この3月19日の「状況分析・提言」[372] を受け、国際政治学者の篠田英朗は「市民の行動変容」の具体的な中身——後に「3密回避」と呼ばれるもの——に注目してつぎのとおり「日本モデル」の特徴をまとめている。
「密閉・密集・密接の回避」を中心にする戦略は、完全封じ込めでなくても、飛沫感染によるクラスター発生さえ防止すれば、医療崩壊を回避する範囲内で拡散を抑え込める、という考え方によるものだろう。
「3条件が重なる場所を避ける」だけの対応なら、経済活動や交通機関その他の日常生活を全面的にストップさせなくていいところが重要だ。
この「日本モデル」は、欧米諸国をはじめとする諸外国が導入している措置と比べたら、格段に穏健な措置である。そうだとすれば、今後、諸国が規制を段階的に緩和していく際に、「日本モデル」の試みは重要な参考事例になるはずだ。
——篠田英朗 (2020-03-26) 現代ビジネス [384: 3-4]
この当時、日本はコロナ感染者を見つけようとしていないのではないか、ということが問題になっていた。
そこで象徴的な役割を果たしたのが、コロナについての確定診断をおこなうための検査の実施件数である。コロナの症状 (発熱・咳・肺炎など) はほかの病気でも起こるので、病名を確定させるには、患者から採取した検体にウイルスがふくまれるかどうかを遺伝子レベルで判定する必要がある。このための標準的な方法がPCR検査である。コロナの原因となるウイルスSARS-CoV-2(2) の遺伝子配列は2020年1月10日に公開された [加藤+西條 110: 14]。その情報を使ってPCR検査を日本で最初に実施したのは国立感染症研究所であり、1月15日には国内で最初のコロナ症例を確認している [146] [235]。 1月23日以降、この検査に必要な遺伝子断片 (プライマー) が国立感染症研究所から各地の地方衛生研究所に送られ、全国で検査をおこなってSARS-CoV-2ウイルスを同定できる環境が整った(3)。この検査は行政の業務なので、各地での検査について情報を集めて統計が作られる。結果として何人の感染者が見つかったかだけでなく、感染者を見つけるための検査を何件 (あるいは何人分) 実施したかが数字のかたちで出てくるようになったのである [NHK 238]。多くの国で同様の統計が公表されていたので、国際比較も可能であった。
このPCR検査の件数が、日本では少なすぎる。実際の感染の広がりを把握しようとしていないのではないか。そういう批判がでてくるようになった。たとえば、アメリカ Cable News Network (CNN) の日本語版ウエブサイトは、2020年3月6日につぎのような記事を掲載している。
新型コロナウイルスの感染拡大が続く日本で、政府の対策や検査のやり方に疑問を投げかける専門家が相次ぎ、実際の症例数は発表よりずっと多いのではないかとの不安が広がっている。
隣国の韓国では、政府が検査態勢を強化して数万人の検査を行った結果、これまでに確認された症例は6000例を超えた。一方、日本政府は1日に3800件の検査が可能になったとしているが、厚生労働省によれば、4日までに実施された検査は8111件にとどまる。
〔……〕
北海道では知事が緊急事態を宣言した。道内の感染者数は公式統計では80人台とされているが、北海道大学の西浦博教授は、実際にはその10倍に上る可能性があるとの見方を示す。
——CNN (2020-03-06) [28]
厚生労働省はこのCNN記事に対して、当の西浦による反論の文書 [261] をウエブサイトに掲載した。とはいえ、この反論文書は、北海道に限定した推計を日本全国に敷衍するのは困難だと書いてあるだけである。多くの感染者を見逃しているという記事の趣旨には、西浦も厚生労働省も反論していない。そもそも、感染者を数えるにあたっては診断を受けていない者 (いわゆる暗数) が相当数いることを考慮しなければならない、というのは当たり前の話である。日本のコロナ対策初期のように貧弱な調査体制の下では、未発見の患者が10倍程度いるという想定は、特段おかしなものではなかったと考えておくべきであろう。
統計上の検査数の少なさに加え、肺炎患者やそれを診察した医師など個別の経験においても、患者が検査を受けるのがむずかしかったことは、しばしば指摘される。
国立国際医療研究センター病院の医師でコロナ流行初期から治療にあたってきた大曲貴夫は、1月下旬に自身が診た最初のコロナ患者について、つぎのとおり話している。
武漢から来た女性で、その方も、初めは風邪の症状だったんですが、何度か受診されているうちに肺炎の症状が出て、ようやく調べることができて感染が分かったんですよね。
——大曲貴夫 (関なおみとの対談) [328: 342]
コロナ流行地である武漢からやってきた人が風邪の症状を呈していた場合でも検査対象にならず、悪化して肺炎になってようやく検査できたというのである。
このケースでは、発見が遅れたとはいえ、通院期間内に検査して、結果的には感染者を捕捉できている。これに対して、感染が見逃されたまま、結果的に捕捉されなかった例もあったようだ。
新型コロナウイルスの感染者が多く出ていた中国・武漢から1月中旬に関西空港に到着した中国人女性が、入国直後に発熱などの症状があったにもかかわらずPCR検査を見送られ、後に採取した検体を検査したところ「陽性」だったことが、りんくう総合医療センター (大阪府泉佐野市) の調査でわかった。センターは府を通じて厚生労働省にPCR検査を要請したが、当時、検査にまわす国の基準が厳しく、症状が軽いとして断られた。〔……〕
〔……〕女性は家族5人ほどと来日。37・6度の発熱などがあったため同センターで診察を受けた。せきやのどの痛みはなかったが、その後、熱は38度以上に上がった。肺炎の兆候もあった。
だが、PCR検査をする当時の国の基準は「37・5度以上の発熱とせきなどの呼吸器症状がある」などで、この女性は当てはまらないとして、厚労省が検査を断ったという。女性は翌日から大阪や京都を観光し、28日ごろ帰国したとみられる。
3月末に同センターがPCR検査の態勢を整え、冷蔵保存していた女性の検体を調べたところウイルスが検出されたという。
——朝日新聞DIGITAL (2020-04-06) [19]
東京で1月18日に起きた屋形船の新年会での大規模感染では、屋形船の男性従業員がその後肺炎を起こして入院したにもかかわらず、コロナを疑っての検査はおこなわれなかった。
男性従業員は新年会の直後から体調を崩し、1月27日には肺炎と診断されて、ずっと入院していた。
東京都の担当者は〔2月14日にこの従業員の感染を確認したあとの〕発表のなかで「感染の屋形船従事者は、中国からの旅行者との接触歴がある」と説明していた。
確かに、新年会の3日前の1月15日に70人ほどの中国人ツアー客が乗船し、この従業員が対応していた。ただ伊東さん〔屋形船の女将〕は、男性従業員から「肺炎」と聞かされた1月下旬に、「万が一、中国のツアー客に新型コロナの感染者がいたら、従業員も感染しているかもしれない」と考え、ツアー会社に連絡していた。
回答は、武漢出身とみられる客は5人いたが、5人も含めてツアー客全員について感染者は確認されていない、というものだった。
〔……〕〔当該従業員は〕1月の入院時点では検査を受けていなかった。国立感染症研究所は当時、新型コロナウイルスを疑う条件として「中国・武漢への渡航歴」か「渡航歴と症状がある人との接触歴」を挙げていた。「国内感染者はほぼおらず、感染拡大はどこかひとごとという意識があった」と東京都の担当者は話す。
——朝日新聞 (2020-05-17) [274]
この従業員は、その後さらに2週間以上経ってから、武漢市からの旅行者との接触があったという名目で「接触者調査」の対象となり [厚生労働省 152]、それでようやく感染が確認されることになる (5章参照)。
3月中旬には日本医師会が情報を収集して、医師が検査を必要と認めたのに検査対象にならなかったケースが相当数あったという結果を公表し [NHK 239]、検査実施体制の整備や事務手続きの簡素化を厚生労働省に要請している [釜萢敏 101: 51]。流行地からやってきた人や、そういう人と接触した人が肺炎を起こしていても調査しないくらいであるから、感染者を見つける気がないのではないか、という疑念が持たれるわけである。
1月はじめの段階では、日本の国内で広がる感染を捉える体制は存在しなかった。厚生労働省はこの感染症を「武漢市における非定型肺炎の集団発生」と認識しており、武漢市に滞在歴のある患者だけに関する注意喚起をおこなっていた [174]。各地の地方衛生研究所での検査実施が可能となった1月23日以降も、コロナの「疑い例」として保健所に相談するのは、(a1) 患者本人に武漢市への渡航歴があるかまたは (a2) 接触相手のなかに武漢市への渡航歴があって発熱と呼吸器症状を呈する人がいたという2条件のどちらかに当てはまり、かつ (b1) 患者本人に発熱と呼吸器症状があってかつ (b2) 中等症以上 (要するに肺炎) である場合に限られていた [175] [176]。上記の屋形船従業員の場合 [274]、武漢市から来たツアー客との接触はあったが、そのツアー客のなかに発熱と呼吸器症状を呈する人がいたことの確認がとれない (a2 の条件を満たさない) ので、対象外ということになる。りんくう総合医療センターの事例 [19] は、患者に呼吸器症状がなかったので、b1 の条件を満たさない。そして大曲が言及している事例 [328: 342] は、まだ肺炎を起こしていない段階では、「中等症」に至っていないので b2 の条件を満たさず、検査対象にならない。このように、当時の日本の保健システムは、流行地あるいはそこから来た感染者 (だと疑われる者) との接点がある感染者だけを、相当に絞り込んだ条件で見つければいいという前提で動いていた。
コロナが感染症法の対象となったあとの2月4日に、流行地への渡航歴も流行地から来た人との接触歴もない感染者についても、発見する途が拓けた。「医師が一般に認められている医学的知見に基づき、集中治療その他これに準ずるものが必要であり、かつ、直ちに特定の感染症と診断することができないと判断し」[厚生労働省 177: 別添 4枚目] た者、という条件が追加になった(4) のである。といっても、それは、患者が集中治療を必要とするほどに重篤な状態に陥ってはじめて可能になることであった(5)。なお、 この基準に先立って「必ずしも次の要件に限定されるものではない」との但し書きがいちおうある。 2月7日には、「これまでも各自治体の判断で検査が行われていることと承知しているが、今後も、各自治体において新型コロナウイルス感染症を強く疑われる場合には、柔軟に検査を行っていただきたい」との文書も出されている [厚生労働省 178: 別紙]。
2月中旬には、柔軟に検査をおこなって感染者を発見する例が相次いだ。上記の東京都の屋形船従業員の場合、1月には検査対象にならなかったものの、その後、2月中旬になって検査を受け、2月14日に陽性が判明した [厚生労働省 152]。その前日に陽性となった屋形船利用客の場合も、武漢渡航歴等がなく、集中治療を受けていたとの記述もない [厚生労働省 151] からそこまで重篤ではなかったようだが、検査対象となっている。おなじ2月13日に発見された和歌山県の病院のケース [野尻孝子 267: 1-4] では、政府の基準を墨守する保健所の姿勢に疑問を持った関係者から県への直接の通報があり、県からのトップダウンの指示によって当該ケースの検査がおこなわれた [山岡 447: 21] [野尻 268: 3]。
こうした実例が積み重なったあと(6) の2月17日、厚生労働省から各自治体に送られた「新型コロナウイルスに関する行政検査について (依頼)」[178] で「37.5℃以上の発熱かつ呼吸器症状を有し、入院を要する肺炎が疑われる者」「医師が総合的に判断した結果、新型コロナウイルス感染症と疑う者」が行政検査対象になりうることが明記された。これでようやく、流行地との接点のない感染者も、本人が重篤な状態になる前に見つけることができるようになった [木村良一 120: 32-33]。
とはいえ、医師が要請すれば必ず検査対象になるわけではない。検査を実施するかどうかは保健所が判断する。その保健所はコロナに関する各種の仕事に忙殺されていた [白井ほか 387] ので、厚生労働省からよくわからない文章の書かれた書類が来たからといって、その内容をすぐ正確に認知して基準を切り替えるわけではない [21: 293]。東京都の保健所で指揮をとっていた医師の関なおみ [328: 55] や各地の病院等に取材したジャーナリストの山岡淳一郎 [447: 7] は、医師の総合的判断という条件がはじめて登場したのは2月17日ではなく、10日後の2月27日だとしている(7)。さらに3月1日には、厚生労働省から「新型コロナウイルス感染症の疑い患者が増加し、全件PCR等病原体検査を実施すると重症者に対する検査に支障が出るおそれがあると判断される場合においては、PCR等検査は、重症化防止の観点から、入院を要する肺炎患者等の診断・治療に必要な検査を優先する」[182: 2] との事務連絡(8) が出ている。自治体の状況によって、医師からの要請があっても軽症であれば検査対象としない態勢をとる場合がありうることになる。また、検査の基準そのものに関するこのような事情以外に、逼迫しつつある医療資源の全体的な状況をにらんで受診者の選別がおこなわれていたという推測も可能である(9)。
実際の保健所の対応としては、武漢渡航歴のない患者は、特に軽症の場合は、検査対象から外されることが多かったとみられる [447: 7]。検査を断られた事例については、いろいろな報道がある [NHK 239] [竹中 408: 117-118]。ネット上には、そうした体験談と、保健所に対する怨嗟の声(10) があふれていた。一例として、匿名の医師からの投稿を見ておこう。匿名なので内容の真偽は確認しようがないのだが、当時の雰囲気は伝わるだろう。
原因疾患が同定できない場合には、COVID19疑いとしてPCR検査依頼を保健所にします。しかしほとんどの場合検査許可はおりません。
直接来院の患者さん達は何故PCR検査をしてもらえないのかと聞いて来ます。医師は丁寧に検査結果を説明し、保健所に掛け合ったが許可が下りなかったことを伝えます。多くの患者さんはわかってくれますが、一部の方は納得されていない様子で帰ります。
このように医師がPCR検査必要と判断しても現状では緊急入院以外はほぼ検査許可が降りないため、報告を上げないケースが多数あります。大多数の医療機関は保健所とのやり取りで断られる事を経験しており、検査が滅多に許可されない現状を知っています。
——都内民間病院院長 匿名 (2020-03-11) 医療ガバナンス学会のメールマガジン [425]
前述のCNN記事は、そういう状況のなかで発表された。
一方で、このようにして見つかった患者を起点としておこなう積極的疫学調査にも問題があった。長期間にわたって積極的疫学調査をつづけることは、そもそも想定されていなかったのである [齋藤智也 314: 68]。
政府が2009年に策定した「新型インフルエンザ対策行動計画」[335] では、第三段階の「まん延期」のフェーズに入ると積極的疫学調査はおこなわず、また全患者の入院措置も取らないことになっていた。コロナ対応もこれとおなじ道筋で考えられており [押谷+瀬名 301: 215]、国内での感染数がある程度以上になった時点で体制を縮小する予定だった。当時の状況を、元厚生労働省結核感染症課長の三宅邦明はこう説明していた。
新型インフルエンザのときと同じで、ある時点から全数把握をする意義が少なくなっていきます。〔……〕最初の200〜300例で臨床像がわかるので、そこまでは真剣に追いますが、それ以降は正確な流行状況を追う、必ず確定診断を行うという段階から医療体制の維持に力点を移すべきです。〔……〕それはイコール、国内感染期ということになりますから。
——三宅邦明 (2020-02-24) 論座アーカイブ [岩崎賢一によるインタビュー 91]
2月末ごろには、いつこのフェーズ移行を決断するかが問題となっていたのである。
こうした状況において専門家会議の「日本モデル」が持った意義のひとつは、検査数は少なくても問題ないのだという正当化のための理論的基盤を提供したことである。
見つけている感染者が少ないという批判の背後には、感染者をたくさん見つけるのがいいことだ、という前提がある。なぜたくさん見つけるといいのかという理由 [鈴木基 402: 439] は、もちろん感染者への適切な治療をおこなうということもあるのだが、感染状況のコントロールという観点からみると、つぎのふたつ(11) になる。
一方、専門家会議が用意した「日本モデル」では、「クラスター」がキーワードとなる。「クラスター」は多義的に使われる用語である (4章参照) が、この文脈では、ひとりの感染者が多くの人に感染させる現象を指す。
「日本モデル」の要点は、感染者のすべてを把握する必要はなく、クラスターを把握しておけば大丈夫という主張にある。流行を終息させるにあたっては、感染者全員ではなく、クラスターに関連する感染者を隔離するだけでよい。感染の広がる条件についても、小規模な感染を気にする必要はなく、クラスターが発生する条件さえわかればそれを阻止することができる。日本はそれらのことをきちんとやっているのだから、クラスターの外に発見できていない感染者がたくさんいても問題ない、というわけである。
また、「クラスター対策」という戦略を打ち出したことは、サーベイランス体制を維持する理由を提供することになった。コロナは、新型インフルエンザ等で想定していたのとは異なり、クラスターを引き起こすことで流行が広がる。このクラスターは、サーベイランス (特に積極的疫学調査) によって見つけることができるので、サーベイランスを強化することで流行の抑止が可能である。したがって、感染が相当にまん延した状態であっても、感染者を把握する調査体制を維持することに意味がある [齋藤 314: 68]。——この理屈を用意したことは、当初の予定を覆して積極的疫学調査をつづけていく(12) ことに貢献したと考えられる。
そして、いうまでもなく、「日本モデル」とは、社会経済機能を維持しながらの感染対策が可能だというメッセージでもあった。市民は従前の生活水準をほぼ維持できる範囲で「行動変容」をおこない、地域保健システムはクラスターに特化した積極的疫学調査をおこなう。専門家会議は、この2本柱の対策によってコロナ流行を阻止しながら社会経済機能も維持できる、という見通しを提示したのである。ただし、これらのメッセージには科学的根拠はなかった。
この「市民の行動変容とクラスターの早期発見・早期対応」に力点を置く「日本モデル」とは、具体的にどのようなものなのか。専門家会議メンバーなどが展開してきたネット上の言論では、図表3.1のようなグラフを使って、その基本発想を説明している。このグラフは、「新型コロナクラスター対策専門家」のTwitterアカウント(13) が使用していたものである。実際のデータ分析結果に大幅な改変を加えたほぼ架空のもの [田中 412] だが、そのことについての解説はなく、あたかも現実の感染状況を反映しているかのように提示されている。
図表3.1は、2次感染がどれくらいの頻度で起きるかを例示する。「2次感染」とは、ある感染者から別の人にウイルスが伝染することを指す。たとえばこのグラフの右側では、2次感染者数が11のところの棒の高さは7である。これは、11人の他人にウイルスを感染させた感染者が7人いる、と読む。一方、いちばん左端では、2次感染者数がゼロであり、それに該当する感染者数が90である。つまり、感染者のうち90人は、誰にも感染させていない。データ全部を合計すると、感染者は138人いて、そこから206人の2次感染者が生じた設定である。1.49倍に増えているわけだ (図中の「Rt:1.49」はこのことをあらわしている)。
このグラフは、左右にふたつの山を持つ。左側の山をなしている2次感染者数ゼロと1のあたりを「Aゾーン」、右側の山をなしている2次感染者数8人以上の範囲を「Bゾーン」(14) と称している。 2次感染者206人のうち、142人 (68.9%) はBゾーンで生じている。それらの感染源にあたるのは14人なので、ひとりあたり10.14人の2次感染を起こしている勘定になる。多数の2次感染を引き起こしたこのような感染者のことを「スーパースプレッダー」(super-spreader) という。
「日本モデル」は、スーパースプレッダーが感染拡大を引き起こすという前提 [小林+西浦 125] の上に組み立てられている。 図表3.1でいうと、Bゾーンのように大量の2次感染を起こした感染者は確実に見つけて、それ以上感染が拡大しないように隔離しなければならない、という理屈になっているのである。一方で、それ以外 (AゾーンあるいはAとBとの中間ゾーン) の感染者は放っておいても感染が広がらないので、対応しなくてよいことになる。
『日経サイエンス』が専門家会議メンバーを集めて2020年2月26日に開いた座談会では、このスーパースプレッダー仮説に基づくコロナ対策の基本的発想について、押谷仁 (東北大学教授) がつぎのように説明している。
今クラスターと呼んでいる,1人の人が10人や20人単位に感染させる現象が起きていないと流行にはならないはずなんですよ。
クラスターが繋がっていくことで大きな流行が起こる。それ以外の,1人から限られた人数だけにうつるような大半の感染連鎖は,自然に消滅していくんです。もちろんそこでも二次感染くらいまでは起こり得ますが,全体の流行という観点で見るとそれはあまり大きな問題になりません。だから,クラスターを見つけて対処するという作業をすればいいということに,2月の半ばごろに突然気がつきました。
——『日経サイエンス』座談会 [285: 42] 押谷仁発言
発言中で定義されているとおり、ここで押谷がいう「クラスター」は、スーパースプレッダーからの感染を指す。スーパースプレッダー以外からの感染の連鎖は長続きせず、流行にほとんど寄与しないので、スーパースプレッダーによる感染だけ見つけて対処すればよい、という主張である。
さて、スーパースプレッダーが感染を拡大させる、とは実際的にはどのようなことだろうか。
ウイルス排出量の極端に多い感染者が稀に出現して、そのひとりがいろんな場所でいろんな相手と接触して感染させる、といったことを想起した読者も多いかもしれない。その発想は専門家会議のなかにもあったようではある。上記の『日経サイエンス』の座談会では、専門家会議座長の脇田隆字 (国立感染症研究所所長) と副座長の尾身茂がそうした議論を展開している。
〔脇田〕無症状で,のどだけでたくさんウイルスが増える人もいるようです。そこでウイルス量が多い場合,おしゃべりだけで人にうつす可能性がある。またそういう人は元気なので歩き回る。そういうことがあるんじゃないかと。〔……〕
〔尾身〕ウイルスの曝露量が多い人たちがいるとしますよね。すると当然,曝露量が多ければ,増殖する量も多いという人がなかにはいる。すると,その人は,別に咳なんかしなくたって,話すだけでもウイルスが他の人に感染するという,そういうことも否定はできません。感染力が非常に強い人が一部だけ存在するというのは,その人のウイルスの曝露量の問題で考えると今のところ説明しやすいです。〔……〕
〔脇田〕C型肝炎のウイルスでは感染した人,つまりホスト側の要因で症状の傾向が変わることが証明されています。〔……〕曝露量だけでなく,ホストの遺伝子の違いによって,ウイルスの増えやすさの違いが生まれる可能性もあると思っています。
——『日経サイエンス』座談会 [285: 42-43] 脇田隆字・尾身茂発言
このラインで行くと、感染力が非常に強い人があちこちで感染を引き起こしてスーパースプレッダーとなる、という想定で対策を考えることになっただろう。
だが、専門家会議による「日本モデル」は、結局そのような発想を採らなかった。感染者の性質ではなく、場の環境によって、大規模な感染が起きると想定したのである。
どうして人ではなく場に着目することにしたのかについて説明はない。しかも押谷は2020年12月になってつぎのように発言しているから、多くの場所で感染を広げるスーパースプレッダーがいる可能性を捨てていたわけではなかったようである。
我々がクラスターを解析してくる中で、いわゆる大きなクラスターをつくっている人たちはいろいろなところでいろいろな人に接触している人たち。そういう人たちがクラスターをつくるコアになっている可能性がかなりある
——厚労省アドバイザリーボード (第17回) 議事概要 (12月10日) [345: 15] 押谷仁発言
だから理屈はよくわからない(15) のだが、ともかく、特殊な条件がたまたまそろった場において、短時間のうちに大規模感染が起きる現象を、専門家会議は重視した。こうした現象を「スーパースプレッディング・イベント」(super-spreading event) という。これをそのまま書くと長すぎて取り扱いに困るので、SSEと略することにしよう。日本モデルが大前提とするのは、コロナ感染のほとんどがSSEによる、という仮説である。これを「SSE仮説」と呼ぶことにしよう。
この仮説がもし成り立つと、感染拡大を防ぐ手立てをとりやすくなる。第1に、ほとんどの感染者は、SSEが起きた時間にその場所で接触しているという共通点を持つはずである。そのような共通点を探す「クラスター対策」によって、感染の連鎖を発見し、制御することができる。第2に、SSE発生の必要条件がわかれば、SSEを未然に防げる可能性がある。 SSE発生の必要条件として専門家会議が強調したのが、「3密」である。
専門家会議 [380] は、日本の保健所(16) では、歴史的な経緯により、このSSE探索に適した「クラスター対策」を、コロナ流行初期からとってきたと主張する。具体的には、複数の感染者に共通する場所やイベントを「さかのぼり調査」でつきとめることを通して、過去に起きたSSEを見つけ出す方法(17) である。日本では、この方法によって、感染の拡大を防いできたというのだ。これを「「クラスター対策」仮説」と呼ぼう。この「クラスター対策」で探索の対象となるのはあくまでも場所やイベントであり、おなじ人とちがう場所で会っていた、といったことはふくまない。具体的な解説は以下のとおりである。
〇 諸外国における接触者調査では、新規に確認された「感染者」を起点として、その人が接触した濃厚接触者を洗い出し、将来の感染者を探し出すための「前向き (Prospective)」の調査が行われている。
〇 こうした調査は日本でも行われているが、日本国内においては、それだけに留まらず、この感染症の特徴も踏まえ、特に、複数の「感染者」を見た場合には、それぞれに共通する感染源があるかを集中して見ていくことにあった。つまり、「感染者」を発見したときに、時間的に過去に「さかのぼり (Retrospective)」、共通の感染源となった「場」を特定し、これらの場に共通する「3密」の概念を早期に発見するに至った。また、その場にいた者についても積極的疫学調査を網羅的に実施することに早期から力点が置かれたことにあったと言える。ちなみに、こうした「さかのぼり」の接触者調査は、保健所が従来から結核患者などに対して行ってきた調査方法が一つの土台となっている。
〇 すなわち、日本の特徴は、「さかのぼり」の接触者調査の結果、感染源に立ち返って、その後の感染連鎖を見逃さないようにすることが心がけられており、この結果、①早期に感染源を特定すること、②早期に感染源の関係者を特定すること、この結果として、③早期に医療につなげること、④早期の感染拡大に向けた取組につなげていくことに力点が置かれていた。
——専門家会議 (2020-05-29)「状況分析・提言」[380: 37]
この説明には図がついていて (図表3.2)、そこにも若干の説明がある。
以上の説明から、日本の「クラスター対策」の特徴は、つぎの点にあると理解できる:
調査が「前向き」であるというのは、インデックス・ケースから感染した「将来」の感染者 (しばしば「2次感染」と呼ばれる) を探すこと、「さかのぼり」であるというのは、インデックス・ケースが誰から、あるいはどこで感染したかという「感染源」を探すことである。
ただし、感染源を探すのは全感染者についてではなく、独立に見つかった複数の感染者の行動歴に共通点がある場合だけである。そのような限定を加えれば感染源を発見できる確率は下がる [Raymenantsほか 304: 2-3] はずだが、にもかかわらず、なぜそうするかについての説明はない。おそらく、感染者全員についてさかのぼるのは負担が大きすぎて実行不可能だということなのだろう。そこで、新しい感染者が見つかるたび、その過去の行動歴を既知の感染者の行動歴と照合して、共通の場所が出てこないかを調べることになる [Nishimura 258]。
この方法によって、SSEによる感染 (図表3.1でいう「Bゾーン」にあたる) を効率よく見つけることができる。そして、共通の感染源となった「場」をさかのぼり調査で特定したときには、「その場にいた者についても積極的疫学調査を網羅的に実施する」[380: 37] という。 図表3.2にも「共通の感染源となった場」について、「その場の濃厚接触者」を「網羅的に把握し、感染拡大を防止する」とある。一方、前向きの調査では単に、新規に確認された感染者について「その濃厚接触者〔……〕を洗い出し、発症するかどうかを確認する」(図表3.2) だけである。すなわち、「共通の感染源となった場」が発見された場合には、特例として調査範囲を拡大する、ということである。 2章で見た飛行機での大規模感染事例 [豊川ほか 427] では、当初はインデックス・ケースに近い席の乗客だけを「濃厚接触者」として調査対象にしていたが、それ以外の感染者が他県で偶然見つかったことから範囲を拡大し、最終的にすべての乗客と客室乗務員を対象として調査をおこなった。ひとりの感染者を起点とした前向き調査はきわめて狭く絞り込んだ範囲でしかやらないのに対し、複数の感染者がその「場」にいたということがさかのぼり調査でわかった場合に限っては「濃厚接触者」の範囲を広げて「網羅的」に把握する、という二重基準なのである。
押谷仁は、外務省の広報誌『外交』のインタビュー (2020年5月刊行) で同様の説明を開陳している。
欧米諸国は、感染者周辺の接触者を徹底的に検査し、新たな感染者を見つけ出すことで、ウイルスを一つ一つ「叩く」ことに力を入れてきました。〔……〕
一方、日本の戦略の肝は、「大きな感染源を見逃さない」という点にあります。われわれがクラスターと呼ぶ、感染が大規模化しそうな感染源を正確に把握し、その周辺をケアし、小さな感染はある程度見逃しがあることを許容することで、消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘むことに力を注いできたのです。そのような対策の背景には、このウイルスの場合、多くの人は誰にも感染させていないので、ある程度見逃しても、一人の感染者が多くの人に感染させるクラスターさえ発生しなければ、ほとんどの感染連鎖は消滅していく、という事実があります。
——押谷仁 (2020)「感染症対策「森を見る」思考を」『外交』61 [295: 8]
「大きな感染源」だけを正確に把握すればよいのであり、「小さな感染」は見逃してもよい。だから、すべての感染事例について徹底的に調査するわけではないのだ、というのがこの押谷発言の要諦である。複数の感染者が発見された場合は「大きな感染源」だとみなしてその場にいた人たちを網羅的に調査するが、そうでなければ「小さな感染」だとみなして狭い範囲の調査で済ませる。上記の飛行機の場合の調査方法と同様のことが全国でおこなわれていたということだろう。
そして、「日本モデル」においては、SSEは「3密」から生じると想定している。「3密」とは、「換気の悪い密閉空間」「多くの人が密集していた」「近距離 (互いに手を伸ばしたら届く距離) での会話や発声」の3つの条件が同時に重なった場のことをいう。これらは専門家会議3月9日「見解」[369: 4] において「これまで集団感染が確認された場に共通する」条件として提示された。その後これらの条件をそれぞれ「密閉」「密集」「密接」、これら3条件が同時に重なる場のことを「3つの密」と呼ぶようになった。「3密」は「3つの密」の略称として定着したことばである。
専門家会議が感染拡大防止のために「3密」回避を勧めたのは、3条件がそろわないところではSSEはめったに発生しない、という仮定に基づく。これは「今のところ十分な科学的根拠はありません」[専門家会議3月9日「見解」 369: 4] との断りつきで提示されたものである。 SSEは、図表3.1でいえば、Bゾーンでの2次感染にあたる。コロナはSSEによって広がるのだが、そのための必要条件は、「密閉」「密集」「密接」の3つが全部そろうことだ、というのが「3密」仮説の肝だった。
3条件の重なりが流行の必要条件だということは、そのような場だけを避ければ流行を防止できるということである。裏を返せば、それ以外の場は避ける必要はない。政府は、この発想に基づき、3月後半には図表3.3のようなポスター [391] を作成して、「外出しましょう!」キャンペーンを実施した。 3月18日には首相官邸のTwitterアカウントが「3つの「密」を避けて外出しましょう」と呼びかけていた (6章)。 3月23日の首相官邸メールマガジンにも図表3.3とおなじポスターが載っている [392]。厚生労働省からは、同様の内容の動画も配信された [163]。
感染を過度に恐れて活動を制限するのではなく、ほとんどの活動は従来通りでいい。問題がある活動も、工夫して3条件のどれかをクリアすれば実施できる。たとえば友人を集めてのパーティーも、少人数でやるか、換気を徹底するか、屋外開催ならOK。そういうメッセージを「3密」は創り出した。この発想が「日本モデル」の中核である。実証的根拠なく提唱された仮説であったが、もしこれが正しければ、感染拡大を防止しながら、以前とほとんど変わらない社会経済活動を維持できるはずであった。
以上のように「日本モデル」を理解すると、その内容は、日本が歴史的に形成してきた保健システム (1章参照) にとって都合のよい性質をたまたまSARS-CoV-2ウイルスが持っており、さらにそれがたまたま社会経済活動と両立できる感染防止策を可能にした、との理屈である。 2020年1月に日本国内での感染をほとんど捕捉しない体制でスタートしたのも、結果的には、感染拡大防止を図る上でさほどマイナスにはなっていないことになる。むしろ、積極的疫学調査やPCR検査等のための資源を効率よく活かして、低コストで流行を抑える役割を果たしてきたとして肯定的に評価できるかもしれない。
だが、これはあまりにも日本政府にとって都合がよすぎないだろうか? すでに2章ですこし触れたように、専門家会議による「クラスター対策」の説明には、積極的疫学調査の実態と合致しないところがある。「3密」を回避すれば感染拡大が防げるのか、についても「今のところ十分な科学的根拠はありません」[369: 4] と説明していたのだから、時間が経ってデータがそろってきたところで、本当はどうだったのか、科学的な検討結果が示されてしかるべきであった。しかし実際には、そうした疑問点について検討結果が出てくることはなかった。
本稿では、これらの疑問点を検討していく。ただしそれに先立って、「日本モデル」にとっての重要用語である「クラスター」が多義的に使われてきたことがそもそも問題である。ここを確認しておかないと資料の読解に不都合なので、先にこの点の検討を4章でおこなう。その上で、専門家会議のいう「クラスター対策」が本当におこなわれていたのかを検討するのが5章である。また、もうひとつの重要用語である「3密」がどのように生まれてどう変遷してきたのかを6章で検討する。
History of this page:
Generated 2026-05-20 20:53 +0900 with Plain2.
Copyright (c) 2026 TANAKA Sigeto