下記のように「5億円 2017 @Beriya」氏は「抗議した連中」を暗に非難しつつ、五月祭の中止にいたらせた実際の原因や責任について論じていない。
五月祭自体までもが一時中止になったの、直接抗議した連中が直接やったものでなくとも、どう見られるかは火を見るより明らかだな。
脅迫があったのであればその犯人を批判することと独立して、参政党や個々の抗議者*1の妥当性を論じることもできるはずだが。
事実として「5億円 2017 @Beriya」氏も、脅迫によって一時中止となった「あいちトリエンナーレ」と「表現の不自由展・その後」では、抗議者が脅迫の責任を負わせられるとは必ずしも考えなかったようだ。
たとえば2023年にも、抗議者はもちろん脅迫者にも言及しないかたちで、津田大介氏と実行委のみを「本当に邪悪」と批判したことがある。
「表現の不自由展」で本当に邪悪だったのは津田じゃなくてキュレーターだったと思ってますね。
批判理由は下記のようだが、表現の自由が侵害された作品を完全に網羅するように展示するべきという考えから、しっかり記憶しておくべきと主張している。
表現の不自由展については、展示が検討された会田家(会田誠)の作品について、内容は不自由展実行委員会の基準でも(恐らく)問題なかったにも関わらず、会田誠の作品であるという極めて属人的な理由で展示を取り止めたのはしっかり記憶しておくべきだし、ある意味では行政よりずっと不寛容であった。
そもそも一展示でしかない「表現の不自由展・その後」のスペースには限界があったわけだが、多数の出来事を記述できる年表では2013年に会田誠氏の記述があった。下記記事の写真の上半分の左端に確認できる。
話題の作品と年表を見る~「表現の不自由展」を報告する(下)(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
映画について、2008年3月「ドキュメンタリー映画『靖国』が右翼団体などの抗議で相次いで上映中止」や、2018年10月「映画『沈黙―立ち上がる慰安婦』の茅ヶ崎市での上映会に対し市と市教育委員会が後援していることに抗議活動が行われた」という記載はある。他方、2016年にイルカ猟の「残酷さ」を告発するドキュメンタリー『ザ・コーヴ』の上映が各地で中止になったり、アンジェリーナ・ジョリーが監督した『不屈の男 アンブロークン』が日本軍の捕虜の取扱いの描き方に批判が起こり「反日映画」だとして、東宝東和が配給を見送ったりしたことは掲載されていない。
上記の記事を書いた江川紹子氏は、引用の他にも年表に記載されていない出来事が複数あることを指摘している。
私自身も当時に自分の趣味感心の範囲で言及されていない出来事をいくつか下記エントリでならべた。それでも、年表には複数の性的表現への言及があることも指摘した。
「表現の不自由展・その後」と「そっちこそどうなんだ主義」 - 法華狼の日記
性表現が展示されていないというツイートが初期に注目されていた。これは「そっちこそどうなんだ主義」ではなく、あくまで興味深いという推測にとどめているが、事実誤認ではあるだろう。
実際には、「表現の不自由展・その後」は限られたスペースにあらゆる作品の実物を展示するかわりに、2000年以降の日本で美術に限らない表現が不自由をしいられた年表があり、性表現も多数記載されていた。
念のため、個々人が年表への掲載を要望するまでは自由な権利であるし、年表の傾向などを評価するのも自由だろう。しかし、あらゆる事例が掲載されないことだけをもって批判するのは、不当な非難でしかない。
逆にいえば「表現の不自由展・その後」は、複数の欠落が指摘されている年表で、わざわざ会田氏を記述することを選んでいるわけである。それでも年表にとどめず作品そのものの展示を要望する自由はあるが、「本当に邪悪」と批判できるほどの不足とは思えない。
一方で「5億円 2017 @Beriya」氏は文字数に余裕があっても、津田氏や実行委を批判する時に脅迫者や抗議者に必ずしも言及していない。もちろん本来ならば必ず同時に全ての論点に言及する義務などないが、脅迫被害者を批判する基準に自分自身が遠くおよんでいないように見える。
しかも2016年の「5億円 2017 @Beriya」氏は、「女たちの戦争と平和資料館」への爆破予告は面白がり、危機意識をもって声明を出したことを「音の出るおもちゃ」と評した。
特定の弁護士の名前を名乗って運動団体や資料館に爆破予告をすると面白くなりそう
爆破予告程度でアレだけ反応してくれるので、音の出るおもちゃとしての素質がある
上記に対しては、見かけた当時に気分がおちこみつつ、下記エントリのように批判的な感想を書いた。
爆破予告に対して運動団体が反応したことを「音の出るおもちゃ」あつかいするツイートを見かけて、気持ちが落ちこんでいる。 - 法華狼の日記
しかし“いじめられた人間は反応するから楽しい”レベルの今さらな“発見”を、わざわざ公言する文脈はわからない。
声明にもあるように、「女たちの戦争と平和資料館」はつとめて抑制的に反応している。
一方、元記者を職から辞させた国内の大学や、それを追認している日本社会はどうだろう。それは過去形ではなく、ずっと足元で鳴り響いている。
音に満ちた世界からひとつの音だけ指摘することは、つまり「おもちゃ」にする理由ではなく口実ということ。
感想への応答かどうかはわからないが、後日に「5億円 2017 @Beriya」氏は下記のように書いて、30以上のいいねを集めていた。
特定の弁護士に殺害予告をしたり、集団ストーカー被害を訴える人間に実際に集団ストーカーをしてもほとんどが咎められない、そういったところから地道に中央政府の統治、近代国家を否認していきたい
このように脅迫被害を嘲弄して、冗談のつもりであったとしても推奨すらしていた過去を「5億円 2017 @Beriya」氏は現在どのように考えているのだろうか。
もし反省しているならば、「表現の不自由展・その後」を批判する基準から考えて、たとえばアカウントのプロフィール欄に自身の発言と反省の言葉を掲載しつづけるくらいは必要だろう。
*1:現場で取材していた昼間たかし氏によると、当初に学内にいた抗議者は学生中心であり、以前から差別反対運動をおこなっていた抗議者は学外で運動し、参政党関係者が押し切ろうとした後に学内に来たという。