東京大学に0.05点差で落ちた話
初めまして。Alanといいます。04世代です。広島県出身です。自分の体験が誰かに届いて欲しいと思い、このnoteを書いています。最後まで読んでくれると嬉しいです。拡散とかしてくれたらもっと嬉しいです。
①小学生時代
自分は小学生の頃、母から異常な教育を受けていた。テレビは1日30分だけ、毎晩のように問題集を解かされる(学校の課題とは別)、居酒屋に家族で外食に行った時も社会の問題を解かされる、強制的に英会話教室に行かされる、などだ。
小学4年生からは、中学受験塾に行かされた。そして、中学受験が終わった直後に、模試で間違えた問題を解かされた。それが終わったら、今度は中学数学の問題を解かされた。
このように、自分は母に勉強を極度に詰め込まれて育ったのである。(父はやり過ぎだと思っていたらしいが、母を止められなかったそうだ。)その結果、勉強が自分のアイデンティティとなるのは自然なことだった。そして第一志望の中高一貫の男子校に合格し、そこに進学した。今思えば、それが自分の運命を大きく変えてしまった。
②中学生時代
この時から、自分は他人とコミュニケーションを取ることがうまくいかなくなった。後で分かったことだが、自分には自閉症スペクトラム障害があり、他者とのコミュニケーションに難があったのだ。加えて、進学した学校は、勉強だけ詰め込まれた、人格の歪んだ人間が数多くいた。その中で、他人とずれた自分は異物でしかなかったのだ。
そして、中学2年生の時、自分はいじめの標的にされてしまう。クラス中から『偽善者』と罵られ、スリッパにチョークで落書きされる、弁当箱にゴミを入れられる、筆記用具を奪われる、調理実習で全部食べさせられる、黒板に『死ね』と書かれる、などだ。
それだけではない。当時所属していた吹奏楽部でも、自分はいじめの標的にされた。物を投げつけられる(指に当たって血が出た)、パシリを強要される、『死ね、ゴミ、アホ、カス』などと日常的に罵倒される、身分証を奪われて『お前の住所にエロ本を10冊送ってやる』と脅される、馬乗りになられて『殺す』と言われながら首を絞められる、などだ。
さらに、親との関係も急速に悪化した。親が、吹奏楽部でのいじめに全く対応してくれなかったのだ。スルーされていた。見殺しにされていた。
さらに、吹奏楽部のいじめの件を学校のいじめアンケートに書いていたのに、学校側が何も対応してくれなかったのだ。ここでも見殺しにされていた。
そうして、中学3年間、自分はただひたすら耐えていた。睡眠が十分に取れない日々が続いた。それでも、勉強はやっていたので、上位層に入ることができていた。しかし、この先、自分は更なる地獄に堕ちることとなった。
③高校生時代
前述の吹奏楽部を辞めた(中学生のうちは運動部に所属するのが義務だった)自分は、晴れて自由の身になったはずだった。しかし、ずっといじめに耐えていた反動と、コロナ禍で休校期間が始まったことで、精神を病んでしまった。
精神を病んだ結果、勉強が手につかなくなった。自分のアイデンティティだった勉強が崩壊していった。成績はどんどん落ちた。しかし、自分にそれを止める術はなかった。さらに、自分はカルト宗教に洗脳されてしまい、遂には自傷行為にまで及ぶようにまでなっていた。廃人になってしまった。
それなのに、両親は自分を無理やり学校に行かせた。自分が精神的に限界なんだと言っても、『お前よりも苦しんでいる人間は大勢いるんだ』などと切り捨てられた。
高校2年生の秋、流石にこれ以上精神が治らなければ大学受験に影響が出ると感じ、精神科に行きたいと訴えた。しかし、母はそれを拒否した。頭ごなしに拒否した。それだけじゃない。母は更年期だからという理由で自分に辛く当たるようになった。両親も、自分の精神状態を悪化させてしまったのだ。
そして、高校3年生の時、またいじめの標的にされた。殴られる、蹴られる、物を盗まれて捨てられる、物を投げつけられる、SNSで『友達がいない』などと誹謗中傷される、などだ。しかし、自分はもうこの時には、いじめられているのを何とも思わなくなっていた。心の痛覚が死んでしまっていたのだ。心が壊れてしまっていたのだ。
しかし、そんな状況でも容赦なく受験はやってくる。東京大学を志望校にした。勉強をアイデンティティにしてた過去の自分を取り戻したかったのだ。そして57点差で落ちた。
④浪人期
自分は河合塾広島校に行くことになった。しかし、環境が変わっても、精神が回復するわけじゃない。
河合塾に、中学生時代に自分の首を絞めた人間の合格写真が飾られていたのだ。それは自分の精神を崩壊させるのには十分すぎた。
不幸は終わらない。精神を病んで、高校3年間を無駄にしてしまったショックと劣等感。浪人し、自分の人生に犯罪歴のような傷がついてしまったという強迫観念。心が壊れた。もはや、浪人というストレスフルなことができる状況ではとてもなかったのだ。
それでも9月くらいから、studyplusや河合塾の仲間のおかげで少しずつ巻き返していった。河合塾広島校は、素晴らしい環境だった。間違いない。
ところが、この頃から、自分は強迫観念に苦しむようになった。試験の成績で他人にどうしても勝てないことを極度に恐れ、自分は下等人間なのだという考えに支配される強迫観念に苦しむようになった。そのせいで、試験中に絶望感や無力感を味わう恐怖に苦しんだ。これは、幼少期に勉強を詰め込まれて、勉強が自分のアイデンティティになったことから出てくるものだった。幼い頃に、母が自分に背負わせた呪いだった。二次試験前日まで、この強迫観念に苦しんだ。
そうして精神的にぐちゃぐちゃになりながら、2度目の東大受験をした。
しかし、自分の受験番号はなかった。
0.05点差だった。
しかし、自分はもう精神的に限界だった。第二志望の東京の私立大学(以下A大学とする)の合格はあったものの、もう自分の心は修復不可能なほどに壊れてしまっていた。
そして、ロープを高いところで結んで輪を作り、そこに首を通して椅子から飛び降りようとした。しかし、自分は椅子を蹴れなかった。怖くて死ねなかった。
そして、自分はやっと精神科に行くことができた。精神を病んで4年間の月日が流れてしまっていた。4年間も、親に放置されていた。
⑤二浪期
精神科の先生に診てもらい、精神疾患があることが判明した。そしてA大学を休学することになった。自殺未遂犯した人間を、広島から東京に1人で行かせるわけにはいかない。
そして、精神科の先生と話し、メインで精神治療を行いながら、サブで受験勉強をすることにした。精神的な障害なく、まともな受験勉強をしてみたかった。精神科の先生は、その思いを汲み取ってくれたのだ。
そして6月くらいから河合塾広島校にまた通っていた。自分を0.05点差まで引き上げてくれた河合塾を信頼していた。
ところが、とんでもない教師が1人だけいた。こいつは最初の授業で、『こいつが去年の東大志望で、唯一落ちた1人だ!』などと自分を紹介したのだ。
それでも何とか、精神科の先生の助けもあって、夏までは上手くいっていた。東大模試は全てA判定をとっていた。
ところが、強迫観念にまた苦しむようになった。それだけじゃない。勉強に対する拒否反応が出てきた。精神を病んで、楽しいことも何もせずに勉強だけやってきたツケが回り、勉強に対する拒否反応が出まくった。さらに、強迫観念を面白がって刺激する人間まで現れて、自分の精神を著しく乱した。そこに、険悪な家庭環境も加わる。浪人のストレスに加えて、そんなものがのしかかったのだ。その結果、蕁麻疹や拒食症に苦しむようになり、精神崩壊してしまった。空中分解してしまった。模試や本番で吐くのが日常茶飯事になっていった。
そして、3度目の東大受験も失敗に終わった。
落ちてから河合塾の先生一人一人に挨拶しに行った。すると、前述の河合塾講師がこう言った。
『お前が落ちるのは納得するよ。まあお前は頭の良い人間には勝てなかったわけだけどー』
後日河合塾から、謝罪の電話が来たけれど、自分の心はまた壊れた。
広島の環境は最後までゴミだった。
⑥その後
自分は今年の4月からA大学に復学した。しかし、自分の受験に未練しかなかった。だから、仮面浪人を決意した。予備校に行けば、前述の強迫観念が出るのは明らかだったからだ。
しかし、今年の5月に、限界がきた。蕁麻疹も酷くなり、とても1年間仮面浪人なんかできなかった。とはいえ、東京大学に行くこともできない。自分は、中高の青春も、部活も、受験も、何もかも奪われたのだ。全て消えてしまったのだ。
2日くらい何も食べてなかった。遺書も書いていた。もう死ぬことしか考えてなかった。
しかしここで奇跡が起こった。運良く、A大学の軽音サークルに入れることになったのだ。そしてこのサークルが、自分の心をどんどん治していった。その結果、蕁麻疹が出なくなった。希死念慮もなくなっていった。気付けば、A大学のことが好きになっていた。軽音から離れたくなくなっていた。曇り空に、太陽の光がさしたかのようだった。
一応仮面浪人も続けてはいた。とはいえ、複数のサークルに入り、大学にも行っていたので6月は平均4時間、7.8月に至っては平均2時間くらいしか勉強してなかった。
それでも、精神面が劇的に向上した結果、夏のオープンと実戦でA判定を取ることができた。実戦に至っては全国83位という、過去最高を大きく塗り替える成績をとれた。やっと、遺憾無く受験と向き合うことができるようになったのだ。それは、精神疾患のせいで、広島の環境のせいで、いかに自分の実力が食い潰されていたかを示すものでもあった。
偏差値は1年前から10上昇
しかし、自分はA大学のことが、特に軽音のことが好きになっていた。かなり悩んだ。A大学の仲間を、環境を捨てたくなかった。A大学で馬鹿騒ぎできる日々と、受験勉強を比べた時に、前者が勝った。また共通テスト会場に足を運ぶ恐怖がずっと拭えなかった。しかも東京大学に行きたい理由は、まともな受験勉強がしたいという、過去の呪縛から生じるものだった。
軽音のイベントがひと段落した9月半ば以降、ずっと考えた。本当に究極の2択だった。東大受験をする夢とかも見た。
だが、2週間くらいしても、A大学にいたいという気持ちは変わらなかった。もっと軽音の仲間と馬鹿騒ぎしてたかった。それを捨ててまで、痛みを伴う受験をする意味が、東京大学に行く意味が見出せなかった。そして、仮面浪人の終了を決めた。
⑦おわりに
このような自分語りの長文を、ここまで読んでくれて本当にありがとう。これを書いている今も、受験したいという思いは消えていない。まともな受験勉強をしたかった。精神疾患のない、誰にも邪魔されない、そんな受験勉強をしたかった。
正直、東大合格者の写真とか見るとすごく嫉妬してしまう。自分も、精神疾患がない、遺憾無い受験勉強をしたかった。もしも、両親がいち早く精神科に連れて行ってくれていたら、0.05点差で不合格になることはなかっただろうと思う。
というか、中高の6年間、青春を味わって、友達と遊んで、部活に熱中して、受験も遺憾無くやれて、っていう幸せが欲しかった。それだけでよかった。でも、もうそれらが返ってくることはないのだ。
今、この文章を読んでいる人へ。
いじめに遭ったら、学校や職場なんか行かなくていい。
精神を病んだら、すぐに医療機関に行った方がいい。
これから受験するという人がいるなら、どうか、俺のことを忘れないでほしい。まともに受験できなかった人間のことを忘れないでほしい。
読んでくれて本当にありがとう。
Alan Riots



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自分も大学浪人をして、東京大学ではないですが苦い思いをしました。 もう10年経ちますが… 人生は長距離のマラソンみたいなものです。 その中でいろいろな経験をしました。回り道もしました。 ただ回り道には回り道にしか咲いていない花もありとても綺麗なもんです。 寄り道をしてもいいじゃ…